枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

大祓い・夏越祭

2018年06月30日 | Weblog

 旧暦の行事を、新暦にそのまま当て嵌めてするから、感覚が狂ってくるので、本来は季節感の鮮やかな季節が好ましい。人類は、特に日本人は、商魂逞しくて、儲けることなら厭わない。七夕等、梅雨の真っ最中であり、彦星も織姫も、逢える確率は少ない。近未来になれば、モビルスーツ出現か。

 ネットの切断は何故、起きるのだろうか?ちゃんとそれの対策をしているのに、繋がってくれない。散々苦労して、やっと通じた。勤務で疲れて帰宅して、頭の回転も儘ならずを、何とか知恵を絞ってみた。高々、ブログの更新である。他のことは余りしていないので、出来るだけ切らないでね。

 明日から7月である。先日お正月だったような気がするが、一般的には半年が過ぎているのだ。月日は、実にあっという間に過ぎ、想いでも走馬灯の如しである。年金を何時受給できるのか?と思っていたが、貰ってみると散々な金額で、介護保険料を強制的に徴収される。お役所は取れる所から。

 一体、何時まで働けば、安心して老後が送れるのか?甚だ疑問の現在である。安心どころか不安の材料が更に増える。長生きをしようとも思わずだが、命を無駄にも出来ない。既に60年からの歳月であるから、これからは余生かもしれない。然し、生きづらいし虚しく哀しい。暗雲たる想いがする。

 サンタさんが、枇杷のお礼に絵本を送ってくれた。どうもありがとうございます。まあ、わたくしの勝手で育てているので、サンタさんのに決めてあるので、送ったのですが、田中は大粒でしたね。苦労をして作って、差し上げれるのは、本当にうれしいものですよ。よろこんでもらえて感無量です。

 今夏を凌ぎ、秋になったら花芽が付きますが、そこからの枇杷葉への想いに、ほんとうに一喜一憂します。収穫できた喜びは、作った者でないと分からない。木村秋則さんの、無農薬の林檎も、映画だけでは無理な感じがする。役者の演技には感心するし、苦労の程も伝わるものの、気持ちは通じず。

 瞳みのるさんのDVDを買うのと、生演奏を聴きに行こう。日程の調整と、金銭的なこともあって、中々踏ん切りがつかないでいる。リエさんの足も好くなって、出来れば一緒に行きたい。今年は、無理であろうとも何時か。著作は、少しづつ買っている。図書館で借りて読み、ぼちぼちのことです。

 昨年の母の日に、娘夫婦と息子夫婦からのプレゼント。青いデルフィニュームの花が、何とも清々しい。

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沙羅双樹の花が・・・

2018年06月29日 | Weblog

 夏椿、とも言うそうだが、沙羅双樹の方が、何となく風情があるし、白い花に似つかわしいもの。我が家のは原種になって、いつの間にか山茶花だ。花が咲くので、どちらの季節でもいいようなものだが、夏の時期に花が少ないので買ったもの。植えた場所が悪かったのか?がっかりであるなぁ。

 勤務先の部署別に、施設内での研究結果の発表が、夕方から行われているが、心身共に疲れて、仕事を終え帰宅する。明日も仕事でありお腹も空く。疲労困憊では、居眠りが堕ちだろう。ヘロヘロになって帰宅し、肉じゃがをぱくつきつつ、どうにか息をするが、人数が多かったにしては疲れた。

 梅雨の中休みか、と思いきや、突然の土砂振りにびっくりする。天から桶を移したかのような勢いで、凄まじい雨音である。勤務を終えた頃には、すっきりと上がって、清々しい感じであったが、梅雨は未だ明けない。枇杷葉の新芽もすくすく育って、無事に一年を終えた。お礼肥えを遣ろう。

 蜂が、羽音も煩く飛び回っているのを、何処かに巣を作るのだと、緊張している。駐車場の上に、茂った場所にするので、油断がならない。枇杷葉エキスがあるから、刺されたら塗るが、何度もは流石に厭である。網を買ってくるのもいいか。単独での飛翔なら捕まえられるが、襲って来られては。

 今年の枇杷葉は、リエさんを始めとして、佐藤さとるさん、りささん、サンタさにも送り、リエさんの勤務先にも送った。お世辞かもしれないが、何方も美味しいと言ってくださったが、Aさんに上げたのだけが、違ったらしいのは、何故だろう。仏壇に供えたので、ご先祖さまが召し上がった。

 祖母が元気で居た頃に、仏壇にお供えをしたら、味が無くなったのがあった。子ども心に不思議で訊ねた。そりゃなご先祖さまが、召し上がったのよ。お茶だって、湯気を飲まれるからの。と話してくれた。下げて戴くのに、味はそのままに。と言うとくのよ。半信半疑であったが、納得することも。

 人間は、自分さえ好ければと思うので、美味しい物は当然と考えるが、お供え物はご先祖さまに召し上がってもらう物。そこんところを勘違いすると、文句が不平が出て来るのだろうな。我が家の枇杷葉は、野鳥も袋から啄むほど、味に関しては自慢。人間だけが口にはしないの。自然のおすそ分け。

 蒟蒻と、枇杷葉とで、手当てをしたり、身体を温めたりをするのは、気分的にも新鮮になれるが、時間が惜しいとか、忙しいので、と言われると言葉が出なく固まる。痩せたいだのは云わぬこと。体調不良を訴えないで。自分の身体は、責任を取りましょう。冷房で、血液が固まって流れないのよ。

 枇杷湯に足だけを先に入れ、徐々に湯舟に身体を沈めて行く。朝までぐっすり眠れるのがうれしい。冬には湯たんぽがあるが、夏分にはちょっと要らない。パジャマを着て、蒲団はあまり掛けないが、お腹の上にはダウンケットを。無論のことに、腹巻は放さない。還暦を越えてしまうと怖い物はない。

 深紅の薔薇を一輪、切って挿した。テーブルが華やかになって、心が躍る。何年も咲いたが、今年は枯れた。

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皐月、望・大潮

2018年06月28日 | Weblog

 沢田研二さんの、ローヤルストレート・フラッシュが届く。これは50歳の時かな?還暦前の状態にお見受けする。それにしても、よく動かれますな。体力的なこともだが気力も、相当なものとお察しするが、自分の身体を良く知ってのことにも、ひどく感心する。健康でないともたない。

 冷房のつけ過ぎには注意しよう。我が家には設置していないが、これは個人的な見解の相違で、何処に行っても、寒くて堪らない。またそれを忘れていて、衣類の調整に無沈着。車の中に、上着を積んでいないと、恐ろしい目に遇う。これが夏の怪談でなくて何であろうか。北極と南極だ。

 よしたけしんすけさんの、ヨチヨチ父を借りる。佐野洋子さんのは返却し、佐藤愛子さんを読もう。おしっこちょっぴりもれたろう。は思わず買った。子どもも大人も、或いは命のあるものは、何かで悩んでいることがある。ということに気づいた。我が家のすばるは、何だろうかな・・・

 明日は、施設内の研究発表で、休みにしていたが、役になっている方が気の毒で、出勤にしたのだが、さて如何なることになるか。賞金目指して張り切ろう。出来上がった抄録を、見ようとしたが、字が小さくて読めない。老眼鏡のお世話になって久しいが、実際には鬱陶しいい。止めておく。

 歯科のDr、或いは義歯に関わる方に、切なるお願いがある。人間、誰しも歳を重ねると、入れ歯の厄介にならねば、噛み合わせが上手くいかなくなって、賑やかな音が生じる。生身の方は、どうにもならぬが、義歯を嵌めたら唾液で、口に吸い付いて落ちない材料はないのですか?飯が不味い。

 治療が出来れば、修正にも行くだろうし、作り直すことだろう。然し、家族の中には、どうせ死ぬのであって、今更作り治す心算はなく、また治療ができる状態でもないのは必須だ。隙間にくっつける軟膏はあるが、直ぐに外れる。歯磨きもしないと、更に物が詰まってくるからだ。歯を大切に。

 本日、白枇杷の収穫をした。今年は、不作だったので、たくさんは生っていなかった。何時もは二十日過ぎたら取るが、休日にしたので遅くなった。味は上品で甘い。来年の、枇杷葉に期待しよう。今年の寒中には、枝を伐ってお茶を作ろう。無農薬の枇杷葉茶で、料金をきっちり貰うことにした。

 李が甘くて美味しかった。青空市での購入だが、自然の味はうれしい。でも、少し青い内に取ったようで、果肉が軟らかかった。今度は晩生のソルダムになるが野鳥が狙っている。新暦の6月も終わろうとしておる。旧暦での茅の輪くぐりは、先になるが、昨今は月末に行うようだ。気忙しいこと。

 天気が不安定で、湿気が多い。こう言う日は、何も忘れてしまいたくなる。これを更新したら、東京ドームまで行こう。洗濯物にアイロンは掛けたし、予定も済んだので、時間はたっぷりとある。身体を冷やさないようにして、タイムパラドックスに。ジュリー祭りに、珈琲とお八つを準備して。

 ドイツスズラン。北の台所の下に植えたのが、どんどん繁殖して、斜面を覆っている。姿は愛らしいよ。

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思い込みに絶句

2018年06月27日 | Weblog

 意思の疎通を欠く、と言うか、行き違いではあるが、殊枇杷葉になると状況は急変する。何故なら、青酸配合体による毒素が、体内に入ったら、呼吸困難や吐き気、頭痛等の症状がでるからだ。薬は毒に、と言うがそれで、青酸カリに匹敵する猛毒なので、或いは死に至ることにもなる。

 Aさんに持って行った枇杷葉の種。まさか焼酎にエキスが出ないまま、口にするとは思わず、あげていたものだ。それにローション用のがあった筈、と安易に考えていた。それにも況して、長崎茂木も美味しくなかったそうだ。何故なんだろう?我が家のはどれも甘く、美味しかったが。

 リエさんにも、サンタさんからも、しーちゃんからも、丁寧なお礼を言われたが、それは表面だけのことなのか?毎年、美味しかったのが、突然不味くなるとも思われないが、何だかがっかりした。人任せと言うか、自分でしようとはしないで、宛てにすると駄目なのかもしれないなぁ。

 職場にも、同様の者が居て、手間暇かけての結果でないと、枇杷葉には現れないことに気づかない。お礼を言うのも、言葉だけのことでなく、或いは当然とかと思わず、時間を割いて持って来てくれた想いがほしい。自分は何でも構わないが、他人さまには、いい物を差し上げるように。

 寒中の時期に、枇杷葉を採り、綺麗にして持って行くのも、相手の症状を思えばこそだが、そこまでの気持ちを汲んで、どうして自分でしようとしないのだろう。それには何よりも、自然への感謝と祈りが要る。個人的には、医者は信用しない。病院へも行かないのを信条にしている頑固。

 有吉佐和子さんの、複合汚染には、実に様々な薬害やら、公害やらが書かれている。田中正造の足尾鉱山への執念にも、何を以てして、謂れのない病に罹ったのか、無念の魂の戦いがある。人間として何が正しく、何が間違っているのか、その根本には何があったのか知り圧倒されたが。

 他人のために、何等利益を得ることもなく、ここまで遣れるものかと思うが、理不尽な事柄に、様々なことを調べて、国会に出向く勇気にも驚く。人間であるということは、正しいことしかでなく、そこに生活を余儀なくされる庶民が存在する。生きるための手立てにも、知識を深め進む。

 現代では、理不尽を通り越して、無念さが募る。人が人を殺めることは、どんな場合にも赦されない。武器を持っての戦にも、無差別な殺人にも、何等殺される理由はない。死にたければ、自分で勝手にしてくれ。他人の人生を奪い切断して、哀しみの癒える筈もない。相手を許せますか。

 昨年、大輪の華を咲かせた、深紅の薔薇。咲いた後の花弁を、たくさん取っておいて浸けた。

 

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梅雨の中休みに・・・

2018年06月26日 | Weblog

 駐車場の蜂の巣を退治し、ふと木香バラの茂みを見ると、あるではないか。急遽、山茶花や枇杷葉の通りを良くしようと、伐っていった。蜘蛛の巣も張っているし、不気味さが増している。刺されても、枇杷葉エキスがあるので、大丈夫なのだが、可能なら避けたい。息子に言うと、澄ました顔である。

 こちらが困っている時には来ないで、忙しい時に限って来る。孫等にお八つを託けるが、電話さえかけてこない。ドクダミをせっせと取り、切って新聞紙に並べていく。綺麗に乾いたのは、何時もお世話になっている方に、箱に詰めてあげるのだ。我が家の薬草には除草剤はかけないので、甘くて旨い。

 勤務から解放されて帰宅し、夏至が過ぎたばかりなので、外は未だ明るい。ドクダミを抜いて、家の中に持って入る。小腹が空いているので、枇杷を口にし、洗濯機を回しておく。やれやれ誰も代わりが居ないから、段取りよくしておかねばならない。明日は早出である。弁当の用意は、腐るので注意!

 夏野菜をしっかり食べ、冬への身体を作っておこう。じゃが芋と玉葱の美味しいことは格別で、素材を生かした遣り方で、簡単でもあり美味しくもありだ。生の味も新鮮でかつを節を混ぜただけでも。でも子どもの頃には、毎日同じおかずで、うんざりしていた。朝から夕方にも、同じ材料が食卓に出る。

 還暦を過ぎた頃から、頭の切り替えをして、自然からの恩恵に感謝して、旬の野菜を口にするように、材料の吟味に関心を持った。自然栽培、と言う季刊誌が出るようになって、定期購読を始めた。今回、木村秋則さんは、癌も自分の身体の一部、と書かれていたが、その通りだ。枇杷葉の大切さは必須。

 わたくしの身体にも、癌細胞は存在している。然し、枇杷葉茶を飲用したり、花芽や種に援けられて、元気で居られるのだと思える。体調が思わしくなく、異変を感じると、枇杷葉の種を齧る。お茶も種のにしたり、趣向を変えるが、基本には枇杷葉で乗り切っていく。命を終える日が近くなっているよ。

 医者に行かないのも、人間歳を重ねれば、何処かしらが悪くなるので、それなりの覚悟をしている。医者には罹らないし、施設に通う気もない。それなのに介護保険料を徴収するのは以ての外だ。延命など煩わしいばかりだ。注射針を刺すくらいなら、飲まず食わずで死のう。贅沢な生活は一切望まない。

 昨年の枇杷葉。たくさんの実に感謝して戴く。リエさんや暁子さんにも。サンタさんのは生らず。

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ネット復旧

2018年06月25日 | Weblog

 新しいパソコンは、実は巧みに持ち主を試しているのだ。と機械に疎い自分を嘆く。パソコンお助けマン出動を依頼。昨日は、日曜日なので連絡を控えて、今朝になって訊ねると、何ともあっさり繋がったのにも厭きれる。然し、めげてはいられない。ブログの更新に邁進しよう。

 空白の一日は、神さまがせめてもの休日に。出窓の掃除をしていて見つけた、蜂の巣は、何と駐車場の、新車の上にぶら下がっていて、可なりの大きさになっている。今まで刺されなかったと、Aさんちに水を分けて貰いに行き、荷物を下していた時に事件は起きた。叫ぶ暇も無。

 水を持っていたから、咄嗟には防げず、頭と肩を刺された。起き上がろうにも立てずで、左足は怪我し、腕にも痛みが走る。何とか玄関までたどり着き、枇杷葉エキスを手拭いに浸し、患部に貼り付けた。気分の悪さは半端でない。そのまま小1時間を経過して、毒が抜けるのを待。

 右の首筋を触ると、数ヵ所膨らみがある。そこを集中的に、枇杷葉エキスを何度も浸して当てた。痒みも痛みも薄く、気分の悪さだけが残る。やっとのことで起きるが、医者に行かなかったのが救いだ。尤も、あの状態で、病院に行けるとは思えないが。枇杷葉エキスがあって安堵。

 で。その一日が、パソコンの方も伝わったのか、ネットへの接続が出来なくなってしまう。仕方がないので、図書館だけには行こうと、返却に出向き、序でに佐野洋子さんのと佐藤愛子さんの著作を借りた。タイトルが面白い。そうはいかない。へそ曲がりには丁度よく、直ぐに読めた。

 ふたつの夏も、何となく不可思議な世界が入り組んで、話の中心が読み取れず、とても難しかったが、読み終えると酷く懐かしさがこみあげてくる。虹は消えた。自然現象であるから、これも至極ご尤もなことで、虹の出ている間にも、人生は移っていくことに気づくのだ。当たり前だ。

 今朝は、早めに起きたので、蒲団を干し、洗濯機を回す。毛布も洗っておかねば、と奮闘する。鎖骨と、右の肩が痒いが、枇杷ローションを塗っておく。少しばかり膨らんでいるのは、勿怪の幸いで、身体中に毒が回ったにしては、助かったものだ。その後、噴霧して撃退し、巣を撤去。

 今年の台風は、可なりの強風が予想される。これに加わる地震と津波で、再稼働への打撃は少なくない。沖縄の基地の返還と言うが、体のいい言い回しで、嘘ばっかりである。沖縄だけに犠牲をしくのは止めよう。また、アメリカの言い成りにはならない。白洲次郎氏のような人物皆無。

 ジュリー祭りを観ていて、思いだした。沢田研二さんの誕生日だわ。喜寿になられたんですな。この映像と然したる違いはないようだが、それでも10年経過すれば、体力的にもきつくなるだろう。一般庶民とは違うだろうが、ステージの激務さは生半可ではないと察する。後、2週間。

 庭のあちこちに植えている花が、季節と共に芽を出し、咲いていく。芍薬も、薬草なので植えている。

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曇り、雨の空に

2018年06月23日 | Weblog

 梅雨時なので、雨は当然である。こういう時には、掃除がいいので、特に窓拭きに適しており、出窓の掃除に精出す。雑巾で丁寧に拭いてから、溜まった塵を掃除機で吸いこむ。パソコンの部屋と、寝室もしておく。すばるの抜け毛は、銀河程でなく、枇杷葉茶のお陰と思う。猫独特の臭いもない。

 戦争はいけない。それなのに絶えないのは何故だろう。犠牲になるのは、何時も国民であり、無力な者である。沖縄の人々が、アメリカ軍や日本の軍部の犠牲にされ、命を奪われた。自分達の生活には、物言わぬ人々の無念さがある。それなのに未だ、基地の拡大を図ろうと、埋め立てを強行する。

 命は、地球よりも重い、と言うが、それは一体誰を指すのだろう。地球だって、人減が増え続け、呼吸をしようにも、建物やアスファルトで、地表を覆ってくるのだから、苦しくて叫ぶのだ。地震も津波も、人間が起こしていることに、変わりはない。この青い星に棲むなら、凡ての生き物に配慮。

 夕方、Aさんちに出掛けるのだが、昨日小学校の恩師に遇って約束した。散し寿しを持って行くのに、ご飯を仕掛けた。上司に先に話していたが、その時に恩師を思い出したもの。運よくか、帰宅時に外に居たので約束した。施設の前に自宅があるのだが、意外と遇わないものだ。昨日は仏滅かな。

 今朝は、程々に起きて、珈琲を挽いて淹れる。新聞も丹念に読み、ため息の出る内容に、政治の無駄を思い知る。大阪を視察した様子が、テレビに映っていたが、とても相手を思い遣る顔ではなかった。これは育った環境の影響が大きい、と悟った。鳶の雛が孵ったのか、賑やかに啼いておる。雨。

 ご飯が炊けたであろうと、台所に行ったら、何ということか蓋が開いている。思わず「すばる」と叫ぶが、後の祭りで、炊き直しとなる。最近は悪戯も下火になっていたが、ずっと仕事で遅かったもの。甘えん坊のすばるなのを失念していた。梅雨時の気温の低さに、肌寒さを毎晩感じるのか傍で。

 休日には、しておくことが多い。天気にも依るが、その時々の用事もある。外出はまとめてするので、短時間で済むことは少ない。それでも寄り道はせず、勤務先と自宅の往復である。人間が思う時間の過ぎるのとは、多少は違うのだろうが、何分未だ小さいので、甘えているのだ。そうは言っても。

 外は、雨になったり、止んで明るくなったり、時雨れたりと急変の空だが、銀梅花が咲きだし、紫陽花も満開となっている。枇杷葉の実が、日照り不足で中々熟れないので、袋を外しては掛け直す。野鳥には分るらしく、袋の外から齧る。人間の愚かさを垣間見るようで、何だか可笑しい。明日は晴。

 薔薇も、淡い色のは愛らしいものだ。色に依って、様々なのがあるが、無理をして作っても元に還る。

 

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ぐずつく天気に

2018年06月22日 | Weblog

 冷房の設定温度を、自分の暑さで下げないでもらいたい。何処にも行かず、動くことさえしないのに、寒さに体調を崩してしまう。肩が石のようになり、足が凍り付く。身体は、夏には暑さに耐えるもので、快適な温度は必要ない。冷房を点けるから、外が熱さでむんむんするんだ。窓を開けて綿や麻を。

 癌細胞は、寒いのが好きらしい。尤も、癌だけでなく、体調を崩してしまうと、身体は冷たくなってしまうので、一気に病へと転じる。医者に行くのが厭だし、薬も呑みたくない。従って、身体を温めて、健康でいれば、何等問題は生じない。衣類での調整が良く、夏には夏の格好を。扇風機も点けない。

 休日には、網戸にしておくと、風がよく通って涼しい。虫が入って来るのは、これは仕方のないこと。明日は、網戸を拭いておこう。鉢物を外に出したので、久々の掃除である。枇杷葉の実は、日照不足で中々熟れないでいる。リエさんのは、自宅と勤務先に送ったし、サンタさんのも、りささんのも済む。

 長崎茂木も、早くから生っているのと、フェンスの側のは同じに植えたのに、場所に依って、花芽の付くのが大きく違う。生って来るのも差があり、寒さの影響を受けているようだ。枇杷葉の品種で、ここまでの違いが出るのか、実に不思議でならない。我が家には、長崎茂木、淡路田中、房州と白枇杷が。

 形も色も、比べてみるとよく分かる。茂木は楽器の琵琶に似ており、田中はそれを少し大きくしたので、房州枇杷は、丸い形だ。白枇杷は、やさしい色が特徴で、赤枇杷よりも薄く形は茂木と同じ。味は、濃厚で瑞々しい。皮は薄く剥き易い。どの実も甘くて美味しい。無農薬で、寒肥の糠と塩だけを与える。

 野菜屑を根元に入れ、化学肥料は一切遣らない。枇杷葉の周りには、麦を植えたりして、自然の土を保てるようにしている。花も地植えや鉢植えを、そこら中に置いて狭いのが悩み。剪定する枝を決めて、毎年するように気をつけよう。枇杷葉茶や、花芽茶専用に採っている樹もある。生葉は、寒中の時期に。

 枇杷葉のお陰で、身体の健康を維持できることは、何よりもうれしく、幸せなことだろう。持続することも大切だが、根気と努力の数年であった。諦めずに自然の力を信じてきたのも、きっと援けてくれたものだろう。あり難いことである。機械に頼り過ぎず、便利さや豊かさに溺れないことを、肝に銘じて。

 昨年の収穫は、たくさんの枇杷の実が取れ送った。種茶にもしたし、ローションも作った。

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夏至・小潮

2018年06月21日 | Weblog

 二十四節気 夏至 太陽が黄道の、北端を通る日なので、北半球では、一年中で最も昼の長い日である。暑気も激しくなる。毎年、六月二十一日頃である。天気の不安定さは、梅雨時なのだからだが、雨量の心配も尽きず、思わず天を見上げてしまう。今年は夏が短いと言われる。既に冷房は効き過ぎ。

 夏の期間、身体は暑さに慣れていかないと、体力も気力も萎えてしまうが、便利さで我慢を忘れると、直ぐに冷房を点ける。23℃や24℃に、今からしていたら耐えられない。無茶苦茶をするものだ。ちょっと暑いくらいを辛抱するのも、大切な事だ。それなのに更に、冷たい飲み物を出すのは疑問だ。

 枇杷葉の実も、白枇杷とフェンスの所の長崎茂木になった。サンタさんのとりささんのは、1袋が熟れない。今朝も、未だ色が薄いので、掛け直しておいた。今月の末から来月にかけての収穫かな?同じように陽当たりするのに、北側になるので寒いからか。毎年、ちょっと遅めの収穫になる。日照不足。

 枇杷葉を送らせてもらったが、何れも甘さに絶賛。市販品の比ではない、と確信している。我が家の枇杷葉の味は、何処にも劣らない。商売ではないので、数が少ない。加えて自然に任せているので、その年にならないと分からない。大きさも市販品より小さめで、食べるのに手間が必要となる。無農薬。

 癌の治療にも、効果の程は大きいと思っている。身体中の細胞が日々新しくなっていく。自分の身体なのに、脱皮するのがよく分かる。角質の剥がれも、血液の浄化も著しいもの。人間は、自然との共生で生かされているのを、認識して感謝することを忘れない。無欲であらねばと思うが、未だ其処迄には。

 悟りを啓くのは、一生かかっても無理な気がする。そろそろ夏椿・沙羅の花が咲き出すが、誰しもがお釈迦さまの教えに、他人の幸せまでも願えれるものだろうか。他人と比べて、自分には足らないことばかりを、あげつらう。充分なものを持っていても、気づかずに不平不満だらけで、死ぬまで嘘ばかり。

 木村秋則さんのように、精一杯の一日を生きる方も居れば、無い物ねだりをするだけの者も、自分では苦労せず、棚ぼたの分け前を待つ者も。何れも同じ時間、同じ一日だ。でも苦労を厭わず、なにがしかを研究し、知恵と勇気のある人間になりたい。誰にも認めてもらえずとも、後悔する人生は厭である。

 昨年は、大量に蕾をつけ、次々と咲いた深紅の薔薇だが、今年は、挿し芽の分だけに。

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皐月、上弦・小潮

2018年06月20日 | Weblog

 既に、新暦では6月の後半である。少しづつ熟れてゆく枇杷葉を、1枝袋を外して取るが、野鳥は袋の上から分るらしく啄む。利口なのである。シートン動物記に、銀の星という烏のことがあったが、天性に備わっている能力には脱帽だ。人間が出ていると下りて来ない。家の中に入ったら枝に来る。

 雨上がりなので、ナメクジが樹を登っている。目的は枇杷葉の実で、実に上手く舐める。朝起きると、袋の中に侵入していることもあって、実に不思議な事態である。我が家のは、無農薬ですので、個数の確定が難しい。従って、売り物ではない。たくさんの年もあるが、その殆どを自宅で加工する。

 冷凍庫は、枇杷葉茶の花芽と種が入っており、消耗品は少しである。お茶パックに詰め、ナイロン袋に入れている。可能な限り、1年で飲み切るが、残ることもあって増えるのだ。ネットでも買えるが無農薬ではない。自分で創って、加工するのが一番の安心で、一途に守っている。お茶が美味しい。

 わたくしの暮らしを守ってもらうので、安易にはできない。感謝と祈りとを忘れないで、日々の清貧にも心する。それを心を籠めて遣るので、宇宙の仕組みがよく分かるというもの。数多の星に、広大な天に、四季折々の気持ちで接する。収穫もうれしいが、自然からの恩恵に、何よりも心強いもの。

 桂文我さんにも、口にしてほしくて差し上げたが、さて本物の味がお分かりになってくれたか?店頭で買えば、大きくて見た目も立派な粒だが、我が家のはその三分の一だろう。でも味は格別であり、瑞々しさも最高だ。今まで生ってくれることを、年数が経てば、くらいに感じていたが、紗にあらず。

 植えた場所に依っては、花芽はつくが結実をしない。結実をしても枯れたり、熟さなかったり、育っていないのもある。無論、無農薬だから、虫はくるし、気をつけていても異変の起きることも。それでも、無事に収穫できるのは、本当にうれしいものだ。今年のサンタさんのは特に、最高のが生った。

 原因は、1年間の雨量であったり、日照りであったりする。土は適度に湿り、程好く乾かないと、樹への影響が著しいのだろう。尤も、屋敷の周りに植えてのことで、田畑にではないので、これは偶然の出来だろう。これ程に美味しく熟れ、恩恵に与れることは、何よりも幸せだ。何事も独り占めは否。

 昨年の、5月3日の夕刻。金星や月の姿に、自然からの波動をもらい、そのパワーを身に着ける。

 

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