枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

例外

2009年07月31日 | Weblog
 自然農法。無農薬栽培。旬の野菜。これを家庭菜園で行う。先ず、医者にかからなくなる。身体の老いはあるけれども、自然体でいられる。自分で作ることで、好き嫌いを言えない。新鮮さが美味しい味を引き出す。余分な物を使わない。そのままがいいが、料理しても、素材を生かした味をいただく。シンプルである暮らしをしてみる。故有吉佐和子の『複合汚染』には、農薬を使うことによって、様々な弊害の出てくることが、数十年前に書かれている。本当に怖いのは、これらの結果が直ぐには出てこないことです。あな恐ろしや・・・。

 某新聞のコラムに、宮川大助さんの話が載っていた。病気にならなければ、健康なことがわからないし、気づかないもの。薬を飲む前に、健康な身体を取り戻しましょう。医者も必要ではある。医は二術の頃には、親切且つ親身になって助けてくれたものですが、金儲けのことしか念頭にない医者が増えすぎました。神を冒涜してはいけませんな。宮川大助さんには、一面識もありませんが、枇杷葉を勧めたいです。家庭菜園の端に、枇杷葉を植えてください。枇杷茶を飲んでみませんか?

 千葉のRさんのお友達は、結構大勢いらっしゃるようです。その方たちは、枇杷茶を飲んでいるかしら?送料さえ持ってくださったら、送らせてもらうんだけど。今や、無農薬のいろんなお茶が出回っているよ。枇杷茶もあちこちで売っていますが、我が家のはちょっと違う。理由は、説明不能です。飲んでみればわかります。ひょっとしたら、隠されている不思議な力が、目覚めるかもしれません。または、消えてしまうかもしれません。

 仕事場で、私のパワーをキャッチしてくれた方は、体調の変化が現れました。或いは、悪くなった方もいます。明暗がはっきりしてきます。心の声が聴こえます。思念が飛び交うのです。ほんとうに単なる手当てです。私の手が、悪い箇所を探り当てて、そこでピタッと止まり、そのまま治療をします。手の温かみを感じてくれたり、変わらぬ気持ちでいてくれる。そのことが継続していれば、決して悪くはなりません。私の想いに反する行為をすると、効力は消えてしまうのね。でも、本人は得した気分だったり、痛みさえ感じることはないでしょう。

 庭の枇杷葉が、この長雨で、とんでもなく成長した。今年はやっぱり、剪定をしよう。ちょっとばかし葉がいる時にも、結構上の方なので、手が届きにくい。木香バラも切ろう。夏には、扇風機もいらないほど涼しいのだが、汚くて見苦しい。土の入れ替えもしよう。カラーが咲かない。フェンスにはいい加減、アイビーが絡んでいるので、バラの誘引をしよう。

 鉈豆と夕顔と朝顔が、絡んで咲いている。鉈豆は、白花と赤花です。朝顔は色々咲いています。青紫蘇も盛大に散らばっています。長雨でものすごいことになっています。百日紅は、冷夏で蕾が少ない。¥198の、体長10cmほどのが、ようやっと1mほどになったもの。猿が滑り台にするには、まだ月日が足りませんね。

 孫が、拾らってきたどんぐり。瓢箪から駒?柏餅にできるには、あと何年かかるかしらん?自然を復活させるには、ほんとうに気が遠くなりますねぇ。
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明日、輝くために・・

2009年07月30日 | Weblog
 道端の野の花は、刈られても、踏みつけられても、農薬を撒かれても、いつの間にか根を張り、花を咲かせている。自然界の掟は、子孫を残すこと。それ以外でも似内でもないのだ。従って、せっせと子孫繁栄の手段を講じる。人間は、そこまで深刻にはならない?いや、なれない。それ以外に仕事をしなくっちゃ。と思う。ばっからしいぃ、金の方がいいや。と亡者になる。だが、草木は要らぬお節介。一途に神の思し召しを守る。ところが花を咲かせ、実を成らせると枯れていく。

 人間は、死ぬのが怖いから、じたばたする。金を持っていても、持っては死ねないのに抗う。従ってよけいにひどくなる。自業自得。分相応であればいい。で、この基準が曲者。決めている内に、だんだんとハードルが高くなる。つまり降りてはこられなくなる。ここまで高い席に行っちゃうと、下が見えないのね。また見ようともしない。此処で気になるのは、工夫することが頭に浮かばない切実さ。ピンとずれ。因みにヒントはありませんよぉ・・・

 昨日は、二進も三進も行かず、お休みをした。今日もやや機嫌が怪しくなりそうだった。寒いです~ぅ。我が家は、未だに扇風機も出していません。勤務先では、寒くなるほどかかっています。家に帰れば、身体を温めねばならぬ有様。血液の循環も滅法悪い。ほんとに嫌になっちゃう。暑い筈の夏場に、骨の髄まで寒く、冬は汗が出るほどに室温を上げる。これが温暖化の原因でなくてなんであろう。

 千葉のRさんは、仕事柄、著名な方々にお会いすることが多い。で、思うのね。ミーハーな私などはつい、お会いできただけで大感激。握手にサインなどは元より呂律が回らなくなって、失態しそうである。そういう事態をどうやって乗り越えていくのだろうか?甚だ疑問なのです。理性の欠片も失せ、自爆するやもしれぬ。そうなったら、一体誰が骨を拾ってくれるのか!って。おおっと、脱線しちゃった。

 ドクダミの中の枇杷葉苗です。盛夏の時期、ドクダミに囲まれて行方知れず。然し健気ですね。懸命に光を浴びようと、呼吸しています。昨年での状態です。今年は、水分には不自由しなかったので、とても元気です。
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小さな親切

2009年07月28日 | Weblog
 AさんとBさんが道を歩いていると、道端に途方に暮れて佇む人を見かけた。Aさんは、そ知らぬ顔で行こうとする。お腹が空いているのだろうか?焦点の定まらない虚ろな目、着衣の汚れと、異様な汗の混じった臭いがする。Bさんは、すれ違い様、素早く観察し通り過ぎた。夜更け、背中に行き倒れた者をおぶったBさんは、納屋に運び込んで、思いつく限りの治療にあたった。昼間は人の目があるので行き来はできないが、深夜の寝静まった頃、そっと様子を伺っていた。
 
 
 1ヶ月も経った頃。生気を取り戻した娘が、くっきりと目を開け、居住まいを正して、お礼を言った。然しながら、自分の名前も素性も、何かで思い出せない。と肩を落として話す。娘は、次の日から、くるくると働き始めた。そうして懐から、一粒の種を取り出すと、畑の隅に植えた。次の日、種は芽を出した。双葉が太陽の光を受けて眩しそうにしている。娘はにっこり笑いかけた。次の日には、10cmにはなっていた。3日後には、1mであった。1週間で大木になった。娘が触った植物は、さわさわとささやき、娘が笑いかけると、軽やかに踊った。

 Aさんは、最近のBさんの変化にびっくりした。然も、いつの間にか嫁が居る。わしに何の断りもなしに。というのがAさんの本音であった。何か妙案がないか。と思いついたのが、怪我をした振りをすることであった。Aさんは、よろよろしながらBさん宅を訪れた。自分の病気を治すのは、天女の生き胆しかない。天女というのは、この娘のような者をいうのだろう。と口から出任せを言った。ところが娘は天女であったのだ。

 娘は、着ていた襤褸を脱ぎ捨てると、肩に薄絹を纏った天女になり、天空遥かに翔け去った。そして、Bさんの頭に聴こえたのは、畑の木を大切にし、病に苦しむ人と成りを助けてあげよ。というものだった。Aさんは、お釈迦さまの使わされた観音さまではなかったか?と思いを改め、Bさんは、うっそうと繁った緑の葉を見上げて、生命の復活をもたらせる植物であることを知った。以来その木は、大薬王樹と呼ばれ、病を治しているのだった。

 ワキガで悩んでいる方。枇杷茶は体臭を消してくれます。手術しなくても治ります。汗腺の働きをさせながら、体内の毒素を排出していくので、痛みを伴うことはありません。騙された、と思って飲んでみませんか?

 お釈迦さまが、悟りを開いた。という紗羅の木。備前焼の壷に活けていたら、枯れることなく、青々と葉を繁らせていた。挿し木をして、根付くのを待っている。
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長生きはするもんじゃない・・・

2009年07月27日 | Weblog
 桜の樹や椎の樹、柿の木に、蝉がたっくさん留まっている。アブラ蝉の大合唱である。う・うるさぁ~い!話し声も聴こえぬほどの大音響。しかし蝉は、この一瞬に命をかけて奏でているのだ。人間もこのくらい必死さがあれば、事が成就するのかもしれない。今度、孫を連れて来て、見せてやろう。蝉は、地中に居る時間が多く、地上で生きているのは、僅かな間です。人間とは比較にもなりません。蝉の1日は、人間の10年かしら?それでも百歳を超えて、生きている方もおいでです。

 平安時代には、40歳といえば、もう相当のご老人であった。10代での結婚が普通で、20歳過ぎると、行き遅れである。仕事は手作業。遊んでいる人間なぞ、一人も居なかった。現代から見れば、遊んでいるようにも思える人種は居た。でも、やっぱり自宅は菜園があって、暮らしの賄いはしていた。古今の人には申し訳ないが、エコな生活そのもの。そういう生活を薬草は、支えて活用されていた。

 で。思うに、薬で使える加減をどうやって調べたの?やっぱ、それなりに研究された人が居たとは思うのね。それとも、未来から過去へ往ってかしら?時間を遡ったりができたとしても、精々80年がいいとこでしょう。それ以上は、影も形もなくなりはしませんか?また記憶のほどもしれているでしょう。時空を操れる者であったなら、翔ければ思う時点に往けたかも知れぬ。夕方の荒れ狂う宇宙を見つつ、想像したまでである。ふーむ!謎は深いぃ!!

 仕事場の新しい上司は、とても肌理細やかな方ですが、私がそう言うと当たっている!と感心された。気配から感じ取れる波動は、口から出る言葉ではないから、嘘がつけない。そのため、真実の姿しか写せないのです。私には、お世辞は通じないのです。でもって、誤解が多い。けれども、真実の伝わる人が居ます。連鎖反応での波動を掴み取れば、自然と感じることができます。ちょっと不思議な兆候が現れます。千葉のRさんは、ご自分ではわからないそうですが、彼女は一種の媒体でもあるのです。そこから触手が伸びていけば、私の意思を伝え易い。

 我が家の枇杷葉は、神さまに守られているのかしら?それとも私の波動に、呼吸して手に触れた全ての物、生きとし生ける者へと繋がっていくのかしら?視える、感じる、反応する。これらが幾重にも重なっては、螺旋を巻いて往くんだよ。第六感なのかな?それだからこそ、触っただけで、癒してあげられるのだと思うな。まあ、普通では気味悪いでしょうね。そういうことが難なくできちゃう、人間が集まったりすると、とんでもないことが起きます。以前、ちょっとばかり忠告しておいたんだけどなぁ。自分でも書いた月日は覚えてないけど。書いたことは記憶している。類は友を呼ぶ、っていつの間にか、そうなっちゃうんだ。

 蜂が低い場所に、巣を作っている。今年の台風は、相当なのが何回も来るよ。水の心配はないけども、自然界の生き物が、巣を作ったりすろ場所によって、台風の進路予想ができる。或いは、どの程度のが来るのかもわかる。生き物の本能です。全国の予想には当てはまりません。地域限定です。ここを読まれた方は、家の軒下や、木の様子をみてください。細かく見ていけばわかります。被害も防げますし、応急手当も講じられます。欲を言えば、家の周り、半径5m内外を点検しておきましょう。要所のポイントにも気をつけましょう。

 寒中の枇杷葉です。葉の緑が濃く、青々としています。この時期に、枇杷葉を採り、お茶にしましょう。これは淡路田中の、2年苗です。花芽はまだなので、腰痛専門にしました。焼酎1.8ℓに対して、枇杷葉は50枚くらいです。大きさはいろいろあっていいですが、葉先と軸は切って漬けましょう。3ヶ月経てば使えます。
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雨降って、山流れる

2009年07月26日 | Weblog
 災害は人災でもある。天才ではないから、そういう災害の予知ができない。しかし、起きるであろう予測は立つ。あらゆるデータを調べていけば、結果的には危険予測はできるのだ。地質や自然の状態を把握していれば、どうなるかわかっていたはずである。人間の本能でもある。我が家では、地下浸水が激しいらしく、土竜が引越しをしていた。これだけ、雨が降れば無理もない。それともミミズに住居を奪われたか?巨大ミミズの出てくる、映画もあったような気がする。

 挿し木も、こう雨ばかりでは、茎が腐ってしまう。程ほどの天気でないと、根つかないようです。花芽、大丈夫かな?枇杷葉を見ると、蜘蛛の巣が至る所にかかっています。彼らの生活は、切実なのです。人間は、厭きるほど、食べる物がある。必要ないからと捨てちゃう。自然界では必要なものだけで済ます。シンプルです。でも、食べ物がないと、待っているのは死です。土竜、だいじょうぶだろうか?

 今日の昼。5色素麺と胡麻豆腐をしていただきました。胡麻豆腐は、吉野葛を使って、昨晩から作りました。木杓子で葛と練り胡麻を、火にかけて練ったわけですが、沸騰してからの時間の長いこと。疲れたぁ・・。その後は、冷水につけて冷ましておき、冷蔵庫には入れない。何度も、水を入れ替えて、朝には容器ごと持って行った。素麺の具は、練り梅、胡瓜、大葉、金糸卵、味付け椎茸です。お結びの梅塩で結んだのが1個ついています。わりとボリューウムがあり、お腹が一杯になりました。

 今日のお八つは、桃です。桃の皮を剥きながら、千葉のRさんのことが気になった。食べさせてあげたい。友人に電話して、桃の栽培をしている農家を教えてもらった。ありがたや!明後日には到着するようです。お友達のMさんや、サンタさんにもお送りしたいのですが、却って遠慮されても困る・・・。そうだよね。でも、ここを見られて、お入用でしたらば、どうぞご遠慮なくおっしゃってください。送らせていただきますからね。清水白桃は最高ですよ。

 でも本心は、是非いらしていただきたい。堪能していただき、ご家族のおみやげに、贈答になさってもいいですよ。木から捥いで食べるのは、ほんとうにおいしいです。やっぱり鮮度が違います。でも残念ですが、栴檀の木が植わっていない限りは、農薬がかかっています。自然農法が浸透していないですし、農家の採算が折り合わないのでしょうね。私が枇杷葉に執着するのも、そういった理由からです。儲けが絡んでくると、合法的な遣り方になるのは否めません。

 枇杷葉の、枇杷の実の種です。今年は、昨年や一昨年より、はるかに収穫量が減っていた。我が家で必要な枇杷酒造りには、何等支障はなかったのですが、ちょっと淋しく感じました。
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蜘蛛の巣

2009年07月25日 | Weblog
 蜘蛛の糸ならぬ、蜘蛛の巣が軒下にかかっている。こりゃ、当分雨だな。自然界に生きる術で、雨が降っても、獲物が取れる場所に網を張るんだね。ってことは、明日にも晴れる。という訳ではないようだ。洗濯物が乾かない。除湿機はフル回転です。湿気がたくさん取れてますよ。布団と部屋の湿気が、同時に取れていいですね。天変地異の年は、その前後を挟んで、荒れ模様です。今後も充分な注意と、警戒が必要でしょう。

 冷房をガンガンかけて、厚着をしている。???私は、せっせと温度を上げています。夏場は、汗をかかねばならない。呆れるくらい寒いんだよ。高齢者には、骨まで氷ついているようです。私は、そういう身体の変化を空気で感じる。足の膝に手を置いているだけで、温かくなり、電気が身体の中に入っていく。マッサージとは違うから、資格は要らない。傍で見ていた人もびっくりしていたよ。指先が悪い箇所を探りあて、そこで止まって電気を入れるのだ。

 大勢の人が居る場合は、精神を集中させていないから、熱いほどにはならない。誰もいなければ、遠慮しないでできるのだが、手加減をしておく。まあ、最も単に手を当てているだけでは、何をしているのかさえ理解できない。きっとその時の私は、にんまりとほくそ笑んでいて、見方によっては不気味な感じだろう。以前にも書いているのだが、私に害をもたらそうとする者は、自分のところに返らせてあげる。私を、信じてくれさえすれば、徐々に好転していく。

 我が家の枇杷葉や、私の手を経て持ち込んだ枇杷葉などは、不思議な現象をもたらす。枇杷茶を飲めばてき面変化が出る。またそれらがわかるのだ。視えない、感じない者でも、必ず影響がある。神に守られていることへの証なのです。枇杷茶を飲んでいる人は、結構いらっしゃることと思いますが、こういう変化が現れてくる人や、以前からあった力が、強力さを増してくるようになった。という驚きが無きにしも非ず、なのです。

 我が家の枇杷葉が特別なのか、この天空だけがそうなのかは、証明できません。でも、違っていることは確かなことです。何処の枇杷葉でも、そうなのか?というと、どうもそうではないようです。清らかな心、誠心誠意。邪心がなく、心が傷つき易い。類は友を呼ぶらしい。昨年は、マクロビオテェックの料理をなさっている方が、我が家を訪れてくれました。Mさんは、魅力的な素晴らしい方でした。今はイタリアにお出でです。

 枇杷葉を媒体として、ちょっとづつ交友関係が広がり、料金はいただかないけれど、何かしら思いもかけないことが待っている。出不精の私にとっては、これ以上ありがたいことはない。居ながらにして、必要な物が手に入る。心を込めて送ってくださる皆様。ほんとうにありがとうございます。なんという贅沢でしょうか。枇杷葉様さまです。

 千葉のRさんは、我が家の枇杷茶贔屓です。で、ご友人が滅法広い。まあ、その内皆さんに、不自由しないで飲んでいただけるよう、枇杷葉も採れるでしょう。花芽茶は、たくさんは無理です。実にしたいですからね。定年までに、枇杷葉が軌道に乗れば、楽しみも増えましょう。気長に待っていてください。こつこつと続けていってください。叩けよ、されば開かれん。です。枇杷茶生活で、皆さんが健康と幸せを手にいれられますよう、願っております。

 南天と枇杷苗です。種を植えて1年経過の状態です。今年の冬には植え替えるつもりです。双葉や、苗の丈が10cm未満では、根がないのでうまくつかないことがあります。慌てないで、充分苗の状態を確認しましょう。
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待ち遠しいのは・・・

2009年07月24日 | Weblog
 人其々に、待ち遠しいものがあろう。でも決して欲張らず待つことですね。私の場合。毎年、花芽がついてくれて寒中を過ごし1枝に5個くらい実がついてくれることです。今年は葉の中心に苞ができたら、石灰を入れてみようか?と思っています。肥料も与え過ぎては逆効果で、花芽が実にならないような気がします。

 先日来の大雨で、新芽がぐんと出てき勢いがいいです。枝打ちも2mくらいで止めて、お茶にしようと考えています。焼酎にも漬けておきたい。これは、腰痛や炎症用です。また水虫や田虫にも効果が大きい。虫刺されにもよく効きます。

 枇杷茶を手のひらに載せて、ゆっくり馴染ませ手術跡などを丁寧に撫でていくと、何日か後には傷跡がわからなくなります。また枇杷葉の焼酎漬けを傷口に貼ると、痕がかなり目立たなくなります。魚の目には、枇杷茶か焼酎に足を入れて1時間もすれば取れるようになります。

 痛みがなく自然に取れるようです。足の形がきれいになって、歩くのに支障がありません。パンプスが履けるようになりますよ。治してあげた人から絹のマフラーをいただき、びっくりしました!

 宇宙を観たい。此のところ雨続きでさっぱりです。夏の天候は不順なのが当たり前。冬場と違って湿気に悩まされ、入道雲の出現や夕立が多い。それでも天の川の美しさは群を抜く。冬には見えにくいのだ。

 夏の大三角は、こと座のベガ、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブ。ベガは星の明るさを決める等級がゼロ。これを基準にプラスとマイナスに分けるのだ。星の光は、マイナスが大きいほど明るい。また1光年は、宇宙の星の光が、地球に届く距離を言う。

 今後、宇宙船に乗って惑星間の旅行ができるとなると、一体何人がいくだろうか?旅費も莫迦にはならないが、一旦大気圏を出てしまうと身体の組織が破壊され地球に戻って来れても回復するのに何年もかかる。

 若田さん。危険を顧みない犠牲的な献身に、絶句するのみ。SF小説には、そういう詳しいことは書かれないから、宇宙の素晴らしさに憧れるんだ。宇宙の星も、地球に居てこそ美しい。

 我が家の西側、隣との境がどうも怪しい。枇杷の気が少ないし、育ちが悪い。原因はわかっている。煙草です。煙草は吸っている本人より周りの者が迷惑ですね。煙に巻かれるのね。副流煙で咽ぶは息苦しいわ。ほんとうに困ったもの。

 隣から煙草の煙が流れてくると、咳き込んで苦しくてため息が出る。煙草を何処で吸おうが、どんな吸い方をしようがこちらが代金を払っているのでないからと言うのを、我慢しているがマナーの低い奴には、呆れ返るばかりです。

 枇杷茶に塩を入れて、目を洗いましょう。とてもたくさんの汚れが取れます。目がなんとなく落ち着かないで、お困りの方は是非してみてください。すっきりします。目脂が出ていたり、ゴミが取れない方にはいいのではありませんか?

 結膜炎には、根気よく何回も繰り返して洗うといいでしょう。手強いですが、挫けないでしてみてください。医者は無論、自分でもびっくりします。

 庭の白いバラです。時間や太陽の当たる角度で、微妙に色が変わります。写真は夕刻の状態。淡い色がきれいでしょう?
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暑さ寒さも・・・死語

2009年07月23日 | Weblog
 昔のもことわざも、最近は死語になりつつある傾向。若い人に限らず会話が成り立たない。文明の進歩が、人間の心の暖かさを忘れさせていく。夏は暑いの!暑くないと米が獲れません。50年も前のお百姓のしていたことを思えば、近年の機械化や、能率的な遣り方は素晴らしいものがあります。祖母も母も田を這うようにして田草を取り、肥料を与えていた。
 
 団扇しかなかった生活が、扇風機になり冷房がついた。でも身体は本能的に機械を拒否する。夏風邪を引き、骨まで冷え切っていろんな病気の原因を作る。枇杷茶を飲んでいると、体内の毒素が排出され、血液の浄化を促し免疫や抗体を自然に任せて創ってくれる。その決定的な変化が皮膚呼吸の促進です。これには旬の野菜を、時期に合わせてたっぷりいただくのも必要です。

 トマトや、胡瓜、茄子、瓜、西瓜、桃、葡萄、バナナ等、缶詰でない新鮮な物を、木から捥いで食べるのがいいのです。温室の物とは比べられない自然の恵みが溢れています。太陽や月、風と雨。多々なる恩恵をいただけることに感謝しましょう。それでこそあらゆる物の命を『いただきます』になり、『ごちそうさま』になるのではありませんか?全ての物に、命は宿っているのです。

 枇杷葉は、生命力の強い植物です。そのため体内にできた癌細胞を食べてしまう。枇杷茶も枇杷酒にも効果の差はありますが、毎日遅々としてでも続けていることによってその薬効が現れてくるのです。夏バテもしなくなり花粉症からも開放され、冷房に頼らない自然に適応していく身体を作ってくれるのです。個人的な症状にもより期間の限定はできませんが、必ず効果は出てきます。夏の陽射しに、シミやソバカスが増えることもなくなりますよ。

 日食や、月食。宇宙の数多の怪異には、命を貴び、畏れ、人間を生かしてもらえることへの感謝の念があるのです。不老不死の身体を与えてもらっても、人間は使いきれはしないでしょう。命は終えるもの、受け継がれて往くものなのです。長生きをするより生まれ変わって、違う人生を歩む方がどんなにか面白いって、その記憶があればですがね。

 今年の啓蟄。枇杷葉を見ると、雨蛙がさも気持ちよさそうに半眼開きで乗っていた。治療が終わるまで動こうとしない。いつの間にか居なくなった。と思ったら葉が枯れていく。枇杷葉の七不思議の一つです。
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46年前・・・

2009年07月22日 | Weblog
 早朝から、兄は画用紙をクレヨンで塗っていた。私は蝉を捕まえるに忙しく、あちこちと駆け回っていた。と。空が異様な翳りを見せた。急に影が消えたかと思える宇宙の異変だった。振り仰いだ空には太陽がなかった!

 兄が真っ黒に塗った画用紙に針で穴を開けて、その写る様を水面に観ていた。日食であった。小6か小5であったと思う。夏休みの自由研究で兄が作ったのは、ドブソニアンの望遠鏡であった。月が上下反対に観えた。

 今日は仕事である。時間的に無理であった。次回は45年後。実際に空を観なくても、どういう状態なのかは、空の曇り方でわかる。孫はしっかり観たようだ。子どもの時の感動を忘れないでほしい。年を重ねてくれば、思い出の一コマにはなるでしょう。

 自然への畏怖の想いを感じ取ってくれたかなぁ?惑星の自転や公転の役割や、軌道が何故あるのかなど難しいことはわからなくても、遭遇した一瞬を大切にしてほしい。そんな風に思えたよ。

 次の天文のイベントは、天の川と木星です。さあ真夏の夜には、何が起きるのでしょうか?銀河鉄道が走り、パックが悪戯しての楽しい夢の国へと連れて行ってくれるのでしょうか?真夏だからこそ、わくわくしちゃう冒険に出かけられるというもの。

 みんな一人ひとりが違った夢で、現実に還って来られるよう祈っていますね。ああ、ゆりかごの懸かった枇杷葉の根元で、切符を売っているようです。うふふ・・・とても小さくて、緑色した人ですよ。あなたにも買えるといいですね。出発は、旧暦の七夕さまです。

 枇杷葉の、お茶の匂いはどんな感じのものですか?我が家のは杏仁風の香りです。青草いにおいでないというのが微妙ですが、毎日飲んでいれば、だんだんとわかって来て感じれるようになります。花芽茶には、はっきりとアロマ効果があってこの香りに癒される。という方が多いです。

 全身を薄いベールで包み込むような気がして、うっとりしてきます。神経の高ぶりを押さえリラックスさせて後、意識を遮断します。この数分がとても大切で、目覚めた時には爽快感が残っています。それがピークになると、全身のパワーが充電されている。ということになるのです。

 私はアレルギー体質で、痒みが随時ありちょっとしたことに反応して全身かき傷だらけで、絶えず何処かしらが血で滲んでいました。メンソレータムやワセリンは、塗るとスーッとしていいのですがベタベタするのが難でした。

 祖母は暑い夏の間だけ、桃の葉であったり枇杷の葉を入れたりして、汗疹ではないけれども湯浴みをさせてくれました。長閑というか、何処かしら間の抜けた空間があったような気がします。

 花芽茶は偶然から思いついたのですが、Aさんや千葉のRさん。サンタさんたちが美味しいねと言ってくださるのでお分けしています。枇杷湯には、ちょっともったいないのでお茶で飲んでから入れましょう。枇杷茶も、何度か煎じてからの方がいいようです。

 1パックに15gですから、無茶苦茶には飲まないようにしましょう。夏バテ予防は春先にしておかなければ遅いのです。熱いお茶を、ふうふう言いながら飲まれますように。枇杷風呂では、全身浴をたっぷりなさっていてくださいね。
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日食や如何に

2009年07月21日 | Weblog
 此のところ世間を賑わしている『皆既日食』ですが、天文ファンでも太陽のコロナや黒点を観たい方、惑星の誕生の秘密に興味があればですがTVで騒ぐ気が知れないという方も、一般にはおいでであろう。ニュースで取り上げられるから観てやろうかと思われる方、安易に観れたからといって、さして感動はないでしょう。

 研究者にとっては、サイクルの不思議さも科学的な解明でどうということもない。もし観れたことによって感動するとすれば、自然の驚異を共有できたことかしら。でもそういうことを地道に、ひたすら向き合ってこられた方々にしてみれば、戦慄するようなときめきがあるものだと思える。

 数年前の百武彗星がそうだ。突如として現れた巨大な箒ぼしに、誰もが仰天した記憶は新しい。この彗星の出現によって前途の言い知れぬ不安と、拭っても消えない暗黒を観た人は何人居たであろうか。

 彗星が現れたことが不吉なのではなく、人間の意識が在り来たりの風景に慣れている心に広がっていく恐怖の塊が視えた。最近の事件の意識の根底には、平気で殺人をする極当たり前の気持ちがあるのだ。気に入らないから。自分を誰も認めてくれないから。嫌な奴だから。

 人間を一人殺そうが、数人だろうが、罪の重さは同じなのではないですか?殺意にも因るとは思えるけれど、殺されていい人間が居るとは思えない。トルストイの生きた時代とも、お国柄とも違っているけれど、違わないのは命の重さと大切さ。

 弁護士が代弁するのではなく、本人の言葉で償ってもらいたいものです。それすらしないで罪の重さが判る筈はなく、死者の魂に触れることはできないでしょうね。死んでいく時の絶叫は、耐えられるものではありません。

 古来人々は、色で分けて区別をしていた。赤は生命の誕生。青は復活。それに黒は、始まりなような気がする。白は、光ではなかったか。手塚治虫氏の『火の鳥』も、アニメでは多彩な色になってはいるが命の色は赤であろう。

 時代を色に置き換えてみると結構面白い。古代では、四色がその最もたる色で成り立っていたのであろう。子どもの魔よけは赤が多いのもうなずける。現代のように色の氾濫が無かった故に、厳かな信仰心を生んだのではないか。

 そうして自然現象には、物事の通りを越えた畏怖の念があり、何よりも闇に包まれる恐怖が沸き起こったのではないのか。だが、自然とは神である。人間の思い違いが生じたとすれば、こういう時ではないか。

 最初に言った言葉が強い力を発する。そうして地位を創り上げてしまった。人間が神にも等しい存在に成りえた。闇が意思を持って動き出したのだ。人間は操られている。しかしそれとは気づかないでいる。

 朝から、たっぷりな雨に、つい想像力を廻らせてしまった。耳が痒い。明日も雨かな?先程は夕焼けがしていたが、明日の日食はどうかしら?

 枇杷の種から芽が出たよ。千葉のRさんから、お便りをいただきました。これは昨年の状態ですが、移植は直ぐには行ないません。できれば今年の冬がいいです。今の時期には、根元が傷んでしまうことがあります。

 地植えがいいですが、鉢なら直径30cm位の大きさに1本か2本にしましょう。日当たりや天水のいい場所に設置します。東西南北に置けば、何処のが早く成長するかがわかって楽しいです。
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