述語に法があるか。moodムードの捉え方で英語学習において仮定法があって直説法があると知る、またモダリティ、法性として日本語の現象が分析された。それは話し手の意図、聞き手に対する態度として断定、疑義、命令、可能と必然epistemic、許可と義務deontic、願望と要求propositional attitudeなどを表現に見るからである。命題の文法、証拠性などにもかかわる。
印欧語の法は直説法と命令法、接続法また仮定法、希求法、条件法、禁止法などがある。文法範疇を見た場合に、形態統語的な範疇の性、数、人称、格、そして形態意味的な範疇の定性、敬語など以上を典型とし、形態意味的な範疇として時制、相、法、態、極性、他動性、証拠性を分ける。法は形態意味的な範疇とする言語の捉え方であるとすると、日本語にはどのように現われるか。 . . . 本文を読む
現代日本語「誤」百科 807 十分とは思っていない を、例題にしている。コラムは、十分だとは思っていない というふうにするのがよいと解説する。この例題で前後に文脈を持つか持たないかその内容によるところである。引用の、~と を用いる語法であるが、説明はいわば直接引用の文を指しているだけで、綺麗と思う 彼女は綺麗だと思う この用法からみて、綺麗だと思う というようにしなければならないとするが、説明の不足があるようだ。綺麗と思う 綺麗だと思う このふたつのどちらも言うことができるので、引用の語法を正しく見るべきだろう。彼女が綺麗だと思う 彼女は綺麗だと思う 彼女が綺麗と思う 彼女は綺麗と思う このどれもが文章の引用の語法を見て文脈に捉える解釈が可能になる場合がある。綺麗だと彼女が思う、のか、わたしから彼女を見てそう思うのか、その場合に応じた言い分けがあるからである。
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