牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

往復3000歩。下り阪はゆっくり、帰りは急坂でぐったりで帰宅の夕べ。

2016-07-11 18:23:35 | Weblog
マタイの福音書10:13その家に入るときは、平安を祈る挨拶をしなさい。その家がそれにふさわしい家なら、その平安はきっとその家に来るし、もし、ふさわしい家でないなら、その平安はあなたがたのところに返って来ます。




12人の弟子が選ばれ、汚れた霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやす権威が与えられました。




宣教に送り出され、平安を祈るよう命じられました。祈りは天の権威です。アーメンは、誠ですという意味で、呪文でも題目でもなく、聖書=神の言どおりになります。ハイ。そのとおりです。心から素直に信じる応答です。




祈りのことば、特に平安を祈ることばは。もっとも強く力があります。相手が受け取ってくれたら、平安がその人に与えられます。拒否されたら、祈った人が平安に満たされます。平安を受けるにふさわしくないなら、祈ったほうに平安が与えられます。




今朝は千客万来。ことしの卒業生と、神学生が書斎へ来訪。お土産にココナッツクキーと、母親が焼いたケーキも持参。

月曜日はピアノのレッスンもあり、結構にぎやか。

昼過ぎにポストへ。コンビニまで生き、喫茶店でコーヒーでもと思い歩くが閉まっており、コンビニへも行かず往復3000歩で帰宅。暑さもあるがかなりきつい。1000円でキャベツを買い、キュウリとピーマンも下げてたどり着く。

いただいた鯛めしで一人夕食。静かな月曜日の夕べです。

ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。



先祖伝来の虚しい人生から救われた

2016-07-11 08:12:27 | Weblog
聖書の一言;ペテロの第一の手紙1:18-19 ご承知のように、あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。
全世界の民族数は、30以上だと言われています。その正確な数は不明です。
先祖伝来の風俗習慣、宗教行事などの伝統から、贖い出されたのがクリスチャンです。空虚生き方に通じるのが、先祖伝来の伝統や習俗です。そこには真実の救いはなく、虚しい滅びへの道です。
銀や金のような朽ちる物=物質的な装飾品やきらびやかなもので、真実を見えなくするまやかしもの=ではなく、傷も汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によって救われたのが、クリスチャンです。
自我から=2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

罪と病から=ペテロの第一の手紙2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

呪いから=ガラテヤ3:13 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。

貧乏から=コリント人への第二の手紙8:9 あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。

死と滅びから=へブル人への手紙2:14-15 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。

先祖伝来のむなしい生き方から解放され。平安と幸せの感謝の日々です。
ありがとうございます。今日もまた天国の祝福の一日です。感謝してます。