枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

命の大切さに

2021年10月26日 | Weblog
 今朝の新聞記事に、滝田栄さんがとても好いことを述べられていた。同調する部分も多くて、わたくしが常日頃思っていると感じた。世間は早く・速くと急かすが、決して好いことにはならないもので自然からの影響は少ない。旧暦での暮らしも、そういった生活でなく月の満ち欠けでありたいと過ごしている。

 日捲りを見ながら、三隣亡には山に入らずだから山神に祈りおく。土を触る時には金神さまへ詫び、花木の植え替えを行う。蛙も昆虫も爬虫類も居るが、目につかない限りは見逃すことにしているのだ。農薬は使わず、土を固めたり余計な作業はしない。生きているのです、自然からの命を粗末にはしないこと。

 病になったりした時だけに文句を言い、身体を労わる処か医者に罹って切り薬で細胞を壊す。その結果、次第に酷い状況に成っていくのを更に痛める。どうしてそんなに無茶を強いるのだろう。自然に委ねあるが儘の暮らしであれば、時間は掛かっても治るのに待てない。丘に居て急いでも無理なのが通じない。

 仕事を辞めた時点で、保険証の習得はしていなく定期検診等いく気もない。自然の力を見くびってはならない、命があるのは人間だけではないのよ。だから原発の再稼働で見えない物が消され、奪われていくことに理不尽さを感じる。地震や津波が火山の噴火が起きるのは、表面上では異常が無くてもマグマが。

 海が、山が、宙が哭いている。その声が聴こえませんか?わたくしには慟哭が聴こえてくるのよ。援けて・止めて・壊さないでと訴えている。このままであれば日本沈没処の騒ぎでないのを懸念するが、幾ら忠告を発しても届かない。地球を再生するためには、人類の滅亡も致し方ない状況が迫り来る危惧にも。

 今朝の天気は晴れ、昨夜の夜半には雨も上がって月が観えた。冬の大三角も望めていたが、流れ星は何処に。就寝時には、枇杷湯で身体が温まっているので布団に潜る。当分は足も冷えていなくて、朝方まで眠れそうな気配。来月になったら湯たんぽを入れよう。諸物価の値上がりで、選挙どころではない気も。

 先日来、鼻血が度々出て来たのも原因は判明している。枇杷葉を拒否するか信じるかでこうも差が出るものか?枇杷葉の効力に驚くばかり。但しわたくし個人での見解であり、皆に同じという訳ではありません。身体の部位への影響にも多々あって、完全に必ずということでもないので勘違いされませんように。

 
コメント (6)
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