枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

曇りはしたが・・・

2021年10月24日 | Weblog
 気温の低下にも身体が慣れて、庭に出ての徘徊をして枇杷葉の苞の出方を見ている。思わぬ箇所からの膨らみに、生命力の素晴らしさを感じる。青紫蘇を抜いて片付け、枇杷葉の傷んだ葉や枯れたのを落とす。その後、一旦室内に入ったが以前から枇杷湯用のと、珈琲糟や使い捨て懐炉を裂いて混ぜた物を入れ置く。

 堆肥を作るのに枇杷葉の根元付近に重ねているのを、足で踏んでみたら簡単に崩れた。軍手を填めていたので触ると、面白い程にばらばらになる。序にそこら辺を見栄え良く片付け、夏・沢山の実を付けてくれたお礼を伝える。半年処か1年以上も放って於いたのだから、必然的にとても状態の良い堆肥になっていた。

 木村秋則さんの著作・百姓は地球を救うには、土からの改善を試みないと作物は出来ないとあった。福島正則さんも、自然での環境こそ素晴らしいと書かれている。農薬でなく、その恩恵を甘受しながら作物を栽培出来ればどんなに好いか。不可能なことではなく遣れば出来ることを説かれるのに共鳴・賛同する者。

 けれどもそれには時間が半端なく掛かる。わたくしは単に自分が口にする物には、農薬を掛けたくなく上げたくもない。見栄えばかりを気にして、命の有難さにも気づかずでは何と勿体ないことか。結果的には自分の身体に還り、地球の存在を脅かす。胡瓜が曲がっていようが、食べた時に美味しければ好いのだわ。

 枇杷葉での繋がりには違いないが、小さなことからでもコツコツと続けて来てやっと仲間に廻り遇えた。枇杷葉を多方面に活用して貰うには、誰が好いか決め兼ねていた時視えた人が居た。何度かの訪問も終えて、通じたことがとてもうれしい。其処から広がっていく速度に驚き慌て、吃驚の連続でもあるこの頃だ。

 奇跡が起きた。そんなことがあるのか?とも思われる向きかもだが、事実は小説よりも奇怪なことでその現象は続いている。わたくしの力ではなく、枇杷葉に籠められていた物が一気に放出したものと想える。不思議な方だとも感じているが、当人は然程気にされずで丁度佳い。過信は禁物ですから、それも亦也で。

 フェンスの向こうに眼をやったら、何と姫金魚草が数本咲いている。異常気温に零れ種が発芽したものだが、風に揺れるさまが可憐だ。クリスマスローズも、新芽を出してきており陽当たりを良くしてやったらうれしそう。苗の梱包方法を考えていたが土袋に容れて、葉が傷まぬようにしなきゃ、と模索中でもある。

 ikuchanさん地には枇杷葉があるそうだが、鉢に支柱を立てて寒冷紗を掛けるのが好いよ。夜間だけナイロン袋というのも、呼吸しているから忘れたら枯れる。風で飛ばされないように工夫してみて下さい。剪定は寒中が望ましいのですが、この時期は大丈夫です。高さが身長よりも少し上で調整をするか横に引張る。
コメント (13)
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