日記風・・・ ~A Buzz's Life~

管理人Buzzのくだらない絵日記です(^^;

萩はエエわぁ~(^^)

2018年05月16日 | 歴史
津和野、津和野と続けて行ったけぇ、GW前半は萩へ行って来たよ(^^)

昔はGWと言えばバイクで萩へ来て、レンタサイクル借りてプラプラしよったよ(^^)



ということで、今回も自転車を持ってきて散歩じゃ。

車は中央公園の駐車場(310円/一回)へ止めて、この近くから責めるぞ。

というても、何度も来とるけぇノープランでお散歩じゃ(^^)


ジャジャーン。

円政寺


「利助!」
晋作くんの声が聞こえてきそうじゃね(^^)

円政寺は高杉くんの家のすぐ近くじゃけ、利助(伊藤博文)と遊びに来とったみたい。


晋作くんが苦手じゃった天狗の面。


晋作くんと利助が鼻を撫でとったって書いてあるけど、、、

きっと晋作くんがまたっがって、ビビリ(シツレイ(^^;慎重派)の利助が「やめようやぁ、おこられるよぉ~」なんて言よったんじゃない(笑)


菊屋家住宅


菊屋横町

高杉くんや、利助、木戸孝允も近所じゃけぇ、こんな景色を見たんじゃろうねぇ。


おっ!人力車。

ほいじゃが、これは明治とか大正っぽいよね(^^)


高杉晋作生家

200石取りじゃけぇ、それほど大きな家じゃないね。


近くに晋作広場っていうのがあって、晋作くんの銅像がある。

珍しく、まげ姿じゃ。

ざんぎり頭のイメージが強いよねぇ。


つづいて、「北の総門」

これより中は三の丸で、通称「堀内地区」と言われとる。

暮れ六ツから明け六ツまではこの門は閉められて、鑑札のある人以外は入れんらしい。

ちなみに明け六ツは夜明け前の明るくなる頃、暮れ六ツは日没後の薄明るい頃じゃけぇ、季節によって違うんじゃ。

ほいじゃ、日が暮れたら飲みに行かれんじゃん( ̄▽ ̄;)!!ガーン

大丈夫じゃ、ワシはきっと下級武士じゃけぇ堀の外に住んどるわぁハハハ(^▽^)


益田家物見矢倉

となっとるけど、蛤御門の後御腹を召された三家老の一人、「益田親施(ちかのぶ)」の旧宅です。

やはりでかい。

ほいで、その近くにあったのが


周布家長屋門

周布家と言えば、周布政之助を思い出すが、ここは政之助の本家です。

知行は1350石とけっこうもらっとる。

家老ではなく、大組筆頭の家格で分家の政之助の所は200石あまりもらっとった。


ほいで、問田益田氏の白壁。

益田氏の分家とはいえ、知行は4000石あまり。

本家は12000石じゃけぇ~(^^;


これは旧郵便ポストではなく、その隣の石碑。

ここは「国司親相(ちかすけ)(信濃)旧宅地」

おぉー、でた例の三家老の二人目「国司氏」

二人とも、徳山で御腹を召されたよね。


そこからすぐの所に、「福原家屋敷門」

三家老の三人目、福原越後の屋敷じゃね。

当たり前じゃけど、みんな近くに住んどったんじゃねぇ。


萩城のすぐ近く、天樹院。

移封されたときの藩主、輝元の墓です。


堀内の鍵曲(かいまがり)


平安橋

この橋のたもとに「平安古の総門」があった。

三の丸へ入る門は全部で3つ。

#もう一つの「中の総門」の場所はようわからんかった(^^ゞ


児玉家長屋門

徳山の児玉源太郎もここと同じ「安芸児玉氏」の末裔みたいじゃ。


忠孝をはげまし、夫婦兄弟諸親類にむつまじく、召仕之者に至る迄憐愍(れんみん)
を加ふべし、若(もし)不忠不孝之者あらば可為重罪事(じゅうざいたるべきこと)。

こんな感じで、幕府や藩からの「御触」が掲げれられる。

萩往還、赤間関街道、石州街道の起点で、防長の一里塚の基点にもなっとった。

高札場は2010年に、江戸時代当時のものが復元されとる。

堀内界隈をグルッと回った感じじゃね(^^)

天気が良かったら、自転車で巡るとちょうどエエね。

萩は何べん来てもええわぁ~(^^)




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