枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

豪雨・雷

2017年06月30日 | Weblog

 昨夜の雨と雷に、明日は止むかと思案しながら、すばるを膝に乗せていたら、雷鳴に驚いたすばるが、滑って落ちた。抱き上げようとしたが、雷が怖いのと驚いたのとで、留守中の居場所になった出窓に行って、呼んでも来ない。

 やれやれとパソコンを閉じ、枇杷湯に入って布団に入る。その頃には、もそもそとし始めて、鈴の音が聴こえ出す。枇杷葉茶も飲んでいるし、餌も飯でいるので、そのままにしておく。今朝は、早くから起きだしており探検に余念が。

 午前中に銀行に行く予定で出るが、その前にと寄った本屋で、何ということもない世間話に高じて、昼を少し過ぎる。その後、宅配所で枇杷を発送する。リエさんに、今年最後の白枇杷を送る。知人が今夕、枇杷狩りに来る予定。

 帰宅途中、何時もお世話になっている銀行に寄り、我が家の枇杷を差し出す。地元の信用金庫だが、店員さんの応対が、実に気持ち佳い。今年はたくさん生ったのでと、枇杷葉の使途も、講釈というか薀蓄を垂れておいたが。

 帰宅し、天気に気を好くして、洗濯物を外に出し、洗濯機を回す。すばるは、出窓で眠っていたが、ご飯を食べ出すと下りて来た。あまり腹は減っておらず、少しだけで再び低位置に落ち着く。今晩の献立は、稲荷寿しとコロッケだ。

 じゃが芋を塩で茹でながら、ご飯を仕掛ける。眠いので、珈琲を淹れておき、枇杷を剥いて口にする。甘いのもあるが、味のないのもあり、今年の出来に複雑な想いだ。これまでは、どれもが甘いかったのだが、原因が分らない。

 然し、これだけの収穫をもたらしてくれたのだ。感謝以外の何物でもない。まあ、袋掛けは大変であったが、こんなにたくさんの収穫に、自然からの恩恵を受け取れて有難い。野鳥も飛来して啄ばんでいる。無農薬であるのだ。

 花芽の状態です。ここまでびっしりと花芽がついたのは、昨年が初めて。最初は、たった1枝が3枝に。

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梔子咲いて・・・

2017年06月29日 | Weblog

 白い花は、匂いの佳いのが多いが、梔子もまた香る。梅雨空に静に咲く様に、夏の到来を思うもの。花木に水遣りをしなくてもいいが、ナメクジが気になる。娘の所に、仔猫の蚤取りを買ってもらっていたのを受け取り、枯れた枇杷葉を持って帰宅。

 我が家では勢いも良く、育っているものと思っていたが、呆気ない速さで枯れた。寒中に行ったので半年にも満たない。厄払いになったものか?色々貰われていったが、そこにあるから好いこともあり、運気の流れで、変化があるのかもしれない。

 明日は、白枇杷を収穫しておきたい。天気が気にはなるが、リエさんに送っておこう。お礼肥えもしておかなくてはならず、休みの日の遣ることは多い。また1年が過ぎるまで、花芽の状態、霜や雪の心配に月日を送るのだ。長いと言うか短いのか。

 施設内でのお茶会である。お手前も超略式の簡単さで、単なるヤラセの感も否めない。こちらは上司や企画の同僚に、言われてするばかり。苦いと飲まない人も居て、お抹茶ですもの。然し匙加減はして、甘いお菓子も添えて出す。1時間の緊張。

 帰宅して、すばるを捕まえて、蚤取りを射す。仔猫なので、半量とあり、10日後に残りを射すそうだ。留守の間に、あちこち探検をしたらしく、テーブルの上の物が落ちていたり、移動している。朝、餌は遣って出たので、きれいに食べているのに安心。

 随分と慣れてきたが、未だ陰に隠れる。抱くと咽喉を鳴らして寝たり、手拭で玉を取る。じゃれているのか、指に噛み付いて来、痛さにびっくりする。仔猫と言えど、トラでもある。可愛いと油断しては本気になられる。少しづつ片づけをしなければ危。

 昨夜は、茹で卵を食べていたら、テーブルによじ登って来て、かじりついた。枇杷葉茶もよく飲む。従っておしっこの臭いがまったく無い。最初が肝心と皿に入れたので、それしかないと飲んだもの。白湯は、一旦沸かしたものを冷まして与えている。

 土肥の白枇杷は、静岡県の西伊豆でしか取れない。十数年前に、生協で配達されて届いた物。

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合歓の花咲く頃・・・

2017年06月28日 | Weblog

 会話が成立たない。季節の花の咲く時期や、花の名さえ知らない。ヒメジョオンが丈を伸ばして、道端で風に揺れる。その上で合歓の花が咲き出している。紫陽花も軒や畑の隅で雨に唄っている。そういった様を風流と言うのか。

 花に興味を示す時代ではなくなった人間の、心寒い有様である。草であれ、野山の存在で、自然が保たれていることを、忘れてはならないが、何もないと記憶の彼方に押し遣る。旧暦で暮らしていると、予兆はある程度判るんだが。

 誰に言うとか、教えてとも、最近は思わない。此処を訪れてくれておいでの方だけで充分だ。あまり賑やかにしても、それはそれで困ることも多く、自分の愉しみで無くなる。我が家に押し掛けられても迷惑千万である。ど田舎です。

 白枇杷を採りたく思うが、知人が土曜日に来ると言う。佐藤さとるさんとリエさんとに送って、今年は終わりとしよう。野菜屑をせっせと入れている。これに塩を混ぜておこう。今年の味は、わりとばらつきがあり、ちょっと残念でもある。

 長崎茂木の味は、甘いのが特徴だが、中には味の無いのや、酸っぱいのもあった。白枇杷は比較的甘酸っぱさが多く、粒の小さいのは摘果しなかったからだ。加えて、中旬以降に捥がねば酸っぱさが強い。早出し厳禁の枇杷。

 今年は、昨年突然に花芽が付いた枇杷葉が、意外とたくさん結実した。これは、暁子さんの枇杷葉にして、一縷の望みを掛けていたもの。品種は不明だが、茂木の特徴がある。本人には食べてもらうことは叶わなわずで娘さんに。

 シーちゃんのは1粒が熟したが、これだけでは送れず止めた。房洲枇杷の特徴があり、丸い実で美味しかった。サンタさんには、思わぬ収穫となり、落ちた2粒を除いて、残りを送ったもの。とても喜んでもられて、丹精籠めた味に。

 枇杷葉と一般に言われているが、品種は多く、また産地にも因る。其処でしか収穫できないのも、楽しみとなる。出不精の者に、自宅での栽培が愉しみとなる。年金暮らしになったら送れない。着払いにしてもらえるだろうか心配。

 月の美しさに、心を囚われると、飽くなき心情となるのだろうか・・・然し、そうなっても清らかで蓁とした輝きを保つ。

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夏は来ぬ

2017年06月27日 | Weblog

 梅雨時である。うっとうしい曇空で、湿気も多いが、洗濯物は日々出るものだ。乾かないし生乾きのもあり、タオル類は必須なので、乾燥機にかける。衣類は、縮むのもあるから、根気良く晴れ間を待つ。日中は、暑さと重なるので気が重い。

 昨夜は、寝床に入ろうとしたら、すばるの機嫌が悪い。どうにも不安で落ち着かないので、パソコンの部屋で抱いていた。暫くすると、寝息をたて始めたので、そのまま朝まで居た。今朝は、元気に飛びはね、餌を食んでいた。過保護にしたか。

 勤務に行ったものの、何となく身体が熱く、冷や汗が出てくる。厭な予感がする。昨日の時点では、何とか我慢していたのだが、これは診療所に出向かねば、旗色が悪い。人数は要るので帰っていいと言われ、とぼとぼと駐車場まで歩いた。

 ところが、診療所に着いてみれば、受付時間を過ぎていると言われる。まあ、それだけ長く来ていなかったもので、建物も老朽化していたのが、近代的に変わっている。出直しすべきか問うと、Drがおいでであったので、受診と相成ったもの。

 身体が疲労困憊していたのは分っていたが、業務は増える一方だし、年金は減るばかりで、働かざるしかない。然し、倒れるまでしなくてもいい、と思う反面、人間は歳を重ねていくのだから、往く路と思って遣るしかない。物忘れが酷くなる。

 身体は確実に衰えてくるし、物事は遅々として進まないし、何をするのも億劫になってくる。書籍を読む気力も失せて、中々ページが捲れない。所謂、老化現象だろうが、いささかショックは隠せない。若い頃には想いもしなかったことばかりだね。

 すばるが、居ないと探していたら、何とカーテンにしがみ付いていた。何度も同じ所を見たのだが、分らなかった。すばるでなく、くのいちがいいかな。小さいので見つけるのに手間取る。外は車が通るし、鳶も犬や猫もいるから、心配が増大す。

 リエさんの勤務先に、白枇杷を送っておいたが、あの独特の味が、白枇杷と分るかな?知らない人には、きっと赤枇杷との違いにも気づかないだろう。赤枇杷は、甘いだけであるが、白枇杷は甘酸っぱいのだ。癌への効力は30倍とも云われる。

 一斉に薄茶色の苞が破れ、白い花弁が覗く。枇杷葉の花芽を嗅いだら、アロマ効果が大きい。

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かくれんぼ

2017年06月26日 | Weblog

 仔猫である。隙間があれば潜りこむ。そのくせ、出られなくなってみゃあみゃあ言うが、何処に居るのか分らない。本箱の裏に、書物の陰に隠れる。まあ、近所の猫に噛まれるよりはいいが、探すのに大わらわである。

 餌は十分に与えておいて、勤務に行くのだが、咽喉が渇いてもと置いて出ていたが、一日其処から動けないでいたようだ。帰宅して、声のする所をやっと探し当てる。無事であったことにほっとしつつ、蚤がいないか。

 家中に黒猫の人形や、タオル、ハンカチ類が溢れていて、びっくりしたものか。少し慣れてきて冒険に行きたいのか、家中を探検している。猫を被ると言うが、おとなしくて鳴声も小さい、と案じていたのが元気が良い。

 餌も食べだし、排泄もするので、きれいにさえしておけば大丈夫のようだ。当分は、大人の猫にやられない事を祈るばかり。冷房がないので、網戸にして少し開けている。扇風機も出しているが、今は換気扇だけで。

 仔猫の世話が掛かるのは分っていたが、風呂にも入れなければならず、大騒ぎである。そこら中に書籍を置いているのも厄介で、掃除をする羽目になる。夏には毛が抜けるので、掃除機の出番となって大騒動です。

 日中に仕事をしていても、しょっちゅう気になってしまう。いかん!気もそぞろとはこのことであろう。勤務を終えて帰ってみれば、迎えにも出れずに鳴いているんだもの。可笑しいやら、可哀相やらで複雑な心境かな。

 某新聞に、土肥の白枇杷が出ていた。我が家にもあるが、土肥ではないので、単なる白枇杷かな?赤枇杷と食べ比べてみれば、微妙な違いが分るんだが、証明のしようがない。味は濃厚で酸味と甘味が半々よ。

 明け・宵の明星。一番星、金星である。地球を取り巻く太陽系の惑星の一つだ。生き物は棲んでいない。

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名はすばる

2017年06月25日 | Weblog

 娘夫婦と昼食を食べ、仔猫を見に来たまでは良かった。娘にしがみついたすばるであるが、足の付け根に蚤がいたのを見つけ、早速洗われる。何と10匹はいたようで、さぞや痒かっただろう。然し、やっと慣れてきたのが逆戻りである。

 リエさんに、2回目の枇杷を送るのに少し出ていたが、脅えきっている。抱いていると鼓動が速く、大きなため息である。朝は、箪笥の後に入って、誇りだらけであったのをそのまま、娘夫婦と逢い帰宅。当分は、慣れてくれるのを待つしか。

 娘が、写真だけでは可愛くない。と言っていたが、実物はまあまあの器量であろう。銀河は可愛かったし、枇杷葉茶で綺麗でもあった。すばるも枇杷葉茶だけは、来たときから飲めるようにした。鳴声のか細いのが、多少気にはなるが。

 昨夜は、腕枕と胸に埋まって寝たが、早朝の4時には起きだした。放っておいたら、出窓の所に居て、じっと外を見ていた。近所の猫に噛まれねばよいが、と不安もあるが、全く閉じ込めておけない。換気をして遣って安全にしなくては。

 何しろ未だ小さいのだ。ちょっとした隙間には入り込むし、捕まって噛まれたら一瞬だろう。そのためにメスをもらったんだが、心配は尽きない。今やっと眠りだした。左手に抱かれて、寝息をたてている。耳をピクピクトさせており可愛い。

 赤ん坊もだが、母親の心臓の音に安心するようだ。仔猫にも、同じような感情があるものだろうと察する。すっかり寛いでいるのも可笑しい。雨が降り出してきた。空梅雨が嘘のような豪雨になる恐れもある。五月雨を集て速し最上川。

 白枇杷が、もう少し熟れずで、月末から月初めになるようだ。佐藤さとるさんに、美味しいのを送っていたが、今年はそれも叶わない。人間の寿命には限りがあるが、早世されたり、事故や病に倒れる心情には、無情の雨かもしれない。

 花芽は、木の中心が膨らんで来、次第に小さな苞が集まっていることに気づく。薄茶色の苞が破れて・・・

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旧閏皐月、朔・大潮

2017年06月24日 | Weblog

 午前中、月初めの塩換えやら、布団干しに精を出し、りささんに送るべく枇杷葉を捥ぐ。暁子さんのにしていおいたのに、初生りの実が重い。程好く熟しているのを箱に入れ、長崎茂木や、白枇杷も詰めて封をする。仔猫を引き取りに出向く。

 予め、昼頃と約束していたので、燃料補給し終え愛車に乗せる。帰宅して、入浴させるが、拭き取ったら冷蔵庫の隅に逃げ込む。すばる、と呼んだら耳を欹てるが、知らない場所に脅えてしまう。餌とお茶を用意しておき、その場を離れる。

 銀河が来た時には、娘も息子も居り、犬も飼っていたので賑やかであった。此処に来た時、冒険に出かけて、同じ家の造りに帰れなくなった銀河だ。娘を認めると一目散に駆け戻り、にゃあにゃあと訴えていた。すばるは鳴声をあげない。

 まあ、最初に風呂に入れられたのだから、驚き慌てて鳴いたが、親や兄弟と離れて、心細いに違いない。時間経てばお腹も空くか。トイレは我慢できるのか心配だ。銀河と違っていきなりの我が家であるから、天地が引っくり返った思いだ。

 明日は、娘夫婦との会食があるので、その後連れて来ておこう。留守番を頼むこともあり、慣れておいてほしいのだ。爪とぎとシャンプーを買って来なくては。トイレの砂は銀河のがたくさんあった。シートも使えそうである。天気下り坂かな。

 夕方には、知人が子ども達を連れて、枇杷狩りに来るというので、少し残しておいた。上の方に生っているので、脚立が必要。袋掛けをした分は、収穫をするのだが、烏も飛来しているようだ。実に良く知っているものと感心する。利口だね。

 沖縄慰霊祭が行われたが、国民のどの位の人数が、危機感を抱いているのだろうか。年数が経てば忘れられる、という問題ではない。戦争の恐ろしさに、人間が人を殺める恐怖を知ってほしい。諍いはしないで、真実の話し合いをして。

 昨年の鈴生りの花芽。匂いも素晴しかったが、結実もたくさんで、500近くを袋掛けをした。甘くて美味しい。

 

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白夜・・・

2017年06月23日 | Weblog

 日中の時間が長く、夕方とも思えない明るさである。早出で帰宅し、枇杷葉の実を捥ぐ。雨が少ないからとも言えぬが、我が家の施肥が糠と塩なので甘い。旧暦の皐月も終わり、閏皐月に入る。梅雨らしい天気は程遠く、晴天の爽やかさだ。

 施設での生活でも、午前中の入浴には抵抗があるのに、通ってきてまで午前中に風呂に入ろうとは思わない。至極当たり前の生活をしているなら、夕方になる。これも勤務の様式で、加えて職員の勤務都合である。そうして集団での入浴。

 自分が、通って来るにしてもご遠慮申したい。まるで芋の仔を洗うような状況と、誰が入ったかも分らない湯である。然も、裸になってであるのを、職員といえど見られたくない。入浴拒否と言うが、信頼関係もなくては入れる方が怖いでしょう。

 湯舟は、丁寧に清潔に洗ってほしいし、個人の対応を求めたい。それには金銭的な価格があるのでしょうか?家族の協力はむろんの事ですが、高齢になればこそ、明日のことの保障は無いのです。いいじゃないですか、本人の自由にして。

 わたくしは、枇杷湯でないと入りません。さら湯は苦手ですね。ちくちくするし、カルキの臭いが堪りませんから。施設の方も、今後は利用者へのニーズに応えてほしい。身上等はありませんから朝湯は控えたい。老後は好きにしたいものです。

 働けど・・・暮らしは楽になるどころか、悪化の一途を辿り、収入の糧もなく、悲惨な老後が待ち受けているだけ。でも、何の落ち度も無い人を、巻き添えにすることは許せない。自然を蔑ろにする行為も、即ち人類に還ってくることを心に留置く。

 サンタさんのに決めてある枇杷葉。屋根の庇より高くなって、剪定をしておるが。淡路田中で粒が大きい。

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認知症って・・・

2017年06月22日 | Weblog

 新しいことが理解できず、自分のしていたことを直に忘れるが、元気でやっていたことは、はっきり憶えていて、穏やかに聴けば話したり、記憶の箪笥を開けられる。我が家の枇杷を差し上げたら、顔を輝かせて口にする姿に目頭が篤くなる。

 認知であり、高齢であることを理由に、施設に預けて行かれるが、面会にはせめて訪れてほしい。自分を産み育ててくれた人だ。如何なる理由があろうとも、親には変わりない。一切を放棄するなら兎も角、せめて気持ちは持ち続けてほしい。

 食事一つをとっても、家族や身内の面会で、意欲が湧き、口にされることも多い。そこには、人間としての愛情があるからだが、歳を重ねれば、身体の自由が利かなくなり、思うに任せない生活は当然起こる。年寄り笑うな行く道じゃ。己もまた。

 本人の自由を尊重して、行動してもらうには、職員の究極の努力が必要だが、何分人手と金銭的な折り合いが難しいもの。加えて家族の人情も多大にある。我がパラダイスを読んだり、やすらぎの郷を観たりすればいいというものでもない。

 現実は到底厳しく、感情的になれば、柵から抜けられなくなる。公私混同はしまいと思っても、気づけば考えていることに。忙しいとばかりに言うが、日々話し合って解決していかねば、事態は悪化するばかりだ。施設に預けて安心ではない。

 職員の資質にもよるかもしれない。皆が、介護福祉士であり、同じ立場で同等であれば、協力の遣りかたも違う。働くのにも事情があり、子育てをしながらであったり、疾病を抱えての勤務もあろう。介護職には、腰痛を始め疲労が大きいのだ。

 業務だけをしていればいい、というものでもない。雑用の方がたくさんのこともあり、日々そういった業務に追われる。横着を決め込んでしない者、適当に遣る者、後始末に余計な時間を割き、疲労困憊になる者と、その落差は大幅に違うもの。

 火星。マーズ神・戦いの神とも呼ばれる。この惑星が赤く輝くと、戦が起きると、古来から伝わって来た。

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皐月、夏至・中潮

2017年06月21日 | Weblog

 二十四節気 夏至 太陽が王道の、北端を通る日なので、北半球では、一年中で最も昼の長い日で、暑気も厳しくなる。毎年、六月二十一日頃である。タイガースのCDの中に、白夜の騎士、というのがある。花の首飾り同様公募曲らしい。

 夏至。白夜である。白馬に跨った王子様が、悲運の姫を助けるべく、宇宙より舞い降りる。天馬ペガサスに乗り、宇宙を飛んでいたペルセウス王子。断崖絶壁に鎖で繋がれた、アンドロメダ姫を見つけ、今にも海獣に呑まれる寸前を助ける。

 メズューサの首を掲げて、海獣を石に変えてしまう。そもそもの事の発端は、エチオピア王家の后・カシオペアが、自分と娘の美しさをひけらかしたことに始まる。云わいでもいいのに、海神ポセイドンの娘達にも優ると豪語した。神さん怒る。

 海の化け物・フォマルファーストを使って、エチオピア王家の魚ができなくしたり、津波や嵐を引き起こす。国民は堪ったものではない。カシオペア王妃の自慢のために、国が滅びてしまうとばかりに、王宮に押しかけてアンドロメダ姫を生贄。

 星座では、秋の星として注目だが、神々の怒りを買ったカシオペア王妃は、天空に巻き上げられたが、水浴びをすることも適わず逆さのままだ。自分の美しさをひけらかすのは、以ての外であり、神さまとは決して比べてはならぬ。教訓です。

 エチオピア王家は、ケフェウス王も居るのに、影が薄い存在。妻の自慢を諌めることもできなかったのは気の毒でもある。天馬ペガサスは大きな平行四辺形で、ペルセウス王子は、初秋の宇宙に流星群となって降り注ぐ。アンドロメダ星雲も。

 新芽の出た真紅の薔薇が、たくさん咲いている。仔猫の餌や、トイレの用意をするのに、勤務先から寄ったら、ベゴニアが安かった。サルビアも¥70とあって買う。帰宅して早速に鉢に植え替えた。挿し芽でどんどん増えていくが消えるのもある。

 枇杷葉の実も、毎日捥いでいるが、未だ枝が撓っている。でも熟れてないから取れない。シーちゃんからもお礼のメールが来ていた。はり灸さんは、引越し中なので、少し後の方がいいようだ。実際、袋掛けを500近くすると、根性と忍耐が要る。

 月と金星の輝きに、毎夜見惚れる。自然の移り変わりを知らないと、地震も津波の予測もつかない。

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