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独り居の充実ライフを求めて!

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日本遺族通信 令和元年7月15日号 遺書と九段短歌

2019年07月18日 02時35分07秒 | 日本遺族通信


                                                       令和元年7月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

「親思ふ心にまさる親心今日のおとづれ何と聞くらん」 とお母様への最期のお手紙にお母様のお気持ちは如何ばかりでございましたでしょうか、心から拝察申し上げました。

昭和、平成そして令和へと時代が変わり、昭和も遠くなりました。平成天皇が「平成の時代は戦争の無い平和な時代だった」と振りかえられました。
日本は戦争を繰り返すことの無き平和を守ってまいりましたが、世界の一部での悲しい紛争の放映に心が痛みます。
戦争の悲劇は永遠です。世界の恒久平和を祈って止みません。

今号も選者、安元 百合子先生にご指導頂きました10名の鎮魂の歌をご紹介させていただきます。
いつも多くの皆様にご覧頂きまして心から感謝を申し上げております。 今後ともご指導の程、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

                   
今号には佐世保市の田中様のお名前がなく淋しく存じますが、前号の6月号で5首の掲載に7月号はちょっとお休みに、青森県の田中様は7月号に5首目の掲載、私は4首めの
掲載に今号で130首の掲載を頂きました。

日本遺族通信に初めての掲載は平成16年10月15日号に 過ぎし日のありて今在る幸を思ひつつ八月武道館にあり」 でした。
そして令和元年7月15日号にて130首の掲載を頂きました。
選者の先生のご逝去などに2年3か月の休載、13年間の平均掲載は年、10首を頂きました事に感謝を申し上げております。
昨今は新しい投稿者が多く、なかなか掲載を頂けませんが、毎月投稿を続けてご指導を頂きたく考えております。

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日本遺族通信 令和元年年6月15日号 遺書と九段短歌

2019年06月16日 20時19分54秒 | 日本遺族通信


                      令和元年6月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

又もお若いお方の遺書のご紹介、「愛しい我が妻の写真が見たいのだ。常に肌身はなさず・・・」過酷な戦争の事実がだんだん遠くなりますが忘れてはならない事実です。
文中の満代様はご長女様と添え書きがありましたが、私と同年?位かとも思います。戦後、人知れず大変にお過ごしでしたでしょうと想像致しております。
老後どうぞお元気にお過ごし頂きたくお祈り申し上げます。

ご紹介の九段短歌をいつも多くの皆様にご覧いただいておりますことに御礼を申し上げております。
今号には、佐世保市の田中様、青森県の田中様、そして私も掲載頂きました事にとても励みを頂きました。お目を通していただけましたら幸いに存じます。 

        
          今月の私の歌は、千葉県遺族会女性部長として長い間ご尽力いただきました部長様をお偲びさせて頂きました。

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日本遺族通信 令和元年年5月15日号 遺書と九段短歌

2019年05月16日 19時04分24秒 | 日本遺族通信


                                                     令和元年5月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

まだ25歳の若さでご両親様をはじめ、ご家族の皆様への最後のお別れのお言葉に悲しみに耐えません。お骨も日本には還れない事と、とても残念に存じます。
どうぞ安らかにお眠りください。
戦争を知らない世代が大半を占め、戦争の記憶が風化されつつある今、私たちは「二度と戦争を起こしてはならない、私たちのような遺族を出してはならない」と言う原点を決して忘れることなく、戦争の悲惨さと平和の尊さを次世代へと語り継ぎ、世界の恒久平和を願っております。
                                                                                                                                   いつも皆様にご覧いただいております九段短歌ですが、コピーの方がご覧いただきやすいと考えまして下記のように転載させて頂きました。
年齢を重ねますごとに戦死の父が恋しくなります。世界の平和を願ってやみません。

   
今号には友人の青森県の田中 恭子様と私も掲載がなく残念ですが、洋上慰霊にご一緒して以来ご厚誼を頂いております佐世保市の田中 暁様「鳥海」艦長ご子息様のお歌の掲載に
お元気なお姿を嬉しく拝見させて頂きました。
今号のお歌は10名のうち7名のお方が昨年から先月号まで掲載されませんでした新しいお仲間の皆様でした。
特に、長崎県の幸子様のお名前に「故」とありましたので、最初で最後の掲載に存じます。
初めての掲載をご覧にならずにご逝去の事とお悔やみを申し上げました。
先生のお言葉より「投稿が増え掲載されなっかた方、落胆されず引き続きご投稿を。」のご丁寧なお言葉に励みを頂き、今後も父を偲び短歌を学んで参りたく思っております。

5月16日(木)にご紹介させて頂きました「日本遺族通信」に多くの皆様にお訪ね頂きましてありがとうございます。
ここにHPの記録を保存させて頂きまして御礼にかえさせて頂きます。

2019.05.16(木) 1509PV |409UU |2972位 2869243ブログ中

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日本遺族通信 平成31年4月15日号 遺書と九段短歌

2019年04月16日 21時36分54秒 | 日本遺族通信

                       平成31年4月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

結婚してわずか10年の奥様にあてた最後のお手紙をお書きになられたご主人様、どんなにかお辛かった事と存じます。 
「幼児成長すれば一度は靖国神社へ連れて参ってくれ。」↑
お子様は何人お出でかはわかりませんが、私同様に毎年靖国神社参拝をされておいでのことと存じます。
本当に残念です。
父の年齢から3倍近くも生を受けておりますが、今でも父が恋しいです。
このような不幸が起こりませんように恒久平和を心からお祈りいたします。

今号の短歌欄に天皇皇后両陛下の御製とみ歌を学ばせて頂きました。

いつも皆様にご覧いただいております九段短歌ですが、遺書と同様にコピーして転載させて頂きたく存じます。
お目を通していただけましたら幸いに存じます。

今月号には卒寿をお迎えになられ、益々お元気にご活躍の佐世保市の田中 暁様(従順 鳥海艦長ご子息様)のお歌をとても嬉しく拝見させて頂きました。
友人の青森県の田中様のお歌がなく淋しく存じました。
私は2月、3月の2か月掲載を頂けませんでしたが3ヶ月ぶりに洋上慰霊にグワム島の病院訪問に日本遺族会から車いす贈呈の折の病む子供たちの笑顔を思い出して詠みました歌
(128首め)の掲載を頂き励みを頂きました。
九段短歌欄は全国の多くの投稿者の中からわずか10名の掲載にありがたく学ばせて頂いております。
今後とも努力を重ねて投稿に励みたく思っております。

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日本遺族通信 平成31年2月15日号 遺書と九段短歌

2019年02月16日 19時46分50秒 | 日本遺族通信


                                                          平成31年2月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

奥様にあてた最後のお手紙をお書きになられたご主人様、どんなにかお辛かった事と存じます。最後にお書きになられた一文「子供を思へば、涙一滴静かにおとす。再び願ふ子供のことを。」
子供を思う父親の姿がここにあります。このことこそ親の愛情と思います。

父あらばと我が身に叱咤激励しながら歩み来た七十余年、昨今の報道によります父親、母親とは何者なのかと怒りに震えます。

いつもお世話になっております松原さまのコメントより
「いつもながら妻や子に託す言葉は、命をかけて書かれていますので、心をうたれます。
   この言葉を残された奥様やお子様はがんばらねばならないという決意をされたことと思います。」と頂きましたのでご紹介させて頂きます。

いつもお世話になっておりますhanaさまのコメントより
「何度拝読しても胸つまるものがあります。 投稿して頂いて有難うございます。
   戦争の無かった平成30年間、本当に幸せでした。 永遠の平和を祈らずにはおれません。」と頂きましたのでご紹介させて頂きます。

いつも皆様にご覧いただいております九段短歌ですが、今年より遺書と同様にコピーして転載させて頂きたく存じます。
お目を通していただけましたら幸いに存じます。

  今号には佐世保市の田中 暁様と私の歌の掲載がなく淋しく存じますが、青森県の友人 田中恭子様のお歌他を鑑賞させて頂きました。

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日本遺族通信 平成31年1月15日号 遺書と九段短歌

2019年01月19日 10時14分38秒 | 日本遺族通信


                               平成31年1月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

可愛い盛りのお子様たちに想いをいたしながらお書きになられました最後のお手紙に涙があふれました。戦病死とありますのでご自分の死を覚悟されましてのお手紙だったのでしょうか。
お子様たちが読めますように全文カナ文字でお書きになられましたお手紙に残念!の他言葉がありません。心からご冥福をお祈り申し上げます。

matsubara様より
「いつもお若い方の遺書てすが、今回は小さい子供を思う父親に悲しみが募ります。
   こんな子を残して遺書を書かねばならないとは悲惨です。」と頂きました。

いつも皆様にご覧いただいております九段短歌ですが、今年より遺書と同様にご紹介させて頂きたく存じます。
最初にご紹介の 佐世保市の田中 暁様は 慰霊友好親善事業20周年記念 「洋上慰霊」 に参加して (3-2) 平成23年3月5日~16日迄の洋上慰霊の折に出合いました従順「鳥海」
艦長様のご子息様です。
昭和19年10月27日 海軍最後の激戦地レイテ沖海戦に 「鳥海」 乗員父を含む960名の戦友の皆様は遠くレイテ島沖に眠ったままにおりますが、この度の洋上慰霊に出合いました遺児は
ご子息様とただ2名の出会いにとても感激しました事が思い出されます。

     「鳥海」の艦長の子息に出会ひたり船上に交はす熱き熱き握手

今もお電話で交流を深めておりますが卒寿を迎えましても尚、お元気のご様子を確認させて頂き安堵いたしております。

6首めの青森県の田中 恭子様は 天皇・皇后両陛下ペリリュー島慰霊の旅に感謝 2 の折に色々とご尽力をされました大切な友人です。
地域の中に於いてはボランティアにも力を注ぎながらいつも素晴らしいお歌も拝見させて頂いておりますお方です。

田中恭子さまに寄せて詠む
     九段短歌の投稿者と知る田中恭子さん両国旗一八〇〇本島に持参す

       両陛下のお言葉賜ひて田中さん「良かつたですね」と父に告ぐとふ
  
以上2名のお方はお名前を記載させて頂きました。

      私の歌は、千葉市  嘉子とさせて頂きました。新年号に掲載を頂きました事に励みを頂いております。
      今後も掲載頂けますように学んで参りたく考えております。

      お目を通して頂けましたら幸いに存じます。

        
                           この度の歌は、2回目の洋上慰霊に詠みました歌です。
            1回目の折はただただ父が恋しく、父を偲ぶばかりに夢中になりまして歌も個人的になりました事に反省をいたしました。

                     「鳥海」に届けと捧げし白菊を呑み込むごとく荒波が運ぶ は1回目の洋上慰霊の折の歌でした

2回目の洋上慰霊参加の折は多少気持ちの余裕に祖国の白菊を「全海域の英霊に・・・」と詠むことができました。

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日本遺族通信 平成30年12月15日号 遺書と九段短歌

2018年12月17日 14時11分14秒 | 日本遺族通信


                                                          平成30年12月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

お母様、ご兄姉の皆様へのお別れのお手紙に残念を何回唱えても残念です。合掌
立派な青年のご戦死が悔やまれます。心からご冥福をお祈り申し上げます。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説より学びましたので転載させて頂きました。

八紘一宇(はっこういちう)について
「世界を一つの家にする」を意味するスローガン
第2次世界大戦中に日本の中国,東南アジアへの侵略を正当化するためのスローガンとして用いられた。
日本書紀』のなかにみえる大和橿原に都を定めたときの神武天皇詔勅に「兼六合以開都,掩八紘而為」 (六合〈くにのうち〉を兼ねてもって都を開き,八〈あめのした〉をおおいて
宇〈いえ〉となす) とあることを根拠に,田中智学が日本的な世界統一の原理として 1903年に造語したもの。
40年第2次近衛文麿内閣が「基本国策要綱」で東亜新秩序の建設を掲げるにあたり,「皇国国是は八紘一宇とする肇国の大精神に基づく」と述べ,以後東亜新秩序の思想的根拠として広く
唱えられた。

九段短歌の選者 安元 百合子先生のお言葉より
12月23日は平成最後の天皇誕生日です。
宮中での祝賀の行事や一般参賀も行われます。
昭和23年に「国民の祝日に関する法律」が制定される以前は天長節と称し、学校では式があり次の祝歌を歌い寿ぎました。
「今日の吉き日は 大君のうまれたまひし 吉き日なり 今日の吉き日は みひかりのさし出たまひし 吉き日なり 
ひかり遍(あまね)き君が代を 祝へ諸人(もろびと) もろともに恵み遍き君が代を 祝え諸人もろともに」

平成の御代を顧みて、謹んでお祝い申し上げます。(選者)

以上に頂きましたが、なかなか曲が思い出せません。
後ほど調べてみたいと思います。

今号も全国から寄せられました多くの九段短歌中、10首を選んで頂きましたのでお目を通して頂けましたら幸いに存じます。

   特攻に果てにし若きの遺書読めば涙あふれて言葉にならず     富士吉田市 遺児 男性
   静かなる海の音波の音聞こえくる紺碧の表紙の父の慰霊誌       青森県 田中恭子様
   武蔵沈み残る鳥海雷撃沈乗員移乗させ一人艦に残りしと       佐世保市 田中 暁様(鳥海艦長子息)
   フィリピンの山麓に眠る父を呼ぶ声木霊する慰霊巡拝         富山市 遺児 女性
   
時季はずれ島に咲く花南洋の桜見せてくれし亡父のやさしさ      壱岐市 遺児 女性
   アンガウルの島影望み拝礼すここペリリューのオムルウム岬      石岡市 遺児 女性
   亡き父の戦地に立ちて無念の思い小石拾いしルソンの山なみ      焼津市 遺児 男性
   空を朱に染むる夕日よ海底に眠る英霊たちをも照らせ         千葉市 遺児 私
   ますらをの御霊に届けと巫女の振る鈴の音沁むる護国寺の社      鳥栖市 遺児 女性
   戦没者の平成最後の慰霊祭戦後七十三年平和よ永遠に         小諸市 遺児女性

12月最後の遺族通信を受領致し、お若いお方の「愛しきものへ」に涙しながら、「九段短歌」に寄せられましたそれぞれの思いにも胸が痛みました。
今年の6月号より「九段短歌」が新選者の先生のご指導に、再び掲載を頂きました事に父に思いを寄せることの励みを頂きました。
今号の私の歌は「洋上慰霊」の折の南海に沈む素晴らしい夕日を海底に眠る父にも見せてあげたい!の気持ちから詠みました。
今後も掲載頂けますように頑張って参りたく考えております。

この度はとても多くの皆様にお訪ね頂きまして御礼を申し上げます。
昨日の記録を掲載させて頂きまして心からの御礼に代えさせて頂きます。

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日本遺族通信 平成30年11月15日号 遺書と九段短歌

2018年11月17日 23時17分15秒 | 日本遺族通信


                      平成30年11月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

今号もご家族に寄せる最後のお別れの遺書を拝読いたし涙があふれました。
遺書の1文より「御身、今日の事あるは結婚当日より十分に覚悟に候へばさして驚かる事もこれ無かるべしと存じ候。」と。
お手元に届きましたお手紙をご覧になりました奥様の心中はいかばかりでございましたでしょうか。何回残念!を申し上げても言い尽くせません。
激戦地のレイテ島にて散華されました松本清司様に哀悼の誠を捧げます。合掌

遺されましたご家族の皆様のご平安をお祈り申し上げております。
戦争の悲劇は永遠です。世界の恒久平和を祈って止みません。

コメントに頂きましたお言葉よりご紹介させて頂きます。
matsubara様より
幼い男の子を残して戦地に行かれ、どんなに心残りであったことでしょう。
32歳でこんなに格調高い遺書を書かれるとは、どのようなお方だったのでしょう。
日本の損失です。

徳さん様より
いつ見てもこのような遺書を読むと胸が詰まります。
それにしてもこの時代の若者は格調高い文を書けますね。
それだけに余計悲しくなります。

お二方様いつもご丁寧にありがとうございます。御礼を申し上げます。

九段短歌の選者 安元 百合子先生のお言葉より
1首めの「特攻兵の声哀し」特別攻撃隊の発案者と言われる大西滝次郎中将は「特攻などという作戦は外道である」と喝破。戦後、割腹自殺されました。

2首めはハバロフスク地方二次遺骨収集派遣団による遺骨引渡式が9月12日に千鳥ヶ淵戦没者墓苑であり参列されての詠。
酷寒のシベリアと百日紅の対象が印象的。
ソビエト連邦は大戦終結後、約60万の日本人をシベリアに抑留、酷寒の地で重労働を強制しました。
現在、厚労省が抑留死の方の名簿整理を続け、10月にも新たに22人が特定されました。
以上、私自身も学びたくご紹介させて頂きました。

先生がお書きくださった「大西滝次郎中将は「特攻などという作戦は外道である」と喝破」に、私もいろいろと疑問がありますことにHPで調べております。

11月の九段短歌のご紹介をさせて頂きます。お目を通していただけましたら幸いに存じます。

   散り逝きし特攻兵の声哀し録画の像にしばし声出づ          富士吉田市 遺児男性
   極寒の旧ソ連より今還る千鳥ヶ淵に熱き百日紅              東京都 遺児女性
   菩提寺の戦争記録読み返し孫らと語らふ命の重さ            南相馬市 遺児女性
   曾祖母がいるのに曾祖父なぜいない問いし孫たち曾祖父を超ゆ      南相馬市 遺児男性
     
(ひいばあ)     ひいじい

   夏椿終戦の日の庭に咲く戦死せし父と語りたき朝             甲州市 遺児女性
   輝ける満天の星応へなき父のみ霊と洋上に見上ぐ             千葉市 遺児私
   お守りとなほ持ちてをり父の文軍事便の朱印うするる           鳥栖市 遺児女性
   おぼろなる憶ひ出ひとつ自転車の父のそびらに三歳のわれ            一宮市 遺児女性
   国破れ終戦直後の芋ごはんひと粒たりとて残すものかは         佐世保市 遺児男性(鳥海艦長子息)
   栗ご飯炊くたび思ういくさ場の父への陰膳祖母の香            青森県 田中恭子様(友人)

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日本遺族通信 平成30年10月15日号 遺書と九段短歌

2018年10月17日 09時39分19秒 | 日本遺族通信


                      平成30年10月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

今号もお若いお方の遺書ですが「我々兄弟三人が、目出度く凱旋の日をお待ちください。」に、どうぞ全員が戦死ではないことを祈りつつ拝見致しました。
戦後70年、日本は戦争を繰り返すことの無き平和を守ってまいりましたが、世界の一部の紛争の放映に心が痛みます。
戦争の悲劇は永遠です。世界の恒久平和を祈って止みません。

今号の九段短歌の紹介に選者 安元 百合子先生から「里の秋」の歌について説明を頂きましたのでご紹介させて頂きます。
今号は様々な視点の歌が届きました。
「里の秋」は昭和16年に戦地の父への慰問文として作詞され、題名は「星月夜」で曲はなかったそうです。
1番と2番の歌詞は現在と同じですが、戦争が拡大したころ、3番は「椰子の島、武運を祈る」4番は「兵隊になり国を護る」という内容に変わりました。
終戦後NHKラジオで放送するに当たり、題名を「里の秋」3番の歌詞を「さよなら さよなら椰子の島」と変えたそうです。
まさに歌に歴史ありです。
戦後の遺児の生活の悲しさ、苦しさ、悔しさに憤りを覚えました。と頂きました。 

次に「里の秋」の歌をお詠みになられましたお方から掲載順に10名の方の鎮魂の歌をご紹介させて頂きます。 

   「里の秋」歌の真実聞かされて平和の今をあらためて知る        甲州市 遺児男性
   ささやかな吾が思ひなり献じたる「みたま祭り」の一灯に足らふ     鳥栖市 遺児女性
   白菊を手に持ち進む中学生世代をつなぐ慰霊のきずな            佐世保市 田中暁様元「鳥海」艦長子息
   大方は餓死とふ南の島青く兵らは永久にここに眠る         富士吉田市 遺児男性
   戦死せし父のみ位牌葬列にしかと持ちたり五つのわれは         青森県 田中
恭子様
   父の顔知らねど吾に父ありと軍服の写真に父上と呼ぶ          長野市 遺児男性
   五歳から戦争遺児の境遇はがまん我慢の七十余年           名古屋市 遺児女性 
   国策とて父なき人は不採用戦争遺児の悲しき思い出           京都府 遺児男性
   沖縄の慰霊の式に中学生朗読せし詩「生きる」に泣けり         千葉市 遺児 私
   終戦日遺影に語る母の背の細き姿やあをぐ夏空
             相馬市 遺児女性    

この度の「里の秋」の歌について徳さん先生から大切なお言葉を頂きましたのでご紹介させて頂きます。

この歌は今の千葉県山武市成東で出来たものです。
斉藤信夫さんという学校の先生が作詞をしました。
千葉市の院内小学校の先生もした人です。
戦後、海沼実さんが作曲して世に知れ渡るようになりました。
戦時中には歌詞は4番までありました。
「大きく大きく なったなら 兵隊さんだよ 嬉しいな ねえ 母さんよ 僕だって 必ず お国を 護ります。」という歌詞でした。
全く秋とは関係ない詩ですね。
戦後引き上げ船が舞鶴などに着くたびにこのメロデーが流れたので全国にこの歌が知れ渡りました。
でもこの歌が千葉県成東で出来た歌だと知る人は少ないですね。

徳さんさま貴重なお話をありがとうございました。
千葉県から誕生しました素晴らしい童謡に町内カラオケ同好会に皆で歌いたいと思います。

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日本遺族通信 平成30年9月15日号 遺書と九段短歌

2018年09月15日 22時27分14秒 | 日本遺族通信

                        平成30年9月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

この度もお若いお方の遺書のご紹介をさせて頂きました。ご家族を思う真剣なお気持ちにとても23歳とは思えませんほどに本当に悔やまれます。
現在「元気で征きます。」の「征」の文字を書く人はいるでしょうか?悲しみがあふれます。残念!の他ございません。

全国から投稿されました多くのお歌の中から選者の安元先生に10名の方の鎮魂歌を選んで頂きましたのでご紹介させて頂きます。
今号には初めてお名前をお伺いしますお方が半数以上もおられますことに新鮮に真剣に学ばせて頂きました。(掲載順)

   親戚の最高齢におどり出て戦死の父を語る者なし         富山県 遺児女性
   戦没者の慰霊の法要脈々と繋ぎ遺児らの八月十五日           長浜市 遺児女性
   靖国神社で逢はむと逝きし若き父夢で逢ひたし秋の命日      山形県 遺児女性
   沖縄に納骨されし父を想い掌をば合わせるほおずきの月に     蒲郡市 遺児女性
   慰霊地で九段の桜吟ずれば熱き想いに涙あふるる         深谷市 遺児男性
   若妻に三人児託し征く父は二十七歳子は八十一となる         南相馬市 遺児男性
   シベリヤも夕陽真赤に沈みしか父に思い寄す手を合わせつつ    大阪市 遺児女性
   願うても叶わぬことと知りながら戦死せし父の姿求む      南相馬市 遺児女性
   襷かけ汽車の窓から手を振りし戦死せし父おぼろに浮かぶ     小諸市 遺児女性
   軍服の姿凛凛しきその影にわれ呼ぶ父の声聞こえくる       甲州市 遺児女性    

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日本遺族通信 平成30年8月15日号 遺書と九段短歌

2018年08月23日 16時01分50秒 | 日本遺族通信


                    平成30年8月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

お子様への限りない愛情のお便りに誠教様はこのお便りを握りしめて戦後を生き抜かれたことと存じます。
私より少し先輩に思いますが、私も1年生はカタカナを学び、2年生でひらがなを学びました。お互いに辛い戦後でございました。
誠教様がお元気にお過ごしの事をお祈り申し上げております。
平成30年、終戦から73年を迎えた8月15日(水)およそ310万人の戦没者を慰霊する政府主催の全国戦没者追悼式が東京の日本武道館で行われました。
平成最後となる式典には、全国から遺族の代表など6500人余りが参列しました。


天皇皇后両陛下が菊の花で飾られた式壇にお着かれになられたあと参列者全員で1分間の黙とうをささげました。

続いて天皇陛下が「さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。戦後の長きにわたる平和な歳月に思い
を致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼
の意を表し、世界の平和とわが国の一層の発展を祈ります」と平成最後のおことばを述べられました。 

戦争を知らない国民が多くなりました現在、悲惨な戦争の事実も遠い過去の事になりつつありますが、事実は事実として継承して参りたく考えております。
私たち遺族は命ある限り鎮魂の歌を詠み続けて参ります。
今号にも10名の遺族関係者の鎮魂の歌を掲載していただきましたのでご紹介させて頂きます。お目を通して頂けましたら幸に存じます。(掲載順)

  わだつみの無念知るべしソロモンの海鳴り夜な夜な浜にどよもす   富士吉田市 遺児男性
  野に立てば硝煙消えて草生(お)うる往時の兵の若き語らい        東京板橋区 遺児女性
  雨に覚め夢の涙を拭ひたる洋上慰霊水面の父に            南相馬市  遺児女性
  死ぬ事を見つけたりとて十八の少年やがては卒寿迎う         佐世保市  遺児男性(鳥海艦長ご子息)
  細腕で農と子供ら守りし母寡婦七十路を確と生きたり         南相馬市  遺児男性
  子の為と一人で生きし七十二年社会に感謝し父のみ許へ        甲州市   遺児男性
  旧仮名の兵(つわもの)の遺書しっとりと靖国の社になじみておりぬ  青森六戸町 田中恭子様
  朗々と祝詞ながるる神楽祭集える人等しんと声なし          鳥栖市   遺児女性
  月に一度慰霊碑のめぐり清掃す遺児なるわれら心ひとつに       一宮市   遺児女性
  父の日にプレゼントしてみたかった戦死の父の写真を見れば      小諸市   遺児女性 

九段短歌は長い休載でしたが6月号から開始されました。
おかげさまで6月、7月と連続掲載頂きましたが今号は掲載ならずでした。
しかし、お久しぶりに鳥海艦長ご子息田中暁様のお歌を拝見いたしお元気を確認できました事にとても嬉しく存じます。
7年前の洋上慰霊の折に「ふじ丸」船上に出合い2週間にわたるご厚誼を頂きました事を懐かしく思い出しております。
はるかに田中様のご健勝をお祈り申し上げております。         

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日本遺族通信 平成30年7月15日号 遺書と九段短歌

2018年07月18日 16時34分43秒 | 日本遺族通信


                   平成30年7月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

まだ22歳のお若いお方の遺書のご紹介となりました。
「あゝ吾は逝く、尊き犠牲の一人として 悠久の大義に生きん。」
とても残念なお気持ちが拝察されます。
戦後も遠くなりましたが、世界の恒久平和を願わずにはおられません。

「九段短歌」選者 安元 百合子先生のお言葉より
7月7日は昭和12年に虚溝橋事件が勃発した日。北支事変、支那事変、大東亜戦争と拡大のやむなきに至り、多くの尊い生命を失うことになりました。

   ふたつなき生命ささげて守るよりほかなきものか国のいのちは (昭和20.1 井上 孚麿秀歌集より

先生がご紹介くださいましたお歌は、あまりにも辛く悲しみがあふれます。とても残念です。合掌

1年9か月ぶりに再開されました九段短歌を紹介させて頂きます。
お目を通していただけましたら幸いに存じます。(掲載順)

   「後ろ髪引かれる思い」泣く我に想い遺せり父の手紙は      玉名市 遺児 女性
    豪雪にもめげず桜は満開に杉は元気に花粉を飛ばす            富山県 遺児 女性
    戦死せし父らを偲び亡母たちの建立せる碑の前にたたずむ       小諸市 遺児 女性
    残留死の身元特定の新聞に父の名は無し眠るは何処          大阪市 遺児 女性
    はるかなる五歳の記憶落さぬより抱きし父の骨箱軽ろし          青森県 田中恭子様
    空蒼くかく澄める日は聞こえぬか亡父の口笛「戦友」の歌       
鳥栖市 遺児 女性
    父思ふ心はるかに島国の椰子の葉影に光る白波            松原市 遺児 男性
    出征時の家族の写真みつけたり父の凛々しさ飽かずながめる         長浜市 遺児 女性
    燕さん父戦没のビルマから山河を超えて来たのかと問う      豊後高田市 遺児 女性
    亡き父も眺めたるべし南十字星パラオの空にわれ今あふぐ     千葉市 私
    靖国の桜今年も散りゆきて戦死せし父をひとり恋いをり      甲州市 遺児 女性

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日本遺族通信 平成30年6月15日号 遺書と九段短歌

2018年06月21日 01時56分06秒 | 日本遺族通信


                   平成30年6月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

今月もお若いお方の遺書のご紹介となりましたが、ご両親様をはじめ、姉弟妹様へのお別れのお手紙に涙があふれます。
戦後も遠くなりましたが、世界の恒久平和を願わずにはおられません。

九段短歌1年9か月ぶりに再開に新選者 安元 百合子先生のお言葉とお歌をご紹介させて頂きます。
今月より九段短歌を担当させて頂く安元でございます。
どうぞよろしくお願いいたします。
寄せられた多くの短歌を拝読し、亡き方への熱い思いに感動いたしました。
同じ世代を生きた私にとって胸に迫るものがございます。

   二つなき命捧げし英霊に斎(いつ)く心にみ歌えらばむ

   命もて皇(すめら)御国(みくに)を守りたる功忘れじよろづ世までも

先月、5月号に新選者 安元 百合子先生をお迎えして九段短歌再開のお知らせに再び学ばせて頂きたく早速投稿致しました。
そしてまちに待ったこの度の6月号の九段短歌掲載に感激!いたしました。
なぜならば、掲載頂きました歌はこの度の投稿歌ではなく、休載前、2年前に投稿しました歌でした。
長く大切に保存して頂いておりました事に日本遺族会ご担当のお方に感謝を申し上げました次第です。
久し振りの九段短歌ですので失礼をして掲載順に私の歌から紹介させて頂きます。

   いくへもの記憶の浮かぶ花霞靖国神社に深く額づく             千葉市 遺児  私
   忠魂碑遺児らの探す父の名は声すら知らず遺影想ひて                 浜松市 遺児男性
   あまたなる無名戦士を眠らせて千鳥が淵に秋の風たつ               桑名市 遺児女性
   戦死せし叔父の手紙の茶に褪せて確かな文字に水欲しとあり             南相馬市 遺族女性
   血の涙沁みたる父の島踏めば青々として鎮もりてをり                 青森県 遺児 田中恭子様
   日盛りの校庭(にわ)にかたまり玉音に嗚咽せしともがら共に老いたり       出雲市 遺児女性
   慰霊終え深夜の機にてまどろめばパプアの戦跡偲びて悲し           富士吉田市 遺児男性
   「海ゆかば」一人が歌へば皆続く戦中派われらの青春の歌             鳥栖市 遺児女性
   子の咳は大丈夫かと問ふ父の軍事郵便いまだ宝に                 甲州市 遺児男性
   激戦に還らぬ兄の戒名を毎朝拝み遺影に語る                   京都市 遺児男性
  

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日本遺族通信 平成30年5月15日号 遺書と九段会館跡地の件

2018年05月19日 13時31分02秒 | 日本遺族通信


        平成30年5月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

昭和20年9月24日中国にて戦死。合掌 
戦争終結直後の混乱に翻弄されたお若い大切な命が失われました、とても残念です。なんとか故郷に帰還して頂きたかったと今更ながらに思います一人です。

九段会館の建替え工事始まるの記事に、あれから7年、新たな出資者を迎え、「九段会館跡地 一部保存 建替え工事始まる」を拝見いたし、先般の3・11に九段会館倒壊によります犠牲者の
ご冥福をお祈り申し上げております。
平成34年完成との記事に見守ることができましたら幸いと思っております。

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日本遺族通信 平成30年4月15日号 遺書とお知らせ 2件

2018年04月17日 16時47分24秒 | 日本遺族通信


                                                     平成30年4月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

残念!特攻隊のお一人のお若いお方の命が天に召されました。「出撃寸前」のお気持ちはいかばかりでしたでしょうか?
戦いで得るものは皆無です。世界の平和を祈るばかりです。

お知らせの 1.毎年行われております「沖縄平和祈願慰霊大行進」について
お知らせの 2.「九段短歌」6月再開予定に5月初旬までに、できましたら4月中の投稿が望ましく思います。


「九段短歌」6月からの掲載は1年9か月ぶりに皆様のお歌を学ばせて頂きたく心待ちに致しております。

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