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令和元年度 千葉市遺族会親睦旅行 (午後の見学)

2019年12月08日 13時58分12秒 | 遺族会関係の旅

3.筑波海軍航空隊記念館見学   (動画) https://www.youtube.com/watch?v=9pn3ZCsVt8o 


                 パンフレット                           旧司令部庁舎【記念館】

旧司令部庁舎【記念館】(パンフレットより)
1938(昭和13)年に建てられ、海軍航空隊司令部庁舎が、ほぼ当時の姿のまま現存しています。
「永遠の0」の撮影現場にもなりました事を伺いました。
詳しくは動画をご覧いただきたく思います。

「展示紹介」の一部を収めてまいりました。
 
           数々の撮影に使われる指令室                       「永遠のO」再現ロケセット

※ロケ地としての需要
旧軍の史跡で撮影できる場所は全国的にも貴重ということで、多くの映画・ドラマ等のロケ地として活用されており、映画やドラマのファン層や 若い世代にも知るきっかけを
作っています。


※最初の「特攻志願者」が生まれた地
 
           特殊攻撃機「桜花」22型                          零戦の後ろ部分  1

 
               零戦の後ろ部分  2                          回収された零戦の説明

  
           「赤トンボ」と呼ばれた特攻機                           医務室の再現

4.お菓子夢工場 「お菓子の広場・亀印本店」「吉原殿中実演工房」「お菓子博物館」の3つの施設からなる「お菓子夢工房」です。
  「吉原殿中」は「ごかほ」です                 以上は子どもたちの家族へのお土産です

5.予科練平和記念館見学(館内は撮影不可)  https://www.yokaren-heiwa.jp/ 

         予科練平和記念館建設の目的 | 霞ヶ浦海軍航空隊と予科練 | 海軍航空隊周辺の状況

「海軍飛行予科練習生」及びその制度の略称で、第一次世界大戦以降、航空機の需要が世界的に高まり、欧州列強に遅れまいとした旧海軍が、より若いうちから基礎訓練
行って熟練の搭乗員を多く育てようと、昭和5年に教育を開始しました。

14才半から17才までの少年を全国から試験で選抜し、搭乗員としての基礎訓練をするもので、飛行予科練習生制度が始まってから、終戦までの15年間で約24万人が入隊し、
うち約2万4千人が飛行練習生過程を経て戦地へ赴きました。
なかには特別攻撃隊として出撃したものも多く、戦死者は8割の1万9千人にのぼりました。 


             予科練平和記念館                           予科練雄翔館                  

※「予科練平和記念館」は「空を感じる空間」を用いて、「空」を見せることを大切にしています。
   変わらぬ空の風景から、当時の少年たちの気持ちや現在の平和な世界のことを考えてみてほしい。
※「予科練雄翔館」は、予科練戦没者の遺書・遺品約1700点を収蔵、展示しています。
   予科練出身者、遺族などで構成される公益財団法人海原会が管理し、1968年(昭和43年)に開館しました。(以上はパンフレットより)

12月と言えば我々遺族は悲しく忘れられない8日を思い出します。
2日前の6日は曇り空に覆われ、車中から富士山を眺めることも、筑波山の美しく彩っておりましたでしょう山々を眺めることはかないませんでしたが、33名全員が健康を
害することもなく、無事に日程を終了することができました。
戦死されました多くの若人の御霊に哀悼の誠を捧げ、戦死した父をも重ねながらの追悼の1日を過ごすことができました。
高齢化が進み参加者募集も大変になって参りましたが、次年度も多くの皆様と親睦を深めることができますことを祈りながら散会と致しました。

「追記」最後のお土産は水戸と言えば「水戸納豆」わらで包まれている特別な包装です。
ガイドさんから「残念ながら千葉のわらは許可されていない。」と説明がありました。
 


昭和20年の終戦から、平成、令和と時代も移り戦後も遠くなりました。
過去の悲惨な戦争の記録・お写真を拝見して新たな悲しみを覚えました旅となりました。
永久の平和を祈りながら紹介をさせて頂きましたが、多くの皆様にお訪ね頂きました事に心から御礼を申し上げます。
感謝の気持ちを保存させて頂きます。
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4 コメント

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Unknown (matsubara)
2019-12-09 09:20:59
動画を拝見しまして、永遠のゼロの映画を思い出しました。
素晴らしい旅行でしたね。
写真の中には白木さんはおられるのでしょうか。姿が
見えるような、見えないような・・・

参加された方も多くて盛大でしたね。
返信する
予科練 (徳さん)
2019-12-09 17:10:26
「予科練」という言葉を今の人たちはどう捉えるでしょうか。我々の子供時代は憧れの的でした。「七つボタンに桜に錨」今回は貴重なたびでしたね。
「同期の桜」「予科練の歌」は高齢者施設ではよく歌われています。
今ある平和がありがたいですね。
返信する
matsubaraさま (oko)
2019-12-09 17:25:30
お訪ね頂きましてありがとうございます。
この度は遺族会の旅でしたので、白木さんはいらっしゃいません。

白木さんとは歴史倶楽部の新年会にお会い致します。

詳しくご紹介できませんが、展示品、お若い皆様のお写真などに胸が詰まりました。
返信する
徳さんさま (oko)
2019-12-09 17:43:21
お訪ね頂きましてありがとうございます。
「筑波海軍航空隊」は最初の「特攻志願者」が生まれた地」と初めて学びました。

「海軍航空隊」・「予科練」も難関を突破しての合格は耳にしておりましたが、
若人の皆様の凛々しいお姿に胸が詰まりました。

夫の兄は昭和2年生まれですが、千葉中から予科練に入り生きて帰りました。

その後の医学への道は大変だったことを聞いておりますが、千葉大の門をたたくことができました。
四街道で40余年間開業して83歳で亡くなりました。
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