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日本語論78 口語文章、文語文章

2018-08-18 14:51:24 | 現代日本語百科
日本語の文章はどのように書かれてきたか。わたしたちの祖先は文章をどう書いたか。話し言葉と書き言葉とするが、そのそれぞれに文章があるということか。口語文、文語文という区別は近代になって意識されてきたのは言文二途のことからであるから、それをさかのぼって口語文章、文語文章をとくに示すものはない。文語文章が代表して日本語の文章であったのである。 しかし、実はここに日本語文章を明らかにしようとすると、文学作品には文章体である物語文学、説話文学などの作品に、随筆、日記、紀行などの文章を見ることになる。そしてこれらの和文には話しことばのもとになる句が認められる。歌句、唱句、佳句があり、歌説話、歌物語に和歌文学はその背景となる。そしてさらに、説話には漢文訓読の日本語文章があった。漢語を用いる文章は書き言葉としての伝統を持つことになり、それは漢学の才として官吏の教養であった。文章語は明治以降、近代社会に脈々と受け継がれて文語文と口語文の境界を形作った。 . . . 本文を読む
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斟酌

2018-08-14 10:21:11 | 現代日本語百科
斟酌に、手加減する意味が現れる。忖度が悪だくみに用いられる。どちらも、漢字の難しい語である。斟酌は、もと、水、飲料などをくみ分ける意から、酒を酌み交わすことにもなる。さらに、控えめにする、辞退する、と、転義に近い意味内容になる。 . . . 本文を読む
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日本語論77  章句論

2018-08-13 23:55:19 | 現代日本語百科
日本語の文法単位を文に設定し文を絶対に議論を行ってきた。日本語に文があるというものであった。その考え方は学校教育に実践的に取り入れて、文の単位を説明する。日本語に文を相対に認めて日本語には文章があって文の単位を持たないとすれば、文章には章句があると設定し、文は必須単位でなくなる。文章を単位に文法記述をすることが日本語の分析に可能であるか。文章である章と句また文をもつとする。 . . . 本文を読む
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日本語論74 日本語とリカージョン

2018-08-10 16:55:04 | 現代日本語百科
 日本語は漢語を取り入れた言語である。そのころに和語また大和語があったと、そのように推定すると、漢文訓読によって和語に漢文法をいれた、という仮説を立てることができる。その仮説では、その後の日本語には英語を受け入れ、英文法を範とした、とすることができる。 漢文を約1600年、そして欧州の諸言語を数百年前から順次、外来語としていれることになり、さらに英文を約160年、それぞれから学び受け入れてきたことをもって、日本語は漢語を学び、英語を学び続ける言語である、との考えをめぐらせることになった。 . . . 本文を読む
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日本語論73 文章は文による

2018-08-09 23:43:58 | 現代日本語百科
 日本語文章が文の複合体であることをまず分析し、その文をとらえて文章論文法に記述する。日本語文章に句読をほどこすことは国語の伝統文法によることであるが、散文の文章において、区切り符合の句点で文章を示したものであったが、ここでは文の単位に従う。  句読法は文の終止と語句の休止をあらわしたので、書き手による句読点は句点において文章を文の単位にする表現である。形態文法から統語文法へシフトすると、その文が語による文字列の連鎖となって見える。  句読点はその名の示す通り読みを示して句を作ることであったのであるが、国文法では文規定することが句点によって行われる。いま、日本語文章にそれを検証する。 . . . 本文を読む
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日本語論72 文章は

2018-08-07 23:30:40 | 現代日本語百科
 文章は文の複合体であるにもかかわらず、文章について複数の文が集まったものという。この「複数の文」を捉えなおさなければならない。文章の説明また定義によることである。それを、日本語教育用の文型で示すと、助辞「は」によって次の基本文が複合している。   たとえば辞書義に、幾つかの文を連ねて、まとまった思想を表現したものということで、散文の作品をさしていうことがある。大辞林にある定義につき、実際の文章を検討すると、この説明はさらに具体的な文法分析を必要とする。   基本文はそれぞれ、文体を丁寧体と普通体に示している。話し言葉がスタイルを持つことは、日本語教育での教授法によるステップであらわされることである。すなわち、通常の会話にまず丁寧が現れ、その文を複文にすると文法形式である普通が現れて、段階を踏むことになる。 . . . 本文を読む
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日本語論71  日本語助辞waの用法

2018-08-05 23:31:42 | 現代日本語百科
 すでに述べてきたように、日本語助辞waについて、形態、統語の文法をあわせもって文法論とし、現代日本語を記述する。語と形態はその文法の用語として用いる。形態の表れが語となると、形態と形態による結合をも語とするので、国語の文法が扱う語とは文法単位が異なるところがある。しかし、仮名表記にも語形式とする。日本語の文は、文章という単位とともに分析する。文を連続する文としての文章に見る必要がある。 . . . 本文を読む
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日本語論70 助辞について

2018-08-04 15:54:59 | 現代日本語百科
助辞は接辞である。接辞は形態をみると結合形式であり、いっぽうの結合形式に結びつく。語基につき、そのステムが結合形態となって接辞と結合し、ひとまとまりの形態になる。それが語また語形式となる。形態には結合形式と自立形式がある。もっぱら結合形式となるものは接辞のように、語構成の要素となる。接辞は結合形式としての形態であるから、形態論における語は自立と結合の形式によって構成される。  形態素は形態論の用語である。語形式を分析して要素に分かれるとき、それぞれは形態素となる。形態素はそれ以上に分解することがない。形態素のレベルに分析する方法は、音韻の音素レベルに相当する分析となる。語を形態素のレベルに分解することは、音声を単音に分ける作業に等しく考えることができるが、しかしそこには音節が音素に分解されて、語が構成されるように、その言語ごとの意味がかかわりあっている。 . . . 本文を読む
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日本語論69 文章の主語

2018-08-03 06:35:18 | 現代日本語百科
助詞「は」の記述   助詞「は」について、文献は多く国語文法の助詞として記述説明を行っている。まず文法辞典の記述についてみる。これまでもすでに検討してきている『日本語文法大辞典』は、その間の研究成果を記述することを謳うものである。係助詞・副助詞・終助詞による古語としての記述があり、その概略を捉えると、山田孝雄文法学説に則り、係り機能、陳述による支配に及ぶとする。 助詞「は」はその規定に従うとして、山田学説を引用して述べる。この用法を現代語の分析にも当てはめ、それを「文構造として眺めれば」としているが、この働きを「二分結合」とよぶことがあると指摘する。これは記述解説にある研究史の項によれば、係助詞としてとらえ返そうとする観点にある文献を紹介している。「は」を用いることで「-は」部と述部に区切り、判断を成立させているというのである。 . . . 本文を読む
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日本語論68 日本語助辞wa

2018-08-02 16:29:49 | 現代日本語百科
文法記述   現代語文法における日本語助辞waについて、文法記述を行う。助辞「は」は日本語の格助辞「が」との違いを議論することが多いが、その文国語助詞「は」において日本語の特徴である用法を持つので、日本語助辞waとして、その記述を試みる。助辞は上述してきたように、文法論の形態論による分析から接辞に分類される。接辞には日本語では文法機能を主とする用法のものがあり、語構成における複合語の接辞と区別する。 . . . 本文を読む
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日本語論68 言、語、話す

2018-08-01 16:24:12 | 現代日本語百科
語とは語ることであると、わたしたちの祖先は漢語に学んだ。文字を受け入れて漢字を訓じ、言は言うことであるとし、言語は、言い語ることとし、口から出る音すなわち、ことばを指示した。言語のままに、語言とはならなかった1)が、語は、ことば自体をとらえる。その語る内容をやり取りする。語はことばの全体となるが、語り合うと双方を示す語となる。日本語はこの語の変遷で話すということばでとらえるようになる。 語は言語のことであり、ことばの総体である。したがって語を見ることはそこにあらわれた言語現象を捉えることである。言は言い、語は語るのである、その語にまず現れたのは辞である。いまも辞書なり辞典となる。次いで詞があり、この詞には歌のことばを捉えた。漢詩は語についてことばの現れとみたものである。詞は語の具体的な一つ一つとなった。その詞は、ことばを素材として表す。 . . . 本文を読む
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日本語論67 日本文法助辞「は」 

2018-07-31 09:27:32 | 現代日本語百科
日本文法助辞「は」と口語法助詞「は」  いまここに形態論の用語にある接辞のうち、日本語類型による膠着現象に特徴を持つ、国語で助詞と分類される付属語「は」について、日本語助辞waとする。この表記は日本語助辞「は」について、発音の混同を避けて便宜、助辞waと用いる。ハ行音のワ行音への点呼は語中語尾における現象である。助辞waについても、音韻変化によって文法機能辞の熟合すなわち熟語として、語形式とみることができ、音のままに表記する。  日本文法の説明に助辞について、この用語をもってする先行文献があるので、触れておかなければならない。松下大三郎氏による日本文法研究書の緒言に触れるところである。そこには、「助辞」として言及し、それまでの文法の分類で品詞扱いをすることへの疑義を指摘している。明治30年、西暦で1905年にはすでにその発想を得ていたことがわかる。その後に「標準日本文法」を著わし、大正13年、昭和3年を経て昭和5年、1930年には「改撰標準日本文法」として訂正版を刊行している。 . . . 本文を読む
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日本語論66 コピュラ

2018-07-30 05:46:00 | 現代日本語百科
日本語のコピュラは何か。繋辞という。文法用語であるから、そのものを指す。すなわち、~ハ~ダ となる。コピュラに着目をした明治期の文法学者の慧眼による。論理学が言語形式に合わせて分析をする。分析を受けるのは、日本語では意味的に当てはめているから、コピュラ構文という呼称ができる。この日本語構文は形式をとることを指すので、その繋辞なるものは、主辞、賓辞、繋辞の語順の位置にあって、用語の解釈に揺れを起こすことになる。さらにそれだけでなく、議論が日本語にあわせたものと、日本語そのものの現象の部分を切り出したものとなる。コピュラは、形式上、AハBデアル とする限り、意味上の存在動詞にだけ、合わせて、議論するのは不可解なことになる。A、Bデアル と表現して等置することがあり、AガBデアル という形式もあって、無助詞とすること、主格を明示することと、同様に議論して、辞書義において誤解を起こさせている。日本語文法の根幹を捉えることがない。 . . . 本文を読む
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日本語論65 ウナギの話

2018-07-28 23:40:32 | 現代日本語百科
僕はウナギだ文における問題は、ぼく、うなぎ というところを、ぼく、うなぎだ といおうとしたのか、ぼくはうなぎだ といってしまったのか、ぼくは、うなぎ ぼくが、うなぎ というふうにいっても、これは結局、僕はウナギだと言ったことになる。正しくは、この読点に文法機能を認めて、僕は、ウナギだ としなければならないものである。語用論の意味内容を表現の関係で、僕 は ウナギ だ というのを、それぞれをそのままにして、僕はウナギだと続けて発話しても変わらないから、典型例文として取り上げられる。日本語を知って、わかって、僕がウナギである、と言う文が、成立しない、意味的に文法とならないことはすぐに察知する。しかし、発話上で、そこにポーズが入れば、僕が、、、うなぎ ということになって、この読点の連続は、文法上では一点を打つことになるので、聞く方には、誰がウナギを食べたいのか、僕が、ウナギ ということになる。それではそのままに、僕はウナギ とだけ言って、同様の意味を表すかとなると、僕がウナギを食う 僕はウナギを食う と同じ意味を表すには、僕がウナギだ は、言えないのに対して、僕はウナギだ と言える。それは、やはり、僕は、うなぎだ となるか、ならないか。 . . . 本文を読む
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日本語論64 措定

2018-07-27 22:01:37 | 現代日本語百科
平成6年、日本語論5月1994、Vol.2 No.5 特集は、文章の技術 である。連載、壬辰の倭乱 第二回、そして読み切りに、日本語の意味と思考 を載せる。70頁―93頁、毎号のこの連載はこの雑誌に置けるいわば、目玉であるから、量的に大論文である。前号、第4号は、日本語の構造 であった。さて、あらためて1980年代半ばの議論を見る。執筆者は、西山佑司氏である。いまをさかのぼる25年前近くの文章になる。読み始めて、コピュラ構文、措定の捉え方が出てくる。ハとガの表現を見ると、措定の意味内容を検証できると変換をして、措定を証明する。論理学の議論を見て、説明を読むことになる。そしてその変換は構造上、そのように証明できる。以下、引き続き読むことになる。実はこの措定についての議論を、この時期、1987年に、トハ措定と捉えて小論を書いたことがあって、三上学説に触発されたのを思い出す。コピュラ構文には、その意味内容から同定の機能を見出すが、それは指定によるもので、そこにさらに措定を見ることは言語表現として、その表現の仕方で、日本語は区別されると気付いたものであった。同定は基本的に、これ、本 で不足はないから、これ、本じゃ となる指定を加えると、表現は整えられて、これは本じゃ となるもので、その指定に措定を持たせることは、ハの機能の本質を追求することで、表現上は、トハが措定になると言語形式を見るべきであるとして、とイウノは をとらえて、述べている。さすが30年前のことなので、それきりであった。 . . . 本文を読む
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