枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

自然に生かされる

2021年10月28日 | Weblog
 先日夜半の月に懸かった虹を観た時、近直地震が起きることが判った。自然からの警告を何も当てたくではなく、備えての暮らしであって貰いたいだけだが通じない。災害が起きれば不平不満を言うが、自分で心していれば防げることもある。豊かで便利な快適そのものの生活が出来ないから、文句を言うのだろうか。

 多少の不便さがあっても、ちょっとした工夫で過ごせていれば我慢できることもある。自然への感謝を忘れ、お金で何もかもが解決できるとすれば哀しい。必要ではあっても、土壇場では役には立たないこともあろう。皆の心が通じて繋がり、協力してであれば苦難も乗り越えられる。それが忘れられて久しい現状だ。

 戴きますの言葉には、沢山の命が宿っており自然への祈りと感謝がなければ無駄になる。食事の度に云うのも、形式からであれば心は伴わない。其処には人間の傲慢さしかなく、高級店に行って食べるのも自宅で作って戴くのも同じ筈です。金額の上下は無論だが、心を籠めて作ってくれても命への感謝を忘れている。

 わたくしが枇杷葉に感謝を、と常日頃云うのは自然への畏怖であり命への有難さに対して。出来ることはさせて貰えば良く、枇杷葉で援けられるならと思う。これまでにわたくしが遣って来たことで、確信があることしか伝えられないのも事実でもある。或いは方法にせよ、異なる遣り方であれば断言できなく不安が。

 今朝の弁当には、豚肉に塩胡椒をして片栗粉付けフライパンで揚げた。肉の両面がキツネ色になって、火を止める直前に三杯酢を回しかけた。ブロッコリーの塩茹・甘酢茗荷、青梗菜と生姜の短冊切りに人参を混ぜて煮つけた。卵焼きも一応厚焼きが成功!1回が¥300なので難しい。美味しさと歓ぶ顔が見られれば佳。

 昨晩は、湯たんぽをしたのだがすばるは布団には来なかった。マッサージチェアにも小さいのを入れてやったので、満足しているらしい。朝見たら暑かったのか毛布上に乗っていた。午前中は洗濯物を干す出入口の箱で日向ぼっこし、布団を仕舞ったらPCの部屋に来て指定の箱に居る。出窓には鉢を並べているのです。

 今年の枇杷葉の種を乾燥させていたのが、仕舞い忘れていたので室内の鉢に入れていたら発芽している。えっと、3粒程に枇杷葉茶を注いでいたのだ。庭の木通の捻れたのを戻して絡ませたり、場所を移動させたりした。枇杷苗も5本ばかりを鉢に移植したが、育つかしら?こっちに来てねと連れて行ったがどうかなぁ。

 足が痺れているのも腰が痛みを伴うのも原因は分かっているが、本人には告げられない。その方は漢方には興味がなくその気も無い。枇杷葉の効果は、誰しもに同じではないのと症状の改善等には本人の関心も必要なの。姉が妹を想い、或いは友人の体調を案じる気持ちがなければ治りはしない。継続は力なりも然り。
コメント (12)
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