枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

朝夕には寒い

2021年10月07日 | Weblog
 日中の気温の上昇と、朝夕の冷え込みに戸惑いながら半袖で過ごしている。木通が熟れてきているのも、一度にというのでもなく大きさも様々な形である。場所もあちこちなので陽当たりだけでもないようだ。三つ葉木通がこちらでは多く、5㎝から15㎝までなので種類が違うのだろうか?早生・旬・晩生とある。

 昨夜は、朔日で洗髪の日でもあった。ここ数年、1ヶ月に1度しかしないが状態は頗るよく傷みもなく白髪も少ない。それが枇杷葉の成果なのかは不明だが、塩でしっかりと擦るのも効いている。頭皮が痒くならずだし、フケが全くという程出ない。女房・小春の心境がわかるんだなぁ。棋士の世界も変化が大きい。

 朔日には必ず、屋敷の塩や南天も取り換えお守りも新しくする。どこそこの神社等には行かずとも、白龍が守ってくれているから。結界を張っていると空気が浄化されていくのが視えるのだが、これが誰彼にと云う訳でもないのが嘘となる。あ・でも昨日の時点で、お一方鳥肌立ててしまったから感応者出現する。

 冗談では決してなく、視ようとしてではないが感応するのだ。其処の微妙な波動が理解して貰えなくては、何をか云わんである。突然・身体が熱を帯び熱くなってくるのも、何かがあって故なので症状に対応しているのかも知れない。でもそれは金銭だけでは起こり得ないから、それを上手く説明できませんの…

 対価を払えば遣れるだろう、とも思うのかも知れませんが違うんだなぁ・・・。わたくしから発するのは負のエネルギーかも?それを受け取った方が持つ運気で自分に取り込めば正になると思える。体内に入った物が老廃物で排出されて、自然に還るのだとも想える。文字や数値での証明が出来ないから不可です。

 連動したり、相互での援けや保ちには解明できないこともあると思えますが。何か不都合が起きるのでなければ、心の安定に繋がっていくと感じている。それが自然であり、宇宙への森羅万象へ広がっているのではないかしら。物理的な考えに及ばないので、難しいことは判りませんが身体には感じているのです。

 それが朔日の大潮であったり、月の満ち欠けにも通じ二十四節気と繋がりがあるから旧暦で暮らして居る。新暦とごっちゃ混ぜにしたりは唖然とするし、どちらかでの遣り方でないと身体は戸惑う。其処に異変が起き、病への症状を発してしまうのだが気づかない。ノーベル賞を喜ぶなら学ぶことも大切じゃない。

 数日前に、地震が起きるよと書き込みをしていたが当たる。但し、地域や震源・震度等は不明なのだが事実だった。まあ、今後のことも想定すれば逃れられないのは確実。何時何が起きても不思議でなく、誰彼というのではなく備えておくことは大事です。自然に向けての耳を澄ませ、心の眼を通して察したいね。
コメント (15)
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