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独り居の充実ライフを求めて!

ご訪問を頂きまして有り難うございます

『月見草』 短歌通信 第28号 のご紹介

2016年12月20日 23時25分12秒 | 短歌

 

               ブログ「つきみそう」のご紹介  http://blog.goo.ne.jp/tsukimiso17

毎号、2頁にはプロの歌人の作でない歌を紹介していますが、今回は湯川秀樹博士の短歌。昨年は村岡花子。一昨年は棟方志功でした。
こういう記事は、他の結社では書いていません。

                       越の国に人は移りぬ北山に春淋しくも残る薄雪     湯川秀樹

いつもお世話になっております岐阜県にお住まいの大切な友人から短歌通信『月見草』第28号を  頂きました。
matsubara様の《作品鑑賞》の頁をご紹介させて頂きました。

以上にご紹介の『月見草』の素敵な題字はmatsubara様、平成元年が創刊と伺いましたので、平成28年は第28号の作品集です。
「表紙絵作者の谷様の第28号の表紙はチゴユリ。まだ一度も見たことのない幻の花です。絵を描いて下さる谷さんの家に咲いていたもの。
 でも今年は枯れてしまい、こうして絵に残しておいてよかったそうです。」とお言葉を添えられております。

ご紹介のmatsubara様にご指導を頂き、『月見草』の貴重な紙面に未熟な歌を加えて頂けます幸せに感謝を申し上げましてご紹介させて
頂きました。

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平成28年12月 短歌会及び忘年会

2016年12月09日 00時59分42秒 | 短歌

1年間ご指導を頂きました先生を囲んで短歌のお仲間8名の皆様と、いつもの公民館から場所を変えて歌会と忘年会を行いました。
先ずは1人2首提出の16首について厳しい?ご指導を頂きましたが、後はホットして美味しいお料理に舌鼓を打ちました。

   今月の秀歌 ガラス瓶に入れをきし侭のコリュウスに根が生へし糸の如くからまる MIさま

            ラ・フランスきりり喰みたり霜月の破れ障子に初雪を見る         YOさま


                千葉市若葉区「一幸」                       美味しかった彩りコース 

先生から嬉しい?  を頂きました

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『海が消えた』 陸前高田と東日本大震災(ご紹介) 

2016年08月03日 19時41分04秒 | 短歌

ご紹介の著者は、歌友Sさんの従弟さんです。

第一章 高田松原と奇跡の一本松
 奇跡の一本松との出会い
 東日本大震災後、陸前高田を全国的に有名にしたのは高田松原周辺で唯一残った奇跡の一本松だった。
 翌2012年2月、奇跡の一本松の近くに、こんなこんな立て札が現れた。
 「一本松の願い、少し休みます。枯れても切らないでね。変わったかたちで甦りますから」
 だれがこの立て札を立てたかはわからなかったが、奇跡の一本松に希望と勇気をもらった陸前高田市民のひとりと推測される。
 市民の多くが奇跡の一本松の行方を心配していたのである。・・・ に始まり

   津波バイオリン http://mainichi.jp/classic/articles/20160501/ddl/k25/040/316000c

「津波バイオリン」は東京のバイオリン製作者、中澤宗幸さんが津波の惨禍に突き動かされて作った。
響きを左右する胴内の魂柱(こんちゅう)には岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」の部材が使われ、裏板に一本松の絵が描かれている。
これまでに4丁作られ、世界で演奏リレーされているという。 (HPより転載)

第二章 それぞれの大震災
 画家として再出発 鷺悦太郎氏(著者の友人) http://sagiwebgallery.life.coocan.jp/profile.html ・・・に始まり

第三章 死者を悼む
 東日本大震災でSさんのお兄さんをはじめ、多くの親戚知人を失った現実に向かい合い、悲しい記憶を辿りながら後世のために記録を
 綴られておられます。

第四章 宮沢賢治と大船渡線
 一ノ関駅から大船渡線に乗って約30分。陸中松川駅で降りると、すぐ近くに「石と賢治のミュージアム」がある。
 かって宮沢賢治が晩年に働いた東北砕石工場の内部を見学でき、賢治が働いたようすを伝える展示もある。
 「石っこ賢さん」を呼ばれたほど石が好きだった賢治だが、この博物館は鉱物関係の資料も充実している。
 「石と賢治のミュージアム」としてオープンしたのは1999年(平成13年)4月3日のことだ。・・・と綴られ、
原敬と大船渡線などなど
 歴史上の人物との関わりも教えてくれる著書でした。

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鶴岡美代子先生が 『斜 度』 を上梓されました

2016年07月27日 15時47分11秒 | 短歌

 

指導者 鶴岡美代子先生のご紹介                      お歌一部ご紹介 
昭和19年 群馬県前橋市に生る                
昭和61年 「輕雪」入会、土屋正夫に師事                    欠席の通知をだして騒ぐ胸老いゆくこれから慣れねばならぬ
現在「輕雪」編集発行人、選者
現代歌人協会会員                            紅葉の山のをちこちにダケカンバ裸となりて白炎と立つ
昭和19年の会会員                        
十月会会員                                  青空に白波のごと飛ぶ鷺のひるの満月に吸はれゆきたり

日本歌人クラブ会員
NHK学園講師                           だれもだれも事伝へ聞くそれだけで受話器のむかうことばをなせず
著書 歌  集 『蓮』(れん)      (平成9年)                               (悼 小高賢氏)
    歌  集 『宇宙方程式』     (平成12年)         くしゃくしゃの花弁を二日ととのへて芍薬くれなゐの大輪となる
    随聞記 『書斎の会話ー歌人土屋正夫』 (平成13年)
    評論集 『道はひとつー土屋正夫の歌』  (平成16年)
    歌  集 『緑風抱卵』      (平成18年)
    歌  集 『日付変更線』     (平成23年)
    歌  集 『第一歌集文庫「蓮」 (平成26年)
    歌  集 『斜度』         (平成28年)

短歌をご指導頂いております鶴岡美代子先生が歌集『斜度』を上梓されましたので、ささやかなお祝いの会を致しました。

     平成28年7月27日(水) 於 一幸(千葉市若葉区) 13:00~15:00 参加者 9名

皆様は、それぞれに感想を述べあい、学びあり、笑いありに懇親を深めながら先生の益々のご繁栄とご健勝をお祈り申し上げ、今後ともご指導頂きたくお願い申し上げました。

私は感想と申しますよりは、 あとがきの前文にもお書き下さいました 「下総三山の七年祭り」 のご案内に多くのお歌をお詠み頂き、故郷の思い出に感謝を申し上げました。

 「七年祭り」の歌三十首より十首ご紹介

      六百年つづく祭りと聞けばなほ石女の婆身を小さくする

      黄金の瓔珞(やうらく)めぐりにゆらぎゐる神輿は七年祭り用とよ

      背には「は」の字赤く染め抜くお揃ひの法被はけふの空より青し

      しろぬりの稚児、警児(けいじ)の集まれり手を引く母らも晴れ着に明かし

      きらびやかな神輿の渡御(とぎょ)に住民の意気最高潮 おひねりの降る

      御捻りの次々降れる辻に来て神輿は慣ひと二度三度もむ

      かつて浜たりし一画残されて安産神事執り行はる

      竹矢来(たけやらい)の竹の緑と黒土の御塚の法(のり)のともにつややか

      父母産婆子守りの役の四つ神輿載る御塚も四つ造らるる

      七歳の女男が盥のなかに立ち夜の満潮時にハマグリ交はす (礒出式) 

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平成28年5月『輕雪』 千葉歌会「洸の会」学習会

2016年05月27日 22時30分26秒 | 短歌

           日   時 5月25日(第4水)午後1時~4時
           講   師 『輕雪』編集人 鶴岡 美代子先生
            参 加 者 8名

短歌雑誌 『輕雪』 千葉歌会「洸の会」学習会は、編集人 鶴岡美代子先生 のご指導の元、毎月第4水曜日に行われております。
参加者は学習会の10日前までに責任者に2首提出し、プリントされた全員の作品は学習会の1週間前に受領して作品の感想、批評ができますように学びます。
会のはじめは先生からいろいろとご指導を頂きますが、この度は「受贈歌集歌書紹介の書き方」について、あらすじではなく著者の気持ちをくみながら書くようにする
ことなどをご指導頂きました。

そして歌会開始です!先生から指された方が次々に「この部分は観察が鋭く素敵!この部分は言葉が重なっている!この助詞は?・・・」と
活発な意見が交わされ、最後に先生のご指導を頂きます。

この度の提出作品に「東京都美術館」にて4月22日~5月24日まで開催されました伊藤若沖展見学の歌を詠まれたお方がおられ、分厚い作品集を拝見させて
頂きながら貴重なお話を伺う事が出来ました。

              三幅の仏画の仏若沖の父母おもはせておだやかに笑まふ Yさま

                   伊藤若沖展  http://jakuchu2016.jp/


今月の秀歌      
露ふふむ藤の花房手にとれば僅かばかりの重さ伝へ来   Yさま (若沖展を詠まれたお方)

           水張田に谷川岳の影映り一陣の風頂き揺らす        Aさま

           八重洲口の風力発電の常夜灯わずかな夜風に競ひて回る   Fさま

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短歌結社「輕雪」の皐月集に掲載いただきました

2016年05月14日 01時43分03秒 | 短歌

                  戦没者遺児による慰霊友好親善事業 終戦70周年記念洋上慰霊に参加して (5-1)

上記に紹介の「洋上慰霊」平成28年3月1日~10日までの思い出を詠みました作品が皐月集に掲載を頂き、とても幸せに励みを頂きました。
お目を通して頂けましたら幸いに存じます。

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『モンキートレインに乗って72』 昭和十九年の会アンソロジー(歌集)を頂きました

2016年05月09日 00時02分46秒 | 短歌

     

昭和19年生まれの参加歌人45名の皆様が一人30首+エッセイの素晴らしい作品集を頂きました。
著者代表 大島史洋先生。
我が師 鶴岡美代子先生は「足尾」と題して30首、エッセイは「渡良瀬川に大量の魚が浮かんだ」と、或る日中学校の社会科授業で教わった。
原因は足尾銅山の鉱毒で、その一帯は農作物が芽さえ出なくなって田中正造という人が先頭に立って鉱毒反対運動をしたという内容であった。
と書き始め「五十五年目にして」と題して訪れた様子を克明に記され、お歌と共に改めて学ぶことが出来ました。
先生のお歌一部ご紹介

        最初の一首 かつて銅を運びし鉄道の乗客となりて渡良瀬渓谷をゆく

              坑夫らの十軒長屋の幾棟の朽ちつつ残る 厨は戸外

              禿山を背に二つの巨大タンク今も硫酸容れたるままに

              正造の幼日を知るさるすべり旧宅の庭にわれらを迎ふ

              財閥と権力に抗ひ私財をも投げ出し田中正造果てたり

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佐藤佐太郎研究資料室を見学致しました

2016年04月19日 22時18分25秒 | 短歌

              
                         展示書画の資料は6頁にわたって詳しく説明されておりますその1頁めのご紹介


                 佐藤佐太郎先生のご紹介(資料より)                             入館(500円)券のご紹介 

              佐藤佐太郎研究資料室のご紹介  http://www.kanda-jimuki.net/sato-satarou.htm

短歌をご指導頂いております鶴岡先生から、「是非、見学をして頂きたい!」と以前よりお話を頂いておりましたので、この度お伺いする事が出来ました。
友人と「わ~素晴らしい!」の第一声でした。
素敵な趣のあります絵、現代詩文書のお手本のような書
作品も多く飾られ、先生を歌人でありますことを忘れさせますかのような多種にわたる会場狭しの作品展示に感動致しました。
志満奥様も歌人でお出でですが、美智子妃殿下との交流を物語ります妃殿下が奥様に詠まれましたお歌のご紹介と妃殿下がお葬儀に参列を賜りましたお姿のお写真のご紹介も拝見することが
出来ました。

京成線「ちはら台」駅下車5分の交通の便も良く、HPのご紹介と共にご紹介させて頂きました。

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「厳島神社」の御朱印を頂きました

2016年04月15日 00時09分54秒 | 短歌

大切な短歌の先輩から「宮島の思い出」 の絵はがきにお言葉を添えて「厳島神社の御朱印」を頂きました。
お優しいお心遣いに感謝を申し上げ、御朱印をご紹介させて頂きます。岩津様、誠に有り難うございました。

「岩津様より」 先日の帰郷の旅に、卒寿を迎えた姉と宮島に行きました。
厳島神社であなたの平安とご健康を祈り御朱印を頂いて来ました。
外国の方も多く並んで御朱印を頂いておりました。
あなたは、江田島にいらっしゃったとの事でしたので、宮島にいらっしゃったのではないでしょうか。
宮島の桜は丁度満開で素晴らしい景色を堪能することが出来ました。
おかげ様で無事に帰宅しましたのでお届け致します。


 (絵はがきより)        (頂きましたパンフレットより)           頂きました御朱印

島の14%が世界遺産(説明と写真はHPより頂きました)
推古天皇即位の6世紀末に創建し、12世紀に時の権力者であった平清盛が現在の姿を確立したという嚴島神社。
沖合いに立つ大鳥居は平安時代から数えて8代目のもので、1875年に完成したもの。
寝殿造りの嚴島神社をはじめ、大鳥居が建つ前面の海、および背後の弥山原始林を含む島の14%が1996年(平成8年)12月に世界文化遺産に登録されています。
海上に立ち、背景の山模様と一体になった景観が雅な世界を織り成しています。

厳島神社(いつくしまじんじゃ)は、広島県廿日市市の厳島(宮島)にある神社です。日本全国に約500社ある厳島神社の総本社。
厳島神社のある厳島(宮島)は俗に「安芸の宮島」と呼ばれ、「日本三景」の一つです。「平家納経」で有名。
厳島神社の平舞台は、四天王寺(大阪市天王寺区)の石舞台、住吉大社(大阪市住吉区)の石舞台と共に「日本三舞台」。
高さ16メートルの大鳥居(重要文化財)も春日大社(奈良県)と気比神宮(福井県)の大鳥居に並ぶ「日本三大鳥居」。


        厳島神社の位置                 厳島神社・大鳥居                   厳島神社・廻廊

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平成27年度 NHK全国短歌大会開催される (TV放映よりご紹介)

2016年02月07日 00時36分08秒 | 短歌

                 平成27年度 NHK 全 国 短 歌 大 会 開 催
       日 時 
平成28年1月23日(土) 午後1時から 気温

       会 場  NHKホール 
       NHKEテレ放映日 2月6日 (土) 午後3時 ~ 4時14分 による記録です。 


一般の部は、題詠「一」、自由題合わせて22,646首寄せられました。第一次選考にて入選は4,831首が決定。
その中から、特選として、題詠13首、自由題 29首が選出され、最後に大会大賞 5首が決定されます。


     以上は題詠「一」の特選のみの一部よりご紹介させて頂きました。

近藤芳美賞について
歌人、近藤芳美氏は、美しい相聞歌から歴史と対
峙した批評精神にあふれた幅広い多くの作品を残し、半世紀にわたり歌壇に寄与されました。
短歌がより大きな広がりをもって皆様に親しまれるため、生誕100年を迎えた1昨年「近藤芳美賞(新作15首)を新設いたしました。
3回目となる今大会には436組、6,540首の作品が寄せられました。(解説より転載)
 

岡井 隆先生選にあたって
バイオリンを20年ぶりに弾く事になった70代の作者は、バイオリンを擬人化しています。
タイトルは11首めの歌からきているが、バイオリンの弓を歌っていて美しい。

 11首め モンゴルの白馬の尾の毛張られたる弓は草野をわたる風生む




大会大賞の5首は「平成27年度文部科学大臣賞」の候補作品となります。と説明がありました。
小林圭子様の作品は佐佐木幸綱先生他2名の先生が選をされました素晴らしい作品と鑑賞させて頂きました。
作者は視覚障害者のボランティアのお仕事をされておりますときに大切な「諸橋大漢和辞典」に出会いました経験を詠まれたそうです。

 「諸橋大漢和」とは= 全15巻計2万頁に、親文字5万字と熟語53万語を収録した、世界最大の漢和辞典(字典)です。
諸説ありますが全部で5万数千字あると言われる、漢字の ほぼ全てを調べることができる辞典と言えます。(HPより)
 


平成28年度のお題は「風」と発表されました。投稿できますように努力を重ねて参りたく考えております。


結社及び知人の入賞・入選歌のご紹介

岡井   隆選 
 
秀作 会釈してすれちがう間にひとつかみの茗荷頂く路地の夕暮    大屋   まさ様

栗木 京子選
 
秀作 工場へ幼きわれが届けたる赤紙一枚に父は還らず         岡澤 ひで子様

染野 太郎及び小島 ゆかり選
 
佳作 工場へ幼きわれが届けたる赤紙一枚に父は還らず         岡澤 ひで子様

入選のみは都道府県別に掲載されます。

千葉県 白き髪にいずれも似合う姑(はは)よりの着物をあてる夜の姿見  大屋  まさ様

私は、今年も昨年同様入選のみですが、22,646首の応募作品から4,831首の1首に選んで頂きましたことに感謝を申し上げております。
作品集に掲載して頂きましたのでお目を通して頂けましたら幸いに存じます。

千葉県 遺児といふ偏見背負ひて生き来しもいま掌の皺は「幸」の草書文字 私の歌

この度は毎年入賞、入選を重ねてお出での先輩の皆様方のお名前が無く、とても淋しく、残念に存じました。

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短歌結社「輕雪」の睦月集に掲載をいただきました

2016年01月17日 21時36分41秒 | 短歌

                    2015年11月02日 下総三山の七年祭り大祭本番のご紹介


        神揃場に集まった九基の御神輿と大勢の観客                                 御神輿の先導をする子安神社氏子52名の男女の稚児行列


                1000本余の真竹で設えた竹矢来、磯出式を行う産屋ですがこの地は海でした

友人の歌よりご紹介

   ビル群の幕張新都は埋立地旧き幕張海を失ふ
   埋立てて海は四キロ先なれど磯松残る磯出御旅所
   磯出式の四つの御塚と竹矢来古式を守る氏子の誇り
   かつて浜たりし一画残されて安産神事執り行はる
   七歳の女男が盥のなかに立ち夜の満潮時にハマグリ交はす(磯出式)

ご紹介の「下総三山の七年祭り」に、教室の皆様をご案内して吟行会を行い、各人が思い思いの歌を詠むことが出来ました。
この度発行されました「
雪」の睦月集に推薦をいただきましたので思い出に綴りたく存じます。
                               
 
                                

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『月見草』 短歌通信 第27号のご紹介

2015年12月24日 18時54分20秒 | 短歌

        
先ずは《作品鑑賞》の頁の訂正箇所の件です。
 実は、「・・・楫の音もせむ」ではなくて「・・・楫の音もせず」でした。

 肝心な歌を間違えてすみませんでした。と、ご連絡を頂きましたので、申し添えさせて頂きます。

いつもお世話になっております岐阜県にお住まいの大切な友人matsubaraから短歌通信『月見草』第27号を拝受致しました。
matsubara様の《作品鑑賞》の頁をご紹介させて頂きました。

 以上にご紹介の『月見草』の素敵な題字はmatsubara様、平成元年が創刊と伺いましたので、平成27年は27号の作品集です。
表紙絵作者の谷様は、考案するにも、白い花を選ぶ楽しみもあり、アイディアも湧くそうで安心しました。と、語って居られます。
今号には素敵な「にりんそう」を描いてくださいました。


ご紹介のmatsubara様にご指導を頂き、『月見草』の貴重な紙面に未熟な歌を加えて頂けます幸せに感謝を申し上げましてご紹介とさせて頂きます。

参照
「にりんそう」につきましては千葉市泉自然公園にて大切に管理されておりますことを伺い、以前友人達と訪ねました。
未熟な写真ですがご紹介させて頂きます。

「にりんそう」の花
とても可憐なお花。陽光があればきれいに開花するそうです。
 
未熟な写真ですが、千葉市泉自然公園にて 2007年04月06日  に撮影しました「にりんそう」です     

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「輕雪」千葉歌会 (洸の会) 9月の学習会

2015年09月24日 16時49分23秒 | 短歌

                    糸瓜忌(へちまき)
                    (正岡子規の命日)

へちま三句  ↓

  ・糸瓜(へちま)咲て痰(たん)のつまりし仏かな

 ・痰一斗(たんいっと)糸瓜の水も間に合はず

 ・をととひのへちまの水も取らざりき


病気と闘いながら文学活動を続けた正岡子規は

明治35年9月19日に東京の子規庵で亡くなりました。

寝たきりの子規は、家族や仲間に助けを借りて

死の数時間前に上の三句を書き残します。

どれもヘチマの句だったので「ヘチマ三句」と呼ばれ

このことから子規の命日9月19日を「糸瓜忌(へちまき)」と言います。

      上記ご紹介のHP  http://home.e-catv.ne.jp/hanatori/hetima.htm
         

短歌雑誌 「輕雪」 千葉歌会 「洸の会」 学習会は毎月第4水曜日に行われます。
9月23日(第4)午後1時から若葉区千城台公民館において開催されました。
この度は、先ず9月30日(第5水)正岡子規のへちま忌開催中の「子規庵訪問」に正岡子規について講義を頂きました。

以下は先生の資料及びHPからの転載
喀血したことから、「鳴いて血を吐く」[2]と言われているホトトギスと自分を重ね合わせ、ホトトギスの漢字表記の「子規」を自分の俳号とした。
1897年(明治30年)に俳句雑誌『ホトトギス』(ほとゝぎす)を創刊し、俳句分類や与謝蕪村などを研究し、俳句の世界に大きく貢献した。
漱石の下宿に同宿して過ごし、俳句会などを開いた。

短歌においても、「歌よみに与ふる書」を新聞『日本』に連載。古今集を否定し万葉集を高く評価して、江戸時代までの形式にとらわれた和歌を非難しつつ、根岸短歌会を主催して短歌の革新に
つとめた。根岸短歌会は後に伊藤左千夫長塚節岡麓らにより短歌結社アララギ』へと発展していく。

やがて病いに臥せつつ『病牀六尺』を書いたが、これは少しの感傷も暗い影もなく、死に臨んだ自身の肉体と精神を客観視し写生した優れた人生記録と、現在まで読まれている。

同時期に病床で書かれた日記『仰臥漫録』の原本は、兵庫県芦屋市虚子記念文学館に収蔵されている。

 子規は詩の世界にも専念することとなり、1897年(明治30年)に俳句雑誌『ホトトギス』(ほとゝぎす)を創刊します。
ホトトギスでは、夏目漱石の『坊っちゃん』『吾輩は猫である』が発表されるなどして話題を呼び、大正、昭和初期において、俳壇の中心的な雑誌として、隆盛を誇ります。
夏目漱石と子規とは生涯の親友で、イギリスに留学した漱石は、闘病生活を続ける子規を慰めるために、ロンドンでの暮らしについて語った手紙を送っています。
子規はこれを非常に喜んで『倫敦消息』という題名を付けて、ホトトギスに掲載しました。

しかし、その身体は日に日に弱っていき、死の1年前の1901年、ロンドンで英文学の勉強を続ける夏目漱石に
「ぼくはもうだめになってしまった。毎日わけもなく号泣しているような次第だ。
……ぼくはとても君に再会することはできないと思う。……じつはぼくは生きているのが苦しいのだ」
という自らの悲痛な心境を綴った手紙を送っています。
そして、34歳の若さで、漱石に再会することなく、この世を去りました。

偶然にも書道9月月例作品「ペン字」の部の課題が『病牀六尺』よりであったことも学びの大切さを感じました。

ペン字課題『病牀六尺』より  悟りという事は如何なる場合にも
               平気で死ぬる事かと思っていたの
               は間違いで、悟りと云う事は如何
               なる場合にも平気で生きて居る事であった。
今月の秀歌(悲しみの歌)より 
      ハンセン病ゆゑに母と別れしは九歳と八十歳(はちじゅう)の眼はしだいに潤む (ハンセン病療養所 草津栗生楽泉園(くりうらくせんえん)を訪ねて)
                                                                                                                                           
    
先生よりハンセン病を「やまひ」と詠むことは×です。字余りでも「ハンセン病」とはっきり詠むこと。 

   再現の重監房の体験す鍵の音響き闇の迫り来                     (ハンセン病史料館見学にて) 

この度は、ハンセン病療養所 草津栗生楽泉園を見学されたお方から資料を拝見致しながら説明を頂き、初めて知る多くを学ぶことが出来ました。
どうぞ、ご紹介のHP他をご一読して頂けましたら有り難く存じます。

      重監房史料館   http://sjpm.hansen-dis.jp/facility/ 

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歌人 土屋正夫先生 生誕100年記念墓参吟行会 2-2

2015年08月02日 12時55分52秒 | 短歌


      創刊 昭和34年1月  題字 石川 蒼丘氏         『輕雪』を創刊されたありし日の土屋 正夫先生

土屋先生のご紹介(現編集発行人鶴岡先生の弔辞より一部転載)

「国民文学」に入られ短歌をはじめてから73年、私たちの『輕雪』を主宰されてから49年、その間、日本歌人クラブの中央幹事、千葉県歌人クラブ会長、市原歌人会世話人代表など、公の
お仕事にも尽くされました。
平成8年には千葉県教育功労賞を受賞、平成9年には皇居お歌会始めのご陪聴に招かれ、平成10年には勲五等瑞宝章を受章、同じく平成10年には第15歌集『鳴泉居』で日本歌人クラブ賞を
受賞されました。

晩年のお歌(編集委員会選より五首)

  百歳まで月々十首の歌詠まむ詠まめと書けり最後の書簡
  気力失せし身は行方なく来たり臥すソフアよ迎へむ人いまはなく
  戸袋より雨戸引き出す力なし子の影見れば遠くわが呼ぶ
  午前三時起きて書き出す『新武園雑記』これにて筆折る覚悟の一篇
  わが年譜九十年は仕上げありまだまだ生きるつもりの未完

この度、土屋正夫先生 生誕100年記念墓参実施に、改めて先生のご指導に感謝を申し上げながら先生をお偲びする機会に恵まれました。

平成19年 第49巻 第6号 追悼号掲載歌私の5首
  つつしみて仰ぐ御影の召さるるは大島紬まこと似合ふも
  先生が親しく語れる巻頭言もはや学べぬと寂しさつのる
  検索をすれば訃報記事多くして先師の偉大さつくづく知るも
  再びは念願叶はぬ食事会カメラマン役もただ一度にて
  ひとたびを共に語りし先生のお姿永遠にブログに収む

先生のご生家訪問、墓参は午前中に行い、午後は市原市歴史散策に、上総国分寺・国分尼寺を見学致しましたのでご紹介させて頂きます。

千葉県市原市[国分寺・国分尼寺] 見学
国分寺の建立 (パンフレットより転載)
 国分寺は、今から 1250年 ほど前、聖武天皇の詔によって、国の平和と繁栄を祈るために全国60カ所 余りに建てられた僧寺と尼寺からなる国立寺院で地方の仏教や文化の中心となりました。
 上総国分寺はその中でも規模が大きく、伽藍も良く整った代表的な国分寺といわれています。


          「上総国分寺跡」の表示石                            仁王門


  国分寺薬師堂(市原市指定文化財)                       薬師堂の見事な軒下の造作



             薬師堂天井画(羯鼓を奏する飛天)              薬師堂厨子                将 門 塔
                                    (市原市指定文化財)           (市原市指定文化財)

       市原市国分寺七重塔の礎石
     65mを超す巨大な塔が建っていました。
     この礎石は,鋸山から運んだようです。

国分尼寺見学
 よみがえる天平の甍 (いらか)・ 今ひらく 天平の扉  

国分尼寺は寺域が全国で一番広く、発掘調査によって付属施設を含めた古代寺院の全貌が初めて明らかになった国分尼寺跡として、昭和 58年  に遺跡の主要部が国の史跡に指定されました。
平成 5年度 には、文化庁の「ふるさと歴史の広場」事業として建設した「復元中門」と展示館を公開。平成 9年度 には「復元回廊」を公開しました。 
(以上パンフレットより転載させて頂きました)    
               
               復元回廊                           寺名を墨書した土器

平成20年11月26日歴史探訪の折りに詠みました私の歌です。

  「法花寺」と書く墨書土器おのづから国分尼寺跡の証となれり  嘉子  

               復元中門                        瓦を積み上げた 「瓦台」
以上の写真はパンフレットより頂きました。
       詳しくはこちらへ http://www.rizardon.com/~nakai/kokubuniji.htm 

とてもの一日でしたが、ご参加の皆様は常日頃から健康管理もよろしく、鶴岡先生のご案内を頂きながら土屋正夫先生生誕100年記念の墓参をはじめ、歴史散策の旅を無事に
終了することが出来ました。
はじめてご参加のお方は、土屋先生をご存じなく、先師の多くを知ることが出ました有意義な一日となりました事と存じます。
宿題のお歌を作りますための資料にもなります事と一日を振り返って見ました。
皆様お疲れ様でございました。  
      

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歌人 土屋正夫先生 生誕100年記念墓参吟行会 2-1

2015年07月31日 10時16分53秒 | 短歌

平成19年7月27日92歳 でご逝去されました先師土屋正夫先生 生誕100年記念(お誕生日は7月26日)先生の生家・歌碑・書斎見学および墓参吟行会を行いました。
    実施日 平成27年7月27日(月)
    参加者 13名
    行  程 JR千葉駅 → 五井駅 ~ 小湊線に乗り換え 上総三又駅 10:30集合 →  土屋先生宅へ(書斎・歌碑見学) → 墓参 → 菩提寺 法光寺
        (寄進の御手洗見学) →  昼食・休憩 → 上総国分寺見学 → 国分尼寺見学 → 五井駅解散 

 
                                                       1両のみの小湊線
 

上総三又駅名の由来
その昔、上総三又駅周辺は「海上」と呼ばれ、歌人の心を奪うほど美しい海だったそうです。
万葉集の恋歌に「夏麻引く海上潟の沖つ緒に鳥は巣たけど君は音もせず」があります。

土屋正夫先生ご生家訪問
先ず、お庭の歌碑に偲ぶ

 歌碑  檀の実にふた朝をきてのち見ざる小椋鳥とほくわたりをるべし 正夫           歌碑の裏面に「土屋正夫先生歌歴」が刻まれる

                 書斎の机に遺された「平成18年分」とお書きになられた分厚い原稿用紙      書斎の蔵書の一部

「墓参へ」
墓所はご自宅からも近く、ご家族の皆様をお守りしておりますように存じました。
ご戒名は 「御手洗」 に刻まれたお歌に因みましたこと先生にお伺い致しました。 
ご戒名は 梔 明 院 賦 道 日 正 居 士 合掌

菩提寺 法光寺へ 先生が寄進された御手洗(みたらし)および御手洗に刻まれたお歌の見学 

法光寺は、1597年開山の由緒正しき法光寺です。4月第三日曜日に本物の甘茶を出すただひとつの寺院として「あまちゃ寺」の異名もあります。

            参加者の皆様(ただし撮影者の私を除く)                          甘茶の木

          土屋正夫先生が寄進された御手洗(みたらし)         先生のお歌 梔子のしろたへの花胸中のあかりとなして眠りをぞ待つ  正夫                   

ご紹介の「御手洗」(みたらし) は、14年間努められました壇家総代を辞する記念の寄進と伺いました。
刻まれてありました先生のお歌は先生の素晴らしい筆跡とお伺い致し、一同感激致しました。

平成20年11月26日初めての墓参の折りに詠みました私の歌です。

     御手洗に刻む先師の御歌に見る高野切にも通ふ直筆  

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