枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

試行錯誤・・・

2021年10月30日 | Weblog
 悩んでいても前には進まず、かと言って考えることをしなければ解決しない。まあ、いいかとなればだが中々そうもいかず。何だか、何をする気持ちにもならずぼんやりな時間もある。ちょっと休憩かな…気温は20℃で温かく天気も秋晴れの快晴なのに。取敢えずは洗濯を干して、布団も広げて弁当を作ろう。

 秋茄子は嫁に食わすな、と云われるくらい美味しいとかなので油で炒めて。胡瓜も同じことばかりにも飽きるから、酢と砂糖で絡めてみた。大根は半月にして煮つけ、春巻きを揚げて鯛の塩焼きで詰めた。今朝はご飯無くパンです。そうなのよ、新米を戴いたのだが余りにも勿体なくて床の間に飾っているの。

 それを毎日見ているのだが、新米って今食べなけりゃ鮮度も味も落ちる訳よね。折角贈って下さった善意も、古米となってのお礼は拙い。自分では買えない・買わない種類だが、日に日に味が落ちるだろうなぁ…そんなことを取り留めなく想いながら、ブログの更新をしているのだが今晩戴くことにしますね。

 今朝はお弁当の配達だけだったので昼までに行って、途中図書館の古書の市に寄って来た。目ぼしい雑誌と書籍が数冊あり、自分だけがと思って職員に聞けばいいですよとの返事。現代農業の籾殻特集が面白く、後は棒針編みのを貰い受けた。外に出れない時の余暇には持って来いで、学びたいことも多いの。

 庭の枇杷葉を見ている内に、陽射しが気になってきて剪定までの期間を折れない程度に引っ張る。既に3mを越えてしまうと袋掛けも儘ならず、生葉を採るのも難しい。要は横着なだけであるが怪我の功名ならずで、不自由になれば動きがとれないのは必然。若い時分に物事への目標を立て、その後の無計画。

 自宅は山のど真ん中で、獣の棲む場所に間借り状態であり四季折々の景色や情景には不自由しない。揚羽は何種類も見かけるし、野鳥は好き勝手に飛来しての自然の宝庫で先日には赤蜻蛉も飛んでいた。翡翠も居ます。石清水の湧き出る場所に行けば見られるが、縄張り争いはしたくないので遇えば挨拶だけ。

 今日は何かをしようという気持ちが薄い。昨晩も一昨晩にも月の姿を観ながら、流れ星も確認していたが冷えたのかな?ブロ友さんのやさしさに甘え過ぎかな。とも想えるが足手纏いになってはねぇ。今更ながらに、井上靖氏の姥捨て山の事実も分ろうと謂うもの。わが母の記、何度も観ているが今晩もだわ。
コメント (13)
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