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日本遺族通信 令和2年10月15日号 遺書と九段短歌

2020年10月18日 00時57分58秒 | 日本遺族通信


                                        令和2年10月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

お若いお方がご両親様に「何も言ひ残す事はありません。もし自分が戦死致しました時は同封の頭の毛を自分の骨と致して下さい。又、けして嘆かず、お褒めの言葉をかけて下さる事を信じます。・・・」とお書きになられましたお手紙にご両親様の心中は如何でしたでしょうか。
私は21歳の若き兵士に残念!涙があふれました。このような遺書を今後書くことがないようにお祈りするばかりです。合掌

「九段短歌」
今年は戦後75年を迎え、国民の多くが戦争を知らない国民となりましたが我々遺族の悲しみは永遠です。
今号に「鳥海」艦長ご子息様、佐世保市の田中 暁様の「・・・深海に眠る重巡虚し」に艦長様をはじめ父また960名の御霊を偲びながら拝読させて頂きました。残念!の一言です。
私たちは命ある限り鎮魂の歌を詠み、永遠に御霊を偲びたく思います。
今号には友人の田中 恭子様のお歌がなく淋しく思っております。
鎮魂の歌にお目を通していただけましたら幸いに存じます。


おかげさまで7月~4ヶ月間継続して掲載を頂き今号で142首目(千葉市  嘉子)となり、とても励みを頂いております。

この度の歌は6月23日の「沖縄戦没者追悼式」に高校生の「平和の詩」、題名「あなたがあの時」に心を寄せさせて頂きました。

以下は 令和2年戦後75年目の「沖縄の追悼式」 より一部ご紹介させて頂きました


               「平和の詩」の朗読                           追悼詩の題名は「あなたがあの時」でした


              首里高校3年 高良朱香音さん                「未来に向けた穏やかな横顔を 私は忘れない 平和を求める仲間として」
                                                      と結ばれました 

戦禍を生き延びたあなたのおかげで今がある−。高良朱香音さんは、平和の詩「あなたがあの時」に感謝とバトンをつなぐ決意を込め、23日の沖縄全戦没者追悼式で、会場の一人一人に語り掛けるようにゆっくりと発表されました。

     平和の詩「あなたがあの時」のご紹介  https://www.nhk.or.jp/politics/articles/statement/40384.html

素晴らしい詩の朗読の中の一文に「白い旗を振った少女」 への感謝も詠まれ感銘を覚えました。

ネット上に少女の紹介がありましたのでご紹介させて頂きます。
  
                    白い旗を振った幼い少女の気持ちは?と思いますと当時の映像に涙があふれました

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日本遺族通信 令和2年9月15日号 遺書と九段短歌

2020年09月18日 15時36分44秒 | 日本遺族通信


                         令和2年9月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

お若いお方がご両親様に「時局がら、生還を期すことは出来ませんが・・・」とお書きになられましたお手紙にご両親様の心中は如何でしょうか。
このような遺書を今後二度と書くことがないようにお祈りするばかりです。合掌

「九段短歌」
今年は戦後75年を迎えますが、我々遺族の悲しみは永遠です。鎮魂の歌を詠み、御霊を偲びたく思います。
今号に「鳥海」艦長ご子息の佐世保市の田中様、友人の青森県の田中様両名のお歌を学ばせて頂くことができました事に、コロナ禍、猛暑の折にもお元気なお姿を拝見させて
頂き、嬉しく思っておりますところです。鎮魂の歌にお目を通していただけましたら幸いに存じます。

    
佐世保市の田中様、友人の青森県の田中様両名のお歌に私も加えて頂き、今号は投稿から15年目(この間、約1年半の休載あり)を迎え
141首目の掲載を頂きました事に励みを頂いております。

まだまだ浅学の身ですが、200首目を目指して頑張りたく思っております。

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日本遺族通信 令和2年8月15日号 遺書と九段短歌

2020年08月18日 11時15分50秒 | 日本遺族通信


                 令和2年8月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

この度は幼いお嬢様へのお手紙でしたので繰り返し拝読させて頂きました。お元気でしたら80代に?お嬢様はこのお手紙に励まされながら戦後75年を生き抜いてこられたことと思います。合掌

「九段短歌」
今年は戦後75年を迎えましたが、コロナ感染に留意され参列者を縮小して8月15日、天皇・皇后両陛下をお迎えして、全国戦没者追悼式が挙行されました。
妻の参列者はただお一人と報道に知ることとなりました。母はもし健在ならば今年は100歳になるのではと改めて母に思いを致しました。
我々遺族の悲しみは永遠です。鎮魂の歌を詠み、御霊を偲びたく思います。今号の「鳥海」艦長ご子息様、佐世保市の田中 暁様のお歌に胸が痛みました。
2011年、洋上慰霊にお会いしました折りに、「あなたのお父さんは「藤波」に移乗後の戦死なので、父と戦死日が異なります。」とお話を伺い、10月25日の戦死は田中艦長様お一人に、
藤波に助けられた959名は2日後にまたも襲撃され、10月27日戦死に、「鳥海」乗艦者960名全員戦死と記録されております。
鎮魂の歌にお目を通していただけましたら幸いに存じます。


                                                        イポダム慰霊にお父上を偲ばれました広島県の男性より
九段短歌に投稿開始から15年めを迎えました。                     
この間、2名の先生がご逝去され、新しい選者の先生決定まで1年以上の休載がありましたが、おかげさまで今号で140首の掲載を頂き、
父を偲ぶことが出来ました。
浅学の身、未熟な歌ですが父を偲びながら学び続けて参りたく思っております。

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日本遺族通信 令和2年7月15日号 遺書と九段短歌

2020年07月19日 21時28分07秒 | 日本遺族通信


                               令和2年7月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

お若いお方がご両親様に「待望の日が遂に来ました」とお書きになられましたお手紙にご両親様の心中は如何にです。
その後、お兄様、弟様はご健在にお過ごしになられました事をただただお祈り申し上げました。このような遺書を今後二度と書くことがないようにお祈りするばかりです。合掌

「九段短歌」
今年は戦後75年を迎えますが、我々遺族の悲しみは永遠です。鎮魂の歌を詠み、御霊を偲びたく思います。
今号には「鳥海」艦長ご子息の佐世保市の田中様、友人の青森県の田中様両名のお歌を学ばせて頂くことができました事に幸いに存じます。
鎮魂の歌にお目を通していただけましたら幸いに存じます

           高良朱香音さんの詩の朗読(ご紹介)   https://www.youtube.com/watch?v=anbTdNtq5N8

6月23日、沖縄戦没者追悼式が挙行さました折に、高校生が素晴らしい平和の詩を朗読されました。
私もその時間は高良朱香音さんの素晴らしい詩の内容に心を打たれながらTVに釘付けになりました。 
今号にその全文が掲載されておりましたのでここに転載して紹介させて頂きました。

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日本遺族通信 令和2年6月15日号 遺書と九段短歌

2020年06月17日 07時48分21秒 | 日本遺族通信


                                                    令和2年6月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

「父ちゃんよりもえらい兵隊になるよう今から身体を大切になさいね。」お子様のお身体を心配しながら戦死されましたお父様のご無念に合掌です。

「九段短歌」
今年は戦後75年を迎えますが、我々遺族の悲しみは永遠です。鎮魂の歌を詠み、御霊を偲びたく思います。
鎮魂の歌にお目を通していただけましたら幸いに存じます。
今号に久しぶりに市川市、千葉県と思いますが?新しいお仲間の掲載に嬉しく存じました。

 

お父様が旧ソ連アルタイ地方の収容所に抑留され、同地で死亡して埋葬されているとおっしゃいます遺族の声をご紹介させて頂きます。
「誰のための遺骨収集か」の末文より
厚生省の主催している「戦没者の遺骨収集推進に関する有識者会議」は誰のための会議でしょうか?
議事録を見る限り有識者の多くは好き勝手な意見を述べ、遺族への配慮も、戦没者に報いる気持ちが感じられません。
厚生省は原点に立ち返って、どっしりと腰を落ち着けて、遺族の言葉に耳を傾けて頂きたいと思います。

全員のお方がそうではないと信じておりますが、戦後75年を迎えますことに戦争を知らない国民が増えております事、戦後多くの天災・人災などに多くの被害者がおります
ことに、遺児の一人としましてもいろいろと複雑な思いでおります。

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日本遺族通信 令和2年5月15日号 遺書と九段短歌

2020年05月17日 11時56分59秒 | 日本遺族通信


                                         令和2年5月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

「昭和20年8月17日 東京都北多摩郡にて自決。」と、記録されておりますことにとても残念です!
戦争が終結後に故郷にての最期にご両親様のお嘆きは如何ばかりかと想像を絶する思いです。戦争で得るものは何もありません。
このような遺書を二度と書くことがないことを祈りご紹介させて頂きました。

「九段短歌」
今年は戦後75年を迎えますが、我々遺族の悲しみは永遠です。鎮魂の歌を詠み、御霊を偲びたく思います。
今号には「鳥海」艦長ご子息の佐世保市の田中様、友人の青森県の田中様両名のお歌を学ばせて頂くことができました事に幸いに存じます。
鎮魂の歌にお目を通していただけましたら幸いに存じます。


                                           令和2年度・戦没者遺児による慰霊友好親善事業実施計画予定地
「赤トンボ」とは

            最後の特攻「赤トンボ」の戦い
 神風特別攻撃隊第三竜虎隊 九三式中間操縦練習機(通称:赤トンボ)
沖縄戦終結後(6月23日)の7月27日、台湾の竜虎海軍基地で、三村弘上飛曹以下7名、計8名に、特攻命令が下りました。
7月28日の早朝に台湾の新竹基地に到着。そこで彼らに「神風特別攻撃隊第三竜虎隊」の命名式と別盃式が行われました。
そして直ちに宜蘭基地を経由して、石垣島へ転進、石垣島から宮古島へと移動しました。

詳しくは  沖縄翼友会 https://okinawa-yokuyukai.org/data/rekisi_003.html

特攻記念館に陳列されておりましたのは「赤トンボ」の模型でしたが、初めて見る、聞くことにHPに学ばせて頂きました。 

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日本遺族通信 令和2年4月15日号 遺書と九段短歌

2020年04月16日 17時59分20秒 | 日本遺族通信


                         令和2年4月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

このお手紙を拝受されましたご両親様のお気持ちは如何ばかりでございましたでしょうか。残念です!立派なお方の戦死に心から哀悼の誠を捧げます。合掌

今夜は、懐かしい父の軍事郵便と共に新たな涙に夜が更けることでしょう。

「九段短歌」
今年は戦後75年を迎えますが、我々遺族の悲しみは永遠です。鎮魂の歌を詠み、御霊を偲びたく思います。
佐世保市の先輩のお名前がなく残念に存じますが、青森県の友人のお歌に学ばせて頂きました。お目を通していただけましたら幸いに存じます。

今号に137首目の掲載を頂きました事に励みを頂きました。
この度の歌は 令和元年度 千葉市遺族会親睦旅行 

筑波海軍航空隊記念館見学 (動画) https://www.youtube.com/watch?v=9pn3ZCsVt8o に参りました折に詠みました大切な歌です。

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日本遺族通信 令和2年3月15日号 遺書と九段短歌

2020年03月17日 20時32分51秒 | 日本遺族通信

 


                                           令和2年3月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

まだお若い23歳の青年がご両親様への最後のお言葉に涙があふれました。

中国、湖北省武漢を中心に発生しました新型コロナウイルス感染症は瞬く間に世界に広がり、日本においても多くの感染者がご苦労をされておりますが、早期の終息を願わずにはおられません。
戦後も75年、遠い過去の事となり、このような時期に戦争に関する記事は?と迷いましたが、戦争の事実は事実として受け止めてほしい!とご紹介させて頂きました。

「九段短歌」
戦後も75年を迎えましが、我々遺族の悲しみは永遠です。鎮魂の歌を詠み、御霊を偲びたく思います。
お目を通していただけましたら幸いに存じます。
      
今号には大切な友人の両田中様のお歌を拝見することが出来まして嬉しく存じます。
私の歌は、2019年12月19日のブログ 「海没遺骨」収集の記事に驚き! の感想を詠みました。
生ある間にDNA鑑定の機会に恵まれましたらと、ささやかな望みに祈りをささげております。

 

 

 

 

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日本遺族通信 令和2年2月15日号 遺書と九段短歌

2020年02月16日 21時26分36秒 | 日本遺族通信


                          令和2年2月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

まだお若い25歳のご主人様の家族を想う気持ちに涙があふれました。
残念です!このようなお手紙を再び書くことがありませんように祈念するばかりです。餌取哲夫様のご冥福をお祈り申し上げます。合掌

「九段短歌のご紹介」 

今号には友人田中様お二方様の名前が無く淋しく存じましたが、お寒さの中にもお元気にお励みの事と案じております。
次号には田中様お二方様、そしてできましたらわが歌も掲載頂きたいと願っております。

 

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日本遺族通信 令和2年1月15日号 遺書と九段短歌

2020年01月19日 12時42分16秒 | 日本遺族通信



                                               令和2年1月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

御覚悟のお父様へのお手紙を拝受されたお父様の心中はいかにと存じます。このようなお手紙を再び書くことがありませんようにお祈り申し上げるばかりです。
心からご冥福をお祈り申し上げます。合掌
「九段短歌のご紹介」                                  「遺児の慰霊巡拝参加者募集」

九段短歌は大切な友人田中暁様・田中恭子様と一緒に掲載頂きまして感謝を申し上げております。
私の歌は令和元年 全国戦没者追悼式に参列されました妻のお立場5名のお方の最高齢のお方に心を寄せさせて頂きました。

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日本遺族通信 令和元年12月15日号 遺書と九段短歌

2019年12月17日 14時17分25秒 | 日本遺族通信


                                                  令和元年12月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

お子様のお手紙を抱きしめながらお書きになりましたでしょう「生還は期せず」の最後のお手紙を手にされた奥様の悲しみはいかばかりだったことでしょう。
心からご冥福をお祈り申し上げます。

母から渡されました軍事郵便には最後の遺書らしき手紙が無く、皆様の遺言書を拝読するたびに疑問に思っております事です。
この度の遺書を拝見して思いました事は、私も父にお手紙を書きたかったと、母と一緒に書いたか否かは今となってはわかりませんが、父との思い出がわかりません。
ただ沢山の父の直筆のお手紙は永遠に宝物です。

「九段短歌」
昭和も遠くなりましたが、我々遺族の悲しみは永遠です。
鎮魂の歌を詠み、御霊を偲びたく思います。
お目を通していただけましたら幸いに存じます。
 

今号には、「鳥海」艦長ご子息様、青森県の親友の両田中様のお歌を学ばせて頂き嬉しく存じました。
令和元年度は九段短歌に8首の掲載を頂き、投稿開始から14年目に134首目を記録させて頂きました。

今月の歌は、遺骨収集のご苦労に感謝の歌を詠ませて頂きましたので、南方地方の遺骨収集の様子をご紹介させて頂きました。
私ごとに最後までお訪ね頂きましてありがとうございました。

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日本遺族通信 令和元年11月15日号 遺書と九段短歌

2019年11月19日 18時07分14秒 | 日本遺族通信


                                                          令和元年11月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

お嬢様へのご覚悟のお手紙に心が痛みます。
最後のお手紙から6か月後のお別れにお母様とお嬢様の悲しみは想像を絶する悲しみだったことと存じます。

母が父との最後の面会は呉港にて昭和19年6月頃?と、戦争が激しくなりました時に私を連れて行かなかったことに父が激怒したことを後日聞いたことがありましたが、
西村様母子と悲しみが重なります。

「鳥海」乗員960名全員の戦死は昭和19年10月27日でしたので、母は父と面会後の5か月後、私は4歳の永遠の別れとなりました。
戦争の記憶も遠くなりましたが、悲惨な戦争が2度と起こらないように永久の平和をお祈りするばかりです。

今号にも、選者 安元 百合子先生のご指導を頂きました10名の方の鎮魂の歌を掲載頂きましたのでお目を通していただけましたら幸いに存じます。

 

今号には、佐世保市の田中様のお名前がなく寂しく存じますが、青森県の田中恭子様の素晴らしいお歌に学ばせて頂きました。
私は、8月15日 全国戦没者追悼式に参列させて頂きました折の天皇陛下のお言葉に心を寄せさせて頂きました。

この度の記事に多くの皆様にお訪ね頂きまして御礼を申し上げます。
皆様のお気持ちを保存させて頂きます。

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日本遺族通信 令和元年10月15日号 遺書と九段短歌

2019年10月16日 17時44分24秒 | 日本遺族通信


                                                    令和元年10月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌 

お父様の切ないお言葉に胸が痛みます。お子様は何人でしたでしょうか。お子様方は立派に成人され、世の中のためにご尽力いただきました事と存じます。

戦死されました漢口は=かつて中華民国時代に行政院に直轄された院轄市で、現在の中華人民共和国湖北省武漢市の一部に当たる。
現在、「漢口」という自治体が存在しないが、現地の慣習上では旧漢口院轄市に因んで、武漢市長江漢江以北(左岸)の江岸区江漢区礄口区を漢口と総称し、都市化の進行に伴い、以上3区に隣接する郊外的地域であった東西湖区をも漢口の一部と見なすこともある。

 
この度の田中 暁様のお歌は「鳥海」が最後に呉を出港されました時の様子と存じます。
「艦長ひとり副長ひとり・・・」は艦長の田中様のお父上様と副艦長の神川様のお父上様をお偲びさせて頂きました。
田中艦長様のご子息様とは1回目の洋上慰霊に、神川副艦長様のご子息様とは2回目の洋上慰霊の折にお目にかかり、960名の戦友のただ一人の娘として親しくご厚誼を頂いております幸せに感謝を申し上げております。

私の歌は、沖縄の慰霊祭に糸満市立兼城小学校6年の山内玲奈さん(11)が詩の部門、応募総数1097件から選ばれて朗読しました平和の詩「本当の幸せ」の素晴らしさに感銘をいたし詠みました歌です。

日本遺族通信に初めての掲載を頂きました歌は平成16年10月15日号に過ぎし日のありて今在る幸を思ひつつ八月武道館にあり」でした。 
そして令和元年10月15日は投稿から15年目を迎えることができました。
この間、選者の先生お二方様のご逝去に2年3か月の休載がありましたが、記念すべき15年目の10月15日号に132首目の掲載を頂き、今後に大きな励みを頂きました。

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日本遺族通信 令和元年9月15日号 遺書と九段短歌

2019年09月21日 01時09分16秒 | 日本遺族通信


                  令和元年9月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌                        ↑    パラワン島

パラワン島( - とう、Palawan Island)はフィリピンの南西部にある。(HPより転載)
北西を南シナ海、南東をスールー海に面し、ミンドロ島ボルネオ島マレーシア)の間にまたがる、南北の長さ397km・東西の幅の平均約40kmと極端に長細い島である。
ルソン島ミンダナオ島サマール島ネグロス島に次ぐフィリピンで5番目に大きな面積(11,785km2)の島で、パラワン州に属す。
主な都市は、島の中央部にあるプエルト・プリンセサ

初めて「パラワン島」の位置を学びました。

この度の遺書は奥様にあてた最後のお手紙に悲しみがあふれます。心からご冥福をお祈り申し上げます。

 
今号も選者、安元 百合子先生にご指導頂きました10名の鎮魂の歌をご紹介させていただきます。
いつも多くの皆様にご覧頂きまして心から感謝を申し上げております。 今後ともご指導の程、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

   

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日本遺族通信 令和元年8月15日号 遺書と九段短歌

2019年08月18日 01時27分39秒 | 日本遺族通信


                                          令和元年8月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

29歳のお若いお方が全身で詠まれましたお歌に涙があふれます。
お母様への想い、ご自身のご覚悟、本当に残念です。心からご冥福をお祈り申し上げます。合掌

令和元年「全国戦没者追悼式」に参列いたし、天皇陛下のお言葉を賜りましたので保存させて頂きました。

      
    ご臨席になられました両陛下                 正午の時報に合わせて310万人の戦没者の御霊に黙祷を捧げられました

「天皇陛下のおことば全文」

本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」にあたり、全国戦没者追悼式に臨み、先の大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、
深い悲しみを新たにいたします。

終戦以来74年。人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思う時、誠に感慨深いものがあります。

戦後の長きに渡る平和な歳月に思いをいたしつつ、ここに過去を顧み、深い反省の上に立って、ふたたび戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い戦陣に散り戦禍に倒れた
人々に対し、全国民とともに心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

今号も選者、安元 百合子先生にご指導頂きました10名の鎮魂の歌をご紹介させていただきます。
いつも多くの皆様にご覧頂きまして心から感謝を申し上げております。
今後ともご指導の程、どうぞ宜しくお願い申し上げます。 


                                                              
今号には「鳥海」艦長ご子息様 田中 暁様、青森県の友人 田中 恭子様のお歌を学ばせて頂きました事に猛暑の折にもご健勝の御事と、とても嬉しく存じました。

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