枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

うさぎのダンス・45

2023年03月31日 | Weblog
 ふみこは、身体に異変を感じる。それが何であるのか、どういうことなのかは簡単に説明できないが同じことを繰り返して?と思えてしまう。ある一定の処までいき、微妙な変化が転じると起点に戻る気がする。一瞬の戸惑いや迷いに疑念を抱くと、それを考えられない時に還って新たな始まりに繋がっていくのだ。

 その都度、これじゃない・違うのと心で叫ぶ。すると、場面が変わり願いに相する展開となる。記憶の片隅には、何度も見た顔と心地良い声が聴こえ来るが。肝心な名前が思い出せないものの誘っていく流れがあり、ふみこはそれに乗る。情景は不透明でありながらも、同じ人が傍にいて交す言葉は歓びに包まれる。

 だがふみこは疲れてもいた。祖母の声…幼児のけたたましい叫びが走馬燈のように廻る。何処に行こうとしているのか?何を・誰を捜しているかがわからなくなる。心に空洞があっても意志を持たなくても、生きているのだからと云うささやきを聴いた。ふみこは心の扉に鍵をかけ、閉ざしてしまおうと決めていた。

 ふみこは数人の他人から求婚されたが、何処にも行く気がしなかった。兄の口利きで本屋に勤めるようになり、慣れない仕事に張り切っていた。自転車での配達は雨の日は困るが、見知らぬ場所に行くのは楽しかった。商店街には中学校の同級生が何人もいて、少女のままで飾らずなのもうれしい。笑顔が増えていく。

 本屋で、本が読めると思ったふみこだが、早朝に荷物が届き仕分けして配達ではその時間はない。荷物は重い上に落としたら用が為さない品物で、立ち読みはあるしバスの行き来で土埃が積んでいく。小まめな掃除は怠れず、ふみこの用事は幾らでも押し寄せて来る。唯一、本に囲まれてが救いで身体を動かせていた。
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うさぎのダンス・44

2023年03月30日 | Weblog
 ふみこの眼前に、リョウが産まれてからの様子がフィルムのコマ割りのように流れる。両親や家族の溢れる愛情のもと成長して、声まで聴こえてくる。新幹線の座席に座るリョウまで辿ると、時は止まった。ふみこは、事実であり真実と思う気持と感情のすれ違いとに愕然とした。あたしがいないわ、どこにも。

 リョウは窓の景色を観ていたが、鞄の中から手帳を出し何かを描き始めた。ふみこにはそれが何かが分かり、言いようのない想いにかられその場に居たくなかった。その瞬間に身体がもみくちゃにされ気づくと車の中で、はっとして隣を見ればリョウではない人と一緒だ。そうだ、あたしこの人とデート中だわ。

 相手に悪いな、と思いながらふみこはリョウの姿が妙に気になる。何だか随分と歳が上に見え、違和感が拭えないでいた。ふみこは話しかけられても上の空で生返事をしてばかりに、車が止まった。「ねえ、楽しくない?つまらないの」ふみこは頭を振り、小さくごめんなさいと呟く。どうかしてるわ、あたし。

 それからのふみこは、誰に誘われても断ってしまうのが増えた。リョウのことばかりが胸に渦巻いて消えず、それなのにどこに住んでいるのかさえ分らない。高校を卒業したばかりのふみこなら、リョウは在学中の筈だ。新幹線で見かけたリョウは、既に家庭があるように思えたのはなぜだろう?不安が広がる。

 祖母が亡くなって日は浅いが、今わの際に云った「おまえは、想う者とは結ばれず波乱の人生を歩むぞ」その言葉がふみこを捉える。「あの時に、手遅れじゃった」祖母の意味を為さない言葉に、ふみこは落ち着かない。想う者…誰のことかな?祖母が知っているのも解せない。お宮・月・うさぎ画像だけ廻る。
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うさぎのダンス・43

2023年03月29日 | Weblog
 ふみこは祖母の呟きに「迎えに?祖母ちゃんをか」「何でもないわな、それでそん人は消えたんじゃろな?」ふみこは、うんうんと頷いたものの祖母の様子に「ばあちゃん、お宮の路って何処と繋がっとるん?あの人を知っとるんか」こんな祖母を見たのも、ふみこは初めてだ。祖母の、迷う気持がどっと押寄せる。

 「昔はな、その路は抜け道でのう」祖母は、まるで呪文を唱えるように話し始めた。何でも安倍晴明云う陰陽師が、母親恋しさに忍んで来たと語る。祖母の話はちんぷんかんぷんであるが、お宮のある場所は霊気が漂い空気も違うのは前から知ってる。ふみこがそこに行くと、身体中に電気が走り動けなくなるのだ。

 それはふみこにだけ起きることらしく、幼馴染は平気だ。何故かは分からないまでも、それが異変を起こしあの男の人を引き付けたのかも知れない。祖母はふみこに、お宮を通る時には必ず手を合わせるようにきつく言う。それから暫くは何も起きず、すっかり忘れかけた頃お宮の石段の中空に揺れる黒い塊を見た。

 ふみこは、その塊りに人差し指で触れた。次の瞬間、手も頭も身体さえ引き込まれた。あれっ?足元が定まらない、何か動いている感覚がすると辺りを見て吃驚した。耳をつんざく異音がして、ふみこを歩けないように揺っている。窓に写る自分の姿を見て、ふみこは声を上げそうになるのを両手で押さえて止めた。

 そこにいるふみこは成人した姿で、足元が定まらないのは動く物に乗っているのだ。車内は殆ど空いていて、席に座ろうと移動しかけてその人に瞳が止まった。リョウさん!どうしてここにいるの?車内アナウンスで新幹線だと知るが、リョウはふみこに気づかない。記憶の断片がふみこを捉え鮮明に、時を翔ける。

 暦 閏如月・上弦・小潮 青空にくっきり月が懸かり、午後も7時前には天頂近くに。
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うさぎのダンス・42

2023年03月28日 | Weblog
 その男の人が、どこから来たのかは分からないまでもふみこの心を捉える。何よりも、微笑む顔に妙な懐かしさを感じ声にも聴き覚えがある。それが何なのか、どこでだったのか記憶は曖昧なのだ。「ここにね、何だか来た覚えがあるんだよ」ふ~ん、ここらに住んでたの?小父さん。ふみこはその声に耳を傾ける。

 ふみこに男の人の年齢は分らないが、大人には違いない。「誰か、さがしょん?どこに行きたいんかな」ふみこが小さな声で言う「う~ん、捜しているというか…道を歩いていたらここに出たのさ」「小父さん、迷子になったんか」「仕事に行こうとしてて駅で車を下りたんだよ、気がついたらここにいたってこと」

 ふみこはちんぷんかんぷんな話に、疑いの瞳を向けた。その時、ふみこははっとした。もしかしたらこの人は、あそこの路に迷い込んだのではと胸騒ぎがしてしまう。それでふみこは「小父さん帰りたいの?」「そうだよ、可なりの遅刻だけれどね。休暇願を出してないから」「だったら、元の所に還りたい言うて」

 ふみこは、自分にできることが相手にも出来ると思うので何気に言う。「そうかぁ、そこまでは気がつかなったよ。ありがとう」ふみこは声音に惹かれながら、頷いてしまう。誰?だれじゃろう、名前が出そうで思い浮かばない。「じゃあ言うよ、元の場所に還して」消えた!ふみこも呪文にして唱えただけなのに。

 ふみこは、思わず買い物籠を見た。豆腐と揚げは無事だが、空恐ろしさに家までを夢中で駆けた。祖母を見つけ「ばあちゃん、お宮には抜け道があるって言うたなぁ」「あるともさ、どうかしたんか」ふみこは祖母に一部始終を話す。祖母の顔色が変わるのを、ふみこは瞬きもせず見つめた。「迎えにきんさった…」
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桜は満開に・閏如月・中潮

2023年03月27日 | Weblog
 一昨日に足湯の娘さんから連絡があり、今日の訪問となった。昨日の時点で、花見と予定して稲荷寿しを作る段取りに。今朝仕掛けていたご飯を炊き、酢飯にしておく。Am10時には迎えになり、図書館の駐車場まで行く。夜勤明けなので事故が心配なのもあり、朝食はパンと珈琲にしてひと先ずは昼まで眠って貰うことにした。

 昼食の準備が出来た時点で、着信があり焦る。放置するのもと、折り返し用件だけで済ませ昼食にした。お腹が空いていたのか、5つばかりをすまし汁と一緒にぺろりと食べていた。美味しかったとうれしそうな顔で、その後に足湯をして左足の腫れマッサージとなる。なんだかんだと世間話をしての先程送り、自宅に帰還となる。

 予定では、枇杷葉の袋掛けだったが年中無休の身では致し方ない。明日に持ち越そうと、変更中。気温が低く、無風だが肌寒いのは花冷えと思う日である。桜の花も、長持ちするように未だ散ってはいないのが有難い。木通もユキノシタも新芽が出たので、天麩羅にしよう。十薬も良いようで、蓬も芽吹く春たけなわに感謝よ。

 連載は、明日の時点からに。集中しないと書けないという性格もあり、構想は出来ていても修正や改稿に時間を要するもの。長編は、余りにも長いと飽きてくるきらいがあり難しい。だが今回のは、どうあっても書き上げなければの想いが強い。祖母が待っているであろう、彼岸浄土に少しでも近づきたく急かされてが半端なくも。

 今までのわたくしは、生きていることにも己に対しても酷く冷めていた。容姿のことも無関係ではなく、厭でならなかったのも事実だ。皆が同じであるとか、誰かと違うことに違和感が強くうんざりもしていた。ブログ上で、コメントを書いて下さったりメールや電話での励ましに心より感謝申します。訪問の方々、何よりの励み❣
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雨も桜色に染まる・・・

2023年03月26日 | Weblog
 つい数日前に図書館までの途中の桜は、固い蕾であった。連日の曇りと雨の日々が、潤いをもたらしたものか昨日は一気に満開となっているではないか。お弁当は作ってないが、道路脇に車を停めてのデジカメ撮影。気温は16℃と低いが、早春を思えば暖かさに感謝と心も弾む。川面も緩んだ気配がして、水鳥ものんびりと。

 昨夜からの雨に、エリノアの白椿もひっそりと佇む。庭の海棠が咲き始め、球根類も勢いがよく姫金魚草は明日かと思わせる。芍薬の芽も、十薬や木通が思いっきり這ってきているのもうれしい。木通の蔓を天麩羅にするのは、この時期でないと皺くなる。木通は耳鼻咽喉に効くので、花粉症状や扁桃腺炎にも実を焼酎に漬。

 薬草も自然栽培に徹しないと、その効果は怪しい。木通を持って来てくれた友人は、単に食べる目的でのことだが天啓に焼酎漬けにしておいた。痰の絡みも失せるので、風邪の引き初めを嗽にしている。仕事を辞める前からだが、鈴木健二さんの著作にあった計画を実行だ。気づいたのは40代であったから、余裕で出来たもの。

 年齢を重ねての中で、身体が思うに任せなくなるのは至極当たり前の現象。それを気力や体力での補いで、実行するのは至難の技。だが事前に用意しての備えなら、多少の時間差はあれどもブレーキが利くかも?と思えた。枇杷葉での試行錯誤も、悠に20年を経過してのこと辛抱の連続であった。耐えるにも絶えずに堪え。

 従って3年前に仕事を辞めると決めてからは、保険証を作らずで一切医者には罹らない。保険料も年金だけでは払えません。食費も光熱費も極力抑え、知恵と工夫を愉しみながらの旧暦暮らしが身体には合っている。何しろ朔日で始まるので、心身への影響は極小に留り清貧の暮らしの日々を送れる。これが何よりも有難いわ。

 身近にある命を感謝と祈りで戴き、一日を生かされている心根には西方浄土への路。数字が現れるのには、遭遇と導きの賜物と有難いもの。連載の終える日も近い。自分を高め、信じることに精進するのみだ。己の可能なことへの歩みが後に続く者等に、幸い也と祈り於くが日にちは限られても来ていると知る。神・森羅万象。
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うさぎのダンス・41

2023年03月25日 | Weblog
 朝の事だ。食事中にふみこは思いっきり箸を噛んでしまい、先が欠けた。片方だけだったが、これが食べ難くご飯が挟めない。「おまえは丈夫な歯じゃからええわ、俺なんぞこっちじゃな」兄が茶化すが笑い事ではなく、ふみこはべそをかいた。祖母が鉈鎌を手にして、軒下に置いてある竹を割り裂いて削ると渡してくれた。

 祖母は器用貧乏と、殆どの物を作るのが得意で店に行くまでもない。ふみこは使い勝手は良いが、箸の頭に花模様のついたのが欲しくて堪らない。祖母も母も「食べられればええが」と素っ気なく言い、ふみこの気持ちには無頓着だ。貧乏は嫌だな、とため息とともに思うだけのふみこだ。祖母は、納屋で縄綯いを始めた。

 月末になると大きなトラックが下の路に来て、縄の綯ったのを計りに掛けて買い取ってくれる。その小父さんは「何とええ出来じゃな、少し上乗せしとこう」筵も何枚か融通してくれと、祖母に頼み込んでいる。村での誰よりも織ったのとは違い、申し分のなさにあちこち引っ張りだこで評判だと話して賃金の上乗せとなる。

 筵を織るのは、真ん中を引っ込めながら左右の厚みも均等にしていく。藁の打ち方も、重ねてなのも目で見てだけなのに真っ直ぐになる。筵を織った当初は重いが、使い始めると乾き扱い易くもなる。そういった一連の日数を計算に容れての手作業で、母にさえ真似が出来ない。祖母は、ふみこを手招き箸代をそっとくれた。

 ふみこはうれしくて、村の下にある雑貨屋まで駆けた。箸は、花柄ではなく兎模様だった。それでも自分の物なのは心が弾み、豆腐と揚げのお使いもしてお宮坂へ差し掛かった「こんにちは」男の人がふみこに微笑み話しかけてきた。ふみこは戸惑い返事もできないでいたが、顔に声とに聴き覚えがあることを思い出していた。
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うさぎのダンス・40

2023年03月24日 | Weblog
 ふみこが不思議に思う祖母の行動の一つは、どんなに晴れていても山に行かぬ三隣亡の日。春休みだと気が抜けるようだが、牛の世話も他の家畜の餌取りとすることは多い。祖母は明ける朝を待ち籠を背にし出かけて、ふみこが起きる頃には一仕事終えて汗を拭いてだ。野良着を着替え、普段着で風だけを通している。

 竹竿で揺れる野良着は裏の場所でも良く乾くが、破れを繕い汗の臭いもする。滅多に洗うこともなく、最後には燻しにするので棄てない。田畑での作業中、虫が寄って来るのを防ぐと言うが余り当てにはならない。ふみこは虫に刺されるし眼に飛び込むので「けむてぇばあじゃが」軽口を叩くので、よけいに虫が寄る。

 お彼岸を過ぎると畑に出て、祖母は母と草抜きをしながら苗床を作る。木型の50㎝正方の箱に、草を抜いたのを下に土を被せ箱を填める。そこに胡瓜や茄子、とまとに南瓜の種を置いて芽を出させる。硝子の蓋をして、その上に新たな草を乗せきっちりと締めて置く。祖母の方法は、確実に発芽するのでふみこは驚く。

 だがこれを母が遣ると失敗が多く、発芽しても苗が萎びてしまう。祖母は、母のしているのを見越しており種を再び撒く。ふみこには同じに思えるが、祖母はほほっと笑い「気持ちが通じんとな、あれらにも命があるんじゃわ」「種にか?」「そうじゃ命じゃ。それが無かったら芽は出りゃせん」祖母の魔法なのかも。

 祖母のしていることは、自然への畏怖であり感謝からの行いとふみこは気づかない。野良仕事はしゃがんでするので、腰や足がつらくなる。へたり込めば泥だらけになり、洗濯物が増えると母親から小言だ。盥での洗い物は絞れても乾きが悪く、何日も干され着替えに事欠く。靴は、学校に履いて行けない汚れ様となる。
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うさぎのダンス・39

2023年03月23日 | Weblog
 春休みには宿題もなく、気温も緩やかになるのがふみこはうれしいばかりだ。ところがその期間は、遠くの山に焚き物をしに行くのと筆軸を切りに出かける。朝寝ができるどころか、学校に行くよりも早く布団を剥がれる始末で寝惚け眼で起きる。祖母は七輪に炭を熾し、網をかけた上にお結びを乗せ焼いていた。

 竹の皮を干したのに包んだのを、ふみこの背に括りつける。お彼岸の時期だが、早朝には肌寒く温かくていい。朝日の昇る中を歩いて行くが、手押し車の上には妹が乗り他には鎌や鋸があるだけだ。子どもの足だと二時間はかかる場所で遊びながらだと、途中小走りになる。ふみこは歩くのが嫌になり、お腹も空く。

 背中の弁当が気になるが「食うなよ!」兄が煩く言う。祖母が大事にしてある袋を腰に下げているのを、ふみこは知っている。袋には、小豆が入っているのだ。それを到着したら直ぐに湧き水の中に漬けて置き、一合分の米とを鍋で炊く。お結びもだが、屑小豆であっても山では殊更に旨く感じ待つのはうれしいもの。

 山に入るのは生き物への用心もだが、火事には細心の注意を払う。湧き水を掘るのもその為で、乾いた土の場所を深くして石で囲んでおく。祖母はぶつぶつと呪文のように呟き、澄んだ水を鍋に汲んで小豆を浸す。焚き物をしながら空を見上げては束を作り、頃合いを計って火を熾して小豆と小米の鍋をかけおいた。

 家には柱時計しかなく、祖母が時間を分るのも不思議で「ばあちゃん、なんで?」「お天とうさまよ。あそこに来たら支度して、こっちに移ったらええ加減じゃ」ふみこにはさっぱりだが、影でも分かると言う。ふみこは、学校で教わらないことばかりだった。星の動きや並び方にも祖母は詳しく、天気は必ず中る。
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うさぎのダンス・38

2023年03月22日 | Weblog
 ふみこは畑で鍬を振るう祖母に「ばあちゃん、そばってうどんに色がついたのか?」祖母はやおら腰を伸ばせ「うどんは小麦粉じゃで、そばは蕎麦粉じゃ」先日、祖母はうどんを打って食べさせてくれた。その美味しかったことは例えようもない「蕎麦か…そうよの、今年は作ってみるか」ふみこは飛び上がった。

 ところが待てど暮しても、蕎麦は出て来ないのに堪りかね「何時になったらできるん?」「おまえは、蒔いた種が生えてきて実らにゃ採れんのぞ」祖母は可笑しそうにふみこの顔を見て言う。農協に行くのも、種が入ってでないと買えないそうだ。ふみこは直ぐに食べれると思うのが、半年先にと気長な話になる。

 辺鄙な村の店屋には、缶詰はあるものの肉はなく魚は自転車で売りに来る。魚屋さんは早朝に港のある場所に行き仕入れて、そこから氷漬けにして持って来る。ふみこの家では、買って貰えるのが鰯や鯖と決まっており偶に鯨肉になる。七輪を持ち出して火を熾し、その間に母が出刃包丁で捌き井戸水で洗い焼く。

 猫の三毛が良く知っていて、何処にいるのかすっ飛んで来て騒ぎ回る。内臓の類は地面に置いておくと、鴉や鳶が狙う。羽音が、バサッとした途端に足爪に掴んで飛んで行く。ふみこは、地面に置いてあるのを手にした。それを見た祖母から、野生の物へ人間が携わることはならぬときつく言われたのが胸に沈む。

 鴉も鳶も頭が良く賢く一度味を占めたものか、ふみこを見つけると上空で旋回を始める始末だ。祖母は「爪に細菌もあるからな、あれに引っかかれると厄介じゃ」鴉にしてみれば餌が目の前にぶら下がってのこと、ふみこを見て揶揄ってもいた。後に図書室が出来てのこと、シートン動物記に‟銀の星”を読み納得。

 暦 閏如月・朔・大潮 朝から一大事が起き、PCが作動しなくて助っ人探しに漸く復帰となる。○○イケメンのお兄さん、ありがとうです。
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