日日是好日

退職後の日々を写真で記録

マイ・ロマンス

2023-07-04 09:07:43 | 回想
先日、テレビでジャズの番組を見ていて思い出したことがある。
ずいぶん以前のことで、記憶も定かではないが、確か「東芝日曜劇場」を見ていた時のことだった。
ドラマのタイトルも内容も覚えていないが、バックで流れていた曲がとても印象的であった。
急にこの曲のCDが欲しくなったが、曲名も歌っている人の名前も分からない。
無茶とは思ったが、翌日に新潟のネクスト21に在った大きなCD店に行き、「昨日の東芝日曜劇場で流れていた曲の入ったCDが欲しい。」と40歳ほどの男性店員に伝えた。
すると、その店員の方は何も聞かず、多くのCDが置かれている所へ行き、まもなく一枚のCDを持って戻って来た。
それが、このCDである。歌手名はカーメン。



これには驚いた。歌手も曲名も伝えなかったのに見つけて来た。
あまりにも驚いたので、確認しなかったが、おそらくこの男性も「東芝日曜劇場」を見ていて、職業柄、バックに流れていた曲に耳が行っていたのだろう。
さすがプロである。歌手名も曲名も知っていて見つけて来たのであろう。
お礼を言い、帰宅後に早速聞いた。
それが、この曲「マイ・ロマンス」である。

Carmen McRae: My Romance
(YouTube共有)


「思い出も流れでる古いCD」


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懐中時計

2023-03-20 08:19:45 | 回想
私が子供の頃、父は懐中時計を何時も持っていた。
ズボンのポケットの横に小さなポケットがあり、その中に懐中時計を納めていたように記憶している。
時計には鎖が付いており、その端はズボンのベルト通しに付いていたように思うが、記憶は定かではない。
父が時々その懐中時計を取り出して時間を確認していた姿を思い出す。
それほど高価そうには見えなかったが、父はその懐中時計を持ち続けていた。
その懐中時計は何処に行ったのか分からないが、形見として貰いたかったと、今になって思う。

似たような懐中時計をネットで探してみた。


(ネットより)

私は父が30歳の時に生まれたので、いつも父の年齢を考えるときは自分の年齢に30を加えていた。
私が1歳のとき、樺太から引き揚げて来たので、父は31歳だったことになる。
戦後、引き揚げてからは、このような懐中時計を買う経済的余裕はなかったであろうから、樺太時代に購入したものだろうか。すると20代から懐中時計を持っていたのだろうかと思ったりしている。
しかし、戦前は多くの人が、腕時計より懐中時計を使用していたのかも知れない。


「欲しかった父親の懐中時計」


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ウサギの思い出

2023-01-12 13:19:43 | 回想
今日は夫婦して二ヶ月に一度の診察日で掛かりつけ医院に行ってきた。
9時の予約であったが、コロナと思われる患者が入ったらしく、我々の診察が終わったのは10時を過ぎていた。
後期高齢者も支払いは2割になると聞いていたが、今日の支払いは2割だった。



今年はウサギ年であるが、子供の頃に家の隣りに在った小さな小屋でウサギを飼っていたことがある。
この小屋は何の小屋だったのか記憶にないが、床は無く地面が丸出しであった。
ある日、そのウサギ小屋に行くと、ウサギの姿が見えなく、壁の前の地面に穴が掘られていた。
その穴は外に通じており、ウサギはそこから外に逃亡したらしかった。
ウサギを探すと、どうやら近くの背の高い草むらに逃げ込んだようであった。
そこで、飼っていた猫を草むらに入れると、ウサギを追い出してくれ、無事確保した。
この時、初めてウサギは土に穴を掘ることを知った。
その後、その穴の対策をどうしたかも記憶にない。

もう一つ、そのウサギの思い出がある。
冬の期間のウサギの餌は大根の葉を乾燥したものを与えていた。
母が毎年大根を漬けてたくあんを作っていたので、多くの大根の葉があり、それを乾燥して保存していた。(当時、大根2本で1円だったと記憶している)
ところが、乾燥が不十分だったらしく、大根の葉が途中から腐り始めてウサギに与えることができなくなってしまった。
困っていると、誰かがウサギはオカラを食べると教えてくれた。
そこで、豆腐屋さんに行きオカラを買ってきて与えると食べたので、その冬のウサギの食事はオカラで通した。
もう60年以上前の話である。


「穴を掘りオカラを食べるウサギたち」

 1/11の歩数:5,358歩



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アジアかぜに感染(回想6)

2022-06-13 09:14:31 | 回想
回想法とはアメリカで開発され、自分の昔のことを話すことで認知機能の改善を期待する心理療法のことで、認知症の予防にも効果があるとされている。
使用する道具は、例えば昔の写真や映像、昔よく聴いた音楽や歌、読んでいた本や新聞、使い込んだ生活用品などです。
 
後期高齢者となり認知症の予防のために、昔のことを話す代わりにブログに思いつくままに時折書いてみようと思う。


もともと子供の頃、体がそれほど丈夫でなかった私は、小学4年生か5年生のときだったと思うが、当時世界的に流行していた「アジアかぜ」と呼ばれたパンデミックのインフルエンザに感染し高熱をだしたことがあった。
以前にも書いたが子供の頃住んでいた地域には病院が無く、時折医師がやって来る診療所だけだったので、その時は母が水枕をして布団に寝た私の額をタオルで冷やすしか方法はなかった。
2、3日寝込んだように記憶している。その時、うなされながら見た変な夢は今でも覚えている。

    (水枕:ネットより拝借)

何とか回復した私はそれ以来インフルエンザには滅法強くなった。後期高齢者になった今日まで、ほとんどインフルエンザウイルスに感染したことはない。
我が家で妻や娘たちが感染しても私だけは感染しなかった。
あの時に苦しんだ分、よほど強い免疫ができたのだ思われる。
勤めていた会社ではインフルエンザワクチンを製造していたが接種したことはなかった。
しかし、高齢者になり体力も落ちてきているだろうからと思い、70才になったのを機会に初めてインフルエンザワクチンを接種した。その後は毎年ワクチン接種を受けている。
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母、逃亡す(回想5)

2022-06-11 07:41:43 | 回想
回想法とはアメリカで開発され、自分の昔のことを話すことで認知機能の改善を期待する心理療法のことで、認知症の改善や予防に効果があるとされている。
使用する道具は、例えば昔の写真や映像、昔よく聴いた音楽や歌、読んでいた本や新聞、使い込んだ生活用品などです。
 
後期高齢者となり認知症の予防のために、昔のことを話す代わりにブログに思いつくままに時折書いてみようと思う。

子供の頃はあまり丈夫な体ではなかったように思う。
小学校に入った頃は遠足へ行った翌日は疲れが取れず学校を休んでいた。
子供の頃住んでいたところには病院は無かった。診療所のようなものがあったが医師は常在していなく、頻度は記憶にないが、時折医師が来て診察していた。

小学3年生の頃だったと思うが、右足の付け根のリンパ節が化膿して膿が溜まり歩くのが不自由になったため、その診療所で手術を受けたことがあった。
手術といっても単に溜まった膿を排出するだけのものだったと思う。
しかし小さな診療所に手術台があるわけもなく、私は診察用のベットの上に看護師に足を押さえつけられて手術は決行された。部分麻酔をしていたと思うが意識はあるので私は恐怖のあまり泣き叫んで暴れようとしたが、看護師の力には敵わなかった。
私があまりに泣き叫んだために母はどうすることも出来ず、その場に居ても立っても居られなくなり診療所の外に逃亡してしまった。
その時の手術の痕は今でもしっかり残っており、それを見るたびに当時を思い出す。

その手術の後であっただろうか、お尻にペニシリンを何度か打たれたように記憶している。
ペニシリンは戦後に日本でも開発された抗生物質である。
私が手術を受けたのは戦後10年ほどしか経っていないが、ペニシリンがこのような田舎でも普及していたのだろうか。高価であったであろうが、この薬に助けらてた人は沢山いたに違いない。





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