「星の王子さま」には多くのメッセージが散りばめられている。そのなかで最も知られているのは、キツネが星の王子さまに言った次の言葉であろう。
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」である。
「星の王子さま」はもともとはフランス語で書かれた本であるが、それを内藤 濯が翻訳して日本で出版された。

しかし、先日見た映画「星の王子さまと私」では「心で見たときだけ、本当のことがわかる。大切なものは目にみえないんだよ」になっていた。
これと同様なタイトルの小冊子が出ている。

「大切なものは目に見えない」としたほうが、なんとなく理解しやすいため、そのようにしたのであろうが、この「大切なもの」と「かんじんなこと」とは大部ニュアンスが異なる。
本来はフランス語で書かれた本であるが、私はそれを見たことも無く、見てもフランス語は解らないが、英語で書かれた本を持っている。

この本には次のように書かれている。
It is only with the heart that one can see rightly;what is essential is invisible to eye.
essentialは「大切なもの」ではなく「かんじんなこと」であろう。
その後新訳の「星の王子さま」が倉橋由美子の翻訳で出版されている。

この本では「心で見ないと物事はよく見えない。肝心なことは目に見えないということだ」と書かれている。
上記の小冊子「大切なものは目にみえない」でも中を見ると「かんじんなもの」になっている。
すると映画だけが間違った解釈をしたようである。ただし見た映画は吹き替えであり、英語版ではどのように言っているのかは知らない。
「心で見なければかんじんなこと(本質的なこと)は見えない」となるが、「心で見る」ことはなかなか難しい。
心といっても、何かに囚われた心ではいけない。何かが大切だ、大切でないと思う心でも「かんじんなこと」は見えないだろう。
総ての執着を捨て去った心で見て、初めて「かんじんなこと」が見えてくる。
それでは、総ての執着を無くした心になるにはどうすれば良いのであろうか。
その一つの方法は坐禅であろう。息を吸い、ゆっくりと息を吐くことを繰り返しならが心を浄化して行く。
公案を解くのと同じである。公案も心で見なければ見えないのである。頭で考えても公案は透らない。
星の王子さまが坐禅をしている姿を想像してみた。
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」である。
「星の王子さま」はもともとはフランス語で書かれた本であるが、それを内藤 濯が翻訳して日本で出版された。

しかし、先日見た映画「星の王子さまと私」では「心で見たときだけ、本当のことがわかる。大切なものは目にみえないんだよ」になっていた。
これと同様なタイトルの小冊子が出ている。

「大切なものは目に見えない」としたほうが、なんとなく理解しやすいため、そのようにしたのであろうが、この「大切なもの」と「かんじんなこと」とは大部ニュアンスが異なる。
本来はフランス語で書かれた本であるが、私はそれを見たことも無く、見てもフランス語は解らないが、英語で書かれた本を持っている。

この本には次のように書かれている。
It is only with the heart that one can see rightly;what is essential is invisible to eye.
essentialは「大切なもの」ではなく「かんじんなこと」であろう。
その後新訳の「星の王子さま」が倉橋由美子の翻訳で出版されている。

この本では「心で見ないと物事はよく見えない。肝心なことは目に見えないということだ」と書かれている。
上記の小冊子「大切なものは目にみえない」でも中を見ると「かんじんなもの」になっている。
すると映画だけが間違った解釈をしたようである。ただし見た映画は吹き替えであり、英語版ではどのように言っているのかは知らない。
「心で見なければかんじんなこと(本質的なこと)は見えない」となるが、「心で見る」ことはなかなか難しい。
心といっても、何かに囚われた心ではいけない。何かが大切だ、大切でないと思う心でも「かんじんなこと」は見えないだろう。
総ての執着を捨て去った心で見て、初めて「かんじんなこと」が見えてくる。
それでは、総ての執着を無くした心になるにはどうすれば良いのであろうか。
その一つの方法は坐禅であろう。息を吸い、ゆっくりと息を吐くことを繰り返しならが心を浄化して行く。
公案を解くのと同じである。公案も心で見なければ見えないのである。頭で考えても公案は透らない。
星の王子さまが坐禅をしている姿を想像してみた。