枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

輪廻転生・宇宙の神秘

2023年12月31日 | Weblog

 昨夜からの雨に一安心し、洗濯物は最低限に除湿機を点けた。エアコンは室内気温が10℃もあり、無駄な消費と止める。衣類での調整に努めている為、寒さは感じずである。仕事を辞める前に、ベルメゾンで長く着られるデザインや色を買い置きと流行は追わずなのです。

 体型維持必須だが、wは60を保持しつつ解れは繕うのも節約に。冬の条件にはウール100%として、手洗いを遂行。横着をすると縮むから、季節を着回し羽織物で凌ぐ日々が意外に愉しめる。カラー判定もだが、似合う彩は間違いなく判るのでシンプルなデザイン中心也。

 外出する時の気温や行く先に応じて、小物装着も愉しめる。寒さは苦手なので、季節的にはズボンだが如何せん股下で悩みは増える。今時の子どもならいざ知らずあの時代のこと、寸法無くああ無情。最近も安さに眼がいくものの、敢無く断念することが多い事実に愕然。

 すばると過ごせる一日、トイレが済むと・早よ取ってとせっ突かれる。朝に昼と、飼い主の食事が気になるようで、監視を怠らずだ。お結びは塩が苦手らしく、一口で止めた。梅干しとマヨネーズには見向きもしないが、シーチキンやチーズは呼ばなくてもすっ飛んで来る。

 新暦では一年の締めですが、旧暦は霜月十九日。年内に手持ち無沙汰とは、予定通りに行えたことも作業を変格活用しないことと徹底した成り行き。自分の身体に負担してまで、無理をしても歓びに繋がらない。ブログ更新・訪問と気が向いたらコメントでき、満足と佳哉。

 行く年に握手し来る年へと。大勢のフォローさん、訪問・応援に謹みて感謝を申します。

 追記 りんちゃん、お帰り!何はともあれ、更新してくれてありがとうね。

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気温の暖かさに・霜月

2023年12月30日 | Weblog

 今朝も晴れて、気温も高く過ごし易いのは確かだ。寒がりに取っては有難いものと思えるが、自然・地球にはどうだろう。地上ばかりか宙の汚染区域も広がる一方に、多大な懸念を抱く。人類の発展と嘯くが生物の生態系を尽く変え、破滅へ通じていくとは考えていないのだ。

 一体誰を中心の思考なのか?霊長類の頂は人間と云うが、果て佐て神が決めたことだろうか。其処には、事業主の儲け絡みしか浮かんでこなくて歴史を繰り返す。簡単・便利・明るく・清潔には、金銭的なことも少なくない。現状維持での生活を継続するには、資金の調達。

 我が家の周りは、山に囲まれており一級河川も流れている。ここ数日、野鳥の異様な鳴き声に自然界からの警告を感じる。天気続きは植物や昆虫に、或いは微生物にも事無き事態が生じるのは必須だ。宇宙の摂理が壊され、地球は回復しようとしている気配を思えてしまうわ。

 旧暦での暮らしには、一喜一憂の気持ちが少なくて遣り易いのも有難い。節約し倹約できる事項に努力を重ね、知恵と工夫を怠らない。一切何もせずは在り得なく、自らに課せることへ向き合うものとも。人間は考える葦である、他人の真似ではなく自然を敬い感謝に尽き。

 一日の刻を自由に使え、誰からも干渉されぬ歓びは殊更にうれしいもの。時には過去に、或いは未知との遭遇もあるが心を開放して愉しめる。禍を転じて福と為すの如しと白黒ではなく、あるが侭の己を保てる。素直な心身へは清らかな物が宿ると、疑わぬ日々としています。

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無窮の針・星座、大潮

2023年12月29日 | Weblog

 朝である。明け方に奇妙な微睡が訪れ、彷徨う内覚醒できなく金縛り状態となった。あちらの世界へ誘われる方がおいでと判るものの、知らない顔でもある。呪縛が外れたのは、すばるの呼ぶ声で我に返った。身近な存在では、思い中る者は居ないのにどうしたことだろう。

 昨夜にも宇宙を観上げながら、恒星や惑星・数多の星の輝きに佇み冬の景色に見惚れた。雨神や風神のお出ましには、室内でプラネタリウム観望しつつ宙を翔けれるのもうれしい。ギリシャ神話を紐解きつつ、枇杷湯に浸れる歓びは殊更とも感謝に値し無窮の星を想う時。

 天空で沐浴できないのは、高慢なカシオペアとアルテミスの逆鱗に触れたカリスト・アルカス親子。神々の世界と云えども、厳しい掟があるようで胸が詰まる想い。北極星は真北を射し動かぬことから、無窮の針と歌にも記された。星座としては、長い年月には変化もありますが。

 年内の掃除は既に済ませているが、お飾りや玄関への花を挿す前との習わしをしている。一年の計は元旦と云われ、旧暦ながら実行。掃除は纏めて遣ると疲労困憊なのもあり、汚れた時に行う。化学洗剤は臭いに閉口するので、桃のボディソープ一晩漬け置きで作業完了に。

 重曹や酢も大活躍し、手荒れの原因は解消され枇杷葉エキス塗布にすべすべ。放置状態より、その都度の作業を行っていると身体への負担軽しに。洗濯機は、枇杷湯使用なのもあり汚れがない。諸経費の節約は、自らの工夫だと身体を動かせることに感謝と有難いことです。

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枇杷葉茶を煎じながら

2023年12月28日 | Weblog

 一日の始まりは、枇杷葉茶を煎じることからにしており台所で過ごす。その間に洗濯機を回し、新聞を取り込み読むのに小1時間程度要する。掃除は、雑巾を掛けてから掃くので朝食後に行う。洗顔は、洗濯の濯ぎ時にしないと水が溢れる事態に。両親へと、銀河のお茶湯。

 今朝は、すばるが起きて来なくて餌を遣っていなかった。昨夜、暖かさに布団に潜らずマッサージチェアー羽根布団。昨日と気温は変わらぬが暖かいのも有難く、ストーブ点けずです。身体も動き易く作業も捗る有難さ、年内の予定は終えての手持ち無沙汰読書にしましょう。

 新聞の枚数が少なく物足らず、料金上がるは如何。買い物は、生協でするので纏められて配達なのも有難い。都会なら、足繁く通い安価な商品も選べるが添加物も農薬もたっぷり。価値観が違うので、他人さまへ申す気持ちはなく自らの判断として長年に渡り購入する次第。

 田舎には、店が無く隣市に行けば時間の消耗を考えて一度で済ませる段取り。燃料費や諸経費を思えば、1ヶ月の予定も立つから殊更に煩うことはない。すばるのトイレ砂と餌は、買いに行くが。試行錯誤して、年金での暮らしを続行しなければならぬ現状維持も大切なのよ。

 枇杷葉の苞が、雨に咲き始めており茂木や田中も綻びが増えた。今回には大幅の剪定予定、花瓶に枝を伐り挿している為馥郁と薫る。人工的な臭いが苦手なのもあり、自宅にある花材はうれしい限りとも。南天は、野鳥が啄み増える一方。玄関飾りに使えて、予算節約感謝。

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霜月・望・大潮

2023年12月27日 | Weblog

 今朝の気温の暖かさに、膝掛や諸々の洗濯を済ませる。布団を干したいが、同時には場所非ず状態に明日へと持ち越す。昨日、出かけた疲れもなく身体が軽いのは小豆懐炉のお陰です。外出は愚か、外での作業等幾ら着ていても冷えるのは明らかと注意怠らずの日々です。

 今年、歓びの増えることも多くあり天空への感謝を。その筆頭は、大平貴之さん監修の大人の科学付録修復して貰えたこと。なまじ素人が直そうとしても壊すだけと放置していたのを、受け敢えないよと言いながらも元より綺麗に。星座の位置始め、丁寧な修繕に胸が篤くなり満足。

 ゆりかごのうた。プロの方が歌のは上手いのだが、多少の違和感拭えず期間無限での依頼を快くしてくれた。何故?この歌に拘るのかは幼少時の想いが脳裏に焼き付いて、心を縛っていたからだ。何度も吹き替えをして、ご本人納得の歌い方を聴き涙が溢れて止まらなくに至れり。

 枇杷葉での繋がりに、真実を受け留めることに換えたら異変が起きたこと。命を終える・使命を果たそうとする方々に遭遇し、予知夢の確かさに心が震えた。在り得ないと云えばそれまでだが、信じて貰えることは疑う余地もなき心が亘る・通じることの摩訶不思議かもしれぬわとも。

 自然に委ね、訓えられ諭される事実には気づかなければ元の木阿弥。白龍に守られて鳳凰の乱舞や、十字架のイエスまでも観えたのは宇宙の導き。森羅万象・事象の多くは、必要なことだけを視えさせ使命を問う。何故観えないのかではなく、時期も必ずあるものと心得ている。

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乙姫の心境にも・・・

2023年12月26日 | Weblog

 今朝は、冷え込むものの思い立った予定決行となる。Am9時前には自宅を出て、2ヶ月振りの市内に行く。JR使用して降り立つと街の喧騒も失せ、人混みは疎ら状態なのを百貨店目指そうと試みる前に料金が足らなかったらとカード入金時…素直に扱えなくて手間取る。

 書店にて、藤井旭さん監修の文庫版・天文年鑑購入して迷う。入った時も迷路に戸惑ったが出れないのに、警備員さんを捕まえて百貨店の道順を尋ねた。独りでの散策なら好いが、隣市までの移動と違い景色の変貌に浦島太郎?否乙姫の心境だったのは確かですわ。

 恋しい相手を追いかけてきたものの、太郎は何処にも居らず近代化されてしまった村に茫然自失。しまった!こんな筈なら玉手箱等持たせるのではなかったわ、と臍を噛む乙姫。返す還すも、何故について行かなかったのかという・あらまほしき感情などと想像し迷子状態。

 百貨店に辿り着き、目当ての商品を即買い蜻蛉返りがモロゾフの店で停まる。生プリンとプリンも求めて駅に戻れば、数分で発車のJRに乗れた。帰宅途上、コープで数点買い郵便局にて年末の支払いを終えた。福沢さん1枚を綺麗に使えた気持ち良さ、清々しさ感謝ね。

 すばるが毛布の間に潜っており、玄関を開けると遅いという。はいはいご飯ね、とお皿に容れ飼い主は鮨を買ったのを頬張る。その後、プリンをやると機嫌を直して和解した。気温も穏やかに暖かく、ニットスーツ着用にも寒さは感じなかったのは殊更に有難く一息吐く現状。

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古典落語・芝浜

2023年12月25日 | Weblog

 以前に買った古典落語カレンダーは、日捲り形式になっていて繰り返し使える。それに依ると、本日は幾代餅であるが江戸時代には芝浜。古今亭志ん朝・立川談志師匠を聴いて、噺にしんみりした。成程ねぇ…、こういう手合いが通じるのも、現代には無情を思う心境にもなる。

 今朝は暖かいと玄関にお飾りを付けに出れば、アスファルトが濡れている。ここ数日天気が続いていたから、雨神の来訪に安堵。年末の用事も一つづつ済ませているので、夜間は眠くなる。昨夜は、世界三大テノールを聴きながら瞼が握手してしまう。何分年齢のせいかと。

 予定通りに物事も行え、気持ちにゆとりを感じれるのは旧暦の暮らしと想える。月の満ち欠けや潮の満干潮には、体内への影響が大きく拘る。自然からの恩恵に祈り・感謝の日々であれば、自ずと判ることも増える。ああ・これはこうなんだと、心の中に入り落ち着くものなのです。

 そういった事象を疑えば、佳き物が反転して心を曝け出すのだが気づかない。個人的には、物事を素直に捉え未来への啓告と感謝する。何も求めず願わずの精神で過ごしていけることの、何と有難い想いだろう。神の存在を心中に宿せることは、これ以上の歓びはなくにも。

 断っておきますが、クリスチャンではありませんです。神は森羅万象・宇宙と、お釈迦さまの訓えに通じるもの。白龍も鳳凰や火の鳥等、奢れる者には視えず清らかであれと諭される。自らの心根を保ち、命への讃歌に祈れる有難さを感謝と背筋を伸ばして歩みたく精進継続。

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余寒に備える・霜月

2023年12月24日 | Weblog

 今朝、庭の徘徊時にランタナが霜焼け状態。昨年までは室内に入れていたのを、暑さにその儘に。鉢類の数が増えたのも有、すばるが悪戯してしまう懸念から置き場所断念。自然の掟に任せるしかなく、枇杷葉の木に囲まれてなのと春を待ちたい。季節の到来は霜月、遠からず。

 昨日は、洗車を済ませればと2時間弱決行した。午後からはのんびり…の予定だったが、気温も高く風も無くの状態に外周りの窓拭きをした。序に玄関飾りも採れたからバケツに入れて置いた。唐辛子・梔子・南天・枇杷葉に木通の蔓と、ある物で適当に纏めてを作る段取りなのよ。

 田舎の良い所は、空気の旨さと材料豊富なことに夜空が観られること。交通便は極めるが、暮らし方の工夫さえすれば不足はない。年金だけでの遣り繰りと云えど、流石に五万円では無理。車がないと徒歩となり、自分に合った方法を見つけて愉しむことは必須条件も課題山積み。

 一日が二十四時間あり、その中で過ごせることに感謝し祈れば好いとしている。多くを希み沢山の物を得ようとすれば、失う事象は増えていく。天からは必要とされる物が与えられているのに、あふれ返って零れることへ気づかない顛末に至る。路傍の石を、磨けば球は燦然と輝きて。

 自らに課せられた使命は、各々に異なる。テレビを観ないし、ネット依存しないのは情報量があり過ぎて間違いに気づかないからだ。判らないことは宇宙が訓えてくれ、辞書を引けば事足りる。但し、誰にでもではないのも確かだ。人生を、生きて逝くことの起伏に富んだ暮らしと想うわ。

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霜月、氷張る朝

2023年12月23日 | Weblog

 今朝の外は、期待に違わず寒く氷もバケツに張っている。今年3回目だが、指先の感覚がなく冷たい。手袋を填めれば温かいのも、洗い物も洗濯等作業が捗らない。指先出しのも、然程の違いもないから止めておいた。毎朝の家事は、そんなに多くないから掃除もし易い。

 箒と塵取りでの遣り方に変えてから、雑巾掛けを先にすると埃が立たず膝を屈伸する為一挙両得。腰には小豆懐炉装着なのも、身体が容易く動く。あれがない何かが足らないとの不平不満にならず、知恵と工夫の暮らしが心地佳いのだ。自然からの恩恵にも有難さに尽き。

 本日の予定は洗車、陽射し有ると気温は低いものの暖かかく感じる。午後からは雲が出るだろうとの想定をして、片付けておこう。何事にも気持ち次第の行いと、楽天的に捉えてしまう。神の存在云々にも、自らへの諫めに心は平安・清らかそのもの自然からの最大の贈り物よ。

 未来が視えたり知らせて貰えることには、備えあれば憂いなしと。記載していることも訪問者が心に留め、怠らぬ精神にしか伝わらない。誰しもに分け与えて下さるのに、気づこうとしないから戴けない。反対に悪しき事象に転じ、尽く遠ざかる事態に至るのだが反省は微塵も否。

 枇杷葉の花芽が次々と開花し、寒さの中健気に香る。庭の徘徊時には、枯れたのや傷みを外し言葉をかけていけるうれしさ。病んだ方への憂いを取り去ること、自然への感謝と祈りを忘れず。枇杷葉に援けて貰い、白龍に守られてを覚れば数多の宇宙へ自由に翔けられる。

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冬至・三隣亡・霜月

2023年12月22日 | Weblog

 二十四節気 冬至 この日は太陽が、黄道の南端を通り、北半球では一年中で最も昼の時間が短い日となる。同時に寒気も、厳しさを増してくる。毎年、十二月二十二日頃である。昨日の夕刻から極端な気温低下に、マイナス表示となりエアコン点けたが指先が冷たい。-1℃

 夜半には-4℃までとなり、寒さに眼が冴えるが外に出るのは中止。枇杷湯に浸れば足首の冷たさに湯温が下がり、鴉の行水は断念す。塩で全身を擦りつつ、踵や腹部は丁寧にして温まって出る。風邪は引くことがないし湯冷めもせず有難いのは、湯が身体を滑り落ちるからなの。

 現代農業の2012・9月号に詳しいが、減塩等以ての外とせっせと研き立てて健康維持続行中だ。誰にもと云う一般的な方法ではないとも思うが、塩や枇杷葉には殺菌作用を伴っているから浄化されるのも否めない。因幡の白兎伝説に見られるように、火傷や傷口対応も可能に。

 この記事には、眼から鱗状態だったが自然からの循環作用を疑う余地はない。枇杷葉との相性も好都合で、糠や籾殻の投入に勢いが甚だしいのも驚きだ。我が家の枇杷葉茶は、寒中に採るが甘みと口当たりが抜群でもある。但し、水質の如何では良さも分らないことが起きる。

 物事は基本に立ち還ることも必要で、常に頭脳的に・何故・どうしてか?と研究心も持ちたい。その事実には、年数と共に知り得たことも多く含まれる。枇杷葉には、不可思議な要素満載なこともあり、古来から秘匿されてきた。それら体験を通じての心理に、飽くなき歩める歓び。

 昨日、青空市にて柚子を買い氷砂糖に皮を刻んで入れた。茹でないで其の儘なのは苦み必要、身体の細胞活性化。大根は膾を作り、餅を焼いたら擂って乗せ揚げにもたっぷりとかけると辛みもあり旨さ舌鼓。自然からの恩恵は、素材の持ち味を損なわぬことも必須条件なのです。

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