勤務途上は、花盛りである。山桜はむろんのこと、躑躅も赤紫の花が満開。山は、新緑に秒読みで換わり行く。川の波立ちも、のたりのたりと、緩やかに下る。野鳥の獲物も動き出す。帰路には、孫の通う学校の桜に、提灯をぶら下げていた。
桜、咲く。長い間、春は嫌いであった。特に、桜が咲く様に、心から喜べない想いを持つ。夏は湧き立つような開放感があり、宇宙の美しさに惑い、冬は、辛抱が大事と、ひたすら仕事に励んでいた祖母や、母の思い出がある。殊に星は冴える輝きだった。
しもやけは、春先には痛痒い。手も足も、じっとできないほどむずむずした。毎年、こうなることがわかっていながら、悪さには事欠かなかった。小川の水が、音を立てて流れ出すと、草や石の下を探った。捕るのが面白かった。魚は川に返した。
蜆捕りは、春先までで、再び寒中が訪れるまで、理由がなければしてはならなかった。お金さえあれば、自分の物にできる今と違い、自然からの恩恵は、乱獲ではいけない。暗黙の中にも、そういった掟があった。命を戴く、ということは神聖なこと。
花見に出かけた。ちょっとした人数である。し出し弁当を持って、満開の桜の花を見ながら戴く。野外なので、花冷えで寒かったが、雨が降らなかったので、ほんとうによかった。風はなく、条件としては95%。皆の笑顔が輝いていた。よかったね。
夕方には、春霞がきりっと晴れ、西の宇宙に木星が光っていた。土星もかなりはっきりと観える。肉眼では、輪っかまではわからないが、是非夕方の宇宙を観上げて。地震が起きたり、津波が発生するのも、星の動きでわかることもあるんだよ。
原発は、何故再稼動を許せないか。人間だけでなく、全ての命を死滅させるからだ。仮に、命が育つとしても、異常な組織細胞に依って。病気にはむろんのこと、耐えられない命になる可能性が高い。嘘をついていると、死に様は醜い。
大寒の枇杷葉。花芽が咲いて、風で匂いが流れてくる。体中に立ち込める香りに、暫し惑うような錯覚。