枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

旧花祭り・小潮

2020年04月30日 | Weblog
 口先ばかりの職員である。段取りをよく考えてしなければ、業務に忙殺されるだけなのだ。入浴もトイレ介助もしなければならないことだが、殊更に見守りの大切さは言うまでもない。認知症状でなく、埼葛歴から常習化してしまい、必要以上にすることのない者には、つい物を仕舞いこむ。それが当然のことのようになると、こっそり自室に持って行く。

 必要な物なら持っていればいいが、溢れる程の量になると異常だ。然も、自分の物を拭いたのまで溜め込む。衛生的には良くないし、これをトイレに流せば詰まる原因にもなる。結果、トイレは詰まるし物は足らなくなる。貴重なマスクも、ナイロン手袋も、自分の物だと部屋に持ち込む。価格の問題ではなく、物資が不足しているから困るのだが無頓着。

 認知症状があるとしても、何だか哀しくなってしまう。新しい事には対応できないが、今までにしてきたことは現れるもの。平気で嘘を吐き、厚顔で白々しい態度に驚くばかり。でも世の中には、こういう人も居ることを知った。何気ない事で生きる気力を失くしたり、勇気や元気の出ることもあるが、自分は成りたくない姿でもある。悲惨な臨終だろう。

 仕事を辞めるとなって、使える物はと訊ねて上げている。エプロンも沢山あるし、珈琲も残っているので、淹れることは出来ないが、自分でするならと渡す。それにしても台所は水浸しで窓も汚れている。お喋りを止めて動けば、少しは綺麗にできることもしない。横着を絵に描いたような者ばかりである。わたくしが辞めたらきっと塵溜め施設になるな。

 弁当の注文が増えてきて、材料費だけを貰うことにしてみる。でも、毎日は作れないし、こちらの都合もあるので、どうしようかと計画中です。衛生面に気をつけてやることと、手作りの旨さを広めたい。そこいらにある薬草にも出番が?花のサラダも綺麗でいいかも。外せない食材として、蒟蒻や卵焼きを入れよう。枇杷葉茶も勧めてみるのもいいかもです。

 まあ、最初から儲けはないし、夏場は作らないのが好いと思える。冬場には、ノロ対策も怠らずで、地道にゆっくりとやっていこう。日本の四季を、目で感じ、食べて貰える献立にしよう。わぁ老後の愉しみが増えた。新しいことには勇気が要るが、挑戦してみるのもいいかも。自分も相手も愉しめる内容で、学んでいくことが大切でもある。努力は必要だね。

 苗木を植えた時には、ヒョロヒョロでどうなるのかと思ったが、暁子さんの隣家に伐ってしまった時、我が家に飛来。

 
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天体ショー

2020年04月29日 | Weblog
 素晴らしく光る金星は、光度がマイナス4.5等という明るさ。月は6日目でスタイル抜群。ここ数日、曇外に出てねばってみたものの、厚い雲に覆われて根気もなくなっていた。夕方の天にくっきりと見事な姿を観て、感動のあまり身体が震えた。ギリシャ神話でも、その美しさを讃えられているセレネとビィナスである。同時に観られる一刻に感謝する。

 朝である、晴天の青空だが蒲団は干せない。未だ霜が降りているのと仕事である。然し、弁当を詰めようと炊飯器の蓋を開けたら、炊けていないではないか。直ぐに炊く手はずをするが、段取りも狂う。そのドタバタの中で、風呂場の鉢物に水遣りをし、すばるの姿が見えないことに気づく。呼べども居ない。何時潜り込んだのか風呂場から鳴声がする。

 飼い主の不手際である。このまま気づかずに居たら、今晩の入浴は凄まじい現状であったろう。戸口を開けているのに、その下をかいくぐって出て来る。猫の習性かも知れぬが、興味を持つのも探検心からか?以前にも、入っていたことがあるが、何やら寝転がって臭いを付けていた。まあ、外に出ない分を家の中で冒険しているのかも。何をかいわんや。

 残す処数日となって来たが、身体が休みを要求している。腎臓の調子も何となく悪い。寒さが堪えているのかも知れない。懐炉を貼りつけて出勤しよう。家に居るのもすることが多くあるので、身体は休まる暇もないのだが、自分の段取りで動けるのが好い。かと言って寝食を忘れるのも考えようだ。当分は、枇杷葉の袋掛けに追われそう。しなくっちゃ。

 天気が良く、気温も高くなれば、暖房の点いた部屋には居ないのがすばる。然し、朝夕の冷え込みには中々判断も付き難い。加えて切ったり点けたりでは、却って電気代が高くなる。これは遣ってみてびっくりした。電力会社が儲ける筈だよ。便利で手軽に、快適な生活の落とし穴でもある。仕事を辞めたら、そこまでの維持は金銭的に困難になるので。

 枇杷葉の淡路田中。これは種を植えての木で、昨年が初生りだった。今年も幾つかは小さな青い粒が見える。

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外出自粛・・・

2020年04月28日 | Weblog
 こういう時にパチンコ店に長蛇の列。大音響で、煙草の煙が立ち込める場所である。普段でも行く気にならないが、依存症では対処も出来まい。いいんじゃないの?店が閉まって開くまで、外での待機をして貰う。移動しなければとも思うのですよ。わたくしも自分の趣味を止められたら困る。何時も我慢を強いられていると、そのうちに爆発かも。

 今朝も晴天の暖かな日です。蒲団は昨日干したので、枇杷葉の袋掛けをしようと思い立つ。脚立を出しての作業だが、直ぐに終わると遣りかけたら、意外とたくさんあって、中々掛けられないのに困惑。序でのように時雨もあり、上の方には届かないので途中で止める。暁子さんのにしているのが、長崎茂木と房州枇杷が混ざっている。わぉ鈴生り。

 リエさんのにも、裏年にしては多くある。サンタさんのが、寒さに枯れてしまい少ない。全体では三分の一だが、収穫できるだけ有難い。今年の暖冬で、フリージアがたくさん咲いた。赤に黄と紫・濃い桃と白が咲いている。球根が落ちたまま咲いた白にはびっくり。庭では、遅咲きの水仙にスズランが香る。通草も、近づけば微かだが甘く匂うよ。

 枇杷葉の袋掛けは腰が痛いし、足が突っ張るので、小さい懐炉を貼り生葉を当てて行う。長時間の作業になると、しんどくなるので日にちが掛かる。連休中は勤務に出て、その後は身体に合わせて、好きな事をしたりと考えている。その中で、弁当の依頼が多くあり、最初は材料費だけの徴収で配達して、信頼関係を築いてから一定の金額にしよう。

 自宅に居たら、食生活が不規則になるので、誰かのために作ることをしていれば、時間も過ぎよう。余り無理をしないで、気儘にやりたいので口コミがいいか。夏場には食中毒が怖いので止め、材料も吟味して作ろう。旬の物を取り入れて、3人程の予定ですが。一人は、おかずだけでいいようで、後は届ける時間が不規則なので、連絡を貰って配達。

 仕事を辞めて気落ちするよ。と言われるが、することもしたいことも沢山あって、のんびりとしている訳にはいかない。図書館で借りた本も読みたいし、ブログの更新もしたいので。却って多忙になりそうな気配がするが、自分の好きなように時間が使えるのがうれしい。協調性に欠けるところがあるので、しんどくて辛かった。孤独を愛するのだ。

 未知の世界は、未来への入り口でもあり、予期せぬことも待ち受ける。コロナでの来たるべき世界へ。
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小さな親切も・・・

2020年04月27日 | Weblog
 大きなお世話である。二十歳迄は親の責任もあろうというものだが、そこからは自由であり、平等とのことなら、当然責任は付いて来る。親は、保護の立場を離れ、今度は自分のことだけになればいい。結婚をしないのも、仕事をしないのも自由である。生活できる術を教えていなければ、ことにも。何時まで経っても巣立てない。自然界での掟には、そういった不条理はない。

 親は子どもの自立を妨げてはならないし、何時までも頼ってはいけない。会社に勤めるかは別で、自分で設立してもいいことだ。要は、稼ぐことをすればいい。他人の金を当てにせず、自力での生活にできるよう努めるべし。起業するには、人の遣っていないことや、アイデアが豊富であること。先を視る力があることだ。同じ事でも機転が利けば、儲けることにも通じていく。

 地道に辛抱強くこっそり努力を重ねることで、伸びていけたり、一定の収入に繋がるかも知れない。加えて、有名にはならぬことである。悪事に利用されたり、気付かぬ間に騙されていたりする。自分での満足が第一で、誰かが困っていれば手を差し伸べてやればいい。枇杷葉には、お釈迦さまやイエスの導きがあるので信じて疑わない。自然を知ることは命の源でもあるのだ。

 昨夜の気温でも暖かかったが、天気も加わって上昇している。青空市でたらの芽を見つけ、最後だろうと買う。駐車場にはユキノシタがおごっていて、数枚を摘んだ。天麩羅にしよう。Aさんちに水を分けて貰いに寄り、恩師に蒟蒻を置いて帰宅した。枇杷葉温圧療法の要点を書いたのも、机に載せておいたが、腰痛で病院に行ったら、更に痛みが益す様な揉み方をされたらしい。

 痛い時には揉まないのよ。枇杷葉の生葉を患部に当てて、痛みがなくなるまで続けること。それが引いたら蒟蒻を温めて、患部に当てるのです。この時にも、肌に当たる箇所に枇杷葉を置き、布に包んだ蒟蒻を乗せる。蒟蒻が冷めてくるまで20分から30分かかる。途中、熱くなったら外してもよく、何度でも繰り返す。蒟蒻は薄く切ったりしないで、小さくなるまで使い切る。

 患部に痛みがあったり、腫れている場合には、絶対に揉まないこと。枇杷葉の生葉はひんやりとした自然の物なので、何度も取り換えて当てましょう。じっと横になって居られない方には、当てたままで動いても構いません。熱がしていればくっ付いて落ちませんよ。同時に、足の裏にも貼ってみることです。カラカラになってくるので、熱の状態がとても良く分かるのです。

 リエさんのに決めている枇杷葉は、駐車場の出入り口の南に植えてある。狭い庭は枇杷葉だらけです。
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介護の仕事にも

2020年04月26日 | Weblog
 職員の中には、物事の基礎も知らない者が多い。詰りは、核家族であったり、独り暮らしであることにも依り、いつの間にかそれが当たり前の生活になって行く。一人だと自由ですから、好きなように出来ます。でもそこには当然の責任もありますが、このことには無頓着であったり、煩わしいので逃れようとしたりする。同居では、お互いを尊重し共存です。

 然し、これも当たり前と言えばそうで、自分の我儘が通ることの方が可笑しい。価値観や其々の生き方に違いがあるもので、我慢を強いるのではなく、お互いに譲り合っての暮しをしないと、喧嘩ばかりになってしまう。何を何処迄と言う約束事を決めて、尊重し合わないと諍いは終わらないもの。動物の世界には、縄張りがあって、強い者ほど広くなっている。

 だが、自分だけのものではない。多ければその分の生活を保障して、面倒をみてやることと掟もあるのだ。自分勝手な行動ばかりだと崩壊する。結果、自分も危険になり生きてはいけない。人間は、それを平気で遣り、己のことしか考えない。言葉巧みに言うが、他者を思い遣ってのことはしない。明日の生活さえおくれない状況で、どうやって生きて行くのか。

 コロナのせいだけだはない。目の前の損得勘定ばかりをして、他人の命への配慮がない。命など軽いものである。それよりも自分の都合や儲けの算段ばかりする。これまでにも書いてきたが地球は再生しようと必死である。生き物がいようがいまいが、このままでは堪らないと足掻く。それに気づけるかどうかの瀬戸際でもある。オリンピック処じゃないだろう。

 昔の何もない時代には、どうすれば生活が良くなるかを、何かしら考えての生活だったが、誰かが便利な物を発明し、特許を取れば儲けもあるとなり、そこから様々な機械が造られていった。テレビのカラー化もそうで、普通に観えていれば良かったのが、対等な印象へと変わった。お金さえあればとがむしゃらに働き、遣り方次第では資産も増やせた現代へと。

 家庭は、人間の心を置き去りにしての生活の場に転じ、皆好き勝手を遣りだす。会話をするのも画面越しとなり、SF作家等の描いた世界に近づく。未来は素晴しく夢に溢れ、綺麗で簡単で便利な生活に。でも、落とし穴には気づかなかった。放射能の影響を描いた物が無かったのではなく、敬遠されて読者が少なかっただけだが。HG・ウエルズ タイムマシン。

 否!読者の中にはちゃんと読んでいる方もおいでだ。!SFの世界は、ありとあらゆる状況での設定だから、実に面白く興味深い。でも、現実にはそうはならないと言う想いも存在している。事実は小説よりも奇なり、とも言うがコロナでの恐怖には限りが無い。細菌、県外ナンバーの車が増えて、あちこちに停まっているそうだ。隣県から買い出しに来ている?

 天気がよいと、この格好です。蒲団を干す飼い主の隙を狙ってもいる。何回か、脱走したが遠くには行かない。



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暦の暮らし・・・

2020年04月25日 | Weblog
 落語家の、志ん生が語るクオリティの高い貧乏のススメ という新書本を読んでいたら、暦での暮らしには、身体が四季に因って対応していることが書かれていた。そうなんですねぇ。新暦だと実に気忙しいもので、機械と秒刻みの生活に喘ぐばかりです。旧暦に還れば、殆どが一月遅れで、のんびりと暮らせますし身体もついていく。免疫や抗体も作れるのです。

 コロナが蔓延していることにも、無関係ではなさそう。お金さえあれば贅沢な物が手に入り、世界中の何処でも行けます。テレビも様変わりして、電話も変化が著しい。それはそれでいい事なのでしょうが、そういったことについていけない者もいます。視えないものが見えたり、第六感が働いたりする。特異体質かも知れないが、元々備わっていた能力なのかも。

 今朝も気温が低くストーブを点ける。魚も焼けるので便利。枇杷葉茶は、ガス焜炉でもいいが沸騰するので、始終気になってしまう。洗濯機も回せば朝から動くばかりで、油断していると噴き凍れる。その点、ストーブだとじわじわなので融通が利く。勤務先に持って行くのと、家に置いておくのと分け注ぐ。珈琲も挽いて淹れたのを、保温水筒に容れて持参する。

 弁当も作れたし、洗濯物も干したのでブログに係る。すばるは出窓に居るらしく、呼んでも来ない。そろそろ奈良興福寺の御薪能が始まるが、夜半の開催にしても、雨天での能楽堂にしても中止かな。宝生流 金春流 観世流 金剛流に狂言が加わって演じる。室町幕府での足利氏の間者・密偵が、地方に放したとあるが、大衆の集まる野外で舞っていたらしいが。

 何にせよ、夜の帳が降りてきて、かがり火が焚かれる中に、悠然と浮かぶ様には圧倒される。この世にこれ程の美しい物があるのか、とも思えるのに面を付け絢爛たる衣装に身を包んで、静かで迫力ある舞いである。そこには物語があり、人間の業も含まれていて、観る者を幽玄の世界へと誘う。歳を重ねて来ると日本文化への想いが強まる。奈良は訪れたい場所。

 人間の心を豊かにするのは、お金だけではない。ないからこそ言えることも、贈収賄で貰っていれば口を噤む。でも、悪い事はしてはいけない。自分の物も他人の物も一緒ではない。判らないようにしていても天は知っている。然し、本人は平気なのだ。良心の呵責も無ければ、人を思い遣る気持ちも欠ける。国会議員とはそういう職種なのだろう。乳母日傘です。

 枇杷葉の花に気づいたのは、孫が産まれてからだった。何とも言われぬ匂いに、驚いたものだ。天からの恵に感謝。
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寝違い?

2020年04月24日 | Weblog
 昨夜、ワインを飲んで、沢田研二さんのDVDを観ていたのが、何時しか子守り唄になって、そのまま寝入っていた。蒲団での就寝ではなかったため、寝違えたかと思ったが、単なるエコノミー症候群であった。朝風呂に浸り塩で身体を擦る。消毒液がきついので、手荒れが止まない。残るところ1週間に近くなり肩の荷も軽い。窓拭きはボランテェアかな?

 水戸黄門の再放送が観えなくなったが、日付を話すのに、一週間と台詞を言ったのには驚いた。江戸時代には、なのかでしょう。何処をどう間違っても、明治以降の言い方である。こういう間違いも、良く聴いていなければ分からないが、余りのいい加減さにびっくりである。まあ政府のしていることに比較すれば、然したる問題でもなさそうだが変ではある。

 枇杷葉が気になり外に出るが、通草も絡ませるのを逆にしたりと遣っていたら、思わぬ時間が経つ。雲行きが怪しくなり、蒲団を仕舞った途端に時雨が来、片付けを終えたら晴れてきた。まあ、自然とはこういうものだと妙に納得する。朝は寿しの残りを食べたが、昼はパンにする。珈琲を片手に飲んでいたら、すばるが慌てて来るが、残念!食べちゃったよ。

 地元の図書館が、唯一対応してくれるのが助かる。これがネットでの予約で、宅配になればまた考えるが、コロナの広がりは無限である。何しろ、空気中を浮遊していて、免疫が衰えたり、抗体の有り方にも因って感染するのだ。何処にでもいる状態では、安心も安全も程遠い。だからといって防げない訳でもないが、今や暗澹たる現状に思考も鈍ってくる。

 わたくしは、枇杷葉のお陰で凌いできているが、殺菌作用や除菌効果には、化学物質よりも自然の物が意外と効く。要は、自分の暮しのスタイルを持ち、自分也の納得での行動をしたい。マスクにも振り回されることもなく、リエさんからの情報を信じて、世間を知ればいいのだ。それにしても、議員の視察って、分っていたけど、はっきり言って杜撰だね。

 コロナで動きが取れない、というのを無理矢理に押し掛ける配慮の無さに、まあ首相があれだけの器では、下の者にもとは思っていたが、ここまでの体たらくとは言葉も無い。横柄な態度も、威張り腐った言葉にも、何等釈明の余地はない。素直に暇だったから行ってやった、と言えばいいものを。謝るって、遣っておいてからでは遅いんです。馬鹿だねぇ。

 筍が1袋残してあったのを、昨日の時点で茹でておいた。明日、散し寿しを弁当にしようと味付けをした。具にするのは余りないので、買い物に行こうか。厭々あるものを使ってが好い。文句のある者には食べて貰わなくても。そうだ!山椒の芽が数枚あり、錦糸卵も出来るじゃないか。ちょっとした工夫であれば、弁当の心配も無くなる。節約・倹約ですね。

 青紫蘇があちこちで発芽している。夏の寿しに持ってこいなのだが、無農薬だと葉が齧られる。今年は、ズッキーニの苗を買ったがどうだろう?穀雨の辺りで植えたので、しゃんとしている。甜瓜が欲しくて植えていたのは、小さなのが一個きりだった。畑が無いから仕方がない。子どもの頃に、祖母が作っていた想いには、悔しいが程遠く近づけないもの。

 駐車場まで数分かかる。歩きながら宙を観れば、金星が燦然と輝く宵である。寒さも暫し忘れて眺める。
 

 
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卯月、朔・大潮

2020年04月23日 | Weblog
 コロナでの感染予防対策として、ノロでもしていた消毒をしているが、これが極度の肌荒れを起す。指の間や手の平が痒くて堪らないのだ。加えて、我慢ならない。で、掻きむしってしまい血が出る。これを治すのに、洗治療をするのが塩。枇杷湯も効果があり、風呂場での治療となる。それにしても痒さが半端でないのが辛い。化学反応に異常数値が。

 昨日は、寒さがぶり返したような寒さで、換気のために窓を開けると不評だった。暖房も点けての事なのでしておく必要がある。散々に言われる悪評に耐えて行う。何だか疲れてぐったりだった。本日は足湯に来る娘が、散し寿しを作る手伝いをしてくれる。塩換えもあって気忙しい。何分、昼に間に合わせる予定を守りたいので。大丈夫かなぁ?心配。

 今朝は、午前7時に起きての用意で、何とか昼前に届けることが出来た。筍は、やはり京都であることを実感する。軟らかくて美味しい。椎茸は、出来上がっているのを混ぜる。蒲鉾と蕨を入れて、錦糸卵を乗せ海老を飾る。米は無農薬の朝日。これが実に上手く合って美味しくなった。お礼の電話もかかり満足。訪問者も2名ほどあり持ち帰りも有り。

 仕掛けたのは5合だったが、自分の分も含めて何とか空になる。足湯に来た娘は、今しがた帰って行った。夕ご飯も食べての帰宅である。明日は夜勤なので、珈琲を持って行くことにしたが、薄目を頼むとのことである。好みが煩いのだが仕方ない。捨てられるよりは良い。捨てる前に残しておけば、温めて飲むんだがと独りごちる。贅沢な事でもある。

 珈琲の味も、馴染んでいるのが好いらしく、新しいのも美味しいかと、試食させたのが間違いだった。好みは多様化しており、贅沢にさせた責任もあると反省。でも、インスタントの分量を見れば、濃い味に思えるが。珈琲も豆で買いだしてからは、風味や香りが好く無ければ飲めない。小川珈琲は人気が良い。加えて通販で買えるので都合も好いが。

 晴れているのだが、雲の多い気温の低い一日で、台所にはストーブを点けた。四月朔日の筈が、とんでもない日になったものだ。この日から夏に入り、この季節は初夏に変わるのが、春未だ浅きという気温を感じる。コロナも勢力を増しての感染である。死者も増えていく一方なのが不安を掻き立てる。我慢とか辛抱でもなさそうで、なす術もないのだ。

 エイトマン。沢田研二さんのDVDは宝物です。未だ極秘の物もあるが、お宝とは言い難い品物であり、サイン入りの書籍も。
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終息の兆しなし

2020年04月22日 | Weblog
 コロナを終わらせる方法は、便利で快適な生活を止めて、多少は不便でも援け合える暮らしに還ることです。綺麗で簡単でもある機械に頼ったものだと、何かが起きた時には、作動しないからです。電気も使い放しだと、原発に依存して事故に繋がる。それでは文明を逆行させてしまう。季節の旬を感じれる素朴な生き方が、或いは終息させる近道かもしれません。

 駐車場から勤務先まで体温を計って歩く。遊歩道には藤が咲き始めた。満天星躑躅と八重桜も見え、少し離れて白藤も満開になっている。これから初夏に向かうのだが、道端の変化にも気づかない者が多い。スマホに顔をくっつけての歩きである。先ずそれを止めよう。次に春夏秋冬の季節の花木を思い出してみよう。芽吹きも、何がどうなっているのか知りたい。

 旧暦での暮らしには、まるで時間が停まったような感覚に陥る。テレビも観ないし、文明の利器と言えば?見渡せば意外と多い事に気づく。冷蔵庫も洗濯機も掃除機もだが、掃除は雑巾での作業が多い。洗濯機は二槽式なので、時間も短くて速い。掃除機は、1年に数回の作動で、殆どが雑巾と箒で遣ることが増える。コロコロも大活躍をする。身体は動かしたい。

 何処かに行って、高い会費を払ってのことだが、厭々でも行かねばならない。我が家で、何やかやしているので、わざわざすることもなく、出不精の割には肥らない。然し、年齢と共に腹が出て来たのは甘い物には眼が無いからだ。以前にはアルコールは駄目だったのが、最近はワインも呑める。枇杷葉の花芽や種を漬けてのエキスは、35℃なので慣れてきたのだ。

 食べず嫌いだったりしたので、リエさんが作った物は食べれるようになった。我が家では、好みであるため業には作らない。平凡で素朴な味が良く、若者向きには慣れていないのだ。鰹節や椎茸の基本の味が美味しい。明日は、散し寿しを作るのだが、牛蒡や筍での具彩にしたいもの。簡単で便利なのも好いが、心を籠めて作りたい。さて昼食に間に合うかしら?

 珈琲は、サンタさんのを買っていたのが、値上がりして販売を断念された。今は銀座のカフェから取り寄せている。時々、リエさんが見つけて送ってくれる。サンタさんも枇杷の実のお礼に。そんなこんなで、珈琲は贅沢をさせてもらっている。その時々で、味にも変化があり愉しみでもあるので、年金暮らしになっても止めない。料理の研究をするのも有かな。

 パソコンを作動させると、膝に乗っかってくるすばる。この頃は、爪切りをしていなかったので痛いの。
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心身を癒す・・・

2020年04月21日 | Weblog
 昨日一日、自宅で過していて疲れが溜まっていたことに気づく。気温も上がらずであったから、室内に居ると肌寒い。春爛漫の時期でもあるのが、コロナでの自粛で出かけられないからだ。予定では、リエさんに逢っている筈で、浅草や蒟蒻閻魔さまにお参りをしているのが、人が少なくても行けない状況だから仕方ない。その分を山菜を送っている。

 辞職願も無事に書け、明日は持って行く段取りである。下書きを何回かして清書した。万年筆で書くのは久々で、字画の取り方に苦労した。尤も、これが何時もあっては堪らない。長年と言っても10年ばかりだが慣れには限度も感じる。介護の仕事は二度としたくない。低賃金の上に、事業所に依っては無理を承知で、職員の労働を強いることも有。

 今朝は曇り空である。何だか気分が低下するが、勤務なので行かねばならない。自分の気の持ちようでもあるので、辞めてからの今後に期待したい。365日自宅で過すとなると、読書三昧にはいかず、庭での仕事が増えるだろう。遣っておくことに衣類の整理もあって、押し入れを片付けよう。自分の軌跡を残しても、誰も喜びはしないがブログのみ。

 勤務に清掃が付いているので、少し早めに行く。辞表も提出するべく事務所に寄るが、日付が間違っているとの指摘に、書き直す羽目になる。図書館で借りた本には、そうは書いていなかったが、勤務先の主旨なので止む得ず。昨夜、転倒していた方が、骨折と分かり入院になる。こうなることを予感して、注意していたのを聴かないからですな。

 何時までも若いつもりでいるのは好いが、転倒すれば骨折のリスクは大きい。自分ではこけないと思い、ふらつくのを歩く。今後は、施設には帰れない。年齢的なこともあって、無理な相談でしょう。高齢者の我儘にも多々あるがこういう思い込みが怖い。家族でさえ見放しているのを、辛抱して介護してます。そういうのって分かってないでしょう。

 明日は早出勤務で、翌日が朔日となる。卯月になり、わたぬきとも言う。四月朔日と書きます。これが転じてきて、綿貫となったようですが、この日を境に、綿入れを仕舞うところから、気温が高まってくる初夏へと転じる。古の方々は、実に妙意な言い回しで、季節を現わしていたものだと感心する。昨今は、温暖化で季節感は薄れてきてはいるが。

 枇杷葉の花は、初冬から咲き始めて、寒さに凛として香っている。この頃になると、親指大に青い実が。

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