牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

ハンディキャップに打ち勝つ

2005-10-22 09:09:49 | Weblog
パブロフ博士は、「人間はことばによって条件反射を起こす動物である」と言っている。
 確かにそのとおり、梅干ということばを聞くと、梅干を食べてもいないのに、聞いただけで口の中につばが出てくる。
 梅干くらいのことでは、そんなに大きな問題ではないが、日々の生活では、条件付けから逃げられない仕組みなっている。
 プラスの条件付けだったらよいが、マイナス条件付けから多いから困ったものだ。

 人は生まれた瞬間から、自分を取り巻く環境の影響下に置かれてしまう。
 たとえば、サーカスの象は、ほんとうは大きな杭を引き抜く力があるのに、小さな杭につながれたまま、一生を終わってしまう。
 怪力の象も、幼く力のない弱い頃から、ビクとも動かない杭につながれ続けると、杭は絶対抜けないと条件付けられるのだ。
 バンコクに行った時、数等の象が大きな丸太を引いたり、動かしたりしている光景を見た。スゴイ怪力だった。
 条件付けられた象はある意味では気の毒だが、やればできるのに、できないと思い込んで座り込んでしまっている人間はもっとかわいそうだ。
 さまざまな思考や行動、失敗に終わった経験に妨げられて、自分の枠から一歩も踏み出そうともしない、自分をつなぎとめている見えない杭はないだろうか。
 教育による条件付けや、経験による条件付け、年齢や運などいくらでも条件付けに取り巻かれている。
 ハンディキャップもまた条件付ける。背が低いとか、やせている肥っているとか、容貌の美醜、身体的な障害など、それこそ上げたらキリがないほどのハンディキャップに取り囲まれている。

 どんなハンディキャップも、神の栄光が現れると聖書は宣言している。
 
 またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
 弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」
 イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。ヨハネ9:1-3

 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。第一コリント10章13節