牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

ご飯を炊いて、4日ぶりに夕食

2016-07-06 18:22:30 | Weblog
詩篇26:3 あなたの恵みが私の目の前にあり、私はあなたの真理のうちを歩み続けました。

ダビデの告白です。誠実で真実な素晴らしい人生。さいわいですの詩篇の大半がダビデの詩篇です。

主イエス・キリストの十字架と復活により、全人類に恵みの道が開かれ、アーメンと救いの恵みを体験できます。

救われるために何をしたら。幸せになるには。天国に行くには、万巻の経典やハウツー本があふれています。唯一の本の中の本=バイブル(本という意味)は、何もしなくて良いと宣言しています。十字架の救いは、愛の恵みです。あれをせよ、こうせよ、そうすれば救われるということばや教えの呪縛から解放され、アーメンと信じる贅沢な恵みを、幼子の心で受け取り、恵みの道を今日から歩みましょう。

16歳の時、種子島でアーメンと信じ洗礼を受けクリスチャン56年。今日の聖書のことばどおり、平安で幸せな恵みの道を歩んでいます。...

今日は一ケ月ぶりに整形外科へ。12時30分予約だったが、人気整形外科医で患者が多く、13時過ぎ診察。一ヶ月で右腿が2センチ減る。うっ血はそのまま。8月3日に次の予約。その足で美味しい山形牛の店へ行き。ステーキを買って、夕食にご飯を炊き、しっかり食べました。三日間ご飯なしで、しっかり炊いて食べました。

ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。




エペソ人への手紙2:10 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。――

キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜わる慈愛によって明らかにお示しになるためでした。あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。



人生の海の嵐に

2016-07-06 18:08:42 | Weblog
マタイの福音書8:23-27 イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。

弟子たちはイエスのみもとに来て、イエスを起こして言った。「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。

人々は驚いてこう言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」

新聖歌 248番 (聖歌472番)

人生の海の嵐に もまれ来しこの身も 不思議なる神の手により 命拾いしぬ

いと静けき港に着き われは今安ろう 救い主イエスの手にある 身はいとも安し

悲しみと罪の中より 救われしこの身に 誘いの声も魂 揺すぶること得じ

いと静けき港に着き われは今安ろう  救い主イエスの手にある 身はいとも安し

すさまじき罪の嵐の もてあそぶまにまに 死を待つは誰ぞただちに 逃げ込め港に

いと静けき港に着き われは今安ろう 救い主イエスの手にある 身はいとも安し

一昨年の今日、会員をホスピスに見舞いました。家内も院したので、奥様もこのホスピスだったんですねと話しながら、共に手を取り合って祈りま、安らかに天に召され、二人とも75歳でした。

人生の海の嵐で、一番すごい嵐は死です。突然のように襲う、ガリラヤ湖の嵐にも比することができます。しかし、その船にイエス・キリストがおられるので、大丈夫です。インマヌエル

何故怖がるのか。風と波をしかりつけられると、大なぎになったように、大丈夫守られます。主が共におられます。

詩篇107:28-31 この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から連れ出された。主があらしを静めると、波はないだ。波がないだので彼らは喜んだ。そして主は、彼らをその望む港に導かれた。主の恵みと、人の子らへの奇しいわざを主に感謝せよ。

ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。






願えば与えられるのに

2016-07-06 05:53:47 | Weblog
聖書の一言;ヤコブの手紙4:1-3 何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。
あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。
願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。
求めると与えられます。赤ちゃんは話すことはできないが、泣き声と表情で求め、母親はその必要を与え、与えられて健やかに育ちます。
クリスチャンは、聖書の約束にアーメンと信じ、信頼し求めて与えられます。すなおに願って備えられます。
あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。与えられないと文句や不平不満に心が満たされて、イライラしたり、焦ったり、怒ったりするときは、心の動機をしっかり見てください。
今度、30秒の祈りが世界を変える=著書を2000冊再版します。8月のラジオ放送の、視聴者プレゼントにします。
無神論で、クリスチャンになる16歳まで、一度も手を合わせて祈ったことのなかった著者が、イエス・キリストのお名前によって祈ることを体験し、牧師として幸せを祈り、癒しの祈りで直ったり、問題が解決したり、お金が与えられたり…生身の解決が与えられてきた経験です。ぜひお読みください。
ヨハネの第一の手紙5:14-15 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。
私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。