枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

年賀状の季節に

2019年11月30日 | Weblog
 今年は止めよう。と思いつつ10枚程度を買う。年賀状も値上がりして、通信費としては高くなった。スマホに換えよ、とひっきりなしに連絡が来る。要りません。仕事を辞めたら持たない心算でいるので、そのままにしておいたら、サービスの提供をしませんとのこと。くれにはあんぐり。弱者の切り捨てである。

 然も、様々な事件を誘発したり、消費生活センターの窓口への相談も絶えないと言うのに。世の中が狂っているとしか思えない。その捻じれに巻き込まれていく、庶民の喘ぎを高額所得者は、知っているのか?否、知ろうともしないだろう。森加計問題も解明されていないのに、新たに桜が浮上し、果てはないよ。

 低所得者への恩情もなければ、思考的にも見当らない。核談合は繰り返され、沖縄への横暴さは増すばかり。広島に長崎に原爆を落とされ、福島第一原発の汚染は、未だ消えずである。処理しきれない汚染水は、海に地上にそのままである。人間が人で無くなればいいこともあるが、手遅れで地球は元に還らない。

 尤も、個人的な汚染には限度もあるが、大なり小なりの遣って来た付けはある。物が豊かになり過ぎ、何でも買える状況である。便利で明るく快適な生活でなければ、住めないとするからだ。確かに、冬は暖かく夏は涼しくなった。それのつけが温暖化で、今更絶滅危惧種の特定をしても遅いのだが。自然は進化。

 科学を利用するのも、化学の恐ろしさを知った上で行いたい。危険は必ず伴うし、リスクもあることを念じておこう。それが、自分独りなら未だしも、人類滅亡への道を辿るのだ。安易な考えで、原発の輸出はすまい。プルトニウムが、恐ろしい武器に換わる。国内が豊かになるどころか破滅だ。地球を守ってよ。

 わたくしも気づかないで、犯して来た過ちがあるだろう。今後は、生かされていることへの感謝で、償っていかねばならない。だからこそ、負担になることは止めるのだ。医者に罹らず薬も呑まず、あるが儘の現状を受け入れて、余生を送りたい。自然療法には悪い事はない。合わなければしないまでのことだが。

 昨日、夕方になって足湯に行ってもいいか? と連絡してくる。足の踵は塩で擦っているので、荒れてはいなかったが、手荒れがすると言う。手首の付け根が傷んでおり、じっと触ってマッサージをする。すべすべの手になってほっとする。小腹が空いているだろうと、珈琲を淹れ、ケーキを出す。アンパンを貰う。

 外に行きたくてうずうずのすばる。この後、庭に下りて家を周っていた。無事に帰宅し安堵する。
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霜月・大つち

2019年11月29日 | Weblog
 小春日和となり、蒲団を広げ洗濯物を干す。前日、雨は降ってはいたが、風があったので濡れていない。昨日の夕方には、勉強会があって出席したが、人数の少なさに呆れる。或いは、出ておけばいいという者も居て、盛り上がりに欠ける。講師が思うほど、生かされていない現状にもがっかりである。講師も把握しきれていない。

 お粗末さは否めなく、質問自体も出ずの状態。切り込んだ質問をしようなら、きっと右往左往だろうと、持って行っていたイグ・ノーベル賞の記事を、皆が立ち去った後に示してみた。高齢者になると、様々な物が少なくなるが、唾液も同様の事であろう。でも、改善策もなく様子見の状況ばかりである。年齢を重ねるのが恐怖だ。

 虫歯も、幼児の時にはとっ捕まえても出来るが、高齢者になるとそうはいかない。無理強いは虐待になるので、言葉かけや態度での柔軟な対応を迫られる。特に、入れ歯に関しては、そのままで磨いたりするし、大儀だからとしない。口腔ケアは大切であるが、意志の相通が無理な方も居て、それ自体が至難の業で、ため息が出る。

 薬の影響も大きく、認知症状に対する処方箋も様々で、実際に効果あるのではなく、緩やかにするだけの物。言わせてもらえば、そうな薬で良くなるどころか、薬害の方が大きい。身体は、基本的に自然でよい。ドクダミ茶や枇杷葉茶を飲んでいれば、健康を維持できる。災害があった時にも、薬で慌てることもない。あるがまま。

 年齢を重ねれば、誰しも衰えていくのが普通であり、体力も気力も落ちるのである。それを殊更に、悪いことのように捉え、病院に行かねばならないとか、定期検診を受けようと躍起なる。死ぬのは怖いが、皆一度は経験する。それが速いか遅いかの違いでもある。但し、不慮の事故や、殺されるのには胸が痛む。予期せぬ事項だ。

 民間療法だけでは、心許ない方も居るので、医者も存在しているのだが、昔のように患者の話を聴いたり、症状の把握の出来ない医者も居る。何でもかんでも、パソコンの画面を観ながら事例をながら探す。運よく当たればいいが、そうでなければ次に回される。大きな病院程、何回も同じ事を聞かれ、うんざりして落ち込むのだ。

 従って、病院へは小さな所で、行けば直ぐに診てもらえ、時間も掛からないのが好い。最近は、それに行くのも面倒となり、枇杷葉温圧療法で凌いでいる。他人は知らぬが、わたくしには合っている。手間も、鍋に蒟蒻を入れて沸かし、枇杷葉の生葉を当てるだけの治療。加えて、自宅で自分で出来るというのが一番。文句なしで。

 春夏秋冬の、日々の月の様は、どれもが美しいが、殊に冬の月は、冴え冴えとした中にも艶やか。
 
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親鸞聖人忌

2019年11月28日 | Weblog
 庭の片隅に蒔いていた麦が、野鳥にやられたようで、発芽したのは少ない。餌であれば本能が嗅ぎ取るのだ、と妙に感心する。野生の物には、匂いがないようであるのか?人間には分からないことも、知っていることに驚くばかり。人間は、化学に頼り過ぎ、破滅の路を行く。原発再稼働も止めてこそだが、経費は膨大なもの。
 
 そろそろ長期政権のつけ綻びが、修復が利かないほどになってきた。然もあろう、こういったことは以前からの習わしで、癒着は当然の事。報道の自由とは名ばかりで、書かせてこなかったのも、言わずながも、無い方が可笑しいのだよ。警察も然りで、闇での取引は当然ある。政府に擦り寄らねば、職にはつけないのだから。
 
 洗髪時の方法を、皆さんはシャンプーでしていることと察する。以前には、わたくしもしていたが、頭皮が痒くなるし、パサつくので困っていた。バックスナチュロン社の、ボディソープに換えてから、それが無くなり、加えて塩で揉むので、痒みもパサつきも消えた。枇杷湯での洗髪なので、度々洗わなくても臭わないのも。

 一番に良かったのは、フケが出なくなったこと。枇杷葉の効力の凄さに驚きつつ、塩の威力にもびっくりした。数年続けているが、朔日に洗っておけば、1ヶ月持つのだ。夏場でも、冷房が効いているので、汗をかくことも少なく、よくて半月でいい。水道代も安く上がり手間も省ける。枇杷葉茶は血行を促すので刺激的にも。

 職場の同僚と、恒例の食事会に行く。と言っても二人だけだが、一緒に食べて帰るだけの間である。勤務中には、無駄口を叩けないし、気を抜けないので、寛げないのも確か。まあ、愚痴を言って、仕事に向けようという励ましでもある。憤懣やるかたない、ストレスの塊ではいけないのであって、多少は息抜きも必要なのだ。

 昨夜から曇り、雨の空に午後から陽が射してきている。風はあるものの、洗濯物が良く乾くしで、天気なってほっとする。明日は、焼酎に漬ける枇杷葉を採ろう。暖かいので虫が樹液を吸っている。卵を産み付けているのだろう。冬の準備に、自然界も忙しない。人間も、本能で動くならどうか?冬籠りがしたい、と思うこの頃。

 南天の実は、赤でも白でも咳止めになる。煎じて飲めばいいのだが、何時も野鳥にやられてしまう。
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霜月、朔・大潮

2019年11月27日 | Weblog
 くしゃみが出るので、慌てて通草酒を口に含む。今朝は天気ではあるが、雲の広がる空で、蒲団干しを断念する。午後からは、友人が来るので塩換えをする。ネットのバーゲンを探していたら、時間通りに遣って来た。暖房は要らないと言うので、ストーブは点けないでおく。わたくし同様、着込んでいるので心配ない。

 身体は冷やしてはいけません。休日には、懐炉は装着しないでいたが、足が動かなくなってから、やせ我慢は止めた。枇杷葉温圧療法もやるが、基本は身体を冷やさないように。暖房費の節約もあって、設定温度にも気をつけている。今は、19℃にしている。今のところ夜間も、湯たんぽがあるので、18℃で充分だった。

 観葉植物とすばるが、凍えなければいいのであって、人間は調整が出来るので、工夫をしている。冷房時も、28℃で暑くなかったが、観葉植物が枯れたのにはびっくり。寒さ除けもしていたのだが、人工的なことは、自然には対応不向き、ということに気づいた次第。次回は、外に出しての管理にしよう。風呂場で復活。
 
 明日の予定では、知人との会食があり、その後、他部署の友達に珈琲を届ける。その後、図書館に寄って、予約本を受け取る。夕方に、勉強会があるので参加。従って、本日は何処にも出かけない。疲れを取っておかないと、体調維持は難しい。そういった年齢になって来たのだと、つくづく実感する。何事も感謝する。
 
 コートの袖の付け根の所が、解れているのを修理したり、図書館で借りている本を読んだりする。新聞も丁寧に眼を通しておく。明日の、勉強会の下準備もして行かねば。すばるのトイレは土だけ入れ換える。鉢物に水遣りをし、発育状況を見ておく。それにしても、夢見が悪かった。犯罪に巻き込まれて、危うく絶命。

 眼が覚めて、妙にリアルな場面を思い出し、この世に居ることを実感して、心が虚ろになるばかり。一体あれは、何だったのだろう。正にスリルとサスペンスの追いかけごっこ。弾は飛んでくるわ、ナイフは突きつけられるわで、生きた心地がしなかった。夢だけにしてほしいもの。戦争は何があっても厭だ。原発も駄目。
 
 今年も花芽が沢山ついている。北側のは結実しないので、これは花芽茶にする予定だ。リエさんのも、りささんのもそれなりに見えている。暁子さんのは、大きな塊で、もうすぐ咲きそう。しーちゃんのも花芽は付いているが、結実しない。枇杷葉もだんだんと年数が経っていくので、毎年増えていくばかり。苗も育って。

 宇宙の眺めは、夜間だけではない。昼間も夕方も、心を向けて行けば、素晴らしい光景に出遭う。
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居心地が好いと・・・

2019年11月26日 | Weblog
 昨年には、電気ストーブで瞬間に温めていたのを、今年は止めている。物凄く電気代がかかると言うのだ。暖房を点けていても、温度設定を低めにしておけば、寒さは然程感じない。無論のこと、衣類の調整もしており、真夏の格好はしない。20℃を19℃にしたが、消さないでいると、室温が保たれるのか温かである。

 それでも風が強かったり、底冷えがすれば別だろうが、懐炉は装着しているし、手も冷たく感じないのは有難い。早出勤務であったので、Aさんちに寄って水を分けて貰い帰宅する。昨日に続きだが、神無月も今日までで、明日から霜月となるので、水と塩を換えるのだ。毎月の行事であり、自分で決めて行っている。
 
 ペンの日。そう言えば、万年筆を買ったまでは好いが、使う機会が訪れなくて、ケースに仕舞ったままである。パソコンが便利なので、これで書いており、手紙を書かなくなった。時々は、字も書いておかないと、手の感覚が鈍るようだ。修正液があるものの、間違わないで書きたいもの。時代は進化したのかしら?

 地震があった。他の職員は感じなかったようだが、可なりな揺れにびっくりした。勤務中であったが、すばるが気になってしまう。震源地は近くだったのか、身体がのけぞるほど数回揺れた。まあ、職員が気づかぬのであれば、これは致命傷で助からないだろう。やれやれ避難する以前の意識でしょうか。逃げますよ。
 
 見解の相違は、儘あるものですが、自分のことを棚に上げて、他人のことを言うのは如何でしょう。病気で止む無く、と言うのであれば仕方がありませんが、体調管理が不十分で、勝手に休むのはどうかなと。何を於いても、食事はきちんと摂りましょう。三度でも二度でも、大量でも小食でもいいですが、不規則は否。
 
 きちんと食べないと、身体がもちません。好きな物ばかりでも駄目です。カロリー計算まではしなくても、と思いますが、自分也の目標は立てるべきでしょう。働く日と、休日の切り替えも大切かな?わたくしは、一応は区別しており、暴飲暴食は避けていますよ。美味しい物には目がありませんが、何事も程々にして。
 
 椅子の上の座布団は、お気に入りの一つです。寒くなると、温かな物ならうれしそうに潜る。
 
 
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平和を願うなら・・・

2019年11月25日 | Weblog

 核廃棄でしょう。日本は特に、広島と長崎への原爆投下で、壊滅的な打撃を受け、わたくしたちは二度と戦争をいたしません。と誓ったのではないか。それなのに他国に原発を輸出し、核の保有を依存する。人間であれば、当然の想いであるのを、何故一国のトップが分からないのかが、理解できない。

 教皇ともなれば身の安全を保障するのに、厳重な警護で驚いた。襲撃される可能性も考えてとは、情けない世情でもある。然しながら、人間であれば奇跡は起こらない。復活は有得ない事で、凶弾に倒れることもあろう。世の中には、そういったことを平気で遣って除ける輩がいるのは確かなことである。

 今朝と明日は早出勤務なのだが、本日は半勤のため帰宅した。とは言っても、1時間程ボランテェア残業をし、細々とした雑用も片付けておいた。お腹が空いていたが、人数が何分少ない。職員の欠員も続いて、皆が疲れ果てている次第。暖房を点けているので、寒さは感じないが、眠気が襲ってくるよ。

 風が出て来たし、気温も低く陽が陰ってしまう。クリスマスローズの芽が育っているので、水遣りをしておく。観葉植物も鉢植えのシクラメンも、寒さに枯らさないようにしよう。風呂場にも持ち込んでいるので用心しよう。花も、買わないでおこう、と思うのだがつい手が出てしまう。何処に置くのか。

 部屋中が鉢で溢れ、置き場がないくらいにある。外にも、持って入れない品種が溢れている。枯れないようにするのも一苦労で、ぶら下がっているのは、よく当たってしまう。その度に鉢がひっくり返り、大騒ぎをやらかす。箒と塵取りとが活躍して、外に掃き出しておく。あわてんぼうでそそっかしい。

 月を運ぶ馬車には、銀色の雫が宿り、やわらかな光が満ちている。それを翔けるセレネ・月の女神。

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枇杷葉の不思議に

2019年11月24日 | Weblog

 枇杷葉は、葉を乾かせてお茶で飲めば、血管の浄化を図るし、焼酎に漬けて貼れば腰痛に、エキスは蜂や百足への刺されに、毒を吸い出す。切り傷擦り傷にも綺麗に治す。アレルギー反応にもよく、日々の正しい摂取で改善される。枇杷葉茶には、消臭作用も有、排泄物への臭いを抑える。猫にも好い。

 介護の仕事をしていると、排泄物に閉口するが、枇杷葉茶を飲用させれば、多少は軽減されるものを、と内心思っている。薬一辺倒でなく、漢方の初歩を用いるのも、考えに入れて対応したい。これにドクダミや刀豆を煎じて用いると、医者は要らなくなる。認知症状が改善されるかは定かではないが。

 枇杷葉にも四季があり、用いるべき頃があるので、研究を重ねてみるのも好い。生葉は、常時何時でもいいのだが、硬くてごわごわした葉がいい。お茶にするのは、寒中が良く自然に乾く。段ボール箱に入れて常温保管する。花芽や種は、作られた場所にも依るが、無農薬であれば、冷凍庫での保管を。

 我が家の花芽も、苞が弾けてそろそろ開花する。種には、アミグダリンという、青酸カリに匹敵する毒素が含まれているが、多量に摂取しなければよく、化粧水での肌荒れに効果がある。美白も個人差があるものの、紙魚や雀斑が消える。最近は、化粧品を買うこともなくエキスで対応している。肌すべ。

 どんな物にも、適応効果があるので、何でも鵜呑みにしないことで、試すのは少しづつしよう。わたくしは、年数的には20年近くなるが、枇杷葉の不思議さは、今以て解らないことが多くある。驚きつつ、感心しながらであるが、拘って行くことへの興味は尽きない。謎が多い程探求心をくすぐられる。

 勤務先で、お喋りの内容がゴシップなのは厭なので、教養的なことを話すようにしているが、相手が理解不能では困る。そういったことだから、ブログの内容が薄いと批判されるのだ。足らない所を補うような話をしよう。クラシックも歌劇も、分からなければ調べましょう。観劇にも出かけたいものだ。

 宇宙を眺めていても、その夜の様は日々違うもの。人間の心理状態にも大きく影響する。

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神無月・天赦

2019年11月23日 | Weblog

 寒さは当たり前と思いつつ、家事での洗い物をすると、指先が冷たくなってしまう。湯温も然程高くしていないのだが、やはり快適な暮らしに慣れると、その後が反動でやって来る。かと言って、水では汚れが取れないこともあり、重曹を使ったり、多々試すのだが、安易な方法に頼るものだ。

 巷は、既にクリスマスへと移行し、賑やかな羽振りを見せているが、懐状態は底冷えに追い打ちをかける。趣味の範囲の愉しみで、クリスマスローズを増やしているが、小さな蕾があるのを見つけて、心が華やぐ。観葉植物を室内に入れて、来夏に向けて水遣りをし、毎朝見守るのもうれしい。

 すばるは、寒いと暖房の部屋に居て動かず、ひたすら眠っている。餌は、食い溜めをし、留守中は温かい場所で過す。トイレは行けるようにしてあるので、それには不自由していない。枇杷葉茶も容れてあり、困らないようにしている。今年は、電気ストーブを止めたので、電気代が安くなる。

 ストーブは、朝の時点で枇杷葉茶を沸かし、煮物を温めて弁当に入れるのに使う。その後には切って出掛ける。一日中点けているとすれば、焼き芋を作ったり、何かとしている日だけで、極力消すように努めている。室内でコートを羽織る。Aさんがくれた物だが、虫が喰っており外出不向き。

 自宅での出立には、温かくあればいいので、破れていようが構わない。尤も最近は修理しなくなって、直してくれるなら有難いことだが、自分で可能な範囲を繕う。既にスカートは穿けない。そんな恰好をすれば、たちまち冷え上がって風邪を引くのは分り切っている。無謀なことはつつしむ。

 来月には、どうしても2回ほど市内まで行くが、重装備で行かねばと準備する。目的の場所以外には行かず、あちこち歩き回らないことも。兎に角、薄着もええ格好もしないで、ファッション二の次で行こう。同伴する者も運転しないので、最寄り駅から電車で向かう。観劇には宝塚もいいね!

 暑さ寒さも…、と言っている間に寒くなり、気付けば神無月も少なくなった。勤労感謝と言うのは捉え方が様々で、まあ自分也の解釈でいいとは思える。家事をこなし仕事もしてで、誰に認めてもらえるのでもないが、自分で納得してのことだ。美味しい食事の提供を続けられることも有り難い。

 すばる。呼んでも眠い時には、薄目を開けるだけ。お腹一杯で、昼にはひたすら眠るのだ。

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小雪、八せん終り・三隣亡

2019年11月22日 | Weblog

 二十四節気 小雪 寒気つのり、雨凍って雪となる。の意で、小雪と言う。この頃より、風も寒冷の気を運ぶ。毎年、十一月二十二日頃である。薄曇りだった空が、雲が広がり始め、瞬く間に陽射しが陰る日である。昨日、蒲団を干していてよかったと安堵。洗濯物は乾かないが、明日から四連勤なので。

 寒いのである。二十四節気の季節は、実に上手く的を得ている。古の人々は、そういった感覚を身体で知っていた。アナと雪の女王2が、本日からの上映だが、何か曰くがあるのだろうか?外気温も可なり低く、外には出たくない心境だ。来月になったら、観劇に行く予定にしているが、怪しい雰囲気か。

 明日は、勤労感謝の日で、働けることへの感謝の意であろうか?物事は取り様にも依るが、多くの腑に落ちない出来事に、唯々開いた口が塞がらぬ。時々、ポストに大金が入っていたり、匿名の寄付があったのは、悪い事と知りながらも、受け取らざる物であったからか。正義は何処に消えたのだろう?。

 枇杷葉温圧療法をしないでいると、体調が思わしくなくなる。今朝は冷え込みも激しいため、ストーブやガスでの温めで遣っている。懐炉も貼ってはいるが、じんわりと効果があるので気持ち良い。寒がりには持って来いの方法で、蒟蒻と枇杷葉の生葉さえあれば、手当てが出来るというもの。手軽である。

 介護の仕事には、休日や祭日がない。そういう日にこそ出なければで、食事も作るので、何時もの業務が滞る。幼子も年寄りも、生きていることには変わりなく、命は平等にある。自分達も、歳を重ねていけば、同じようになることは分っており淋しい限り。脳科学者の母が認知症になる。著作に納得する。

 人間は、誰もが・何時でも、選ばれずに認知症状になる。常時傍に居ても気づかずだったりする。何が原因であり、発症するかは別として、人間であることに変わりはない。命を終えるのも、其処迄の課程にも、大きな差はないと思える。要は、家族の拘り方で、人生の終末が少しく違うのは分ることでも。

 昔は、年寄りをここまで赤ん坊扱いしなかった。歳を重ねれば、体力も気力も衰えてくるものだから、一線から退いていくのは決まっていたし、それはごく自然のことだった。大切にも思わないが、邪魔にもしなかった。自分の行く末として、捉えることも大事だった。そこには命への感謝と敬いがあった。

 宇宙の起源は何時だろう?難しいことを考えるより、美しい星を眺めていれば満足である。

 

 

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焼き芋にも・・・

2019年11月21日 | Weblog

 芋なら何でも好いように思えるが、焼き芋には硬さも必要である。と言うことに気づく。自分で食べてみて、成る程と納得するが、ストーブで焼くのとガスでは、同じフライパンでも違うようである。火力の問題もあるかもしれない。石焼き芋も、種類で異なるのかしら?芋も気紛れであることよ。

 一昨日、手当に行ってもいいかと連絡が来ていたが、勤務を代わっていたので無理。昨日は早出であったが、向こうの都合が悪く、本日になる。肉が食べたいというので用意し、珈琲を淹れて待つが、一向に連絡が来ない。塵出しにでも行って来よう、と留守にしていたのに掛る。11時じゃないか。

 その後、図書館まで行き返却と貸出しをし、駐車場で迎えて帰宅する。昼食にパンと珈琲を出しながら、肉を焼いて出す。その後は足湯で温め、塩で揉んでおく。蒲団を干しておいたのを取り込み、肩に当たる。陽射しは暖かだが午後になると寒く感じる。暖房を点け、膝掛を出していい加減である。

 すばるは、出窓に居て居眠りをしている。知人も足のマッサージ中、居眠りを始める始末。気持ちが好いのが伝わってきて、こちらもうれしい。それにしても、凝りもせず通って来るものと感心する。明日は、城廻に出掛けるそうで、映画も観て来るとのことだ。若い者には楽しみが沢山あるねぇ…

 厭、歳を重ねているからと、何もすることがないのは老化の原因で、枇杷葉の世話もあるし、図書館に行く目的もあり、パソコンもしているので、凡そ退屈と言うことにはならない。毛糸やレースでの編み物も、金銭的な余裕があれば遣る。先ず、生活の基本が食べられれば、文句はないのである。

 山茶花が沢山咲いているのを手折り、コップに挿す。玄関に飾っておく。白の清楚さが好きで、植えているが、どの色も好ましい。基本的には、白が好きと言うだけのこと。帽子は、人並みの頭の大きさであれば、風で飛ばないが、小さいので合わないだけのこと。貰ったスカーフ・ストール多いよ。

 kazu 君が中国に行ったお土産の、スート―ルはシックで素敵です。モノトーンの割合が微妙で、こういう好みを選ぶ男性の気心が、感覚的に培われているのにも感心する。本当に素敵な物をありがとう。お礼が青空市の野菜とは、田舎にはこれといった物がなくて、新鮮さだけが取り柄ですけれど。

 独身時代に、宇宙を観あげて、なんて綺麗な星空!と言ったら、男性は白けてしまった。

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