毎日暑い日が続くねぇ~
日本は熱帯になったんじゃないん。
そのうち、北広島町あたりが熱帯雨林のジャングルになるんじゃないん(笑)
まぁ、冗談はさておき、お休みの日に家におったら朝から冷房をかけんとおられん。
週末に家におったら、来月光熱費にびっくりさせられそうじゃけぇ出かけよぉ~(^^;
ってことで、マッキー誘って行って来たよ(^^)
というても、これだけ暑かったら山登りは行きたくないし、自転車も溶けてしまいそうじゃし(笑)
歴史物、しかも近場のメジャーなところは行き尽くしとるけぇちょっと遠くのしかも激マニアックなところになってしもうたんじゃ(笑)
とりあえず、三次方面ってことで車を走らせとったら、マッキーがなにやら思い出したらしい。
「渡邊七人塚へ行ってみようや。」
わからんよねぇ~。ぜんぜん思いつかん(^^;
以前、私のブログにも出てきた「相合元綱(相合四郎元綱)」元就の弟で元就を暗殺しようとして
殺されたんじゃけど、そのときの後ろ盾になっとったのが渡邊氏。居城長見山城を攻めて葬ったとされる所らしい。
#当然、バックには尼子氏がおったんじゃけどね。
場所は安芸高田市甲田町。芸備線の吉田口駅から割と近いところにあったよ。
右の看板には
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渡邊七人塚
毛利元就の本家相続後、元就の弟の相合元綱を擁立しようとした坂・渡邊一派は、密かに尼子氏の老臣
亀井秀綱などと通じて機を見て元就を除こうとした。
元就は早くものこの陰謀を探知し、元綱を殺すとともに、その一味を自殺させ、渡邊長門守勝について
は郡山城において殺害。内長見に居住していた渡邊氏一門七人を殺害させた。
七人塚はその一門を葬ったといい、石塔四基、桜一本、榎二本を植えて墓標とした。
この時、渡邊勝の長男虎市は家臣に守られ備後山内家に保護され成人の後許されて毛利に帰参し、渡邊
太郎左衛門通と名乗り家名を再興した。
現在は石塔一基が移設され五基となっている。それぞれの墓標の詳細については不明。
又、桜・榎は現在枯死している。
甲田町教育委員会。
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と書いてあった。
これは私有地にあるので、「土地所有者に声をかけてから見学してください。」みたいなことが書いてあったよ。
おそるおそる入っていくと、偶然家の人が玄関脇におったけぇ、挨拶してお願いしたらこころよく見せてくれちゃった(^。^;) ホッ
二つ目は
三次の「鳳源寺」
わりとメジャーじゃし、尾関山のすぐ近くじゃけぇわかるじゃろう。
ここは三次浅野藩の菩提寺で、かの大石内蔵助手植えのしだれ桜がある。
季節はずれじゃったね(^^ゞ
三次は浅野内匠頭の正室・瑤泉院(ようぜいいん)の出身地じゃし来とってもおかしくないよね。
浅野内匠頭が切腹した後は瑤泉院は三次に帰っとったらしいし。
瑤泉院の生家とかも三次にあるんじゃろうね。今度行ってみよう(^^)
ほいで、ここには四十七士も祀ってあったよ。
ほんで、三つ目
庄原の玉織姫伝説
玉織姫は、平敦盛の許嫁で敦盛が生きていると信じて各地を歩き庄原にたどり着いて住んでいたという言い伝えがあるらしい。
ほいじゃが、敦盛は一ノ谷の戦いで熊谷直実に討ち取られたのは有名な話じゃけぇ、死んどるはずなんじゃけどねぇ。
そのシーン見てきたしハハハ(笑)
春田町にあるんじゃけど、広島県 商工労働局 観光課の作ったページを見て行ったんじゃけど、
これだけじゃ辿り着けんかったけぇ、現地でiPadのお世話になったよ(^^)
普通なら誰かに聞かんと辿りつけんわぁ(^^;
どんどんマニアックになっていくこの旅、マッキーの解説つきなんじゃけど、帰ってから調べたりしとったら
つながっていって、面白くなるんよね。
どうして学生の頃やらんかったんかねぇ~(笑)
日本は熱帯になったんじゃないん。
そのうち、北広島町あたりが熱帯雨林のジャングルになるんじゃないん(笑)
まぁ、冗談はさておき、お休みの日に家におったら朝から冷房をかけんとおられん。
週末に家におったら、来月光熱費にびっくりさせられそうじゃけぇ出かけよぉ~(^^;
ってことで、マッキー誘って行って来たよ(^^)
というても、これだけ暑かったら山登りは行きたくないし、自転車も溶けてしまいそうじゃし(笑)
歴史物、しかも近場のメジャーなところは行き尽くしとるけぇちょっと遠くのしかも激マニアックなところになってしもうたんじゃ(笑)
とりあえず、三次方面ってことで車を走らせとったら、マッキーがなにやら思い出したらしい。
「渡邊七人塚へ行ってみようや。」
わからんよねぇ~。ぜんぜん思いつかん(^^;
以前、私のブログにも出てきた「相合元綱(相合四郎元綱)」元就の弟で元就を暗殺しようとして
殺されたんじゃけど、そのときの後ろ盾になっとったのが渡邊氏。居城長見山城を攻めて葬ったとされる所らしい。
#当然、バックには尼子氏がおったんじゃけどね。
場所は安芸高田市甲田町。芸備線の吉田口駅から割と近いところにあったよ。
右の看板には
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渡邊七人塚
毛利元就の本家相続後、元就の弟の相合元綱を擁立しようとした坂・渡邊一派は、密かに尼子氏の老臣
亀井秀綱などと通じて機を見て元就を除こうとした。
元就は早くものこの陰謀を探知し、元綱を殺すとともに、その一味を自殺させ、渡邊長門守勝について
は郡山城において殺害。内長見に居住していた渡邊氏一門七人を殺害させた。
七人塚はその一門を葬ったといい、石塔四基、桜一本、榎二本を植えて墓標とした。
この時、渡邊勝の長男虎市は家臣に守られ備後山内家に保護され成人の後許されて毛利に帰参し、渡邊
太郎左衛門通と名乗り家名を再興した。
現在は石塔一基が移設され五基となっている。それぞれの墓標の詳細については不明。
又、桜・榎は現在枯死している。
甲田町教育委員会。
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と書いてあった。
これは私有地にあるので、「土地所有者に声をかけてから見学してください。」みたいなことが書いてあったよ。
おそるおそる入っていくと、偶然家の人が玄関脇におったけぇ、挨拶してお願いしたらこころよく見せてくれちゃった(^。^;) ホッ
二つ目は
三次の「鳳源寺」
わりとメジャーじゃし、尾関山のすぐ近くじゃけぇわかるじゃろう。
ここは三次浅野藩の菩提寺で、かの大石内蔵助手植えのしだれ桜がある。
季節はずれじゃったね(^^ゞ
三次は浅野内匠頭の正室・瑤泉院(ようぜいいん)の出身地じゃし来とってもおかしくないよね。
浅野内匠頭が切腹した後は瑤泉院は三次に帰っとったらしいし。
瑤泉院の生家とかも三次にあるんじゃろうね。今度行ってみよう(^^)
ほいで、ここには四十七士も祀ってあったよ。
ほんで、三つ目
庄原の玉織姫伝説
玉織姫は、平敦盛の許嫁で敦盛が生きていると信じて各地を歩き庄原にたどり着いて住んでいたという言い伝えがあるらしい。
ほいじゃが、敦盛は一ノ谷の戦いで熊谷直実に討ち取られたのは有名な話じゃけぇ、死んどるはずなんじゃけどねぇ。
そのシーン見てきたしハハハ(笑)
春田町にあるんじゃけど、広島県 商工労働局 観光課の作ったページを見て行ったんじゃけど、
これだけじゃ辿り着けんかったけぇ、現地でiPadのお世話になったよ(^^)
普通なら誰かに聞かんと辿りつけんわぁ(^^;
どんどんマニアックになっていくこの旅、マッキーの解説つきなんじゃけど、帰ってから調べたりしとったら
つながっていって、面白くなるんよね。
どうして学生の頃やらんかったんかねぇ~(笑)
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