枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

何とかの日?

2017年02月28日 | Weblog

 毎日、何がしかの日でなくてはならぬことも、とも思うが、イベントで儲けようとすれば、名づける必要もあるらしい。ビスケット、蕎麦の日とあるが、月末は必ず、蕎麦の日である。その蕎麦も種が落下して、自然に発芽するので、何時になったら食せるか。

 連休を終え、仕事に行かねばならない。休日が一日だと、疲れが残ってしまい、快復に手間取る歳になったが、働けどはたらけど、という件になる。楽で実入りの多い仕事は無く、嫌気が差す現状である。然し、口は年々達者になっていく。不思議だなぁ。

 政府の遣っていることに疑問を感じるが、あの我儘勝手な案件を、すんなり通せるのが、そもそも可笑しい。自民党の中には、反対を唱えれば、失職に追い込まれる仕組みだろう。皆が皆我が身の可愛さに、声を上げずに居眠り、手を挙げず携帯に。

 悪が蔓延るという世の中も、知能犯が増えたからだが、働かずに金が入って来るのは、濡れ手に粟で、摑まるまで豪遊すればいいだけ。払えないというより、払わない心算で、詐欺を遣らかす。騙される方には、しこたま貯めこんでおり、狙われるのだ。

 でも。何故それが分るのだろう?実に感心する。そうやって金を巻き上げて使い、返さないという遣り方も、詐欺の要素らしい。我が家には蓄えはないが、枇杷葉なら屋敷中にある。労を得ようとすればだが、手間な上に愛情も要る。朝夕に挨拶もするよ。

 クリスマスローズの蕾が、ちらほらと咲き出しており、梅は剪定したから、僅かである。猫柳が綻んで来た。庭も、球根類が芽出しをして、椿もそろそろだろうか。春の木と書くには、彼岸前後が咲き頃になるのか。花の咲き時期に依って、季節の廻りを憶。

 昨日の春うららの暖かさとは一変し、今朝は薄氷の張る寒さだ。手も冷たい。当分ストーブが要るのに我慢。朝の弁当時にだけ点火して、節約しよう。懐炉を身体に貼りつけて、腰痛も予防し、枇杷葉で乗り切ろう。蒟蒻は温めて使うが、効果が多きい。

 月の光を浴び過ぎると、精神に影響があるのか?否、夜気や露にあるかもしれない。忍び寄る闇への恐怖が。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

陽気に・・・

2017年02月27日 | Weblog

 今朝は、友人が来訪の予定であったから、その心算にしていたら、直前に連絡が入り、止めると言う。布団を干してはいたが、郵便局まで支払いに。銀座の珈琲が、ベルメで注文できるとあって、散々迷った果てに頼んでいたものだ。未だ、封は切っていない。 

 サンタさんの珈琲が飲めなくなって、娘に頼んで買ってもらったり、小川珈琲を知人に取ってもらったりしていたが、風味が馴染めない。送料や価格の問題もあるが、自分の気にいったのが飲めるに越したことはない。然し、問題は隔月でも2袋というのがねぇ。

 勤務先に持って行って、その価格の珈琲を淹れるのは、ちょっともったいない。自分が飲む次いでであるから淹れるのだが、わざにはその気はない。香りも風味もとんと無頓着な者に、何が悲しくてできよう。殆んどがボランテェアでは、遣っていけないのだが。

 それに、わたくしだって偶には淹れてもらいたい。或いは、休日の日溜りの中で、じっくりと淹れて飲みたいのよ。他人のために、そこまでする心算はないからだが、可と言って料金をもらうと、満足いく価格にしたい。その矛盾点に、妥協することも何だか厭だ。

 最近は、喫茶店さえ覗かない。高々、珈琲1杯に高い料金を払い、飲んだ後で、しまったという想いに駆られる。以来、余程の美味しいと定評のある場所でさえ危ぶむ。新幹線に乗る時にも我が家から淹れて行く心掛け。従って、枇杷葉茶と珈琲は常備してる。

 上京する時の荷物が多いのは、こういった用意周到で行こうとするからで、出かけた先で、適当に買えば好い感覚にはなれない。加えて、蒟蒻閻魔さまへは、蒟蒻と塩を持参する。お願いしたり、お礼参りであったりで、荷物は増えるのだ。今回は宅急便に。

 1週間の休日を有給も入れて、連休並みに取ろうとすると、勤務の調整が上手くいかない。リエさんの都合も、しーちゃんの勤めもあるので、中々に難しい。湯島天神さまと、神田界隈の古書の類を、時間をかけて見て歩く手もあるから、どうにかなるとは思うが。

 昨年の、初冬の宇宙。空気が澄んで、冴えてくると、宇宙の星の瞬きが鮮やかに観えだしてくる。自然からの恵の有難さ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

如月、朔・大潮

2017年02月26日 | Weblog

 孫の受験も、合格が決まり安堵する。天神さまも、色々な場所で祀られているが、個人的には昌平塾で学んでいた受験生を思うので、湯島天神にお蔭を祈願する。子ども等の時にも、孫の場合も、合格になったことは喜ばしい。お礼参りには弥生に。

 早春の陽射しは、薄くて儚げであるが、天気を口実に広げる。洗濯物も終え、塩を換えておく。バッグも、荷物を入れ替えて、気分転換を図る。隣には、子ども連れの家族が入居したようだ。こちらの意志には関係なく、住居の条件があればいいのだ。

 家の中はどうであれ、外の塵には注意をしたいもの。猫が徘徊しており、生塵の放置は困る。ゴミ袋も無料で無いので、破れれば使えない。家の中をきれいにしたいのは分るが、外はむろんのこと。掃除、料理、子育て、仕事では大変ではあろうが。

 朔日には、塩と枇杷葉茶を換えるが、種の香りが馥郁として好ましい。半月から1ヶ月煎じるが、風呂に浮かべても、身体が艶やかになる。お茶パックに入れた種を3袋、薬瓶に投じ、弱火でじっくり煮出す。爽やかですっきりした風味に酔い痴れるね。

 洗顔は入浴時にするので、朝は丁寧にはしない。顔のざらつきには塩で擦る。化粧水は枇杷葉酒だが、種か花芽がいいので、専用に作っている。ドクダミエキスも、肌荒れには抜群の効果がある。従って、化粧品代は年間で5千円もかからないのだ。

 それまでは高額な化粧品や、肌にやさしい物を極力求めていた。然し、合わない。まるでお岩さんに変じる。皮膚科に行っても、薬が合わない。悲惨状態を脱したのが、枇杷葉やドクダミとの出遭い。身体の中から治さなくては、症状は改善されない。

 貧乏人には、民間療法が佳く効く。自分の持っている、自然治癒能力を高め、免疫や抗体を自分で改善できるのもいい。医者に任せておくと、症状が改善どころか、他の部所まで悪化することもあり、信用できない。金も掛かる一方で好いことは否。

 腰痛も、枇杷葉温圧療法で可なり良くなった。少しばかりの痛みも、イタドリを飲んでいたら軽くなった。おやっ、あれっという感じである。痛みを取るので、痛取りと言うが、実際にここまで効果があるとは思わなかった。然し、苦味があって顔が歪むが。

 初冬に見つけた、揚羽蝶の幼虫です。3匹いたが、さて無事に孵化したかどうかは不明です。気温の上昇に期待。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧暦・睦月月末は・・・

2017年02月25日 | Weblog

 睦月の月末は二十九日で、明日から如月となる。早々と、お雛さまを飾っている家もあるようだが、せめて旧暦の三日にしてほしいもの。あまり早く飾ると、お雛さまが寒そうで、気の毒だ。地方に依っては、4月3日でするところや、旧暦で行う地域もある。

 然るに、幼い子どもの成長を願い、健やかに育ってくれればいいとの思いは、共通のことであろうか。医学が進んでいても、出産は命がけであるのだ。パソコンの画面を観ていればいいというものではない。助産師さんの判断が、重要になってくるものだ。

 昨年から今年にかけて、大きな存在であった方が亡くなったこともあるが、介護の仕事も激務で、体力的に続かないことを、勤務先に伝えるが、人手不足の折柄、辞めないでくれと言う。ヘルパーだけでなく、介護福祉士もあるので、時間調整をすればと。

 贅沢をする心算はないから、細々と凌げればいいのだが、勤務先にとっては、人材の発掘は容易ではないらしい。きつい上に、給料が安い、ときてはなり手も少ない。若い者は、割に合わないから見切りをつける。政府の嘘吐きは、端信じてはいないが。

 年齢の半分くらいなら、資格を生かせるし、何でも遣れるが、無理の効かない身体は騙せないのだ。やりたいことを続けるには、多少の収入は必要だが、多くは要らない。あれば、働かなくなってしまい、早くに認知症症候群に属してしまう。程ほどの範囲で。

 これまで、勤務先には数々の寄付をしてきたものだ。気づかない箇所や、雑用をこなしてきたが、これからは自分の思うようにしたい。精神的な負担を、じっと我慢するのは厭である。皆、自分勝手をして、横着をしようとする。縁の下の力にも限度があるよ。

 今後は、枇杷葉を中心とした、暮らしをするのだ。これまでの記録を書き直して、まとめるのもいい。様々な物を処分もしたい。捨てるのには忍びない物もあるが、あっても使わなければ意味が無い。自然への感謝と祈りがあれば、どんな日々も暮らせるのだ。

 初冬の宇宙の輝き。金星も、高度が上がってきており、その光度も素晴しい眺めになってきている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豪華列車・・・

2017年02月24日 | Weblog

 今朝の新聞に、一人25万円での乗車とあった。まさに豪華列車である。庶民にはもったいない、各駅停車で充分です。それさえも、時間的なことで行けないのに、JRも色々に考えるものですね。速いばかりがいいのではないから、料金次第だ。

 ハワイにも、観光目的でなく、マウナケア山へのツアーなら、昴での眺めを体験したいが、単に望遠鏡を見たり、撮影した星の写真に限られ、実際には観望はできない。こっちは30万だったかな?宇宙旅行等、夢の夢であり、価格も膨大だよ。

 こうなると、特殊能力が役立つ。時間旅行にも、幽体離脱も可能なら、何時でも往けるが。然し宇宙は寒いのと、還っては来られないから、その覚悟も必要になる。銀河旅行に、ちょっと行って来ます、時代は遥かな時を超えても、来るかどうか怪。

 金星の光度が素晴しいが、来月になったら、内合に変わり、明けの明星となる。現時点で、明けの宇宙に輝くのは、木星である。宇宙を観ることの出来る幸せに感謝し、戦争のない世界を願う。太陽も月も、惑星も、皆等しく地上を照らしている。

 其処には壮大な歴史があり、様々な生き物が蠢く。人類への諌めをもたらした、ノアの箱舟も既に忘れて、人々は驕り高ぶってきた。肌の色で、国籍で、学歴で、貧困で差別を繰り返してきた。沖縄への無理強いには、本土からの差別が残る。

 沖縄は、元に帰ればいいんだ。琉球国と呼ばれていた時代、何も恐れることなく、自由と希望があり、人々の誇りがあった。何等理由も無く、不当な扱いを受けることはない。アメリカへの依存が消えない限り、沖縄への偏見は残り続けるだろう。

 伊方原発の再稼動を、住民は受け入れたそうだ。これは住民だけの問題でないのに。地球のことなのに、どうして人間が決めるかな?環境保存にも、放射線での汚染にも、諸々の金が絡む。世の中に、それ程上手い話等、ある訳がないのに。

 長崎茂木の花芽。1枝の花芽が、片手の大きさである。鈴なり、の状態も凄いのに、びっくりしたよ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孫の受験合格に

2017年02月23日 | Weblog

 リエさんに天神さまのお札を、贈ってもらって、孫に渡していたのが効いたようだ。私立も、県立にも受かった、との報告に安堵する。リエさん、ありがとう!足が治りきっていないのに無理をさせてしまったけど、無事に合格しました。きっと祈りが通じたんだね。

 昨日は、突然の残業となり、今朝は早出に変更である。ストレスが溜まる一方に、タイガースを観て聴いている。沢田研二さん、30代頃が、一番いいかもしれない。それにしても、岸部四郎さん歌が上手かったんだ。恰好や顔は変わるが、魅力は同じですね。

 愛とは、如何なる姿になろうとも、変わらずにいられることだそう。その場限りでなく、生涯をかけて愛することには、心が清らかであることもだが、信念を変えないことも。ああ無情を読み返そう。自分を愛せることもだが、他人を愛することを続けられることも。

 人気が出ればそれだけ、自分への努力の範囲も広がるし、自由もプライバシーもなかったことは、想像に難くない。その重圧を耐えることの大変さに感心する。結構、いい加減なファンで、気紛れでは罪悪感が大きい。親の金でなく、買えたことに満足である。

 青春時代は、SFに昂じていたから、エイトマンやアトムであり、アシモフでもあった。人混みが苦手だから、コンサートに行くのも躊躇う。然も、小遣いだけでは行けない距離に、出掛ける気が起きなかったのも確かだ。そういった世界への憧れと現実は異なる。

 誰に気兼ねもなく、時間も金銭的な余裕も、今でこそあるが、当時は子育て中であったし、嫁の立場では憚られる。況して、田舎であれば尚更だ。随分と時間は経ったが、今が青春であり愉しい時だ。真実の宝物は、形など無い、永遠の時間かも知れない。

 幸せのあり方には、心の持ち方で違うものだが、今やっと自分が好きになれる。これがわたくしだと認めることができる。子どもの時には、厭で堪らなかったことも、今はこれでいいと想える。渡辺和子さんの、置かれた場所で咲きなさい。忘れていた大切な心。

 旧暦の霜月になると、庭中が芳しい香りで一杯になる。風が吹けば、室内にも漂ってくる匂いにうっとり。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猫の日・・・

2017年02月22日 | Weblog

 う~ん。何でこの日にするか?二がにゃんとなるそうだが、何かの記念日と言うと、商魂逞しい経済を目指す。その殆んどは外れるが、本物への対策が取られないのは何故だろう。人間の命を優先するあまり、動物への対処は薄れる一方。

 かと思えば、服を着せ、贅沢の限りをする飼い主もいるらしい。血統書付きと言うが、猫にとってはどうだろう?本猫がそれで由ならいざ知らず、鼠も取れないぐうたらさだ。やはり猫は、素早さと瞬発力の優れた生き物であってほしいと思うが。

 銀河が、元気で居た頃は、悪戯ばかりのおきゃんさで、地震の起こる前には、天上まで駆け上がっていた。しょっちゅう脱走して、そこいらの草の種やダニをつけて帰宅し、風呂に入れられ、賑やかなことだった。枇杷葉茶を飲んでいたよ。

 猫の餌は、決まった味なので、こちらの食べ物に興味を持ち、口に入れている物は安心と、強請っていたのが懐かしい。特にほうれん草が好みで、浸しや炒め卵とじに眼がなかった。出産後の体調が思わしくなく、子宮癌で甲斐なく往生した。

 最後の時にも、トイレに行こうとして、力尽き果てて倒れた。猫用のオシメも買ったが、数枚で済んだ。17年生きていたことは、長生きかもしれない。銀河の由来は、黒猫だったので、宇宙よりはいいかとつけた。緑の眼の色が深い素敵な猫だ。

 庭の、枇杷葉の傍に眠っている。毎朝、お茶湯を欠かさない。野良猫が遣って来ては、糞をしていくのに閉口する。これは枇杷葉茶を飲んでいないので、たまったものではない。枇杷葉茶には、毛艶を良くする働きもあるようだ。宇宙には銀河。

 団地では、飼えないのであり、忍びやかにしていたが、蜥蜴や、雀に始まり、鼠も取って来る。半殺し状態なので、思わず叫び声が出る。やまかがしに至っては、声も無く動けませんでした。まあ、蝮でなくて佳かったと、出ていくのを待ったが。

 リエさん枇杷葉。昨年が、9年目にあたり、花芽をつけた。思いの外、たくさんの苞に顔が綻んだが、結実はどうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出不精症候群?

2017年02月21日 | Weblog

 人混みが苦手であり、疲れ果てるので、用事はまとめて行う。休日には、殆んど家の中で過ごしたい。愛車での運転にも、事故を想定するので、気疲れするのだ。仕事を辞めたら、徒歩での行動範囲にしよう、と思っている。遠出には交通機関を使おう。

 自分の命もだが、他人の命を奪ってしまう危険が充分あり、高速には乗らない。飛行機も、落ちる確率を考えて控える。落ちてくるのは仕方がないが、空中に浮かんでいる気分は、逃げ場がないから。寿命は決まっているので、何処かで必ず終えるが。

 自宅で、親を看取ったり、介護をする時代は済み、施設や病院での終末が増えた。ところが、人情も愛も消えてしまったのに懸念して、再びそういった再考を促す。幼児は、親の保護がなくては育たない。子どもは、育てられ方によって、親の面倒を看る。

 わたくしも、青春時代には、自分の命への軽さがあって、親に屁理屈を捏ね、産んでくれと頼んだ憶えもなければ、こんな貧乏は厭だと文句を言っていた。あり難さどころか、生きていることが堪らなかった。年老いた親が何も出来なくって、衝撃を受けた。

 そうか。歳を重ねると云うことは、こういうことなんだ。と我に還った。命を受け継いでいることの責任もあるが、自分を見つめ直すきっかけにもなった。親を受け入れると言うことは、自分を好きになることでもある。性格は個々に違うのを容認することだ。

 施設で働いていても、時間的なことだけを勤めればいいのではない。育ってきた年数、時代や環境にも左右される。人格形成の大切さは元より、置かれた状況に馴染んでもらうことも配慮する。相性の云々もある。歳を重ねると更に意固地になってる。

 そういった方々の看取りを、施設の中ですること事態が無理だ。同居していないから、というのであれば、場所の提供はあってもいいが、基本は自分の親であることを意識してほしいのだ。任せ限でなく、一緒に過ごす時間の共有を、心掛けてほしいが。

 流動食や、ミキサー食の味気なさより、目の前で調理して食べさせてあげたい。この世に感謝して旅立っていこうとする者への、祈りに通じると思うが。子どもの頃にしてもらったのは、物ではなく心であったと気づいて。してもらえなかったことは還らない。

 長崎茂木の枇杷葉。花芽のつき具合が、半端ではないくらいに付いた。孫の歳と変わらないので、15年目である。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

経費節減・・・

2017年02月20日 | Weblog

 運営する事業が、儲かって利益が上がれば文句無い。加えて、経費も節減できれば、それに越したことはないもの。然し、現状は難しい。冬の時期には暖房を、暑いくらいに高め、半袖を着て、季節感を疑ういでたちである。これで経費節減が実行可能になる?

 頭寒足熱にも興味を抱かず、室内を常夏の暑さにして、寒さも何処へやらでは、身体も抵抗力を失くすし、寒いと文句も出るばかり。それには、自分自身の自覚が必要で、相当な覚悟をしないと、冬だけでなく、夏も越せない。高齢者には無理からぬ問題です。

 古来から、薬用として用いてきた野菜類や草花を、用途に応じて、積極的に取り入れなければ、今日日の者には出来ない相談である。然るにそれら全てが、枇杷葉に通じている。便利で快適な生活には、冬の寒さにも、夏の暑さにも耐えられないこととなる。

 職場でも、冬衣装で居るのは、わたくしぐらいで、他の者は軽装である。寒さをものともしないのではない。人工的な暖かさに頼ってしまう。携帯懐炉も、腹巻も、ズボン下も穿かない。それで寒いからと暖房を点ける。こちらは設定温度も低く、切って回って行く。

 施設の中に居ると、季節感に疎くなり、カレンダーだけでは分らない。加えて、外出することも殆んど無くて、じっとすることも増える。ちょっとした風邪にも耐えられない、柔な身体になっていく。風邪の引き初めには、通草酒を飲む。嗽・手洗いの遂行が重要だよ。

 怪しい場所には出かけない。人混みを避けることは勿論だが、旬の物を基本に戴き、身体を包むことも大切だ。インフルエンザの方が、寄り付かない。薬など不要の長物で捨てた。薬害の方が怖いです。真冬の悪夢とならなかったことに安堵。枇杷葉で充分だ。

 タイガースのDVDが届いた。懐かしいなぁ・・・、テレビしかなかったから、録画もなく、こうして手に入ることに驚く。記憶の断片では、はっきり憶えていないので、新鮮でもある。半世紀を超えて、観られることにもびっくり。まるで、夏への扉のような気分を味わう。

 長崎茂木の花芽。どの枝にも、片手大の塊があって、次々と開いて咲いてくる。素晴しい芳香にうっとり。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

睦月、下弦・小潮

2017年02月19日 | Weblog

 児童文学は、大人が子どもにも分るように書く物語・読み物であり、大人の小説よりも高度な内容でなければならない。と言われていた、佐藤さとるさんは、作品のどれもに、深い愛情を注いでおられた。代表作はコロボックルだが、燻し銀の輝き。

 個人的には、ぼくの犬くろべえ、うちゅうからきたかんづめ、くるみたろうが好きで、お逢いした時に、サインしてもらって有頂天になった。児童文学を志す者には、憧れでもあり、恐れ多い方であるのに、気取らない温かさの人柄に感激するばかり。

 お贈りさせてもらう桃を、店には売っていないんだ。と喜んでくれて、毎年楽しみにしてくれていた。枇杷も、お好きであると知って、我が家のを捥いでいた。小さな粒だが、甘いのが佳いらしくて気に入ってくれていた。もう食べてもらえないのが淋しい。

 仕事を終えて帰宅し、洗濯物を取り込む。宇宙には燦然と輝く金星が観える。直ぐ傍には、火星もあって、ルビーの光が眼に留まる。宇宙を観上げて、何万光年もの間、そこに輝く星の運気と、人の命の短さをつい想ってしまう。どう足掻いたって一瞬。

 タイガースのDVD5枚組みを、知人に頼んで購入する。明日には来る予定だ。知人は、金欠なので、前払いにしておく。孫の合格祝は、既に用意してあるので、現状維持で好い。kazu君は、大学院に行くらしいので、卒業といっても角帽は被らない。

 枇杷葉温圧療法で、腰の痛みが少しは和らいで来たが、まだ左足に痺れが残っている。まあ民間療法とは言え、ここまで快復する枇杷葉の力に、驚くばかりだ。医者に行っても、一時凌ぎの痛み止めか、湿布であるが、効果はない。ぶり返すだけだ。

 油断大敵、であったと諌める。何時につけ、枇杷葉温圧療法をすることも大切だ。蒟蒻の威力と、枇杷葉のパワーに感謝するばかり。有難いことである。医者に行けば、待たねばならない上に、ああだこうだと聞かれてうんざりする。それじゃ治らない。

 自宅療法であれば、時間は自由だし、何時でも思うままに施行できる。はり灸さんがちょっと遠くなのがあるものの、信頼関係は崩れない。こちらで探そうとは思わない。何にせよ、出不精のめんどくささが頭を過る。上京するにはそれなりの準備決行。

 東のフェンスの、長崎茂木枇杷葉。花芽は付けるが、少しだけであったのに、昨年の折には数え切れないほど。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする