日本語は、日本と書いて、やまと と、読ませていたことから考えれば、ヤマトにあたる、倭、和 であったのだから、それは和語と書くことと同じである。日本語というようになる前には、和語としてあった。その和語と書いて和字と同じように用いる、渡来した文献を翻訳することばであった。その和語に国語を当てて国字というように、おなじような用法があったのであるが、近代になって意識されたのは国家に用いる言語のこと、中央語の必要性であった。国家語とも言い得る言語の改革は国語を生み出して、日本語という名称にはならなかった。しかし翻訳対象の言語としては和字和語から日本語というような言い方をした。さて、そこで和語、日本語、となる、その語とはどういう捉え方をしてきたものであろうか。言語の語という使い方は、言 語 それぞれがどういうのか、言っていたのか、ということである。日文、日語、となる、その文、語についての、和語にする議論がない。いう かたる はなす しゃべる のべる とく このそれぞれは、何がどう違うのか。日本語の語をとらえる。
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日本の読みを、にっぽん にほん このふたつで読み分けることを議論して、それを決することができないことを、日本語そのものの特殊性と考える向きがある。さらにこれを、やまと と読むと言い出すと、たちまちに、日本語の本質が現れることになる。やまと にも、倭、和、大和 の表記があるからである。日本語の事実をそのままに認めると、現在、わたしたちにあるのは、日本という、この表記が標準となるということである。読みを決める歴史経緯にふれて、音韻上の唇音の捉え方がある。ハ行の転呼、唇音退化の交代、時代をさかのぼれば、軟口蓋の閉鎖と声門の摩擦音の日本語での現れ方であるが、漢字発音に影響して音韻が整えられた傾向は、ニフォン 二ホン ニッポン に、見ることになる。 . . . 本文を読む
日本語の特徴を挙げて言語系統論に挙げるウラル・アルタイ語説は仮説にとどまった。それが、証明されることがないという結果であったのは、比較言語学からすれば、言語間の音韻対応の明証が明らかにされなかった、確実なものとはいえないということであった。特徴とするいくつかの項目が、打ち消し文による共通性を挙げてのことで、否定されるものの共有はないというわけである。言語系統論派比較言語の手法であるから、日本語に比較するものを挙げればそれは記録として7世紀また8世紀をさかのぼるものがない。とりわけ音韻の法則を見出すには資料がないということになるので、日本語の言語形成にかかわる大陸、朝鮮半島経由をまずとらえることであった。しかし、言うってみると山越えだけでなく、海渡りにも民族移入の可能性があったわけであるから、北方、南方とその系統論の議論が行われることになる。音声の言語として見るためには、文字の言語としての歴史経緯で、音韻に子音と母音で単純な構成が民族の言語としてつくられたのだから、その時間の経過をみれば、日本語に祖語を求めることと、親縁語を設定することが言語の捉え方になる。 . . . 本文を読む
日本語教育の日本語を第2言語習得のための言語教育と位置付ける、日本語を母語としない学習者の日常生活に用いる、コミュニケーションのための日本語ということになる。外国人のための日本語、外国語としての日本語という冠を付けた時期から、日本語教育は対象とする学習者を、留学生、就学生として多数の時代を迎えることとなった。それには2000年を目指した留学生10万人計画の政策があり、その数を30万人に拡大して留学生30万人計画を進めようとするものであったが、あきらかになってきたのは、日本語を講義言語としない、留学生たちに大学の講義を英語で行ってもよいという形態を進めようとしているので、留学生にとっては、日本語教育の必然性がなくなるものだったから、その政策の推進には、10万人計画の政策のように、日本語教育の関与するところではなくなった。留学生30万人計画、日本政府は2008年から2020年までに、14万人から30万人に増やそうという。 . . . 本文を読む
日本国語大辞典という名称は、上田万年、松井簡治による、大日本国語辞典を引き継ぐ事業という性格をもつ、と解説がある。日本に対して、大日本であったか、それは大日本国語辞典というのを、おいたものであった。>上田万年 (かずとし) と松井簡治の共著。 1915~18年初版4冊本,28年索引1冊,39年修訂版 (5冊) ,52年新装縮刷版 (1冊本) 刊行。収録語数二十余万語。 日本国語大辞典は、およそ半世紀を経た事業であった。それを受けた、日本国語の名称は、100年のながれを持つ。>初版
日本大辞典刊行会編『日本国語大辞典』小学館、20巻21冊、1972年12月 - 1976年3月 . . . 本文を読む
日本語論は日本言語起源、日本語系統探求と、日本語の変化、変遷を議論する、個別論である。その集成をした日本語論著述はまだない。フリー百科の解説では日本語を比較、対照した議論を含むとある。それを、日本語がもつ特徴を挙げるとあるが、日本語とほかの言語の対照はさきの比較言語に手法をもって解決しない日本語論の類推に過ぎないから、広く含めて言えば、日本語系統学説の探求となる。日本語論の根底にあるものは孤立した言語という呪縛である。なにか、呪縛は孤立語屈折語を合わせた膠着語であるという言語類型には縛られないということである。そのどれをも様相として見せるだけでなく表記に工夫がなければ抱合語もその類型になりかねない呪いがある。仮名文字による工夫としているが、その文字の発明が日本語そのものになる。だからと言って文字は真字と仮名にする日本語音韻があり、言語日本語はその分析を受けない。曰く漢語を入れ、オランダ、英米の語彙を入れたところから、日本語はその姿を見せ始める。日本語論仮説に漢語を学び英語を学ぶ言語とする。 . . . 本文を読む
日本語に国語がある。国語に漢語と和語がある。和語には外国語があって外来語とした。漢語と外来語は並びうるものではない。タバコという外来語を入れて煙草と言う漢字を与えた。えんそう と、読むことはしない。和らげに漢字を当てたことになるが、それは、たばこ であった。カルタに漢字を当てることはなかった。少なくとも今日まで、>{ポルトガル}carta )(カルテ、カードと同源)"カルタ【骨牌・歌留多】" 日本国語大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2018-09-10)と説明するように、和語に含める。しかし、外来語を和語に分類するのはその外国語の出自ゆえに、漢語と同じように分類を立てている。日本語に漢語、和語、外国語があるとするなら、国語はどうなるか。幕末から明治初期にかkてある国語意識はおよそ、100年をかけて作られたものであるから、南蛮渡来の文物に和語和字を当てる作業のままに、国字国語ができたのである。
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日本語教育には漢語教育と英語教育が必要である。これを言うには深いわけがあることを言わなければならない。しかし、ここではまず、外国人の日本語教育にも、こと日本語である限り必要なこととして視野に入れるべきである。母語話者の言語教育というのはどういうことかとなるが、いずれ日本語教育と国語教育は日本語習得として日本語生得言語話者にも学ばなければならない英語教育と漢語教育となる。英語教育の従事者にそれほどの指導への見識があるかどうかは別として、漢語教育はかつて漢文教育と言われて実行されてきたことであるから、日本語と漢文の、言い換えれば国語と漢学に置ける知識教養が、それだけ英語にも望まれて、英学なるものの将来に、日本語教育に取り入れる英語教育である。日本語の漢語は漢文から出て日本語教育にも生かされてきたから、英語は英文から出て、日本語教育にいかされなければならない。日本語を文字言語として分析するのは、漢語によってきた。音声言語として入れる、その分析には英語文字に対する発音である、すなわち英語の習得にある。日本語はこうして日本語漢語、日本語英語を将来に実現しなければならない。カタカナの発音は日本語発音として、漢字の字音のように残るだろう。 . . . 本文を読む
日本語教育はその対象から日本語を言語のひとつとして言語教育を行う。国語教育を国語科目教育として行ってきた内省言語教育に対照して、国語教育と、日本語教育を区別しようとした。国語教育で大陸に進出した日本語は敗戦による転換期を迎えて、国語の尊重、国語の愛護を指導要領を背景に日本国内で唱えるようになって、国語そのものは日本国内教育にとどまって存続をする。日本国となって大日本帝国が行った植民地における国語は歴史的経緯に消滅したのである。と、思われているが、現実には国語教育が果たしていた日本語教育は転換期を経て日本語教育史に再びとらえて記述されようとしているから、日本語教育にあらたな課題を起こしつつある。歴史を言語教育にどいう生かすかは、日本語に限らない、帝国言語教育の解決すべきことがらである。第2次大戦にかかわる日本語教育の視点は、明らかにされなければならないことがらを、どう議論するか。 . . . 本文を読む
日本語と文字意識、日本人の考える文字意識を、文字そのものは言葉であると説いた。文字に対応する記号をもってとらえるのではなくて、文字がことばなのである。文字論を記号論とおなじにはしない。文字学、文字論とすれば、記号学、記号論と対照することになるが、これは言語記号の考え方にあるものかどうか、言語を記号と考える言語学の理論の展開にあって、日本語をそれに合わせてみれば記号学の分野にもなる言葉の対象を設定する。文字は漢字をとらえるところから、漢字学文字学とも、日本語、漢字文化圏の文字としてある。漢字を学ぶ、漢語を入れる、言葉はその文字そのものであったと、日本語は見てきた、行ってきた。近代になって、造語をするときに、言葉を作るということは、その新しい概念を漢字に翻訳することがまずあった。国語は和語から、その和語は、漢字の訓に用いて意味内容を明らかにし、国語の中に漢語を音訓の語として位置づけて来た。和語の和らげと大和詞と、それを漢字文字と仮名文字と交えて用いる、それが日本語となったから、文字はそのままに言葉であったのである。 . . . 本文を読む