然も、様々な事件を誘発したり、消費生活センターの窓口への相談も絶えないと言うのに。世の中が狂っているとしか思えない。その捻じれに巻き込まれていく、庶民の喘ぎを高額所得者は、知っているのか?否、知ろうともしないだろう。森加計問題も解明されていないのに、新たに桜が浮上し、果てはないよ。
低所得者への恩情もなければ、思考的にも見当らない。核談合は繰り返され、沖縄への横暴さは増すばかり。広島に長崎に原爆を落とされ、福島第一原発の汚染は、未だ消えずである。処理しきれない汚染水は、海に地上にそのままである。人間が人で無くなればいいこともあるが、手遅れで地球は元に還らない。
尤も、個人的な汚染には限度もあるが、大なり小なりの遣って来た付けはある。物が豊かになり過ぎ、何でも買える状況である。便利で明るく快適な生活でなければ、住めないとするからだ。確かに、冬は暖かく夏は涼しくなった。それのつけが温暖化で、今更絶滅危惧種の特定をしても遅いのだが。自然は進化。
科学を利用するのも、化学の恐ろしさを知った上で行いたい。危険は必ず伴うし、リスクもあることを念じておこう。それが、自分独りなら未だしも、人類滅亡への道を辿るのだ。安易な考えで、原発の輸出はすまい。プルトニウムが、恐ろしい武器に換わる。国内が豊かになるどころか破滅だ。地球を守ってよ。
わたくしも気づかないで、犯して来た過ちがあるだろう。今後は、生かされていることへの感謝で、償っていかねばならない。だからこそ、負担になることは止めるのだ。医者に罹らず薬も呑まず、あるが儘の現状を受け入れて、余生を送りたい。自然療法には悪い事はない。合わなければしないまでのことだが。
昨日、夕方になって足湯に行ってもいいか? と連絡してくる。足の踵は塩で擦っているので、荒れてはいなかったが、手荒れがすると言う。手首の付け根が傷んでおり、じっと触ってマッサージをする。すべすべの手になってほっとする。小腹が空いているだろうと、珈琲を淹れ、ケーキを出す。アンパンを貰う。
外に行きたくてうずうずのすばる。この後、庭に下りて家を周っていた。無事に帰宅し安堵する。