現代日本語「誤」百科 803 座席は深くおかけください を、例題にしている。深く腰掛けるというとどうするか。浅く腰掛けるとするとどうするか。深く座るは浅く座るに対比した表現で、座席に深く座るわけである。その、深い という語を椅子の手前から奥までを水平方向に捉えているに過ぎない。コラムが深いの語義を下の方に向かう垂直の捉え方だけで理解をしめしている。それはこの場合、もう一つのとらえ方ができるので、この説明は誤りである。この説明に限らないがこのコラムを読んでそれと分からず、座席の奥までおかけ下さい とでもいうべきだと広めてしまったら、深く座ると、奥まで座る、この二つはそれぞれに意味が異なるので、座席の奥までと言えば、誤解を生むことになって、バスの奥へと進むだろう。それこそ、座席が並ぶ奥の方であるから、それだけの注意となる。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 802 抑制が余儀なくされている を、例題にしている。余儀なし という言い方が、受け身に使われると、抑制が余儀なくされる となって、これは普通に理解する日本語であって、余儀なくされる とは言えないとするコラムの解説は誤っている。いわば、この言い方で成立するので、余儀なくされる の言い方に ~ている がついたものだろう。さらにおかしいのは、抑制が余儀なくなる というべきだとする、ふと首をかしげてしまって、この日本語は慣用句をさらに誤った使いかたで訂正するようなことであるので、この例題の説明の受け身を使役の表現に置き換えたりする混乱があるのを否めない。 . . . 本文を読む
ふたたび文字の書き分けについて、字音のことではあるけれど、発音が違うならば文字も異なるといういまふうの観念でいえば上代仮名遣いというのはその逆なので扱いにくいことになるが、つまり発音は同じで文字が違うなどとありえないような、実際に一つの音をいくつもの漢字で書いていた万葉仮名は文字の書き分けがどこにあったかという議論になるとそれは議論するほうが不毛であろうか。それを特殊と名付けたのは特殊でないものがあるからだろうけれどその命名は正しかったかどうか、特殊でない普通はもっと特殊であったように見えるからだし、まして漢字の発音をいくつもの違う文字で書き表しながら、同じ発音だという方がどう考えてもおかしいわけである。こんなことを言い出すと祖先の遊びを冷やかすようなもので、何を言っているかというと、万葉集という歌集がすべて漢字で書かれているなどと言って、それを教養ある人々にどれほどの真意が伝わるか、怪しいものだ。まして上代特殊となる仮名遣いのことはそれを書き記した人たちにはごく普通のことであってたぶんずいぶんと工夫をして見せたのであるけれどそれがなにを表していたかということは言語上の現象であることを通り一遍に理解することも困難だろう。 . . . 本文を読む