日日是好日

退職後の日々を写真で記録

今日の朝

2013-06-26 16:15:14 | 日記
6月26日(火)

今朝は昨日より少し涼しく気持ちよい朝だった。
外へ出てみると、いつの間にか、いくつかの花が咲いていた。

先日、家内が買ってきた日日草。長く花をつけるので、しばらく楽しめそう。



アヤメの花。これはお隣からいただいたものだが、一つ花をつけた。



小さいが紫陽花の花も咲いていた。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松風摂心会(2)

2013-06-24 11:50:49 | 座禅
一週間ぶりの我が家である。北海道の函館で開催された摂心から帰ってきた。
この一週間を振り返ってみる。
6月16日、新潟空港から札幌へ向かった。札幌駅近くのホテルにチェックインしてから、すぐに蘭越の僧侶の方が入院している病院へ行くことにした。JR「あいの里教育大駅」で下車すると、いかにも北海道らしい綺麗な駅であった。



駅からすぐの所にその病院はあり、3階の病室へ行くと、明日が手術とのことで、二時間ほどいろいろな話をしてから病院を後にした。

6月17日。摂心は夕方からの開始である。朝の8時に札幌駅で同じく摂心に参加する知人の娘さんと待ち合わせ、摂心の開催される函館に向かった。



函館駅には今回の摂心の責任者の僧侶であるハンサムなO氏が迎えに来てくれていた。さらに長野県の上田市から参加するI氏を函館空港に迎えに行き、摂心の開催される潜龍寺へと向かった。
本堂の一郭を仕切った摂心の場所には、大きな座布団が並べられ座蒲がのせられていた。持参した自分の座蒲と取替え、着物と袴に着がえて、いよいよ5日間の摂心開始である。4時振鈴(起床)、9時開枕(就寝)はいつもと変わらない。師家はいつもの好国寺の玉木芳宗老師である。
在家の参加者は、男性は私と宮城県からの参加者S氏の2人で、女性は3名であった。あとは僧侶の方たちで15名ほどであった。
参加者のうち未見性の方が多かったこともあり、独参の時には凄まじい光景が広がった。喚鐘場に並び、未見性の人は自分の番になると、急いで鐘を打ち、老師のいる独参室へ火の玉となってダッシュし、大声で自分の境地を述べる。私の若い頃の好国寺の摂心を思い出した。もし全く知らない人がこの光景を見たら、何事が起こったのだろうと驚くに違いない。
宿題だった公案は3日目にようやく透すことができた。その後、初期の頃の公案を飛ばして、していなかったのが分かったため、戻ってそれらをすることにした。比較的容易な公案だったので五つの公案を透すことができた。
見性者が一名でた。何と札幌から同行した知人の娘さんである。二回目の摂心で、まだ23才である。おめでとう。
摂心は5日目のお昼で、全て終了した。
多くの人にお世話になった。特に食事を作ってくれた典坐(てんぞ)の僧侶の方に感謝します。また、あのハンサムなO僧侶の方は摂心の設定、食事作り、策励とお忙しかったでしょう。感謝します。一緒に坐ったみなさん、お世話になり、ありがとうございました。もちろん指導して頂いた老師にも感謝します。
摂心中の5日間はお風呂に入れない。そこで、摂心終了後は皆さんで温泉に一泊するのが恒例になっているようだ。今回も函館の湯の川温泉に行き湯の川プリンスホテル渚亭に一泊した。大きな露天風呂の目の前が津軽海峡で、函館山や津軽半島を見ることができた。夜は部屋で十二時頃まで語り合った。
翌朝、函館駅の近くの函館朝市を見てから北斗5号に乗って新千歳空港に向かった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松風摂心会

2013-06-15 15:36:01 | 座禅
6月15日(土)

明日から北海道函館市の潜龍寺で行われる松風摂心会へ行って来る。
この摂心は毎年北海道で場所を変えながら行われており、今年は第16回とのこと。
師家は福島の好国寺の玉木芳宗老師であることから参加することにした。
この摂心は初めてであるが、おそらく禅堂ではなく普通の部屋で行われるらしい。
蘭越の僧侶の方が「座禅は場所があれば何処でも良い。食事も3食、お粥でも良い。」と言っておられたが、まさに、それを実践しているのであろう。
ただ残念なことに、この蘭越の僧侶の方は先日病気で札幌の病院に入院されたので、この摂心には参加できなくなってしまった。明日、お見舞いに行く予定にしている。
帰りは22日の土曜日になる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奇跡のりんご

2013-06-11 20:46:20 | 日記
6月11日(火)晴れ

久しぶりに映画を見た。以前に読んだ本「奇跡りんご」が映画化されたので家内と亀田のイーオンにある映画館に出かけた。60歳以上の夫婦だと2000円で良い。



本の映画化は大体失敗する事が多いが、この映画は本と違った味を出していて感動する場面も多かった。そして四季それぞれの岩木山も美しかった。
内容は弘前のりんご農家の木村秋則氏が無農薬、無肥料でりんご栽培に成功するまでの実話である。
自然農法は今では結構行われてきているが、りんごは特別農薬を多く使われていることから無農薬、無肥料での栽培は周りからはキチガイじみて見えたであろう。
それを10年間続けた気力には恐れいる。
最後に行き着いたところは「生物は自分だけでは生きられない」である。りんごの木の周りの雑草はそのまま生え放題にし、大豆を植えることにより、無農薬、無肥料でりんごの白い花が咲いた。恐らく土壌微生物が変化したのであろう。土壌微生物は雑草の枯れたものや落ち葉を肥料に変える重要な役割を担っている。
これらのことは人間も同じように思える。人も自分だけでは生きられない。多くの人の助けを受けながら生活している。もう一つ、人(動物もだが)の腸内細菌も重要な役割を担っている。腸内細菌無しでは人は生きられない。
微生物は小さいが、偉大なのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野口英世はなぜ間違ったのか(15)

2013-06-10 15:01:58 | 野口英世
黄熱病の病因学の第Ⅳ報で黄熱病患者血清を接種したモルモットで、幾つかのものは有毒株で攻撃しても生き残ったことから、黄熱病患者の血清に何かがあるのではないかと考えた。
今回示す「第Ⅴ報 Leptospira icteroides に関する黄熱病患者血清の特性(1919年5月2日受付)」では、その血清について検討している。しかし、これらは結果的にはワイル病の研究となっているのが残念である。



論文の要旨

グアヤキルで黄熱病から回復した多くの人の血清と黄熱病患者の一人から分離された Leptospira icteroides 株との免疫学的な関係を確立する目的で研究した。
この目的のため回復期の血清を有毒株の臓器懸濁液又はその微生物の培養液のどちらかと混ぜ、モルモットの腹腔に接種した(Pfeiffer 反応)。
Pfeiffer 反応を最初に研究した。接種されたモルモットは対照のモルモットが典型的な症状を示し実験的感染で死亡しても生きていた。対照モルモットは回復期の血清を加えず、同じ懸濁液又は Leptospira icteroides の培養液を接種、又は黄熱病以外の病気の患者血清を接種した。
研究した18人の回復期患者症例のうち15症例がPfeiffer 反応陽性を示した。すなわち約83%が陽性であった。
10人の非免疫兵士と二人のマラリア患者の血清は、全て陰性結果を示した。
黄熱病回復期患者の血清を受けたモルモットの幾つかは最終の致死的感染から防御された。一方、対照動物は典型的な症状を伴った感染で死亡した。
一例で、病気の2日目と10日目の血清で試験し、Pfeiffer 反応で10日目の血清では感染に対し防御したが、2日目の血清は防御しなかった。
以上の免疫反応の観察からLeptospira icteroides は病因学的に黄熱病に関係している可能性が高いと思われる。(以上)


野口はワイル病の病原体を黄熱病の病原体としていたので、この論文に書かれている「黄熱病回復期患者18人のうち15人が Pfeiffer 反応が陽性」とは黄熱病と診断した18人のうち少なくとも15人はワイル病であったことを示している。
これは当時の黄熱病の診断が如何に曖昧であったかを物語っている。確かに黄熱病とワイル病の症状は似ているが、むしろ現地ではワイル病の存在が十分知られていなかったのではないだろうか。従って黄疸が出て、出血が見られたら、全て黄熱病と診断していたのではないだろうか。野口はワイル病の存在を知っていたが、患者を診たことがあったのだろうか疑問である。
この論文にある Pfeiffer 反応(現象)は、現在ではあまり用いられていない。この反応は血清中の抗体によるものであるが、現在では血清とレプトスピラを混ぜあわせ、一定時間放置後、暗視野顕微鏡で観察することで抗体の存在を知る方法がとられている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする