牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

天使の守りは現実に

2016-07-21 18:56:54 | Weblog
詩篇34:4ー10私が主を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救いだしてくださった。
彼らが主を仰ぎ見ると彼らは輝いた。彼らの顔をはずかしめないでください。
この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。こうして、主はすべての苦しみから彼を救われた。
主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。
主の素晴らしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。
若い獅子も乏しくなって餓える。しかし、主を訪ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。
詩篇34篇は、ダビデ王の詩。気が違ったふりをして、九死に一生を得た時の告白。
主よ。助けてください。すなおに助けを求める幸せを、詩篇のことばで体験。解説も解釈もしなくても、そのままアーメン。ありがとうございます。天使の守りに感謝してます。今日も守られ幸い。ただ素直に単純に、アーメンと信じ、現実に体験できる恵みです。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝してます。

毒麦も現れた

2016-07-21 18:48:42 | Weblog
マタイの福音書13:24-30 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。麦が芽生え、やがて実ったとき、毒麦も現われた。それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』
主人は言った。『敵のやったことです。』すると、しもべたちは言った。『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』」
二番目のたとえは、毒麦の話です。どんなに慎重に種を蒔いても、稗や雑草も出てきます。このたとえ話のように、敵が来て毒麦の種を蒔いたら、芽生え実り、収穫の時まで分からないから大変です。
キリスト教会には間違った教えや、異端やカルト的教会など、多くの毒麦があります。イエス様は、敵がやったことだと教えました。
如何したらいいのか。我慢できない。早くすべてを処理しないと焦り、非難し、否定し裁きます。しかし、『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』」
ちゃんとハッキリする日が来ます。イエス・キリストを信頼して、真の福音の種を蒔き続け、良い収穫を期待しましょう。
イエス・キリストの説明です。
13:36-43 それから、イエスは群衆と別れて家にはいられた。すると、弟子たちがみもとに来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください。」と言った。イエスは答えてこう言われた。「良い種を蒔く者は人の子です。畑はこの世界のことで、良い種とは御国の子どもたち、毒麦とは悪い者の子どもたちのことです。毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫とはこの世の終わりのことです。そして、刈り手とは御使いたちのことです。ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、つまずきを与える者や不法を行なう者たちをみな、御国から取り集めて、火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。
そのとき、正しい者たちは、天の父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。
ありがとうございます。今日もまた太陽のように輝く天国の一日です。感謝してます。

自分が口にすることばに気を付けよう

2016-07-21 05:23:05 | Weblog
聖書の一言;ペテロの第一の手紙3:10-11いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押えて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、悪から遠ざかって善を行ない、平和を求めてこれを追い求めよ。
ありがとう。感謝してます。目覚めと共に告白し、小鳥たちと同じように、天地万物の創造主を讃えます。
目の前のメモに、自分が口にする言葉は、言えばいうだけ、それをもう一度言いたくなるような現象を引き起こす。とあります。
だれでもいのちを愛し、幸いな日を過ごしたいと思います。ところが現実は、ありえぬことが起こってしまう人生です。
何事が起ころうとも、神のなさることはみなその時にかなって美しいと言い切ります。それは、舌を押えて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、真実を健全なことばで告白します。
幸な人は、主の教えを喜びとし、聖書のことばを告白します。聖書のことばをアーメンと信じ続け、ありがとう。感謝してますと受け止め、自分の口で言いきってしまいます。
交通事故121日目。車に飛ばされ救急車で運ばれ、右腿打撲の腫れとうっ血。右顎と頬を20針縫いました。
抜糸の跡も分からないくらいきれいになり、愛の腫れも毎日引き、明日は久しぶりに、タイ古式マッサージへ行く予定です。リンパ施術でうっ血も消えるのが早くなります。
平和=平安を全てのことの中で追い求め、国際社会も、特に平和憲法の日本が、その先頭に立つことを切願し、祈り告白しています。
ローマ人への手紙12:14-18 あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。
互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。
できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます