牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

雪よりも白くされた心は幸い

2016-07-16 19:26:25 | Weblog
詩篇32:1ー2 幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人。その霊に欺きのない人は。

種子島の西側に屋久島がそびえ、九州一の宮之浦岳=1936㍍には雪が美しく輝いています。その雪よりもきよらかな心を願っていました。

高校生の時、イエス・キリストが十字架にいのちを捨て、血を流してすべての身代りになり、アーメンと信じれば、雪よりも白くなると聞き、その日信じバプテスマを受けました。16歳でクリスチャンになり、その日から、幸いなことよ!と目覚め、幸せな平安の日々です。今年も7月31日、西之表キリスト教会で礼拝説教。夜は種子島新生キリスト教会で説教です。

幸いになり、幸いに生きる秘訣は、第一にイエス・キリストの十字架をアーメンと信じ、罪とがの赦しを知ることです。

第二に、幸いです。と言うことです。幸せです!!と告白し続けて行動することです。

幸せです!!と勉強し、仕事をし、幸せな平安の人間関係も。

ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝します。



今年も種子島へ。洗礼を受けて60年目。

2016-07-16 18:44:27 | Weblog
マタイの福音書11:28-30 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。

15歳の時、アルビン・ハモンド宣教師が、種子島高等学校の教室で英会話クラスを開いていました。出席すると、"Come to Me, all you who labor and are heavy laden, and I will give you rest.

"Take My yoke upon you and learn from Me, for I am gentle and lowly in heart, and you will find rest for your souls. "For My yoke is easy and My burden is light."

変な日本語で、私の所に来なさい。休ませます。荷物は軽いです???

当時は休みの日に家に帰ると、山で薪拾いやヤギの草刈、稲束やサツマイモの袋運び、休むどころではありません。瞬間、このアメリカ人が背負ってくれるのか?と思いました。

Come to me,というお方は、イエス・キリスト様です。当時は無神論で、自分には縁がない、英語クラスだけにしようと思いました。

2学期になり英会話クラスはなくjなりましたが、市内の最上医院で開かれていた礼拝に行き、その年=1957年11月24日に、種子島の海で洗礼を受け、今年60年になります。

今年も、再来週29日から8月1日まで種子島です。31日の日曜日、洗礼を受けた西之表キリスト教会(池田公栄牧師)で礼拝説教です。夜は日本バプテスト連盟種子島新生キリスト教会(沼田俊昭牧師)で礼拝説教です。

また、星原中学校の同級生との会食もあり、今年もホテルや教会の礼拝に来てくれます。

今年は、4月に3名が生駒聖書学院まで来て洗礼を受け、被災地益城町に種子島からボランティアに来て、生駒と電話しアーメンと信じ洗礼を受けた63歳男性もあり、再会ができます。

交通事故もまだ完治していないけれども、予定通りユックリとの種子島への奉仕の旅です。お祈りお願いします。

重荷を負う人生が、イエス・キリストをアーメンと信じただけで、心に平安と喜びあふれる人生に変えられました。

ありがとうございます。今日もまた重荷もなく、キリストのことば通りの天国の一日です。感謝します。

詩篇55:22 あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。





キリストの足跡を、踏みしめながらの日々

2016-07-16 05:37:38 | Weblog
聖書の一言;ペテロの第一の手紙2:19-21 人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。
罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。
あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。
昔、ある旅人が雪深いアンデスの村を訪ねました。男たちがいない村で、不思議に思い古老に尋ねました。彼は旅人を案内し、雪深い山道を指示します。そこには雪の上に大きな足跡があり、山へ続いています。
雪山への狩りに、村の首長が先頭を進み、その後を男たちがしっかり踏みしめて歩み、まるで一人のお大男が歩いたように見えたのです。
主イエス・キリストは、十字架と復活で救いの道を備え、世の終わりまで生きておられ、アーメンと信じる者たちの先頭を進み、歴史の中を真っ直ぐに天国への道を見続けています。
キリストに従うクリスチャンの足跡は2000年以上も続き、歴史にその結果を残しています。
16歳の時、種子島の西之表キリスト教会でアーメンと信じ、城の浜海岸で洗礼を受けた日から59年、そのみあしの足の後を踏みつつ、歩み続けています。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。