枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

神無月、三の酉・中潮

2017年11月30日 | Weblog

 雨が降って来ると、気分はロイヤル・ブルーに染まる。ジュリー祭りの、2部の№2に変える。ロング・グッドバイはお気に入りの1曲だが、ヘリオトロープに陥るので気をつけよう。沢田研二さんに興味を持っているのは、原発に反対しているから。

 加えて、折角聴きに行くのに、曲目の大概を知らないでは、ちょっと退ける。タイガースを解散して、ソロで歌いだしてからは暫く、出で立ちに馴染めなかった。何も、王子さまの格好をしていなければ、というのではないが、何となく違和感が残る。

 ずっと独身でいるのかな、と思っていたが結婚され、次いで離婚に衝撃を受けた。そうして再婚である。お相手は、わたくしの大好きな方だったので、びっくりはした。ある意味お似合いだと感じている。しっくり馴染んでいられる関係なのでしょう。

 鉄腕アトムで、地上最強のロボットの中で、プルートという最強のロボットが、アトムと戦うことになり、妹のウランが、兄の代わりに立ち向かう。このいじらしさ、そうしてそのウランのひた向きさに、プルートは心を動かされる。ロボットも恋するのだ。

 詳しくは、作品を読んでいただきたい。科学の兵器となってしまうロボットだが、作者は静かな怒りと真実を描く。深い哀しみ、核のゴミが何十年も消えず、地上を覆っていくことも、原発を再稼動すれば分りきっている。高額な金額は命の代償よ。

 認証・許可した県の責任は大きい。人間が凡そ処理しきれないことを、野晒しに放置してまで交付金が必要なのか。古くなった施設を動かしてまで、電気料金を下げたいのか。真夜中まで明々と灯すより、電力の使い方を工夫したいものです。

 何が大切で重要なのかを考え、人類は歩まなければ滅びる。否、既に心はないのかもしれない。自分達の勝手都合だけで生活することが間違っている。生き物は、人間だけではないのに・・・。絶滅危惧種に、人間も近づいているんだろうな。

 これだけ各国で、大きな地震が起き、予算の底をつく救済に、今日本が襲われれば、オリンピック処か、滅びていく確率は速まろう。偉い方々の考えは理解できないが、予知は可能だ。幾らシェルターがあっても、汚染されていて生きるのは否。

 白いクリスマスローズ。一時期はたくさんの花が咲いたが、少しになってしまった。可憐さは変らず。

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時を超える・・・

2017年11月29日 | Weblog

 シャガール展をじっくり観て、予知夢の形が似ていることに驚く。自分では何とも説明し難い、まどろっこさがあり、それを話したところで、何ということでもない。宇宙を翔ぶというか、そこに居るといえばいいのか、不確かな4次元の世界。

 では、何故、そういったものが視えるのか、感じるのかは、自分でも云い難い。人間は、産まれたら死んでいくのだ。それを言えば不吉だとか、縁起でもない。と非難されるのは違う。寿命と例えればいいのか、命の行方は決まっている。

 人間は、人間の姿を借りた肉体に宿っているだけで、それが木であったり、微生物であることも自分では決められない。森羅万象の、凡てが司る宇宙の一つであるから、何時何かで命を終えることになるかは、未知なのだと思えるのだ。

 自然の中で、自分の命を知らぬのは、きっと人類だけなのかもしれない。死期を悟る、という自然なことに、他の生き物は委ねる。機械や薬に依って、生きねばならない時間などは必要ない。死ぬのが怖いのは、恐らく人間だけのもの。

 生かされていることには、其々に意味があり、悟れる者と、そうでない者とで、大いなる差が生じるのだろう。やけっぱちになるでなく、一日を大切に、正直に、ひたすら歩むことも、死への誘いかもしれないが。近づいていることは正しい。

 光に変えれば、僅かな一瞬となる。人間の何という驕りと傲慢さであろう。その小さな宇宙の中に、存在する意味に、少しでも気づけられたことに感謝する。自分に与えられた使命を、忠実に行えることに祈ろう。神とは森羅万象である。

 風邪の必須条件。手洗いと嗽です。わたくしの日常には、枇杷葉茶があり、日々精進して実行するが、インフルエンザ等、寄り付かない。却って薬や予防接種で、辛くしんどい状態に陥る。免疫が耐え難く、克服するまで天地が反対だが。

 施設の中は、風邪引きが多く混乱を極めている。入浴にも、体温を測ってすればいいのだが、何時ものようにして、数時間経って熱感に慌てる。風呂など入らなくてもいいのを、体調も思わず実行する。様子が何時もと違うのに気づかず。

 年齢を重ねては、ちょっとしたことで身体は崩れる。わたくしのように自然治癒能力を促す方法ばかりを遣っていないから、免疫も抗体もないのを襲われる。薬にだけ頼っての生活は厳禁だ。処方箋もある程度は自分で遣れるので佳い。

 クリスマスローズが咲くのは、我が家では早くて、12月の終わりである。どちらかと言うと、旧暦で咲き出す。

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タイミング・・・

2017年11月28日 | Weblog

 仕事である。起きたのはいいが、身体は拒否状態で、イマイチのタイミングの悪さだ。然し、働かない訳にもいかない。気力を振り絞って動くが、長期の休みで、だらけてしまう。やっとのことで、我が身を促し、用意をし終える。寒いのですばるは、じっとせず走り回る。膝に乗ったり、挙句は肩に飛び乗ってくる始末。お、おっ重いでしょうが・・・。

 それでも、居なかったことが淋しいので、小さく鳴き甘える。これは甘やかしている証拠で、抱っこをせがむのも仕方ない。叱るのは簡単だが、つい気持ちが緩む。随分と重くなってきており肩が凝る。やれやれと思いつつ、反省する。爪は出さない。

 未だに、布団に潜って来ては、チュウチュウと腕や手首を吸うが、その時の必死さに、爪でつかまる。何度も繰り返して教えているが、ぐるぐると気持ちよさそうにしている。暑くなったら、顔を少し布団から出し、腕枕で眠る。これが半端なく重いのだ。

 朝には、餌を充分与え、水も枇杷葉茶もたっぷり注ぐ。お蔭で、毛艶はよくビロードのように輝く有様。枇杷葉茶は、色々に使えるので、特に猫には好い。嫌がらずに飲むのも有り難い。排泄物の臭いもなく、安心して飼える。逃走には注意が必要だ。

 久々の業務に、暫しためらいつつこなすが、人数が不足しており、急激な展開についていけない。加えて、休んでいた間に、風邪引きが増えている。健康管理はしている筈なのに、何で風邪を引かせるのだ。まあ、千振さえ飲めば、風邪は吹っ飛ぶ。

 リエさんの処に、お邪魔していて、風邪を引いてしまうのは避けたかった。帰れなくなるし、余分な資金もないので、封筒に千振を入れて、おかしいな?という段階で、親指と一指し指で掴んで口に入れ、嘗めていた。無論、苦いのは変らなかったが。

 お蔭なことに、無事に道中を終え、帰宅できたし、体調も大幅な崩れはなかった。通草酒もペットボトルで持参し、咽喉の痛みに先手を打っていた。従って、マスクもしないで過ごせ、倒れることもなく予定をクリアできた。自然からの恩恵を侮らず感謝。

 沢田研二さんの、ジュリーマニアと、ジュリー祭りを交互に観たり、聴いている。ジュリー祭りのDVDは、ちょっと先に延ばしている。どの曲も素晴しいが、特にロング・グットバイは、瞳みのるさんとの兼ね合いがあって、何度聴いても涙が出てきてしまう。

 春の月は朧だが、晴れた宇宙には美しい輝きだ。月の姿の変化に、心の移ろいを感じ、日々を想う。

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神無月、長潮・上弦

2017年11月27日 | Weblog

 今朝は、昨日とは得って変っての上天気。小春日和に、布団を干し、洗濯物を広げて、新聞をゆっくり読む。珈琲は、銘柄が『ブルーマウンテン』、穏やかでありながら、香りも佳い。やっと休日と言う感じである。明日からは仕事だが、拒絶反応が・・・。

 枇杷葉の枯れた葉や、虫食いを取り、残っていた麦を蒔く。初めての時には、少々の踏み方だったのが、やはり麦は踏まないと育たない。自然の鉄則なのだろう。すばるのトイレを換え、ようやく落ち着く。麦は、すばる用でもある。外に出たら帰れない。

 北東側の、フェンス側のがたくさんの花芽を付けている。これは既に15年が来るが、1枝だったり、付かなかったりで、昨年から増えてきた。サンタさんのは、田中なのでまずまずだが、しーちゃんのが、品種が不明であり、結実が不安定でもあるのよ。

 リエさんのには、程々の付き方で、今年も無事に収穫できそう。りささんのにも、5枝ほどが咲き出した。暁子さんのが満開で、蜜蜂や蜂が飛び交っている。大人の片手位の花芽の大きさ。物凄い花芽にびっくりする。昨年の初生りにも驚いたが今年も。

 暁子さんのお墓参りに、この枇杷葉の実を持って行けたらいいなと想うが、まだ日にちは充分あるので、リエさんとも相談しよう。足の調子が何とも言えず、長距離や移動に難儀なのだ。年齢を重ねると、多々な支障が出るが、衰えには逆らえないもの。

 裏の空き家に入居するらしい。安普請の団地でも、雨露凌げればいいのだが、すばるには用心しておこう。同じような家なので、出て行ったら分らなくなる。留守中のこともあるが、むしろ家に居る方が飛び出す。もう少し大きくなるまでは、悪戯盛りだよ。

 すばるの好物は卵だが、茹で卵と卵掛けは大好きで、今朝も横から取られる。美味しそうに食べており、あっと言う間に丼を空にした。網戸の所で毛繕いをしていた。ストーブを消し、網戸が丁度好い気温である。そろそろ燃料補給に行って来なければ。

 パソコンの具合が良くない。ネットには繋がるが、画像が表示されないし、買い物が出来ない。これでは困るが、さて、どうやったら可能になるのか。電気や機械に疎いと、こんな時に対応できない。ちゃんとサポーターには金を払っているが、おかしい。

 耳の日に、昇って来る月。旧暦の活用で、個人的にはお雛さまは出さない。この時期だと、風邪を引かせてしまう。

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我が家で過ごす

2017年11月26日 | Weblog

 昨夜は、すばるの悪戯の片付やら、土産の整理で遅くなり、深夜を過ぎていた。今朝は、曇り空ではっきりしないのを、ぐずぐずとして起きる。ちょっと布団を風に合わせ、その間に、枇杷葉を見て廻る。かなりの花芽の開花に安堵する。

 珈琲を挽いて淹れ、溜めていた新聞を読むが、4日分なので中々進まない。リエさんの朝ご飯はすっごく美味しくて満腹したが、自宅では簡単に済ませる。すばるが餌をねだるので、枇杷葉茶と一緒に置く。うれしそうに食んでいるなぁ。

 上京の夕方、リエさん家に到着して、布団に潜ったら凄まじい雨音だった。明日は中止かと思いきや、決行するそうで内心驚く。傘の用意はして来ているから、心配はなかった。新聞を見たリエさんは、午後から晴れるときっぱりの宣言す。

 田中正造の研究会参加。縁の方々の政治力や、財政力に感心する。然し、時は明治である。日清・日露戦争もあって、財を成す人等は多かったらしいが、自分のためではなく、地域住民の財になるように、正しいことに戦った人も居た。

 田中正造は、悪名高き足尾銅山の公害の水を、何としても政府に認めさせ、住民の救済に東西奔走された方だ。当時の交通事情も含めて、それで暮らしを立てて居る者が多く、多難の路ででもあった。この後、公害は後をたたない。

 王子での研究会が済み、ここからが徒歩での勉強会である。路地を行くのに、通行人の妨げをしつつ、王子製紙や、縁のお寺等に参拝する。眺めは青空が広がり、紅葉が綺麗で歩行できず、ぶつかってしまう有様。飛鳥山公園にも。

 春なら、さぞや桜が満開で、という佇まいの飛鳥山である。平岩弓枝さんでは、時折出てくる場所であるが、深川や大川端からでは、流石に遠く感じるもの。そこからてくてく歩いて、古川庭園に向う。小さな川に、枇杷葉があって驚く。

 滝野川警察の前で、堂々と演説しているのを、通りすがりの方は何事なの?と行き交う。幟旗を持っていて、見せていたりするのも可笑しい。午後4時を過ぎて到着し、園内での解散である。上中野駅でリエさんと落ち合い帰路に着く。

 翌日は、しーちゃん達とディズ二ーランドへ。日中は汗をかく気温になり、目当てのシンデレラやピーターパンに並び、トム・ソーヤを探訪し、西の宇宙に懸かる月を眺めながら、スター・ウォーズへと。3POの、下手くそな操縦にこりごり。

 しーちゃん達は、最後のパレードを観ると言い、一人ではリエさんちに帰れないので付き合う。その間に土産物を買っておく。価格は別として、持って帰れる範囲を決める。友人や知人への持ち帰りを断るが、しーちゃん買い回っている。

 で、東京駅で別れて、リエさん家に辿り着いたのは、10時前だった。翌朝は帰路に着く日でkazu君にお礼を。マサチュウセッツ大学で、ボールペンを買って来てくれた。リエさんの父上さまにも泊めてくれたお礼を。大荷物で、東京駅に。

 駅のコインロッカーに荷物を預け、昼食を摂り、シャガールを観て新幹線に。夢の中に出て来るのが、シャガールの絵に一致していた。不思議だなぁ・・・とリエさんに話す。入場券は安くなかったが、行ってよかったと思える絵画が多い。

 庭の配分をしていたが、最近は、枇杷葉が繁ってしまい、消えてしまうのや、密やかに咲くのや様々に。

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留守中の・・・

2017年11月25日 | Weblog

 帰宅して、先ず厭な予感が的中したことを知る。娘に言っておかなかったのが、間違いではあった。パソコンの部屋を開けられて、凄まじい惨状である。カーテンは引き破れ、机の上の物は惨憺たる有様で、手が付けられない。玄関に姿を見せ隠れる。

 すばる。と呼べども出て来ない。掃除を終え、出窓に行くと、しょんぼりとはしているが、三歳児位の悪戯盛りでは、留守にした方が悪い。きっと、探し回っても、何処にも姿が見えないので、不安でしょうがなかったようで、娘が餌遣りに来ても隠れていた。

 次の日は、餌と枇杷葉茶はなくなっており、姿もちょっと見せたらしいが、何処とも無くいなくなったそうである。昨日は、流石に淋しく、辛くて、娘婿に甘えて、抱っこをせがんだらしい。夕方には、どんなに遅くなっても帰ってきたのが、待っても姿は見えず。

 初めての経験にしては、長い時間であり、娘等では安心できなかったようである。これからは遠くには出掛けられないな。帰宅してからの面倒に、呆然と立ち尽くすのはこりごりだ。修復する費用も時間も莫迦にならない。以後は、閉じ込めていくしか無。

 娘に頼むのも、詳しい事柄を書いて張っておかねば。こちらの不注意でもあるが、まさかわざわざ閉めてある部屋を、開けてしまうとは思わず。湯たんぽを頼んだばかりに、とんだ事件が起きたこと。飼い主の匂いがするものに、相当な八つ当たりをして。

 赤ん坊の恰好をさせ、乳母車に入れて連れて行くことも考えたが、車中と、行く先々で、何が起きるか分らず、不測の事態も起きる可能性が大きい。それよりも、留守番をさせておく方を取ったのに、何だかがっくりしてしまう。人類、皆兄妹は嘘だろうと想。

 初日は、はり灸さんでの枇杷葉の治療。品川から蒲田、そこから池上線に乗り換え、久が原で降りてから徒歩。ここからが長かった。以前の場所でなくなったので、訪ねて聴いて迷って、やっとたどり着いた。夕飯をご馳走になり、今度は反対に品川に出。

 其処から、市川までの快速に乗って到着するが、リエさんが居ない。連絡すると、10分待って、と連絡が入り、駅で逢えてリエさん家に。ワインを開けて乾杯。kazu君が、だんなさんが帰宅して、皆で日本酒と、ビールとワインでの混合パーテーし酔って。

 春の気温には、ちょっと低いが、花々はよく知っていて、自分の咲き頃を見計らっているように出てくる。

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小雪となる

2017年11月22日 | Weblog

 二十四節気 小雪 寒気つのり、霜凍って雪となる。意味で小雪と言う。この頃より、風も寒冷の気を運ぶ。毎年、十一月二十二日頃である。季節の訪れには、多少の気温の変化はあれ、旧暦の時節には間違いが少ない。テレビもなかった時代なのに。

 春夏秋冬。日本にある季節の移り変わりに、人間の暮らしを、細々とでもしていれば、生きていかれる。或いは、知恵も湧き、工夫も考えていける。現代の、便利で簡単な、夜も明るい状態では、用心も怠ってくるもの。また他人への心遣いもお節介ほど。

 他人との付き合いも、煩わしいもので、何か言っていけば、そのことを根に持ち、逆恨みを受けたり、嫌がらせが高じて、殺人にまで至るが、これはその人間性にも因ろう。人を殺めれば、それは必ず、我が身に還る。言葉にも同じようなことが言えるが。

 近所の子どもに閉口する原因には、親の躾ができていないこともある。然し、注意を促しても、聴こうとしない者に、言うのは無駄な気もする。日常の生活習慣の、基本中の元でもある。特に男性には、年齢に関わらず、小用なら何処でもいいと遣ってる。

 公衆衛生的な所見は、どうなのか知らないが、やはり如何なものかと思える。都会ではいざ知らず、田舎に来るほど酷い。恥ずかしさの欠片もない行いに、眼を背けるばかりだ。然し、近状ではそれも出来ない。臭いが尋常でなく、大いに迷惑千万なのだ。

 すばるは、室内でのもよおしに必ず、専用のトイレに直行する。枇杷葉茶を飲んでいるから、臭うことは少ないが、人間も飲んでいれば、何処で遣ろうといいということでもない。知能上、人間の方が上と言うなら、もそっと遣ることが必要だろう。呆れるねぇ。

 新幹線の時間まで、ちょっとあるので、留守中の書き込みは出来ないが、と更新している。昨夜は、その分をたっぷり、沢田研二さんや、タイガースのDVDを観る。宇宙は星月夜で、満天の星が輝く。早くなら夏の第三角形が、時間をずらせば冬の宇宙に。

 自然からの贈り物である、この星々の光が、地上に届いてくる時には、既に消滅している星もある。星の色が違うのもそういった意味。正座の位置は分らなくても、宇宙を観あげてみよう。防寒具に身を包んで佇むことに、地球の声や宇宙の話が聴こえて来。

 春の庭には、クリスマスローズが咲き、その後は球根類が開いてくる。枇杷葉の根元に、鉢の中に。

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昔の行事

2017年11月21日 | Weblog

 祖母が居て、両親の健在な頃、朝起きると焚き火をしてくれた。山茶花の花の咲く庭で、寒がりの孫のために、身体を温もらせてくれた。学校は、坂道の下にあり、毎朝駆けて行く。貧しかった暮らしでは、手足は皸、加えて霜焼けの有様。

 学校に着くと、石炭のストーブがあり、先生が焚いてくれたり、上級生が焚きつける。それまでは寒さは変らず、校庭での遊びで、おしくらまんじゅうをやっていた。冬の北風の吹く中を、無心に遊んでいたものだ。教室に入れば居眠りがして。

 家の庭には、下敷きをした上に筵が並んで、祖母と母は刈り込んだ籾を干す。何度もさぐり、広げて乾かす。雀が狙い、猫が番をし、雨に時雨られて、やっと籾摺りが出来る。手間隙掛けて収穫し、ほんの僅かな食い扶持を、1年分の収入に。

 農事と言えば聞こえはいいが、天気に左右され、1年中が慌ただしい。大人の採算などよりも、お腹一杯食べたかった。贅沢をしたいのではないが、貧しいことが辛かった。でも、今となっては懐かしい。祖母の居た、両親の元気な頃に心は翔。

 故里の山々は、見る影もなく荒れ果て、猪が鹿が、庭まで出没している。朽ちていく家の侘びしさに、涙が溢れ霞む。時代が違うといえばそれまでだが、何故今は懐かしいのか。今度産まれてくるのも、あの家族がいいなんて不思議だなぁ。

 急激な冷え込みに、厚着をすれば、勤務先で汗をかくので、止む無くストーブを点ける。暖房も時にはいいが、体調不良の原因にもなる。毎日を規則正しい生活習慣での過ごし方を続ける。小さなことではあるが、自分で決めての実行のみ。

 すばるの寒がりに、何をしているのかと観察すれば、何と出窓のカーテンを、寝床の所だけ開けて、陽射しが入り込むようにしている。賢い。そうかと思えば、何処でも好いから、というようにテーブルに上がりこむ。其処は駄目って言ったでしょ。

 今朝は、箱の大きめなのにシーツを敷き、毛布を入れて遣る。然も、シーツには湯たんぽを包んでいるのに、押入れに入ろうと試みている。暗いところが好いのか、陽射しが暖かそうにも思えるが、猫の気紛れでもある。帰宅後が予想されるが。

 暖かな光に、春を待って芽吹く木々。どんな物にも命が宿り、啓蟄をたのしみに出てくる。彼岸も近い。

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神無月には

2017年11月20日 | Weblog

 今月は、神さんはお留守です。従って、神社その他諸々の、神さんへの願い事は出来ません。尤も今日日の神頼みは、スマホを使ってのこともあるでしょうから、そこは如何とも。今回の上京では、蒟蒻閻魔さまどうでしょうか?神さんではなく仏さま。

 腰痛予防の祈願を、蒟蒻と塩をお供えしてするのですが、そこには何故か、塩地蔵さまがいらっしゃる。リエさんに案内されて行って、びっくりしました。然し、お蔭なことに霊験鮮かで、一心に祈ったためか、気をつけているからか何とか、今の処無事。

 枇杷葉の手当てを欠かさないのもあって、誰にでも出来ることを、毎日続けていることが、いいのだと思っている。浩太郎さんの研究も、そういった信念でのことと、分野は違えど、コツコツと努力するのは同じです。取り分け、もう先は長くないのです。

 沢田研二さんの、ジュリーマニアを観ていて、とても不思議な体験をした。わたくしにだけあるのではない、と想えるが、本人にお聴きしたのでもないから、応えられないです。感応するってことは、ちょっとした力さえあれば可能で、波動さえ合えば佳。

 図書館で、あまんきみこさんの『つきよはうれしい』を、思わず手に取って借りた。どうという内容でもなかったが、月に惹かれる。月には、魔力が宿るとも云われている。今、読んでいるのが『魔女の血をひく娘』で、書かれていることに驚愕してしまう。

 末吉暁子さんの、モエでの選評にあり、随分と古い書籍で、地元の図書館にあって借りた。続編もあって驚くばかり。然し、中々読めない。延長し、借り直して読んでいる。書かれていることに身震いする。この想いはしたことがないと解からないだろう。

 勤務を終えて帰宅するが、すばるの姿が何処にも見えない。低位置にも居た形跡がない。洗濯物を仕舞おうと、就寝場所に行くと、はんがーの衣類が落ちている。押入れが少し開いて、布団がずれている。居ました。寒かったので、毛布に上がって。

 銀河は、パソコンの部屋で、湯たんぽに乗って眠っていたが、すばるをいれておくと、嵐が吹き荒れ惨憺たる有様に。昨日折角変えたトイレ、散りじりになってるし、カーテンはボロボロ。幾ら寒いからって、大暴れである。まあ、温もったことでしょうがね。

 今は、ねんねこに包まれてじっとしている。電気ストーブも灯油も、火事になったら、我が家だけでは済まないので、必ず消して行く。出窓の場所がお気に入りであるが、気温の低さに震えたのだろう。数日の留守が案じられるが、押入れで大丈夫だ。

 日毎に明るくなり、気温も上がって来る夕暮れ。愛車から観えた西の宇宙に、金星が輝いていた。

 

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枇杷葉に抱かれて・・・

2017年11月19日 | Weblog

 枇杷葉の生葉を少し、持って行こうと採る。靴に入れるのも、腰に当てるのも好いのだ。焼酎に漬けたのは、外出先では困る。白い物に付くと、絶対に落ちない。以前には、背に腹は変えられないと着けていたが、洗濯時に思わず呻る。

 テーブルクロスも、その他の物も、柄物の漂白剤を加えて、一晩浸け置くと良く、殆んど落ちてしまう。ハイターだと、生地が弱くなって裂ける。ボディソープの液を、洗濯槽に入れて一度回し、一晩置く。めんどくさいようだが手間が省ける。

 洗濯槽に浸けるのが出来ないなら、バケツの容量のあるので出来る。急いでするよりも、じっくりでも綺麗になる方がいい。早く・速くと急きたてるよりも、一日を堪能できる過ごし方をしたい。車であちこち移動して、疲れるよりはいいなあ。

 今朝は天気になったが、風が強く、雲の動きが早い。こういう時には時雨があると、布団は出さなかった。案の定、通り雨のように降る。風が強いのは洗濯物が好く乾く。何しろ三日分である。取入れにも、干すのも、畳むのもたくさんある。

 季節は巡り、冬となったが、気温も天気も通常だろう。寒くて当たり前であり、気温が低くないと農作物は出来ない。麦を蒔いたのが発芽し、少し踏んでおく。山茶花が咲き出し、白い花弁を風に揺らす。枇杷葉の花芽、やはり今年は減少。

 上京時の服装に戸惑う。真冬の出で立ちは暑過ぎ、可と言って寒いのは困る。散々悩んで、携帯懐炉を持参することに。外に居ることが多く、風邪を引いては・・・。コートも用意するが、これは着脱が可能なので。重装備には肩が凝る。

 スカートの厚手のや、綺麗目なのを出していたが、ズボンに変更する。リエさんの話だと、歩くことが多いらしいので、途中の休息まで辛抱できる恰好が好い。夏の暑さには平気なのだが、冬は苦手である。手袋とスカーフ・マフラー要る。

 沢田研二さんの、ジュリー祭りを、一応6枚聴いた。何回も聴いた上で、DVDを買うことにする。然し、ファンの方には申し訳ないが、単独で自宅でのライブは、居眠りがついてしまう。心地好く響き、ついうとうととなる。気分はリラックスだが。

 桜の幹が、葉を全部落とし、先端に蕾をつけ、春の訪れを待っている。近づいて見ると、堅い小さな膨らみがある。

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