枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

師走・三隣亡・中潮

2024年01月31日 | Weblog

 今朝の天気が怪しく、薄曇りの状態に気温も上がらず冷える。すばるは必ず外の空気を吸いたい、掃き出しを開けろと騒ぐ。洗濯物を干すのに階に出るが、部屋の中からの見物を決め込んでいる。野良猫の気配があるのもと、周囲を見回して用事を済ませ戸を閉めた。

 昨日は、足湯に何時もの娘さんが来宅しPm4時過ぎまでの滞在。すばるの機嫌が悪く、専用の敷布や毛布を片付けるとチェックを始めた。娘さんの衣類の匂いが気になるようで、飼い主によく似てだ。柔軟剤もだが、洗剤の香料に抵抗して暫く徘徊を繰り返していたわ。

 枇杷葉茶を、我が家に来た時から飲ませているのもあり化学物質を嫌がる。あらゆることの凡てが枇杷葉なのも例外ではなく、猫と云えど分るのだ。入浴剤・洗顔・治療全般に用い、ボディソープ・パックスナチュロン社・使用としている為だ。洗濯には桃のを使用してる。

 身体の痒み・皮膚の炎症等に甚く効果があり、今までの薬は何だったの?という顛末に至る。従って、予防接種の類は懸念こそしても受けない。枇杷葉に援けられ活かされてを感謝しており、自然の恩恵と賜る。今年は在庫充分あり、連絡しては配布し効能も伝えてだ。

 お茶パックに詰めての茶葉を、一度限で捨てられる?何回も煎じて下さいね。色が出始め濃くなり、薄くなるまでできますしその後は枇杷湯や糠床等活用。資源の活用方法を考えて繰り返し無駄なく、いかされますように。但し、無農薬・寒中物に限りますので注意して。

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四季の拘りに想う

2024年01月30日 | Weblog

 今朝は冷たく、枇杷葉を突っ込んでいるバケツに薄氷が張っている。台所での朝食の準備中は灯油ストーブ点けるが、枇杷葉茶を煎じ珈琲を挽いて淹れると消す。昨年にはあちこちと移動させ、電気代の節約をしたが経費は同じと知る。安いと言うが如何ほどもなくだ。

 身体への衣類の調整も、体内からの清浄さと毒素の排出にしなければ変化ないと判る。幾ら薄着になってもエアコンでは、機能は回復しない。アレルギーやアトピーがあると思わぬ事態を招き、却って被害が続出。肌着は綿、身体を温めるのは枇杷葉茶と決め正解です。

 花芽や種をホワイトリカー35℃に漬けて、化粧水や風邪の予防に用いるのは香りが自然で宜しい。医療機関に行かぬ理由として人工的な物を受け付けぬ為、蕁麻疹症状になる。薬を大量に呑んでいた時には、効かぬから次第に強くなり悪化の一途を辿る経歴も持つ。

 枇杷葉も最初は赤穂方面まで貰いに出掛け、植えた種の発芽と生育まで凌ぐ。枇杷葉は何処にでもあるが、誰も見向きはせず大きくなり過ぎ伐られてしまう。初夏店頭に並ぶのは路地物、ハウス物はこの頃から出回る。高額であるのに甘くなく、一度で懲り意気消沈する。

 昨年に収穫したのは6月の中旬頃だが、樹で熟れさせる為だ。庭の植わった状態にも差があり、南側が早く北のは遅いのも陽当り条件が異なるからだ。今年は裏年と云うに、我が家の状況通年と結実あるし年毎に初生りも見える。自然からの恩恵と感謝冥利尽き、歓びとも。

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真・深・清・沁・辰

2024年01月29日 | Weblog

 寒中の時期に、枇杷葉の剪定や茶葉作りを行うのは樹が休眠状態の為です。枇杷葉の命を戴くのですから、傷つけずとも。春分を過ぎると、小さな実が育つのと秋口には新芽の準備も始まっている。季節を問わず、何時でもではないが生葉は止むなくであれば硬いのを。

 小寒から大寒には、茶葉は無論のことだが生葉も大きいのを焼酎に漬け置く。これは外傷時に用い、蜂や百足に切り傷・擦り傷・打撲・浮腫み・炎症・感染にも効果が大きい。結膜炎や水虫等、凡そ症状の違いこそあれ効かぬことは皆無。由って、医者要らずとも謂れる所以。

 疑心暗鬼に駆られる方もおいでで、実際に用いてみれば?驚きの事態へと変化。利尿作用・体臭予防・フケ痒みも殺菌作用の働きで、紙魚や雀斑も消えてしまう。美白は枇杷葉茶で飲用する為、血管の掃除を行うことから肌が清んでくるのだ。個人差は否めず、医療費ゼロ。

 此処までの路のりはひたすらに努力でしかなく、試行錯誤も続いた。諦めない・工夫と知恵に援けられ、二十数年の月日に達し漸くに判る。白龍にも守られて、揺るぎない自然からの賜物を授かれる有難さ。それには祖母のしていた記憶が甦り施行した結果、ありの侭に満足。

 枇杷葉茶は、一般的には茶葉を使うが花芽や種も飲用できる。但し、アミグダリンB17が豊富なので注意が必要。命は大切に活用してこそ、有意義に効くものと心得る。長生きを願うのではなく、健康に過ごせることへ感謝なのもうれしくあり。枇杷葉が心を癒し繋がれと、祈る日々。

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季節への想いに

2024年01月28日 | Weblog

 日本の四季に、生き物が集い繁殖していく廻りには宇宙の摂理ありと覚える。其処にある命を戴くことに、金銭の支払いは生じるが旬の時期を愉しみたい。然し乍ら儲けが絡むと、無理をさせることに及ぶ。人間の楽しみに、植物を合わせ人工的に発育させてしまう傾向がある。

 この時期には、きょう菜・蕗の薹・くわい・芹・ほうれん草・温州蜜柑・柚子・真鯖・雲丹・カンパチ・ズワイ蟹・鰆・ホウボウとある。地方にも撚るだろうが自然から授かる。店頭に並んでいる種類の違いは、多少はあるものの季節違わず。消費者は、店に居る方に問い購入したい。

 買い物に行かぬ為、流通の事情は分からぬが吃驚な商品も見える。旧暦のカレンダーや暦を見てだけなのも如何せん、生協の注文チラシまで首を傾げる物が増えてきた。なんだかなぁ…と思案する昨今でもあるし、価格の高額さに躊躇いも生じ目が点になることが増えた。

 土を喰らう、という水上勉さんの云われることからは遠い。自給自足が可能なら慌てふためく事態にはならぬが、明るく・綺麗な・快適で便利となれば無理の暮らしだ。種を撒くなら、そろそろ準備しなくてはならずどうするかなぁ。無農薬栽培への想いが膨らむが前途遥か。

 枇杷葉茶を作り乍ら、この茶葉を飲用しての方が病軽くなり平癒されてと祈る。ブログでの縁で、不明な箇所もあるのにと有難い。更新の度に、正直と真実だけを記載する。それを理解して用い、薬は毒と化すのは周知の事実。邪まな心での、無断転売は責任持ちませんです。

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松本清張作品

2024年01月27日 | Weblog

 今朝の毎日新聞に、松本清張作品三作を上げた内容に共感した。というのも、その作品を読み身体中の震えを禁じえなかった。松本清張は、黒の作家としても有名で作品の殆どが記者時代に培われたと。個人的には、黒の福音を記したく獣道も外せず不条理に胸が詰まる。

 本屋に勤務時代、文庫ではあるが片端から買い読んだ。事実なことも真実にも、一種の驚愕があり亡くなられたことが惜しまれる。映画やテレビで演じる方にもよるものの、原作とは違うと納得。霧の旗に、世情の謂われなき抵抗を思い主人公と同意し記憶が鮮明に甦り来て。

 戦争への懸念の基本かも知れぬ、と作品を読み耽った。図書館に行け無くなれば、押し入れにあるから取り出そう。小説・帝銀事件、冤罪という言葉やその成り行きに唇を噛みしめた。正しいことと異な者への凶弾のようにも感じ、無情さにやるせなく逝き場を見つけられなくも。

 早朝・未だ明けきらずの刻に、野良猫参上すばると遣り合うが如何せん内と外では相手にならず撤退。眠いというか覚醒できず状態に、何が目的?枇杷葉茶を紙袋に詰めて干している為か。冗談はよしこさん、この匂いに引かれては分るが時間を考えてはくれぬ野良猫である。

 バケツにも、剪定した枇杷葉を突っ込んでいるので花芽が薫る。庭には、鶏はいないけれど外した生葉も重ねてある。畑があれば、焼いて灰にしたいが消防署に通報される傾向。この時期には、空気が乾燥しており風も強くあっという間に大惨事と成る。始末書だけで済まぬの。

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師走・望・大潮

2024年01月26日 | Weblog

 今朝は比較的暖かな気温に、宙は生憎の曇り空。陽射しはあるものの、迷いの生じた気持ちと重なり垂れ籠める景色が広がる。枇杷葉茶葉も余す処となりはしたが、節分の日までに完了するか?と作業です。午前中の洗濯と掃除時、絨毯に力が入り気づけば時間です。

 出不精の所以だが、外食は無論のこと旅行に行かぬ理由は枇杷葉茶が飲めないからだ。珈琲にしてもフェアトレード商品かは不明、挙句に農薬ときては病の元を何がうれしくて買うの。見栄えの飾りにも、然程の魅力無く却って食欲は減退し好みの問題と金策にも苦慮。

 枇杷葉茶の温かいのを湯呑に注ぎ、両手に包んでゆったりできる至福の時自然から与えて貰える有難さ。これ以上も以下もなく、つつがなく過せることの自由を満喫してに感謝を。電気代の節約もあるが、エアコン点けずの暮らしに慣れ布団は気温の低さと除湿機始動。

 寒中時であればこそ、季節感を活かしての知恵と工夫を怠りなく夏の身体へと。枇杷葉茶飲用で、血管の掃除と流れは滞りなく病院に等行く気もしない。仕事をしていた時には定期受診必須、それでないと働けない。所謂雇用者への証明書なので、身体が厭がる結果に。

 えっ?悪い処はありませんよ、性格以外は。年齢と共に体内の機能は低下する仕組みが、受診の度に若返るデータ。体脂肪計が壊れてない?…あらっ、正常なの。Drの見解聴くこともなく、封書等開けません偏屈者です。薬が合わない、そんな異物吞めませんですと拒否。

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雪花の舞う、大潮・師走

2024年01月25日 | Weblog

 今朝は、白い物が天からちらつき舞い降りる。牡丹雪だが、地上に届く前に消えてしまう。まるで淡雪の様に、外気が温かであると知るものの各地の状況は異なる。室内に入れての観葉植物も寒さを堪えており、栄養剤を与えた。水は汲み置きしているのを、日中に行う。

 枇杷葉茶葉作りは少しづつだが、毎日実行です。鋏を握ると指先がジンジンし、ひたすら作業に精出す也。大雑把に切った葉は、一日に数回の天地返しをしながら乾燥状態を確かめる。手作業には感も大切で、心で話しかけ声を聴ける有難さに感謝の想いが募りゆく。

 枇杷葉は、千葉県を境に樹が育っても結実しない。品種には長崎茂木・田中・房州とあり、土肥地方にしか白枇杷はない。品種も改良され多く確認され・農文協・ビワを育てるに詳しいが、我が家には新品種存在する。房州と白枇杷が交配したものと思われ、3粒熟成。

 昨年、袋を確認中に幾ら待っても色つかぬ。瞳を凝らして見れば、熟していることに気づき口に含むと甘い。その種を植えていたら発芽し、生育中である。以前に買った覚えの白茂木は、何処かな?赤枇杷が主流であるから滅多に手に入らぬし、育ち難さも関係するよ。

 枇杷葉は不思議な力を備え、邪気を祓う。環境に左右され、土の状態や念を吸い吐くことにも繋がる。何処にでもあるが、行き来する者の思念や想いを溜めると感じる。従って、我が家を守る白龍は宇宙の使いとも。視える方が、家の周りを白い物体に包まれてと断じた。

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師走・大潮・赤穂浪士討ち入り

2024年01月24日 | Weblog

 浅野内匠頭の無念を晴らす想いで四十六士集まり、吉良邸に赴く。今宵は満月、大潮に至りての決行である。元禄十五年の宵、大石内蔵助は大手門から、息子は裏門へと陣取り合言葉 山・川と心得る。吉良は何処にと捜すが、日付が変わっても姿晦まし気配さえなく。

 どの時代に生きていても、命は惜しい。況してや石高の大名となれば、抱える民は多く露頭にも迷う。逃げて長らえたくはないが、不憫は家族に及ぶ。庭に引き出され別人の振舞も、風雅な出で立ちにて看破され斬首となる。赤穂浪士の面々は、泉岳寺に眠る主君の元へ。

 数年前に、リエさんと同僚達の励ましもあり無謀な強行軍をした。吉良邸から泉岳寺まで、歩きました。何と所要時間4時間半の路は、遥かという能天気のため息を堪えひたすらテクテク進みました。この時、靴底に枇杷葉の生葉を敷いていなくば挫折していたとの思い強く。

 雪の降った道に、逸る気持ちを静めながら主君の元へと行った浪士は如何許りだったろう。地面が土でなく、アスファルト云うのが歩けなく不甲斐なさに足元もつれる。季節は晩秋であり乍ら、汗は出る息も上がると云う体たらく。元禄時代であるならば、忠義の欠片も無いわ。

 昨日は気温も低く風もあったが、すばるのトイレ砂を買いに行く。郵便局に寄り、生協の支払い金額を確認する。帰宅後、茶葉作りに勤しみ花芽を送る手配。長野まで無事に着くことを祈り、枇杷葉に援けられ白龍が守りてを実感す。誰にでもではないが、波動亘れよ贈ろう。

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気温低下に・師走・煤払い

2024年01月23日 | Weblog

 今朝は2℃、窓の結露を拭きながら指の冷たさを感じる。すばるは、ストーブの前よりも外が気になり網戸。寒くないのか?丸々とした体で、今年は脱走に凝りて眺めるだけである。陰猫で子どもや臭いのする人間を好まずなのもだが、何よりも餌が無かったひもじさだろう。

 昨日、宅配を手配後ふと冷凍庫が気になり確認した。枇杷葉の花芽と種が大量にあり、改めて詰め換えた。数年前のだが、傷みも無く保存状態も良く安堵。採取したばかりだと、アミグダリンの数値は半端ないが熱処理には弱い。寒中時であれば、さて誰に贈ろうか?

 花芽や種には、青酸配糖体が多くあり一度に食べると機能低下に陥る。漢方薬には用いられても錠剤や粉は難しく、自然療法が適している。煮出すと煎じるとは火力の違いであり、その時間をゆったり過ごす心の癒しとなるからだ。自らの病平癒を、祈る刻でもあるわ。

 昨年の夏の暑さに、秋が短くで急に寒さが押し寄せ身体が慣れぬ状態だった。エアコン作動させず、衣類を毛糸や綿製品に替え凌いできた。それであるからか、寒いのに堪えて居られる有難さだ。牛乳は苦手でも、温かくして飲み出歩くことは少ないが健康に感謝。

 年金だけの暮らしには、清貧・旧暦が実に身体にそぐうのも歓び。旬の野菜を堪能し、肉は無くても病発症せずがよろこばしい。更に昨年からの小豆懐炉で、繰り返し使え温かい。腰と肩を冷やさず、着ぶくれもしない為動きも厭わない。神・宇宙から戴ける有難さとも。

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一日への想いを籠めて・師走・中潮

2024年01月22日 | Weblog

 晴れになり、気温も高くて雪は降る気配さえない。昨年には、雪花が舞ったくらいだし一昨年よりも暖かい。枇杷葉にしてみれば、寒さが苦手なのも有難いことだ。茶葉作りに励み乍らも、自然乾燥の為気温は低く乾燥してを宜しいが。環境に左右されつつ、寒中時の恒例。

 今朝、朝食時に茹で卵を剝いていたらすばるに齧られた。見た目での判断ではなく匂いに突進してき、膝に飛び乗る。楕円形を、上手に喰む格好に感心した。えっ?飼い主の分が…少ないじゃないですか、上目線で結果を事後承諾。庭に飛来する野鳥の声、殊更姦しい。

 枇杷葉の花芽が大量に採れ、あちこちへと手配中。我が家の冷凍庫に収まりきらない為、贈ることにした。樹にある状態でなら、結実して実となり育つが袋掛けにへこんだ顛末なのだ。今年は裏年ということに、強剪定決行をしたので花芽も多く採れ初生りもありと鈴生り状態。

 これから実が育ち、春分を過ぎたら袋掛けになるが地上から1.5㎝に伐っている。ありがとう・と話しかけ乍ら、漸く半分に今後の見通しもつき安堵の想いを深める。寒中の時期であるからこそ自然の恩恵と、心に留めたい。旬の季節があり、戴くことへ感謝の気持ちで行動したい。

 午前中に洗濯と掃除し、午後から枇杷葉茶作りに精出す日々の何と有難いことだろう。図書館から借りた本も読みたいが、瞼が重なる。日々同じことをしていながら、決して寸分違わぬこともなく一日を終えていく。医者に罹らず六年の歳月、枇杷葉に援けられての暮らしとも。

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