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独り居の充実ライフを求めて!

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日本遺族通信 令和4年1月15日号 遺書と九段短歌

2022年01月18日 23時00分27秒 | 日本遺族通信


                       令和4年1月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

昭和20年6月10日ミンダナオ島にて戦病死。とありますことにご両親様の悲しみは想像を絶することと存じます。
戦病死=餓死。戦争を知らない多くの皆様には想像もできないほどに悲劇です。敗戦前は、食べ物は全くありません。病気になっても医師はいなく薬もありません。
勿論お風呂なんてありません。南方のジャングルにはまだまだ多くの日本人が置き去りにされたままに泣いています。
開戦に熱くなった馬鹿者たちに怒るばかりです。毎月15日発行の遺族通信を読みます度に遺骨収集派遣隊員の皆様のご苦労に頭が下がります。
今号には11月26日硫黄島で14柱収集、千鳥ヶ淵戦没者墓苑に納骨とありました。合掌
「九段短歌」
今年は戦後77年を迎え、戦争の事実を知る国民も少なくなりました。
語り部も高齢になり悲惨な戦争の事実も忘れ去られるような昨今ですが、我々遺族の悲しみは永遠です。生ある限り鎮魂の歌を詠み、御霊を偲びたく思います。

しかし残念!選者の安元百合子先生が高齢になられました事に今月号で辞退されました。故に、2月号から新しい選者の先生が決定するまで休載のお知らせがありました。
今号にも「鳥海」艦長ご子息の佐世保市の田中暁様、友人の青森県の田中恭子様両名のお歌を学ばせて頂き、お元気にお過ごしの御事を拝察させて頂きました。
毎号多くの皆様に鎮魂の歌にお心を寄せて頂いておりますことに御礼を申し上げます。

                                                             安元百合子先生有り難うございました
投稿開始以来、令和3年12月号から16年めに入りました。今号で156首目(千葉市 嘉子)の掲載を頂き、励みを頂いておりました。
然し、選者の先生が高齢のために辞退されましたので、新選者決定までしばらく休載になります。
何とか200首を目指しておりましたのでとても残念に思っております。

この度掲載されました歌の素材になりました行事を過去のブログ(一部写真の紹介)より紹介させて頂きます。

                     千葉県護国神社に平和を願う書を奉納(千葉TV放映より)

 
            書道家の腰原佳恵先生                        桜林高校書道部の皆様と腰原佳恵先生と竹中啓悟宮司様

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日本遺族通信 令和3年12月15日号 遺書と九段短歌

2021年12月22日 21時42分46秒 | 日本遺族通信


                                  令和3年12月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌
「大晦日友に宛てた葉書」は21歳のお方の最後のお手紙になってしまいました。外地へ征く事に「意気天を衝くものがあります。」とは21歳のお方のことばでしょうか?
今なら考えられないのでは?とも思ってしまいました。洗脳された多くの若人の命を奪った戦争は惨酷の他ありません。残念です!ご冥福をお祈り申し上げます。合掌

「九段短歌」
今年は戦後76年を迎え、戦争の事実を知る国民も少なくなりました。
語り部も高齢になり悲惨な戦争の事実も忘れ去られるような昨今ですが、我々遺族の悲しみは永遠です。
生ある限り鎮魂の歌を詠み、御霊を偲びたく思います。
今号に「鳥海」艦長ご子息の佐世保市の田中暁様、青森県の田中恭子様両名のお歌を学ばせて頂くことができました事にお元気にお過ごしの御事を拝察させて頂きました。
毎号多くの皆様に鎮魂の歌にお心を寄せて頂いておりますことに御礼を申し上げます。

     

     投稿開始以来、12月号から16年めに入りました。今号で155首目(千葉市 嘉子)の掲載を頂き、励みを頂いております。

この度「猿島」の歌につきまして、選者の先生が説明を添えて下さいましたように「猿島」は横須賀市に属した東京湾内の唯一の無人島です。
平成30年10月29日、親しい友人の皆様と「猿島」を見学しました折の記録を綴ってありましたのでご覧いただけましたら幸いに存じます。

                          横須賀市 国指定史跡「猿島砲台跡」見学の旅 のご紹介           

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日本遺族通信 令和3年11月15日号 遺書と九段短歌

2021年11月16日 18時02分09秒 | 日本遺族通信

                                                    令和3年11月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

「遺骨帰らざる事もあるも、国家の為充分の御奉公をしたものと思ひ、喜ばねばならぬ。・・・」と、お書きになられました奥様への最期のお手紙、
こんなに悲しいお手紙があるでしょうか・・・戦争は残酷です。とても残念です。合掌

「九段短歌」
今号は初めて掲載されました多くの会員の皆様の作品に学ばせて頂きました。
従いまして「鳥海」艦長ご子息様、青森県友人の田中様、私の3人の名前が無いのは淋しく思いますが、多くの会員の皆様のご活躍をお祈り申し上げたく思っております。
戦後、我々遺児は多くの皆様の励ましを頂きながら生きてまいりました。今日の幸せに心から感謝申し上げております。
しかし、悲しみは永遠です。鎮魂の歌にお目を通していただけましたら嬉しく存じます。

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日本遺族通信 令和3年10月15日号 遺書と九段短歌

2021年10月16日 12時45分47秒 | 日本遺族通信


                                                    令和3年10月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

「遺書」にはご両親様への感謝と奥様に「短い期間ではあったが誰よりも可愛い妻として暮らした事は忘れられない。」とお書きになられました
ご主人様のお気持ちに奥様のお気持ちを考えますと涙があふれ、若かった母の姿を重ねてしまいました。
このような遺書を書きます事が将来絶対にありませんことを祈るばかりです。

「九段短歌」にいつもお心を寄せて頂きまして御礼を申し上げます。
何年か前までは妻の立場のお方の悲痛なお歌のご紹介でしたが、昨今は妻のお方のお歌は皆無になりました。
又掲載人数も極端に少なくなりとても残念に存じますが、全国の遺児・遺族の皆様とご一緒に英霊を偲び、投稿させて頂きたく思っております。
今後ともお目を通していただけましたら幸いに存じます。

「鳥海」艦長ご子息の田中暁様、友人の青森県の田中恭子様のお歌を拝見出来ましてご健勝にお過ごしの御事に嬉しく存じました。
「やんばるの森・・・」千葉市  嘉子(私の歌)は、おかげ様で投稿から15年目、今号で153首目の掲載を頂き励みを頂きました。

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日本遺族通信 令和3年9月15日号 遺書と九段短歌

2021年09月15日 18時14分14秒 | 日本遺族通信

 

                          令和3年9月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

お若いお方がご家族様に「敏雄は日本帝国軍人として恥ぢざる行動は絶対行ってこなかった。」とお書きになられました最後のお手紙にご家族の皆様の心中は如何だったことでしょうか。
残念です。どうぞごゆっくりお休みくださいませ。合掌
このような遺書を今後二度と書くことがないように永遠の平和をお祈りするばかりです。

「九段短歌」
今年は戦後76年を迎え、戦争の事実も遠くなりましたが、我々遺族の悲しみは永遠です。生ある限り鎮魂の歌を詠み、御霊を偲びたく思います。
今号に「鳥海」艦長ご子息の佐世保市の田中暁様、友人の青森県の田中恭子様両名のお歌を学ばせて頂くことができました事に、コロナ禍、猛暑の折にもお元気にお過ごしになられましたお姿を
思い嬉しく思っておりますところです。毎号多くの皆様に鎮魂の歌にお心を寄せて頂いておりますことに御礼を申し上げます。


 私は、千葉市 嘉子 「沖縄の平和の礎(いしぢ)・・・」ですが、令和3年6月23日沖縄慰霊祭の日は雨  でした。
お祈りをする手に涙と雨が降り注がれておりました遺族のお方のお姿にお心を寄せさせて頂きました。
投稿開始から15年め152首めの掲載を頂きました。

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日本遺族通信 令和3年8月15日号 遺書と九段短歌

2021年08月19日 15時19分44秒 | 日本遺族通信


                                                              令和3年8月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌
「遺言書」
天皇陛下の御ために戦死しました。とお父様に綴り始めた遺言書ですが「天皇陛下の御ために戦死しました。」に最初は「誰が書いたのか?」と、ドキッとしましたが、読み返しましたら
ご本人がお父様にあてた遺言書に悲しみがあふれました。ご冥福をお祈り申し上げます。合掌

「九段短歌」
今年は戦後76年を迎えました。
コロナ感染に留意され参列者は185名の過去最少に8月15日、天皇・皇后両陛下をお迎えして、全国戦没者追悼式が挙行されました。
妻の参列者は昨年はただお一人でしたが今年はゼロと報道されました。
母はもし健在ならば今年は102歳に、戦死の父と母に改めて思いを致しました。
我々遺族の悲しみは永遠です。鎮魂の歌を詠み、御霊を偲びたく思います。
毎号多くの皆様に鎮魂の歌にお心を寄せて頂いておりますことに御礼を申し上げます。


今号に「鳥海」艦長ご子息様の田中 暁様、友人の青森県 田中 恭子様のお歌に学ばせて頂きました。     
私は、千葉市 嘉子 「ドキュメントの・・・」ですが投稿開始から15年め151首めの掲載を頂きました。

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日本遺族通信 令和3年7月15日号 遺書と九段短歌

2021年07月15日 16時16分30秒 | 日本遺族通信


                                                    令和3年7月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

「万一生還の暁には、・・・」ご主人様も心から願っておりました事と存じますが、現実には奥様への最後のお手紙になってしまいました。
残念です!ご主人様のご冥福をお祈り申し上げます。
もしかして、今はご主人様とあちらの世界で語り合っておいででしょうか。
重ねてご冥福をお祈り申し上げます。合掌

「九段短歌」
今号も選者、安元 百合子先生にご指導頂きました10名の鎮魂の歌をご紹介させていただきます。
今年は戦後76年を迎え、国民の多くが戦争を知らない国民となりましたが我々遺族の悲しみは永遠です。
今号に洋上慰霊にご一緒させて頂きました「鳥海」艦長ご子息様、佐世保市の田中 暁様 94歳のお歌と共に友人の青森県の田中 恭子様のお歌を拝見することができました事にお元気にて
お過ごしのお姿に安堵いたしております。
私たちは命ある限り鎮魂の歌を詠み、永遠に御霊を偲びたく思います。
鎮魂の歌にお目を通していただけましたら幸いに存じます。いつも多くの皆様にご覧頂きまして心から感謝を申し上げております。


  投稿開始から15年め、今号で150首目(千葉市 嘉子)の掲載を頂き、励みを頂いております。

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日本遺族通信 令和3年6月15日号 遺書と九段短歌

2021年06月16日 19時35分01秒 | 日本遺族通信


               令和3年6月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

ご子息様の成長を見ることも無く「名誉の応召に依り喜び出立す。」のお手紙を拝受されましたご両親様、奥様のお気持ちは如何ばかりでございましたでしょうか。
とても残念に存じました。合掌

「九段短歌」
多くの投稿者の中からわずか10名の掲載に鳥海艦長子息 田中暁様、友人の青森県 田中恭子様のお歌を拝見できました事にご健勝の程に嬉しく存じました。
私たちは命ある限り鎮魂の歌を詠み続け、永遠に御霊を偲びたく思います。
鎮魂の歌にお目を通していただけましたら幸いに存じます。 


この度は、母から渡されました軍事郵便の一部から父がまだ生存中の手紙に母の気持ちを偲びました。
投稿開始から15年め、令和3年1月・2月・3月・5月・6月
15日号と掲載を頂き、今号で149首目(千葉市 嘉子)の掲載を頂き、励みを頂いております。

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日本遺族通信 令和3年5月15日号 遺書と九段短歌

2021年05月18日 00時22分01秒 | 日本遺族通信

   

                      令和3年5月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

「軍人の妻として覚悟は有りしと信ず」「良縁あらば結ぶべし」の最後のお手紙を手にされた奥様の悲しみはいかばかりだったことでしょうか。
靖国の妻となられました奥様の戦後がお幸せにお過ごしなられました事と信じながら私の母も親戚縁者のおかげで幸せと思えます人生を送ることができました事に思いを
重ねてしまいました。

「九段短歌」
多くの投稿者の中からわずか10名の掲載に鳥海艦長子息 田中暁様、友人の青森県 田中恭子様のお歌を拝見できました事にご健勝の程に嬉しく存じました。

私たちは命ある限り鎮魂の歌を詠み、永遠に御霊を偲びたく思います。鎮魂の歌にお目を通していただけましたら幸いに存じます。 


                                          148首目の掲載に感謝

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日本遺族通信 令和3年4月15日号 遺書と九段短歌

2021年04月16日 18時35分19秒 | 日本遺族通信


                                                  令和3年4月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

お母様への最期のお手紙、「何時おだぶつになるかも知れませんが、武人の覚悟だけは・・・失はぬつもりです故、御安心下さい。」とお母様へのお心遣いを述べられて
おります22歳の優秀な若人の命が・・・とても残念です。

「九段短歌」
今号には初めて掲載の新会員のお名前の多くの作品を学ばせて頂き、とても励みになりました。
従いまして「鳥海」艦長ご子息様、青森県の田中様、私と3人の名前が無いのは淋しく思いますが、多くの新会員の皆様のご活躍をお祈り申し上げたく思っております。
戦後、我々遺児が力強く生きてまいりました心のうちにお目を通していただけましたら嬉しく存じます。

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日本遺族通信 令和3年3月15日号 遺書と九段短歌

2021年03月16日 14時12分52秒 | 日本遺族通信


                                            令和3年3月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

お母様への最期のお手紙に多くの御礼のお言葉が述べられておりますことに冷たいものがこみあげてまいります。
ご家族の皆様の戦後のご平安をお祈りいたしました。

「九段短歌」
今号に洋上慰霊にご一緒させて頂きました「鳥海」艦長ご子息様、佐世保市の田中 暁様 93歳のお歌を拝見することが出来ましたことにお元気にお過ごしの御事と
拝察申し上げております。
しかし、友人の青森県の田中 恭子様のお歌を拝見することができませずに残念に思っております。
私たちは命ある限り鎮魂の歌を詠み、永遠に御霊を偲びたく思います。鎮魂の歌にお目を通していただけましたら幸いに存じます。 


      令和3年1月・2月・3月15日号と掲載を頂き、今号で148首目(千葉市 嘉子)の掲載を頂き、励みを頂いております。

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日本遺族通信 令和3年2月15日号 遺書と九段短歌

2021年02月17日 10時48分39秒 | 日本遺族通信


                      令和3年2月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

奥様への最期のお手紙に存じます。まだお小さい頃と思われますお子様方を気遣うお言葉に冷たいものがこみあげてまいります。
お子様方がお健やかにご成長されました事をお祈りするばかりです。

「九段短歌」
今号に選者 安元 百合子先生に「重巡「鳥海」はレイテ沖海戦で沈没しましたが、沈没から75年後の2019年5月5日に深さ5173mの海底で発見されたそうです。
艦と運命を共にされた英霊に心より祈りを捧げます。」と貴重なお言葉を頂きました。
洋上慰霊に参加の折に詠みました歌です。

    「お父さ~ん」と呼べど叫べど届かぬか海底の「鳥海」浮かびて来ぬか

以前、海没遺骨収集開始の記事を読み、「鳥海」が発見されます日を心待ちにしておりました私にとりましては大きな驚きと共に父への申し訳なさに心を痛めております。
当時の遺族通信を読み直しても記事がありませんでした。
しかし、ネットを開きましたら多くの皆様から「鳥海」お帰りなさい。ゆっくりお休みください。」等々のお言葉を寄せて頂いておりますことに御礼を申し上げながら拝読させて頂きました。
私も「お父さんお帰りなさい」を伝えました。
今号の「鳥海」艦長ご子息 田中 暁様(94歳)のお歌は、私を詠んで頂きました事に御礼を申し上げておりますところです。
又、友人の青森県 田中 恭子様のお歌にも学ばせて頂きました事を嬉しく思っております。
鎮魂の歌にお目を通していただけましたら幸いに存じます。


投稿開始から15年め、令和3年2月15日号で146首目(千葉市 嘉子)の掲載を頂き、励みを頂いております。

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日本遺族通信 令和3年1月15日号 遺書と九段短歌

2021年01月18日 20時53分53秒 | 日本遺族通信


                  令和3年1月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

「元旦の横須賀より」に「18年の新年にお雑煮を頂きました。」とお書きになられておりますが、19年の新年にはとてもお雑煮を頂くどころではなかったったのではと
想像しております。お兄様も軍隊にとお書きになっておりますが、お兄様の安否が気になります。
25歳の若き青年に残念!もしかしてお兄様も?と思いますと涙があふれました。このような遺書を今後書くことがないようにお祈りするばかりです。合掌

「九段短歌」
今年は戦後75年を迎え、国民の多くが戦争を知らない国民となりましたが我々遺族の悲しみは永遠です。
今号に洋上慰霊にご一緒させて頂きました「鳥海」艦長ご子息様、佐世保市の田中 暁様 93歳のお歌を拝見することが出来ましたことに
お元気にお過ごしの御事と拝察申し上げております。
しかし、友人の青森県の田中 恭子様のお歌を拝見することができませずに残念に思っております。
私たちは命ある限り鎮魂の歌を詠み、永遠に御霊を偲びたく思います。
鎮魂の歌にお目を通していただけましたら幸いに存じます。 

参考までに「幸」の「草書」文字です。    歌に詠みました文字は最初の を浮かべながら詠みました。

投稿開始から15年めを迎え、令和3年1月15日号で145首目(千葉市 嘉子)の掲載を頂き、励みを頂いております。
これからも戦死の父を偲び学んで参りたく思います。皆様のご指導の程、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

蛇足ですが、毎月15日発行に16日には配達されますが、確か「今年度から土曜日は配達なし?」と伺いました。
そのために16日(土)、17日()の2日間は、令和3年最初の掲載を祈りながら待ち続けました。

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日本遺族通信 令和2年12月15日号 遺書と九段短歌

2020年12月16日 21時33分30秒 | 日本遺族通信


                          令和2年12月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

お若いお方がお父様へ「来年3月、4月に帰る予定です」とお書きになられましたお手紙でしたが、お父様との面会もかなわず2月6日に戦死されました事に最後のお手紙に
なってしまいました。
ご両親様の心中は如何ばかりでございましたでしょうか。残念です!
このような遺書を今後二度と書くことがないようにお祈りするばかりです。合掌

「九段短歌」
今年は戦後75年を迎え、戦争の事実も遠くなってまいりましたが、我々遺族の悲しみは永遠です。
私たちは命ある限り鎮魂と思慕を詠み続けて御霊を偲びたく思います。
今号にも「鳥海」艦長ご子息の佐世保市の田中様、友人の青森県の田中様両名のお歌を学ぶことができました事にお元気のお姿を幸せに思い浮かべております。
ご紹介の鎮魂の歌にお目を通していただけましたら幸いに存じます。

令和2年は12月号で10首の掲載を頂き、投稿開始から144首目(千葉市 嘉子)の掲載を頂き、励みを頂いております。

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日本遺族通信 令和2年11月15日号 遺書と九段短歌

2020年11月17日 09時14分36秒 | 日本遺族通信


                         令和2年11月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌

「絶筆」とお書きになられましたご子息様の遺書を手にされましたご両親様のお気持ちは如何ばかりでありましたでしょうか。合掌
今のお若い皆様には「男児の本懐」の意味がおわかりになりますでしょうか?
「男児の本懐」に多くの皆様が尊い命を失いました。戦後75年を迎え、悲惨な過去の事実も遠くなりました。世界の平和を心から願う者です。

「九段短歌」
今年は戦後75年を迎え、戦後も遠くなりましたが我々遺族の悲しみは永遠です。鎮魂の歌を詠み、御霊を偲びたく思います。
今号には「鳥海」艦長ご子息の佐世保市の田中様、友人の青森県の田中様両名のお歌を学ばせて頂くことができました事にお元気なお姿を嬉しく思います。
鎮魂の歌にお目を通していただけましたら幸いに存じます。


今号の私の歌(143首目)は、8月15日号に掲載されました「鳥海」艦長ご子息様、佐世保市の田中 暁様のお歌
         藤波に移りし部下を見届けて父上安堵し艦と沈みぬ
を拝読いたし。
2011年、洋上慰霊にお会いしました折りに、「あなたのお父さんは「藤波」に移乗後の戦死なので、父と戦死日が異なります。」

とお話を伺いましたことに10月25日の戦死は田中艦長様お一人に改めて田中様のお歌に偲ばせて頂きました。
父の戦死は昭和19年10月27日と記録されております。

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