牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

水の中を通るときも

2005-10-01 08:00:08 | Weblog
 東大阪市長田東で、マンション1階のコーヒーラウンジが閉店し、その場所を家主が3年間無償で提供してくれました。
 東大阪エリムキリスト教会として昨年10月にスタート。満1年には少し早いけれども、1日が土曜礼拝なので1周年記念礼拝を行います。
 土曜礼拝参加者が20名を越えるときもあり、ロー礼拝や教会学校、日曜礼拝も行っています。2年目を迎えて日曜礼拝中心の開拓教会へ向おうとしています。
 一人でも多くの方が愛の神を知ることを期待します。

 だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、【主】はこう仰せられる。 イスラエルよ。あなたを形造った方、【主】はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。
 あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。
 火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。わたしが、あなたの神、【主】、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。
 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
                      イザヤ43:1-4                       

 アメリカ建国後まもなくの頃でした。一人の旅人が疲れきって、ようやくミシシッピー川の岸辺に着きました。しかし、渡りたくても橋も渡し場もありません。真冬だったので、川の表には氷が張り詰めていました。この上を渡ることができるかなあ?この氷は大丈夫だろうか?身体の重荷を支えることができるだろうか?暗くなってくる。早く向こう岸へ行かなければ。散々ためらった後で、彼は恐る恐る氷の上を四つんばいになって渡り始めました。
 やっと半ばまで来たときです。後ろのほうで陽気な歌声がしました、もやの中から、一人の男が四頭立ての馬車に乗って、氷の上をやってくるではありませんか。彼はビックリし立ち上がりました。氷は大丈夫だったのです。 彼は四つんばいをやめて、堂々と恐れることなく向こう岸に渡って行きました。

 あなたもイエス・キリストを信じて見ませんか。
 人生のあらゆる分野において、喜びも悲しみにも、成功にも失敗にも、健やかな日も、病むときにも、いかなることが起ころうとも、イエス・キリストは信頼するに余りあるお方です。
 キリストを信じる者を、主は支えてくださり対岸へ無事届けることができるお方なのです。しかもこの保証は、絵に描いた餅ではないのです。
 神は愛です。とこしえにいます神はあなたの住処であり、下には永遠の腕があるとの約束のように、愛である神がその大きな愛の手で守り支えてくれるのです。
 神の約束は真実であり、神の約束にウソ偽りはありません。十字架の上に命を捨てて愛してくださったイエス様は、墓に葬られ3日目に復活した救い主です。
 2000年の歴史の中でイエス・キリストを信じた人々は救われ、その人生を幸せに全うしました。
 神に愛されて確信は、人生にゆとりと平安をもたらします。あなたはそのような確信を持ちませんか。どんな嵐がやってきても、問題に直面しても、揺るがない確信を持って生きることができるのです。。
 イエス・キリストは、人間の持つ全ての悩みを引き受けて十字架上に死なれました。死んだだけでなく墓に葬られ3日目に死を打ち破って復活した真の救い主です。

 そのキリストなる神が信じる者の中に来て住んでくださいます。神がともにいる人生とは、心の中に神を持つ人生です。
 新しい勇気と希望に輝き、恐れることなく生きることができるのです。
 何が起ころうとも驚き惑うことなく、神とともに歩むことができるのです。
 神があなたの名前を呼んでくださるのです。
川の中?のような試練や困難の象徴です。水はあなたの上にあふれることはありません。
 火の中?を通るような試練や問題。火はあなたを焼き尽くすことはできないのです。。
 どんなときでも神がともにいてくださいます。聖書はそのようなすばらしい約束で満ちています。
 今日、イエス・キリストを信じて心にお迎えさえすれば、その約束は現実となります。アーメンと言えば救われるのです。

 主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
 そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。
  「主は私の助け手です。私は恐れません。
  人間が、私に対して何ができましょう。」ヘブル13:5-6