牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

ガアガアと煩い我の人生から、愛と平安の日々へ

2016-07-02 18:51:27 | Weblog
詩篇24:5その人は主から祝福を受け、その救いの神から義を受ける。
名前が榮義之。ものも言わず、歌わず、運動もせず=74年間一度も逆立ちもしないで、両足で地球の上を歩いています。之の義によって栄えると自分に言い聞かせて、何を言われてもじっと黙っていました。高校生の時、人間には罪があり、あなたは罪人だと説教を聞きながら、自分は違うと思いました。でも子どもの時から屋久島の宮ノ浦岳の雪を見ると、雪のような心になりたいと思ってもいました。。
罪のない神の子イエス・キリストが十字架上に、すべての罪を引き受け死なれ、墓に葬られ、3か目の朝に復活し、その事を事実として、アーメンと信じ、洗礼を受けクリスチャンになりました。
義の意味が分かりました。義=羊+我。羊は世の罪を取り除くイエス・キリストのシンボル。その羊なるイエス・キリストの下に、我が来ると義になります。羊=十字架から離れると、義ではなく単なる我=がだけです。自分が正しいと主張する人の何と我の強いこと。酒でも飲めば我=ガアガアと煩いだけ。全部を人のせいにして正しいのは自分だけと騒ぐだけ。
アーメンと信じてから58年、神の子とされ、父なる神の豊かな愛と祝福を受け続けています。何でと思ったこともあり、人に言われることもありました。神のなさることはみな時にかなって美しい。すべてことは祝福のためなので、結果が分からなくても、心からありがとうございます。感謝してます。
親が子どもの幸せを願う以上に、父なる愛の神は、信じる者を全能の愛の御手を動かし、平安を与え守り助けてくださいます。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日。感謝してます。

アーメン戸信じるだけで救われる

2016-07-02 02:13:10 | Weblog
聖書の一言;ヤコブの手紙1:21 ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。
生駒聖書学院は、実践的な神学校です。毎週、伝道実践があり、路傍伝道、個人導き、伝道会も行うのが、創立以来の伝統です。
種子島から生駒聖書学院に来たとき、何も知らないクリスチャンでした。路傍伝道などしたこともないし、無口だったので、司会者に紹介され、台の上に立たされます。小さな声で、種子島でアーメンと信じて洗礼を受け、クリスチャンになりました。
反省会の時、先輩から叱られ、もっと体験を語れと言われます。何しろ、酒もたばこも経験なし、映画を見たことも失恋したこともない。学校も勉強も好き、ケンカしたことも、悪口も言ったことのないおとなしい人生。
ただ教会で、イエス・キリストの十字架の話を聞いて、アーメンと信じて洗礼を受けてクリスチャンになっただけ。強烈な悔い改めの経験もなく、そんなことで牧師になれるかと言われても、困るだけの反省会。
ある夜、新しい方が10数人も来て、個人的に話す機会があり、挨拶して神の愛は、イエス・キリストを十字架に犠牲にするほど、あなたを愛され、どんな罪でも赦され救われ、神の子どもなり、永遠の祈りが与えられます。ヨハネの福音書3章16節どおりを伝えました=神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである=
その時、青年は涙を流し、イエス・キリストをアーメンと信じました。神学生になって、初めてに導きでした。
その日以来、みことばは、あなたがたのたましいを救うことができますとの、聖書のことばどおりの救いを伝え続けています。
ヤコブの手紙1:18 父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです。
ペテロの第一の手紙1:25 しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。
すばらしい救いの約束、行いでも修養でもなく、十字架の救いの恵みを、アーメンと受け入れるだけ救われます。神の子とされ、罪が赦され、病もいやされ、呪いや欠乏の人生にサヨウナラし、永遠のいのちに満たされる救いの人生です。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。