日日是好日

退職後の日々を写真で記録

オンコの実

2014-09-27 08:54:57 | 日記
平成26年9月26日(金) 晴れ

我が家のオンコの樹が赤い実を付けた。



このオンコは網走の叔父がハマナスと一緒に送ってくれたもので、我が家に来てから30年ほどたつ。
私が小学生の頃、我が家に横に広がったオンコの樹があり、秋に沢山の赤い実を付けた。その甘い実を良く食べたものである。

オンコのことをネットで調べてみると、オンコとは北海道の方言である事が分かった。正式にはイチイで別名をアララギと言うのだそうだ。



実はくぼんでおり、その中に丸い種子が入っている。ウィキペディアで調べてみると「果実は甘く、そのまま食用にしたり、焼酎漬けにして果実酒が作られる。しかし種子には有毒・アルカロイドのタキシンが含まれている。種子を誤って飲み込むと中毒を起こし、量によっては痙攣を起こし、呼吸困難で死亡することがあるため注意が必要である。イチイのタキシンは果肉を除く葉や植物全体に含まれる。」とある。
そんなことは全く知らずに子供の頃は実を食べていた。覚えてはいないが、おそらくサクランボを食べるときのように種子は吐き出していたのだろう。

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金澤翔子の世界展

2014-09-24 10:24:42 | 日記

平成26年9月23日(火・祝) 晴れ

北方文化博物館で開催されている「金澤翔子の世界展」へ行って来た。

受付で聞くと、米蔵(集古館)で開催されているが、大広間にも少し展示されているとのことだったので、先ず大広間に行ってみた。

すると大きな紙に「共に生きる」と書かれたものが畳の上に置かれており、会津八一の「学規」の言葉が壁に掛けられていた(ポスターの上部の書)。

集古館に入ると、最初に翔子さんが十歳のとき書いた般若心経の大きな掛け軸が掛かっている。大人でも般若心経を写経するには、かなりの根気を必要とするが、ダウン症の翔子さんにとってはかなりの集中力の持続が必要だったのではないだろうか。

他のものも見て回ったが、すぐに多くは「禅」をテーマに書かれた書であることに気付いた。字体は異なるが白隠禅師の墨蹟を思い起こすのに十分な迫力ある書である。

今まで多くの書展を見てきたが、これほど感銘を受けた書展は初めてである。

 

 

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野口英世はなぜ間違ったのか(43) まとめ

2014-09-22 13:19:23 | 野口英世
野口英世は千円札や切手の肖像になっていることから誰でもが知っている日本人の一人であろう。



そして英世は黄熱病の病原体を発見した人としても知られていた。
しかし、その発見は間違いであった。英世はワイル病の病原体を黄熱病の病原体として発表してしまったのである。
そこでなぜそのような間違いをしてしまったのかを英世の論文や手紙などから原因を探ってみた。

1)黄熱病病原体の発見
南米エクアドルのグアヤキルで発生した黄熱病患者の血液を英世はモルモットに接種することにより、人間の黄熱病と似た症状と傷害がおこされた。
そのモルモットの血液、肝臓及び腎臓中にレプトスピラを発見した。それに Leptospira interoides と命名した。
英世はそのレプトスピラは感染性黄疸(ワイル病)の原因病原体(Leptspira icterohaemorrhagiae) の形態に非常に似ていると思った。
(野口英世はなぜ間違ったのか(10))

2)ワイル病レプトスピラ
ワイル病の病原体は1915年に日本の稲田らによって発見されSpirochata icterochaemorrhagiae と命名された。



英世はそれを稲田から入手して免疫学的研究を行い、ベルギー及びアメリカで分離された株も日本株と同一であるとの結論を下した。したがって、英世はワイル病の病原体であるレプトスピラについては熟知していたのである。
さらにこの細菌に対して新しい属としてLeptospira(レプトスピラ)を提案した。その結果Spirochata icterochaemorrhagiaeLeptspira icterohaemorrhagiae に変更された。(野口英世はなぜ間違ったのか(3))

3)Flexnerに宛てた手紙
英世は黄熱病の病原体を発見したと思ったとき、そのことを自分の上司であるFlexnerに手紙で報告している。この手紙で次のように書いている。
「私はこの菌株に対する回復期の血清の作用をテストしました。この血清はモルモット体内でPfeffer現象を起こしました。その微生物を含む臓器の数致死量を混ぜたとき、その動物は感染から防御されました。対照の動物は通常、死亡しました。(略)私はロックフェラー研究所で私が作った免疫血清(3種類の異なる試料)もここで得られた菌株に対してモルモットを防御することに注目してます。」
Pfeffer現象とは病原微生物とその抗体を含む血清とを混ぜ合わせ、モルモットの腹腔内に接種し、一定の時間後にそのモルモットの腹水を採取し検査したとき、その微生物は見られず、モルモットは感染から防御される現象をいう。血清中にその病原体に対する抗体を含まないときや別の微生物に対する抗体を含むときは、モルモットは感染を引き起こすことになる。

4)英世は知っていた
英世の手紙にあるロックフェラー研究所で作った免疫血清とはワイル病レプトスピラであるLeptspira icterohaemorrhagiaeに対するものである。この免疫血清が黄熱病患者に見つかったレプトスピラに対してモルモットを防御したということは、このレプトスピラはワイル病のレプトスピラであるとの結論になる。
免疫学に精通していた英世がこのことに気付かないとは思われない。したがって、英世は黄熱病の患者からレプトスピラを発見してまもなくして、これはワイル病の病原体であると知ったはずである。
知っていたと思われる更なる理由を追記する。
英世は2)に記したようにワイル病レプトスピラの日本株(稲田から入手)とベルギー株及びアメリカ株とは同一であることをそれぞれの抗体を用いて結論を下していることから、免疫学的に二つのレプトスピラが同一であるか違うものであるかを決める方法を知っていた。
1)に記したように英世は黄熱病の患者から見つけたレプトスピラはワイル病のレプトスピラに形態が非常に似ていると論文に記載していることから、Flexner への手紙に書いたようにワイル病レプトスピラに対する免疫血清と反応させてみることは、しごく当然のことである。にも係わらず、このことについては論文には記載されていない。意識的に避けたと思われる。

5)捏造か
英世の論文「黄熱病の病因」の10報で、ようやく黄熱病とワイル病の両レプトスピラの免疫学的比較を行った。しかし、その結果は英世が Flexnerに宛てた手紙の内容とは全く逆のものであった。手紙ではPfeffer現象をおこしたと書いたのに、この論文ではおこさないとのデータを示している。これではデータの捏造と思われても仕方がない。
その後、このデータは間違いであることが、タイラーとセラーズによって証明される。彼らはPfeffer現象で黄熱病レプトスピラとワイル病レプトスピラが免疫学的に同一であるとの論文を発表した。

6)なぜ捏造を
英世は黄熱病患者にレプトスピラを発見したが、まもなく、それはワイル病の病原体であることを知ったにも係わらず、なぜ黄熱病の病原体のまま突き進んだのであろうか。
先ず「野口英世はなぜ間違ったのか(42)」に記した畑嘉聞の書いた英世の言葉を見てみる。畑が英世に会ったのは英世が黄熱病の病原体を発見して帰国した直後である。そして英世の言葉は畑が直接聴いたものである。

「凡ての學説は強ち完成を待つ必要がない。自分のやった事や、自分が考へて居る事はどんどんと發表したほうがよい。吾々の研究の如きでも完成はせないにしろ大抵目鼻がつくと直ちに發表する事になつて居る、自分ではまだ出しては不可ぬと思ふて居る事でもロックフェラー研究所では其の發表を急いで出してしまうと云ふ風で、現に黄熱病の病原菌などの發表でも自分では不滿足でまだ之れと云ふ確定をして居らぬのであるが、、世間では確定したものとして賞賛をしてくれて居る。私の心中に於てはまことに忸怩たるところがあるのである。然し其の世人の賞嘆が益々刺戟となり、感奮となつて自己の責任を尚ほ以上に感ずる事になる、そして大覺悟を以て突進をして仕事を仕遂げると云ふ事になるのである。そして叉一方に於て自己の意見或いは仕事の概略でも發表すると、世間に於て其の問題に着眼をして居るものである、或るものは賛成し或者は反對して來る、其の多くの議論や研究が出て來ると自分の研究に對して大なる助けになる事もあり、叉自分で氣の附かなかつた事柄も人から教はる事になる、其處で段々と雪達磨が大きくなつて來るやうに物事が大成してくるのである。凡そ大業は己れ一人では達し得らるるものでない、其れは皆なの合成力によつて出來あがる、そして結局月桂冠は最初の發表者の頭上に着せられる事になる。故に自己の所信の學説や研究して居る事柄などは假令間違つて居つたとしても世間に持ち出すに躊躇する必要はない、どしどし書かれた方がよろしいと思はれると語られ、・・・」


重要な英世の言葉を太文字にした。英世は自分の発見は間違いであることに気がついていることから「自分ではまだ出しては不可ぬと思ふて居る事」と言っている。また「ロックフェラー研究所では其の發表を急いで出してしまう」とも言っており、ロックフェラー研究所が業績を上げるのに焦っている様子が窺われる。
当時ロックフェラー研究所は新しい研究所でパスツール研究所のような世界の研究所に追いつきたいと考えていたため、このように不完全な研究でも急いで発表する方策をとったのではないかと思われる。
ロックフェラー財団は非常に多額のお金を黄熱病の研究のために注ぎ込んでいた。ロックフェラー研究所の所長であったFlexnerは当然、財団の方を向いていただろう。また英世は、渡米以後、自分を援助してくれたFlexner の方を向いていただろう。その結果が英世をデータを捏造してまで黄熱病の病原体発見の業績に走らせたのではないだろうか。もちろん、それをFlexnerが英世に指示した資料は残されていないし、英世がその間違いをFlexnerに告白した資料も残されてない。
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デング熱 ― 蚊は誰の血を吸ったのか

2014-09-06 17:11:37 | 微生物
福島から久しぶりに我が家へ帰り、新聞を見ると日本でデング熱の患者が続発していた。当初は東京の代々木公園で蚊に刺された複数の人がデング熱と診断されたが、そのうち新宿中央公園で蚊に刺された人もデング熱であった。
日本人がデング熱に罹るのは海外で蚊に刺されて帰国し発症するのが通例であったが、今回は海外渡航歴のない人もデング熱を発症しており、日本の公園で蚊に刺されたという。
さらに代々木公園で蚊を採取し調べると複数の蚊からデングウイルスが検出されたことから、代々木公園だけでもかなりの蚊がデングウイルスを保有しているものと思われる。
それではこれらの蚊はいったい誰の血を吸ってデングウイルスを保有することになったのだろうか。新聞もテレビでもその点については報道していないようである。
まさかデング熱に罹った人が代々木公園に一日立ち尽くし何百匹もの蚊に血を提供したわけでもあるまい。
次に考えられるのはサルである。サルもデングウイルスに感染することが知られている。まれにサルが飼われている公園があるが、代々木公園にはサルが飼われてはいないのだろうか。もしサルがいるとすると蚊は刺し放題である。
何れにしてもこの点を明らかにしなければ根を絶つことができないように思われる。

デングウイルスはネッタイシマカやヒトスジシマカにより媒介される。ヒトスジシマカは日本にも存在している。これらの蚊に媒介されるウイルスには黄熱ウイルスがある。しかも黄熱ウイルスはデングウイルスの仲間である。さらに両ウイルスの宿主は人とサルである。
もしかすると○○公園で蚊に刺されたら黄熱病に罹ったなんてことも、近いうちにあるかも知れない。
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