日日是好日

退職後の日々を写真で記録

5大ニュース

2013-12-31 16:20:56 | 日記
平成25年12月31日 大晦日

平成25年も今日で終わろうとしている。
今年の私にとっての5大ニュースを上げてみようと思う。

1.得度式
  9月8日に好国寺玉木老師の下で得度式を行った。
  僧侶になることは25歳のときに平等寺高橋宝善方丈様との約束  
  だったが、67歳にて果たすことができた。
  平等寺の将軍杉のようにどっかりした残りの人生を送りたいもの
  である。  
  

2.新しい生命の誕生
  8月14日、長女に第一子が誕生した。左右の手相が私とほぼ同じな
  のを見て、命の繋がりを感じた。この子が成人する頃はどのような
  時代になっているのだろうか。

3.摂心会参加
  今年は黄金摂心会、松風摂心会と臘八摂心会の3回の摂心会に参
  加した。松風摂心会は北海道で行われている摂心会で初めて参加  
  した。臘八摂心会も初めてで、8日間の長い摂心会だったが多く
  の事を学んだ。

4.広島旅行
  退職後、家内の慰安旅行に彼女が希望する広島を訪れた。大阪、
  広島、宮島を旅した。
  広島では原爆ドームと平和記念資料館を回り戦争の悲惨さを感
  じた。


5.札幌雪まつり
  北海道に住んでいたのに札幌雪まつりを見たことはなかった。
  2月7日、初めての雪まつりであったが、天候が悪く楽しめ
  なかったが、雪像は何れも初め見る大きさだった。


皆さん、良いお年をお迎え下さい。


  
  
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孫たちがやって来た

2013-12-26 16:39:46 | 日記

平成25年12月26日(木) 晴れ

昨日、上越の孫たち(小三・男、6歳・女)が5泊6日の予定で冬休みの宿題を持って我が家にやって来た。

クリスマスとのことで、孫たちはプレゼントを持って来てくれた。6歳の女の子は家内にタオル地のハンカチを、小三の男の子は私に靴下をプレゼントしてくれた。自分たちの小遣いから買ったとのこと。初めてのプレゼントである。ここに記録しておこうと思う。

今日は、この夏休みにも行った新潟県立植物園へ出かけた。

今日までクリスマス展が開催されていた。

 

 

ポインセチアやシクラメンが多数展示されていた。芳香シクラメン展示コーナーがあり、一般のシクラメンはあまり香りがないが、埼玉県が香りのするシクラメンを作るのに成功したとのこと。嗅ぐといい香りがした。

帰りに寄ったスーパーで、思わずシクラメンを買ってしまった。

 

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蜂の巣

2013-12-22 09:20:38 | 日記
木々の葉も落ち、本格的な冬の到来もまもなくになって、我が家の藤の木に妙なものがぶら下がっているのを孫と一緒に来ていた長女が見つけた。



蜂の巣のようである。直径が8cmほどで小さいが、下から見てみると傷んではいるが六角形の構造が見える。



これを見て、この夏、家内は伸びた藤の木の蔓(つる)を切ろうとして手を入れたとき鋏を持った右手の親指を蜂に刺されたのを思い出した。
あまりの痛さに、掛かりつけの病院へ行き点滴を受けた。
そういえば、今年は蜂が多かったように思う。お陰でハマナスの実が例年になく多かったが、この蜂の巣だったのだろう。



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野口英世はなぜ間違ったのか(30)-中間まとめ-

2013-12-14 16:17:36 | 野口英世
ここまで野口の論文及び手紙を見てきたが、ここで中間的なまとめをしてみようと思う。

野口は黄熱病の患者からレプトスピラを分離し、それを黄熱病の病原体として発表する間違いを犯した。



このレプトスピラは既に日本の稲田らがワイル病の病原体として発見した微生物である。野口は稲田からこの微生物を入手して、形態、培養等の研究を行った。更に野口はアメリカに於けるワイル病患者からもこの微生物を分離している。更にヨーロッパの株も入手し、これらの株の抗血清を作製していた。すなわち野口はワイル病レプトスピラに関して熟知していたのである。それではなぜ間違ったのか。

基本的原因
1.ワイル病と黄熱病の症状が黄疸と出血を主症状とし、非常に似ている。
2.現地における黄熱病の診断は野口ではなくワイル病の存在を知らない現地の医師たちが行い、ワイル病患者を黄熱病患者として患者材料を野口に渡した。
3.現地の衛生状態が悪く、患者の一部はワイル病と黄熱病の両方に感染していた可能性がある。
4.黄熱病の病原体は濾過性であり、ワイル病レプトスピラも濾過性である。

疑問点
1.野口はが黄熱病患者から分離したレプトスピラがワイル病レプトスピラの抗血清と反応したと上司のフレクスナーに手紙を書いている。この時点で野口は自分が黄熱病患者から分離したレプトスピラはワイル病レプトスピラであることを知ったはずである。しかし、このことは以後の論文には記載されていない。なぜか?
2.野口からの手紙を受け取った上司のフレクスナーもなぜそのままレプトスピラが黄熱病の病原体のまま研究を進めるのを許したのか。
3.当時、レプトスピラの病因説には多くの疑問が投げかけられていた。にも係わらずそれに反論する実験を全く行っていないのはなぜか。
野口は黄熱病患者から分離したレプトスピラをモルモットに接種して多くの死体を解剖し各臓器の変化を観察している。反論するには黄熱病患者分離レプトスピラとワイル病レプトスピラを別々にモルモットに接種し、死体解剖の所見の違いを見つけ、両レプトスピラは異なることを述べるべきでなかったか。
4.野口はワイル病レプトスピラによるワクチンを作製しており成果を挙げていた。また黄熱病患者分離株によるワクチンも作製し同様に成果を挙げていた。自説を証明するには両ワクチンを用いて相互の攻撃を行えば良いと思われるが、それも実施していない。
5.当時、黄熱病の中間宿主は蚊であることは証明されていた。野口はレプトスピラを接種したモルモットを蚊に吸血させてから、他のモルモットを刺させて、そのモルモットにレプトスピラが見つかったと、現在では考えにくいことを論文に記載している。この観察が正しいとすると、後者のモルモットは初めからレプトスピラを持っていたことになる。

これらの疑問点から考えると、野口は初めから自分が黄熱病患者から分離したレプトスピラはワイル病レプトスピラであることを知っていたのではないだろうか。しかし、攻を焦るが故に、それが分かってしまう実験は敢えて行わず、間違いを自覚しつつも突き進まざるを得なかったのではないだろうか。野口とフレクスナーは一身同体だったのであろう。
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臘八摂心終わる

2013-12-09 14:10:09 | 座禅
今朝は青空の良い天気で、昨夜は良く寝たこともあり、すがすがしい気分であった。
いつものように白鳥がエサを求めて南西の方に向かっていた。



夕べ、臘八摂心から戻った。期間は1日の朝4時から8日の午前中までと、いつもの摂心より長めである。
3日からは侍者(じしゃ)をするように言われ、最終日まで務めたが細かい失敗だらけであった。しかし多くのことを学んだ。
最終日の8日はお釈迦様が悟ったのを祝って成道会(じょうどうえ)が行われた。このときも侍者の配役だったが、皆さんの助けを受けながら、何とか務めることができた。

さて私の修行はまだ始まったばかりであるが、修行は私自身の中に積み上げるべきものであるので、今後、摂心会を除いてこのブログには書かないことにしたいと思う。
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