日日是好日

退職後の日々を写真で記録

白根大凧合戦

2020-09-30 09:01:52 | 日記
白根大凧合戦は毎年6月に5日間にわたって行われるが、今年は新型コロナウイルスのため中止された。
通常、東軍と西軍が川を挟んで大凧を上げて絡ませ、綱を引き合い、綱が切れた側が負けとなる。

昨日、私の7年前に書いたブログにコメントがあり、さらに大凧合戦の写真を見たいとのご希望だったので、ここに7年前のものだが載せる。























コメント (2)
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栗拾い

2020-09-29 14:55:12 | 日記
今朝は少し冷え込みましたが時間とともに気温も上がり夏日になりました。
昨日テレビで五泉の栗園での栗拾いのニュースが流れていましたので、今日は栗拾いに行ってきました。

五泉市は新潟県で栗の生産高が一番多いとのことです。
4年ほど前に行ったことのある某栗園へ出かけてみました。
駐車場にはすでに10台以上の車が止まってました。すでに大勢の人が入っておりその後を進むので、落ちている栗を見つけるのは至難の業です。
落ちているのは既に実を取られた毬ばかりです。


木にはいくつかの栗を見つけましたが、突っついても落ちる気配はありません。


それでも4個ほどの毬栗を見つけました。
後で孫に見せてやろうと思い、栗の実を取らずそのまま持ち帰りました。



4年前に来た時も似たような収穫でした。
これでは栗ご飯も出来そうもないので、売店で栗おこわを購入し夕ご飯に食べることにします。


残念さが残り、もう一つの栗園へ行ってみましたが、ほぼ同じそうなので、拾ったつもりで冷凍の剥き栗を買ってきました。



これで栗ご飯を作ることにします。

残念な栗拾いでしたが、1500歩ほど山道を歩きましたのでウオーキングに来たと思うことにしましょう。
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ブログ補充

2020-09-26 13:45:23 | 日記
昨年の自分のブログを見ると6月から12月の間は殆どブログを書いていない。
そこで備忘録を兼ねて少し補充しておこうと思う。

6月13日に義弟が胃がんでがんセンター新潟病院に再入院し、その後緩和ケア病棟に移り、8月26日に亡くなった。
この間、家内と私は病院へ通った。特に家内は毎日出かけた。私が行けない日は高速バスで通った。
緩和ケアの先生、看護師さんたちは親切で大変お世話になった。おかげで義弟も穏やかな入院生活を送ることができたように思う。
義弟の葬儀が終わった翌日、新しい施設に移った私の母が発熱し具合が悪くなり、今度は毎日施設に通うことになった。義弟が亡くなって一ヶ月もしない9月24日13時44分に老衰で亡くなった。97歳だった。
葬儀は福島の玉木老師にお願いした。弟妹たちもすぐに北海道からやって来た。
母の葬儀が終わると次に義弟の四十九日の法要と母の四十九日の法要。
両方の四十九日の法要は老師の許可を頂いて私が行った。
また二人の死亡後の手続きが続いた。さらに10月23日義弟の納骨を両親の眠るお墓に行った。
母の納骨は11月16日に予定したが、前日の新千歳までの飛行機の予約が取れなかった。この時期飛行機が取れないことは無いと思っていたら北海道の弟がその訳を教えてくれた。札幌でジャニーズの嵐のコンサートが3日間開催されるとのこと。新潟から札幌までコンサートに行くのかと思っていたら、なんと中国からもこのコンサートのために来る人がいるのだという。
それではフェリーで行こうと新潟ー小樽の予約を取ったが、前日に強風のため欠航になってしまった。
結局11月18日に飛行機で新潟-新千歳-女満別にてようやく網走に着くことができた。翌日、父の眠るお墓に納骨し、その後ホテルで会食した。
翌日は親戚を回り、夕方に道の駅(流氷街道)に寄ると網走でロケを行った吉永小百合主演「北の桜守」のセットが置かれていた。



この映画「北の桜守」については以前にブログに書いたが、吉永小百合の役と母とは名前が同じ(てつ:母はテツ)で、樺太からの引揚者でその後、網走に住んだことも一致する。
母の納骨後に母の若い頃を思わせる「北の桜守」のセットと出会うとは思ってもみなかった。

この道の駅は網走川の畔にありオホーツク海も見渡せる。
母は海を見るのが好きだった。網走に居たときは高台に住んでおり、窓からはオホーツク海が見えた。


(網走港)

(帽子岩)
11月21日に女満別-新千歳-新潟で帰省した。




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国勢調査

2020-09-25 15:01:51 | 日記
だいぶ前に国勢調査票が届いていたのを思い出した。


調査票を届けに来た年配の女性から「記入後どうされますか?」と聞かれたので家内は「郵送します」と答えると彼女は「助かります」と答えたそうだ。
おそらく多くの家庭を担当しており回収するのが大変なのだろう。

調査票を改めて見てみるとピンクの楕円が目がちらつくほど沢山並んでいる。
これを鉛筆で塗りつぶすらしい。
それでインターネット回答のものを開いてみると、こちらの方が見やすく、クリックするだけで良いので、結局この方法で回答した。
5年前はどのように回答したのか記憶がないが、昨年母が亡くなったので1名少なくなっているのは間違いない。

毎年新生児の数が少なくなってきているが、調べてみると昨年は86万人ほどだったらしい。
以前仕事の関係で新生児の数を調べたことがあったが、その時は120万人だったと記憶している。
この度のコロナ騒ぎで、東京から地方に移住する人も増えていると聞くので、東京の人口が減少するのだろうか。
今回の国勢調査の集計は何時公表されるのだろうか。
その結果からどのようなことが考察されるのだろうか。

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母の一周忌法要

2020-09-23 17:10:17 | 日記
先月、義弟の一周忌法要を行ったが、今日は母の一周忌法要を我が家で行った。
当初、弟二人と妹がいる北海道で行う予定であったがコロナ禍が治まらないので我が家で家内と二人で行うこととした。

今朝早くに弟と妹からお花が届いた。もう一人の弟からは母が好きだった六花亭のお菓子が届いた。
家内は昨夜から仏飯の準備と果物を用意してくれた。
私といえば何もかも不慣れな僧侶であるが何とか務めさせてもらった。


母は認知症の始まったと思われる87歳のころ網走から我が家に連れてきた。
暑い新潟を母は嫌っていたので、新潟へ遊びに行こうと言って家内が網走まで迎えに行って連れてきた。
認知症のためか、嫁姑の関係のためか母は家内に時折つらくあたった。
そこでデーサービスの利用を提案したが、良い返事が無いので、毎日の朝の散歩に車で近くの公園に行き、車イスを押しながらデーサービスをちらつかせ、帰りにはその施設を見せることを何回か繰り返して何とか成功することができた。
一旦行きだすと結構楽しんで施設の方々に網走のことを話すようになり、まもなくショートステイもするようになった。
このような生活が10年ほど続いた。この間、家内には大変な苦労を掛けた。感謝している。
義弟が入院したのを機会に母には施設に入ってもらった。
義弟が亡くなって、一か月もしないで母も亡くなった。
一か月の間に二人の息を引き取る瞬間に立ち会った。
69歳と97歳だった。

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