枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

花見

2013年03月31日 | Weblog

 勤務途上は、花盛りである。山桜はむろんのこと、躑躅も赤紫の花が満開。山は、新緑に秒読みで換わり行く。川の波立ちも、のたりのたりと、緩やかに下る。野鳥の獲物も動き出す。帰路には、孫の通う学校の桜に、提灯をぶら下げていた。

 桜、咲く。長い間、春は嫌いであった。特に、桜が咲く様に、心から喜べない想いを持つ。夏は湧き立つような開放感があり、宇宙の美しさに惑い、冬は、辛抱が大事と、ひたすら仕事に励んでいた祖母や、母の思い出がある。殊に星は冴える輝きだった。

 しもやけは、春先には痛痒い。手も足も、じっとできないほどむずむずした。毎年、こうなることがわかっていながら、悪さには事欠かなかった。小川の水が、音を立てて流れ出すと、草や石の下を探った。捕るのが面白かった。魚は川に返した。

 蜆捕りは、春先までで、再び寒中が訪れるまで、理由がなければしてはならなかった。お金さえあれば、自分の物にできる今と違い、自然からの恩恵は、乱獲ではいけない。暗黙の中にも、そういった掟があった。命を戴く、ということは神聖なこと。

 花見に出かけた。ちょっとした人数である。し出し弁当を持って、満開の桜の花を見ながら戴く。野外なので、花冷えで寒かったが、雨が降らなかったので、ほんとうによかった。風はなく、条件としては95%。皆の笑顔が輝いていた。よかったね。

 夕方には、春霞がきりっと晴れ、西の宇宙に木星が光っていた。土星もかなりはっきりと観える。肉眼では、輪っかまではわからないが、是非夕方の宇宙を観上げて。地震が起きたり、津波が発生するのも、星の動きでわかることもあるんだよ。

 原発は、何故再稼動を許せないか。人間だけでなく、全ての命を死滅させるからだ。仮に、命が育つとしても、異常な組織細胞に依って。病気にはむろんのこと、耐えられない命になる可能性が高い。嘘をついていると、死に様は醜い。

 大寒の枇杷葉。花芽が咲いて、風で匂いが流れてくる。体中に立ち込める香りに、暫し惑うような錯覚。

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花冷え

2013年03月30日 | Weblog

 桜が満開になる。朝には、5分咲であったのが、日中の気温の変化に花開く。然し、冷える。花冷えなのだ。夜桜には、薄着をしないよう。桜にとっては迷惑な話だが、人間には浮かれる理由になる。夜間照明。これもねぇ、自然からはしっぺ返しがあるよ。

 我が家の花見は、海棠です。春風に揺れる花弁が、何とも風情があり、好ましい。例年、蕾を虫に齧られるが、今年は大蒜エキスと、唐辛子で防げたらしい。クリスマスローズが咲き、ヒヤシンスが匂う。寒かった冬があったればこそ。花を見られることの幸せ。

 今晩は、地域の総会があり、夕食を摂る。時間厳守で行くと、先客あり。会長と会計役員だ。環境委員の不手際で、当番がはっきりしなかったため、順番表を作っていった。手当てをもらっているのに、その手間を惜しむとは。役場の人間だが、屁理屈だけは言う。

 1時間弱で閉会し、外に出たら木星が霞んでいた。朧月夜、月詠みの君。帝の女御と決まっているのを、事もあろうに、光源氏と逢瀬を重ねる。宮中の出来事は、今で云う芸能界。雲の上の噺。タレント・人より秀でた芸を持っていること。昔は、そうだった。

 地震・雷・火事・親父。の時代だった頃。親父の威厳は、生活をしていく覇気にあった。貧乏の子沢山、共云うが、子どもは放っておかれた。年長の子等が守をしていた。親は、乳を含ますくらいで、野良に出たり、家事雑事に追われていた。自分の時間はない。

 ルンバ。という掃除機は、床面しかしない。自分で考え、判断するが、障子は登れない。壁も同じ。人間は、何時からここまで横着になったのか。掃除をすれば、ダイエットは必要ありません。甲斐甲斐しく立ち働く。これで肥ったら、病気でしょうよ。健康は自分です。

 枇杷葉茶を飲み、ドクダミやきらん草に援けられ、梅酒を愛用し、枇杷湯に浸る。塩で体を擦り、湯たんぽの暮らし。節約・倹約に努め、仕事を生真面目にこなす。自然を学びの場と心得、生かされていることを感謝する。平凡なことこそ幸せ。神(宇宙)に祈る。

 東側に植えた、最初の枇杷葉。同じ年の南側が早く咲き、結実したため、忘れられた。枇杷葉は寒さに弱いので、川風が当たるためか。

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努力を怠らず・・・

2013年03月29日 | Weblog

 昨夜は、ゆっくりと湧き上がるうれしさに、眠ったのは午前2時過ぎ。朝、目覚めて嘘ではないかと、ぼんやりしてしまう。勤務先に着き、よかったね。おめでとう。を次々に言ってもらう。休憩時間に報告がてら、事務所に行き、事務長から心の籠もった言葉をかけられた。

 還暦を迎えながらも、年齢に関わらず挑戦したことや、努力していたことを、優しい笑顔で言ってもらった。どんなに常識的な問題であっても、自分の心を向き合わせなければ、答えは書けなかった。教科書に書かれていることを、読んで取り込まなくてはわからない。

 半年間、よく言えば毎日励み、悪く言えばこつこつと努力した日々であった。繰り返して覚え、理解する努力を重ね、半分は諦めていた自分でもあった。湯島天神に願をかけに行き、鉛筆とお守りを買った。主任にもらったハンカチ手拭と一緒に、祈願をしていた。

 介護に対する、自分との一問一答でもあった。躓いたり、考えたりした時に、解決できる方法に迷い、辞めることも考えた。毎日が悩みの日々でもあったし、ストレスばかりが溜まってもいった。然し尚、此処で咲くことを神さまが決めてくれたのかも。その想いだけであった。

 受験番号を確認して、やっと素直に悦べた。これを新たなる出発にしよう。また、たくさんの専門知識を学ぼう。機会を与えてくれたことに、心からの感謝をしよう。人は皆過ちを犯す。然し、気づいた時点で生き方を変えれば好い。何度でも正直になればいいのだ。

 人は、一人では生きられないが、努力するのは自分でもある。考え方や、見方を変え、更なる磨きをかけて成長するのだ。60の手習い、とはよく言ったもの。PCを勉強しに行ったことを思えば、知って役立つ知識は多いもの。今後も創意工夫を心掛けよう。

 北東に位置する白枇杷。発育状況は良くなかった。ひょろひょろの苗木だった。南側からのを移動した途端、花が付いた。父と母の生まれ変わりかな・・・

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春眠・・・

2013年03月28日 | Weblog

 昼食を食べた後が、一番危険だ。何時もなら眠くなる。毎晩の愉しみは、レ・ミゼラブルで、何回か読んだので、最近は勤務先には持って行かない。図書館で借りていた時には、返却の期日があるので、ひたすら読んでいた。

 実に、根気の必要とされる作業だ。油断をすると、瞼が閉じる。これを辛抱させ、活字を追いかけさせるには、人物描写も然る事ながら、登場人物の書かれようが、心に落ちてくること。ジャン・バルジャンが此処に居るような錯覚。

 物語の中に入っていく魂。心で感じる時代背景。各々の登場人物の設定。善と悪。ジャン・バルジャンが、マリユスに自分の真実を語り、本名を名乗る件。今は、こういったこととは反対の世の中だ。豊かな時代は、良心を失くした。

 介護福祉士の合格発表。何とか関連の所まで検索したが、アクセスが多過ぎてできない。通知が届くのは、来月になってから。厳しい合格者です。おろおろ・・・、だめだったかな。試験会場で、皆ができる顔をしていたから。

 一緒に受験した人から、電話があって、アクセスしてもらった。受かっていました。余りのうれしさに舞い上がる。実際は、通知をもらわねば確定ではない。浜さん、落ちてなかったよ。リエさんに連絡したが通じなかった。

 サンタさんに頼んでいた、某作家の自家製版・復刻が手に入る。1冊は謹呈されたが、もう1冊持っていたくて。卆寿と言われるから、90歳になられる。日本の誇るファンタジーの第一人者。我が家の宝・自筆の著作と写真です。

 勤務途上の川岸に桜並木があり、孫の通う小学校に続く。校庭のフェンスに提灯が下がっている。満開は、今週らしい。この陽気に、一気に咲くだろう。梅は、長い間咲いているが、桜は、咲き始めたら早く、散ってしまう。儚げ。

 安房直子さんの、みどりのスキップを読む。花影ちゃんを、守ろうとする梟の想いがやるせない。自然を打ち負かそうとしても、止められない事。道理に適わないことがある。美しい挿絵が物語を脳裏に刻む。出久根育さん。

 2回目に採取した花芽。思ったよりたくさんあった。サンタさんに送る。とても喜んでくれた。リエさんには、野菜も一緒に贈る。

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月の輪っかに・・・

2013年03月27日 | Weblog

 昨夜。と言っても、午前1時頃のこと。満月前の明るさに、つい誘われて履物を突っかけた。上空を仰ぐと、月が朧にかかっている。その月の周りに、大きな輪が観えた。ああ・雨が降るんだ。祖母に教えてもらった、笠をきている月の姿に、光の下で佇む二つの影を視た。

 祖母が明日の天気や、2・3日内輪の雨の具合を知る手がかりは、風呂焚きの煙突からの煙の棚引き方や、風向きだったり、猫の様子だったり、蟻の動き方であった。そのどれもが、偶然ではなく、自然を基本にして営まれていた。祖母のは予言ではなく、的確な判断である。

 今日日の天気予報に、一々うろたえる様には、妙に違和感がある。百姓の人生しかなかった祖母には、一生が自然のままであった。尋常高等小学校の二年生くらいしか、通ったことはない。と話していた。自分の名前が書けるくらいで、読めなかったようである。明治生まれ。

 祖母がしたことは、家族のために財産を増やすことであった。今、田畑は農薬漬けにされ、荒れ果てて放って置かれている。あれでは土地が痩せてしまう。自然農法での栽培なら、豊かな実りに転じるものを。祖母や、両親が守ってきたものは、一体何であったのか。

 祖母が風呂焚きをしながら語ってくれる噺は、所々飛んでいたり、ちぐはぐであったりしたが、羅生門も、高瀬舟も、浦島太郎、金太郎、一寸法師にも、容易く出遭えた。鬼が出てきたり、天狗が現われる様には、心をときめかす愉しみがあった。本が好きになったことを感謝。

 高瀬舟は、安寿と厨子王の題でもあった。そこには祖母の、戦争で殺された一人息子への情念があったのかも。年老いていく身に、生きてさえいてくれたらとの願いもあったろう。春の慰霊祭には、出かけていたが、背を向けた姿が哀れに影を作っていた。叔父である。

 朝から、音もなく降り始めた雨。雨脚が衰えるかと思っていたが、降り止まず出かけた。Aさん家に水を分けてもらい、頼んでいた卵を受け取る。午後の陰鬱な雲間に、川岸の桜が綻んでいる。2分咲である。我が家のヒヤシンスも花を咲かせた。図書館に返却に行く。

 剪定した枇杷葉。花芽がたくさんあったので、花瓶に挿したら、咲き始めた。ちょっと得した気分です。

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桜、咲く。

2013年03月26日 | Weblog

 今朝の出勤途上、何と満開の木がある。たまげた・・・、旧暦では、春遠しとあったが、実に的確な表現だ。三寒四温に耐え、春を待っていた甲斐があった。できるだけの節約・倹約をしながら、暖かくなるのを待っていたもの。

 日溜りには、タンポポが咲き、菫も風に寒そうに吹かれていた。春ですよ、起きなさい。今度は、春眠を貪る心地よさ。銀河が膝に来て、咽喉を鳴らす感触。尻尾を揺らせて、少しづつずって行くのだ。落ちそうになった瞬間、爪を立てる。

 年を重ねていくと、暖かくなって来ても、決して油断はしない。これでよく風邪を引き、寝込むからだ。熱に浮かされるのも厭だが、体中が痛く、咳をすると関節が軋む。幸いに、枇杷葉茶を飲みだして、風邪を引き難くはなってきた。

 然し、安心はできない。用心に越したことはなく、体調不良には気をつけている。それでも、幾ら気をつけていても、怒涛の如く押し寄せてくれば防ぎようがない。免疫と抗体で、何とか凌いでもみるが、体力的なことで退ける。

 相対的にみて、生きがいはあるし、人生の目標も定めている。生かされている時間は不明だがある限り。金銭的なゆとりはないが心でカバー。何がうれしいって、自分の決めた金額での、書籍購入ができることだ。読書は心を豊かにする。

 読書の条件は、紙である事。活字が印刷されている事。借りた本でもよいが、可能な限り、所有したい。会話をする同等な立場としては、書物を読んでいないと、他人の悪口しか言えないもの。そういった類のことは、芸能界に任せばいい。

 レ・ミゼラブルを全巻買い、ひたすら読み耽っている。難しい・・・。世界の名作と言う所以であるが、文中の難解な箇所が多い。歴史的なことも多々あり、世界史を頭に浮かべるのも、記憶が朧で困難。何度も繰り返して読むばかり。

 白枇杷の花芽です。やっと見つけたが、未だ硬い。3月下旬の状態では、殆んどが咲ききっている。最初は、3個生り、翌年は9個ついた。

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春の嵐に・・・

2013年03月25日 | Weblog

 寒いではないか。外は、嵐である。枇杷葉が折れそうなくらいに、木をしな垂れている。体にしっかり着込んで、外に出たが、吹き飛ばされそうだ。伸び過ぎた蔦を切る。注意をしていたのに、芍薬の新芽を踏んづけた。足をそっと上げる。だいじょうぶかな。

 紫陽花の枯れた茎を除ける。墨田の花火が綺麗なので買ったものだが、手入れをしないので花が少ない。場所は、北向きになり、地面にはドクダミが広がる。南天もあって、野鳥が啄ばんだ種から、小さな苗が育っている。ここにある枇杷苗は、発育が悪い。

 3月も終わろうとしている。殆んどの学校の卒業式は済み、終了式を待つのみだ。その後は春休み。子供心にも、宿題のないこの休みは、楽しいものだ。如何せん、子ども頃の思い出は、遠くの山まで焚き物作りに駆り出される、遊べない休みでもあった。

 さて、大人の足で歩いて、1時間強かかる場所まで、肩掛け荷車を押して行く。朝は早く、明けたばかりの宇宙の下を、ひたすら歩く。山奥に行くのだから、四季の旬はたっぷりで、蕨がたくさん採れた。毎日、これが食卓に上がるのは、半ばうんざりであった。

 母が、暗いうちから起きて炊いたご飯は、麦飯の混ざったもので、梅干があれば上等。添え物は、味噌漬けにした瓜や沢庵であった。お茶は、清水を汲んで沸かした。笹の葉が入っていた。箸がないと言うと、祖母が躑躅の枝を切って作ってくれた。

 父や母は、結びを食べるのも惜しんで、焚き物に静を出した。祖母の周りにくっついていて、鎌を借りてするが、切り傷をこしらえるのが落ちだった。家に居たいのだが、昼飯がない。厭が応にも着いて来るしかなかった。留守番は、犬と猫であった。

 山際に陽が掛かると、急いで帰り支度をする。肩掛け荷車に、粗方積んでいた焚き物に、乗せられるだけの荷を置く。当然のことだが、帰路も歩く。遊び疲れているのと、ひもじさに目が回り、歩きながら眠っていた。従って、窪みに足が囚われ転ぶ。

 孫たちを連れて、春休みには花見に行くことを思いついた。手始めは県内からで、年毎に距離を延ばして行った。昨年は、姫路まで。今年は、京都に行って来る予定。孫等と出掛けられる幸せを思い、自分の小さかった頃を懐古してしまう。

 満月の月も、何時の月も美しい。その日、その日で輝きや観え方が違う。神話を思う日と、御伽噺を想像する日とだ。

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花曇・薄曇り

2013年03月24日 | Weblog

 今朝は、どんよりとした薄曇りで、布団を干すのを迷ったが、陽射しは明るく風もない。何時ものように洗濯をして、朝食を戴く。珈琲がほんわりとやさしい。新聞に隈なく眼を通し、某新聞の万柳に苦笑いをして、庭の様子を見に下りた。

 ちょっと淋しい?あれれ、と思いながら、昨日誕生日の人に、ミニブーケを作ったことに至る。たくさんの花が咲いていたクリスマスローズを切って、花束にしたんだ。花にとっては、晴天の霹靂。さぞや、びっくり慌てふためいたことだろう。

 枇杷葉の根元に、蓬が青々としている。うまそうだなぁ。お灸にすると熱いし、お茶にしたら痒くなる。で、摘むことにした。小さな笊に一杯になる。水を鍋に張って、塩を1抓まみ、沸騰したところに蓬を入れた。灰汁が見る見る出る。

 水で曝し搾って、擂鉢に入れて擂る。まな板で、細かく刻んで、もう一度擂り潰す。器に入れた蓬に白玉粉を塗して捏ねる。蓬は均等になるようにする。鍋で湯を沸かし、丸めた蓬団子を入れる。沈んだ球が浮き上がってきたら掬う。

 水に入れ冷まし、餡子なり蜂蜜、果物の果汁等、好みの垂れをかけて戴く。シンプルに醤油味も美味しい。下の孫は、これが好物なので、電話をすると嫁が取りに来た。お八つに、手作りは如何です。蓬は道端に何処にでもあります。

 芍薬の芽がすっくりと伸びて来た。木香バラも、花の芽を出している。海棠も綻んで来た。春の到来である。温かな陽射しに、体が呼吸している。春休みも近い。花見には、孫たちを連れて、京都に行って来よう。鬼が現れてくるかな?

 今年の枇杷葉は、枝を剪定したからか、花芽の実生りがいいように思う。それでも、青い実を確認するまでは皮算用。実が熟れるのは6月下旬。甘く熟すのは、7月になってだ。特に東側のは、ここまで待たないと不味い。白枇杷はどうかな?

 東側の、用水路に面した長崎・茂木赤枇杷。花芽があるが、昨年は実が生らなかった。自然は厳しいことを知った。

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彼岸明け・・・

2013年03月23日 | Weblog

 何かね、肌寒いの。クシャミも出ます。異常気象が続いているせいか、中々暖かくならない。温度の変化も激しい。あちこちでの桜の開花宣言とやらで、賑わっているが、当地は未だ。意外と寒いのである。山からの吹き下ろしが、気温を下げる。

 朝刊に、対照的な記事があった。片や、夫の人気取り。片や、自分の信念を貫こうとする姿に、深い感動を覚えた。どちらの女性も、お金には不自由がない暮らしだ。そういえば、故三木首相夫人・睦子さんも凛とした輝きがあった。生き様が凄い。

 思想的なことでの尊敬ではない。土井たか子さん、故市川房枝さん、この方達の信念に拍手したい。困難に立ち向かおうとする姿に感服。貧しい人の想いを、代弁していられた。自分のことだけでなく、命ある限り、権力と闘っていた姿は素晴しい。

 友人のブログを見ていたら、お米を鍋で炊いて潰し、それを丸め固めて、油で揚げ、蜂蜜をかけて頂く。とあった。イタリアのエトナ山の麓に暮す。女の子と男の子の母親になられている。貧しくはないが、自然を相手にしているだけに、生活は厳しい。

 孫に、地球儀を買った。そのイタリアを探し、日本との距離を測る。遠い!ネットでだと、とても身近に感じられるが、実際にはぐるりっと、地球を周る。船にしても、飛行機にしろ、そう簡単には会いにいけない。クララちゃん、大きくなって可愛い。

 人が生きていることの不思議を思う。出会いは別れにはなるが、新しい出発にもなる。自分での努力を励み、裏表なく生きる。可能性が一つでもあれば、進んで行い、視えない処で生きること。苦労とは思わないが、根性や我慢を強いられる。

 3月は誕生日が多い。今朝、庭のクリスマスローズの咲いたの、蕾、アネモネを枇杷の葉でアレンジして、持って行く。ささやかな「おめでとう」を添えて渡すと、びっくりした顔がうれしそうなった。ロイズのチョコ、嫌いになった、と言うんだもの。

 春の陽は、ひねもすのたりのたりかな。梅は咲いたか、桜は未だか。と、言っておる内に、桜が咲き始めてしまった。李や杏も咲いている。桃の花もそろそろだ。辛夷に木蓮、白木蓮も待ち遠しい。我が家では庭桜、こごめ花、海棠が膨らんでいる。

 静岡・土肥の白枇杷。赤枇杷に比べて、皮の色が薄い黄色。甘味は強い。果汁も多く、美味しいです。今年で11年目になる。

 

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陽射し、淡くなりぬ・・・

2013年03月22日 | Weblog

 風はあるものの、天気に安心して、布団干しをする。このところ、一日おきに雨である。今晩からも怪しい。室内の鉢物に水を遣り、駐車場の草抜きをする。程なく昼を過ぎ、布団を仕舞う。孫を迎えに行き、お八つを食べさせ、宿題をさせる。

 一昨日の疲労が、少しは取れたようだ。庭の枇杷葉の生葉を少々採り、腰に蒟蒻を当てる。葉が真っ黒になる。気温が上がらぬので肌寒い。鶯の声はしているが、未だ上手くない。洗濯物が乾く。それだけで充分である。春雨が顔にかかる。

 枇杷葉の花芽も、咲き終わっていて、茶色の実が見える。来月には、青い小さな実に転じる。どれだけが生るかも知れぬが、待つ愉しみだ。東側の茂木に隠れていた花芽が見えた。あら、何時の間に。と枝を引寄せたら折れた。花瓶に挿す。

 それにしても、今年の白枇杷は、何とたくさんの花芽がついて、咲いているのだろう。昨年の比ではない。実になるかどうかはわからないが、彗星のお蔭かもしれない。自然現象には、自然だけが答えを知っている。これも愉しみなことである。

 クリスマスローズが、競って咲いている。水仙も咲いた。アネモネが次々に頭を擡げる。金魚草は、新芽をつけている。小さな枇杷苗も踊りだしそう。陽射しが高くなることは、生命の悦びでもあるのだ。愛車の車内の掃除をした。汚れも拭った。

 携帯の写真が増えてきたのを、PCに取り込む。写真の整理をしなくては、と思いつつ、放っている。余りにも膨大になって、少々手こずる。焼き付けた方がいいのか、USBに保存しておくか、迷うばかりだ。PCの機能も低下するというのに。

 長崎・茂木の枝を剪定し、付いていた花芽を取った物。馥郁とした香りに包まれる。リエさんに贈り、サンタさんとりえさんにも送る。

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