枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

この1年、ありがとうございます

2012年12月31日 | Weblog

 母の3回忌、父の1周忌を終え、淋しさが増してくるこの頃です。春と秋のお彼岸、お盆と暮れ。その前後の墓掃除に、必ず息子が行ってくれ、ご先祖様の周りも含めて、居心地の佳い場所にしています。自分の命があるのも、このご先祖あればこそです。

 産まれたことを感謝し、生きていけることも励みに、辛い時や哀しい時には、死ぬよりももう一寸生きてみよう。と思い直し、頑張らなくても、真面目に努力をしよう。そうやって今日までやってきたのだ。明日のことはわからない。未知の扉だからこそ、往けるのかもしれない。

 ブログを書いていると、色々なことがある。その中で、此処に来てくれ、枇杷葉のことを知ってくれたり、その効力を試してくれる人が要ることがうれしい。とても励みになる。嘘と坊主の頭は、結ったことがない。これからも正直に真実を語ろう。

 何年も続けていると、同じことの繰り返しだったりする。マンネリ化もある。携帯で撮影する自然は、その証だ。四季折々の枇杷葉、庭に咲く花々が、心模様に彩りを添える。もし、認知症になった場合、此処に記載してある文が残るのも愉しみ。

 誰しも、自分の死に方を決められない。決めていたとしても、想い通りにはいかないのも事実。事故がある。病気もある。様々な要因を持つからこそ、何処で誰とシンクロするかもわからないのだ。願わくばの想いも、虚しいことも生じるだろう。

 今年の締めくくりに、渡辺和子さんの著作を読めたことは、心の在り方を問い直すいい機会だった。到底、立派な人にはなれないが、小さなことも生きていくうえでは大切だ。仕事に対する考え方を、立ち止まって思えた貴重な時間でした。

 勤務先では、恍惚の人(原作・有吉佐和子)、はないちもんめ(原作・松田寛夫)、折り梅(原作・小菅もとこ『忘れてもしあわせ』の映画を観て、考えることや思うことが増えた研修でした。同時に観た以上は今後、自分の心に問い続けていこう、と思います。

 勤務先から、徒歩で1分の距離にある駐車場まで。頭上にかかる月の美しさに、思わずシャッターを切った。

 皆さま、どうぞ佳いお年を。

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おせち作り・・・

2012年12月30日 | Weblog

 目覚めると雨音がする。ありゃ、雪ではなかったか。安心し勢いを削がれて、布団の中で少々読書。段取りは昨夜の内にしてあるのだ。急いでも仕方ない。ゆっくりと朝食を摂り、新聞を読む。食後の珈琲を堪能する。サンタさんの送ってくれた、ハチドリの珈琲。癖がなく美味しい。

 掃除は既にしており省略。大根、高野、牛蒡、人参、椎茸等、お煮しめにする。大根と人参の膾もする。昼食をどうするか考えていて、急遽散らし寿しに。材料は、お煮しめの物を拝借。御新香を刻み入れる。それに蒲鉾も。何時もの出来合い寿しになる。手抜き寿し。

 ここ数日、雪や雨模様なので、洗濯物が乾かない。致し方ない。除湿機をかける。台所には、ストーブを点ける。温度差でガラス窓が雲り、外も何やら薄暗い日であった。年賀状も書き終え、投函しに行く。父母の葬儀で、3年程賀状は欠礼しており、久々の慶賀である。

 一昔前には、忌引の葉書が届いたら、松の内を過ぎ、寒中見舞いを出していた。その儀礼も欠く世の中だ。昨今は、忌引の葉書は出さず、年賀状はもらうそうだ。加えて、寒中見舞いも出さないらしい。失礼極まりない。時候の挨拶もできないで、人の心は推し量れない。

 青空市で買った銀杏を、殻に切り目を入れ、ストーブに乗せる。1時間近く乗せ、殻を噛むと、割れた中から緑の果肉が出て来た。プンとした独特の臭い。電子レンジですると、弾け飛ぶ。ピストルの音に似ている。危険で危ない。しないように。

 小腹が空いたので、ロイズのボテトを封切る。最後の1袋だ。遺憾なぁ・・・また肥る。普段着もだが、よそ行きの服が入らない。然し、体を服に合わせるしかない。無駄な買い物はできない。寒いのもあるが、ペラペラの生地のでは震えるのだ。ダイエット!

 明日の大つもごり、元旦は仕事ですが、連休にしています。娘夫婦も来たり、息子の家族も集まって、新年の顔見せ。最も、孫たちはお年玉です。図書カードになってからは物足らず、お札も考え物で、所謂百円・五百円玉を入れます。孫等は、大よろこびです。

 シクラメンの苗。3年目です。随分、しっかりとしてきたでしょう?自然の生命力の偉大さには脱帽です。命の再生に圧倒されるところです。

 

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お正月の準備

2012年12月29日 | Weblog

 お正月を迎える準備です。買出しに行き、明日からの昼食のメニューを決め、食材を買う。三が日も、お煮しめ等の手作りがあり、膨大な量を買い込む。買い忘れがないか、気にかかるところ。メモしているとはいえ、店内の人混みに疲れることしきりだった。

 我が家の準備は明日。大掃除は済んでいる。愛車もワックスまでかけ、お飾りを付けた。枇杷葉の生葉は、焼酎に漬けた。大つごもりに、Aさんの所に水を頂に上がって年越しです。課題は山積みです。気長に1つづつ片付けるしかありません。

 洗濯機の修理が利かず、新品に買い換えた。冷蔵庫も怪しい。その前に、自分の健康管理ができないと、生身だけに修理は効かない。年金の行方も儘ならずでは、少なくても貰ったのがいい。65歳まで生きられる。という確実な保障はない。

 昨日の雪と変わって、不安定なお天気だった。然し、心持暖かい。ストーブがなくても過ごせる。宇宙が雲っているのがちょっとねぇ・・・。閉塞感を感じる。星の位置で、時間もわかるし、方角もはっきりだ。昼夜問わず、迷子になる所以である。

 塩での入浴を続けて、早2ヶ月経つ。何事も根気が第一、莫迦の一つ覚えだ。体の痒み、肌荒れ等、枇杷葉ローションと共に、愛用している。塩は、そこら辺にあるのでよく、高いから効くというものでもない。宮古島の雪塩はいいが・・・

 枇杷葉の花芽が中々咲かず、気にかかるところ。自然の役割とは、人間の勝手を諌めるようになっているのか。自分の体が思うに任せなくて、やっていることの半分もできない。産まれるのも、死んで逝くのも独りだが、一人では生きられない。

 枇杷葉の苞の状態。枝という中心にたくさん群れている。毛羽立った薄茶色の苞に包まれている。徐々に、膨らんできて、白い花弁が覗く。

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異変・・・

2012年12月28日 | Weblog

 ふと気づいた時には、ぼたん雪が音もなく降っていた。午後になってからは、幾分暖かくなったのか、雨に変わった。雪が溶けてほっとしたが、夜半には凍結するかな。辺り一面の白銀に、思わず知らず見惚れていた。雪も、これくらいだと綺麗で好いか。

 帰宅時に、燃料を入れに北に上がって行くと、何やら白い塊が見える。雪だ。道路の端に、こんもりと積まれた雪。ちょっと日本海側に近い。然し、県境を越えるどころか、遙か彼方だ。いやいや油断した。お天気次第、というが危険は何処にでもある。

 年賀状の作成が待っていた。手書きで書くのもあり、印刷もあるので、嫁が助っ人に参上。数十人に出すだけなので、宛名書きとコメントを添える。どのみち、最終日にずれ込む気がしないでもない。明日も仕事。友人知人の類は、東寄りなのです。

 今夜は、満月だが。晴れていれば、木星とのショットが撮れるのだが。昴やふたご座の辺りも、写せるように思うがどうだろう。シャッターチャンスは、その瞬間を切り取ることかも。まあ、携帯での撮影では、感度は素晴しいと思う。写す方の腕が未熟なのです。

 今朝であったか、銀河の付けている鈴の根音がした。ちりん、ちりりん。父母と、銀河には毎朝お茶湯をしている。ぼんやりしている日もあるが、欠かさない。枇杷葉茶を沸かして淹れる。父母の仏壇にも、お墓にも供えられないためだ。

 今年も済もうとしているが、全体的にみて、疲れの出た年でもあった。風邪を引くことはなかったが、体の弱い箇所に出たのが、更なる追い討ちをかけた。結膜炎と膀胱炎に、様々な要因のあったことを思う。精神的に挫けそうな想いも多かった。

 このブログを見てくれる人からの励ましに、元気をもらう。広島の農家の方からのコメントに、ちょっとびっくりした。その他にも、メビウスの輪のように、何処かしらで繋がっていることを確信したり、リエさんやサンタさんからのコメントに感謝。

 子ども頃には、高い木の天辺に、羽でもなければ行けそうもなかった。あの枇杷葉の樹は、祖母そのものだったのかもしれない。たくさんの花芽と、生葉を採り、枇杷葉に囲まれて暮らしていられる。ささやかな幸せに感謝している。

 デンマークカクタス。今年の蕾。咲かせるのは、置いた場所から動かさないこと。

 

 

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大霜の朝

2012年12月27日 | Weblog

 駐車場から、勤務先に行く遊歩道の、仏の座に花のように霜が降りていた。朝陽を受けて煌いている。足の先まで冷たく感じる朝ではあったが、野の花の逞しさ、可憐な花も群れていると、印象は異なる。況してや、霜を被っての姿である。暫し、立ち止まって眺めた。

 室内では、観葉植物が静かに佇んでいる。水も遣り過ぎると根腐れする。土が乾けば与える。室内でも窓辺なので、凍結してしまう。管理もちょっと油断すると悲惨な姿になる。バラは、鉢ごと室内に入れたら、蕾が次々と咲き始めた。ミニバラだが心が和む。

 今朝、体温を測ったら、38.5℃あった。えええ~!もう1度測り直すと35.5℃である。やれやれであるが、体温計も時計も怪しい。その時計である。帰宅したら、やはり長針がぐるぐる回っているではないか。ちょっとけしかけたら機嫌を損ねた。おでこに激突した。

 2m程の距離だが、落下してガラスが飛び散った。PCの調子もまた悪い。何か厭な予感がする。お正月の準備は、29日にはしない。餅も搗かないのだ。お飾りは、一夜飾りを嫌う。高齢者が居れば、自ずとわかることを、今時の若い者は平気でするのに、気が知れない。

 自然を知って生きると、何故そうしなければならないかがわかる。自分の都合ではなく、当たり前のことに感謝し、生かされていることの大切さに気づく。そこから変わっていけばいいのだが、めんどくさい、どっちでもいいだのと云う。『でも』はいらないでしょう。

 仕事をしていても、テレビや映画を観ていても、言葉で気になると、酷く胸に閊えて迷路に入り込んだようになる。珈琲にしましょうか。紅茶がよろしいか。お煎茶を淹れましょうね。たったこれだけの言葉で、その1杯が美味しくなるよ。~でも飲みましょう。要らないわ。

 言葉の持つ、微妙なニュアンスで、料理が美味しかったり、不味かったりします。どんなに綺麗な言葉であっても、『でも』や、丁寧語、謙遜語、謙譲語の使い過ぎには、白けてしまう。それよりも、普通の言葉で、丁寧に声かけをすると、笑顔の見えることも。

 我が家で管理している、サンタ枇杷葉。今年、初めて7枝に花芽がついた。未だ咲きませんが、ちゃんと実が生るか心配は尽きません。

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癒す・・・

2012年12月26日 | Weblog

 お正月が近いので、愛車の洗車をする。母の3回忌を済ませたので、お飾りも玄関に付けた。ところが、引っ掛けただけであったので、朝起きて新聞を取りに行ったら落ちていた。不吉・・・最近物が落ちることに、動揺する。試験があるのだ。勉強不足がもしや・・・

 時計の針が、目まぐるしく回っている。え・・・?????何なのだ。再び見ると、正常になっている。変です。おかしい。今年最後のゴミを出す。庭も小奇麗に掃き、外回りも埃だけは取った。家内は一応掃除機をかける。次の休みにはお煮しめを作ろう。

 庭で、枇杷葉の葉を採る。硬くてごわごわしたのを選ぶ。焼酎に漬けているのはあるが、準備していないと、いざという時に困る。生葉を採る間、花芽の馥郁とした香りが、鼻腔を擽る。この時ほど、自分が生かされていることを想う。暫し、手を止め枇杷葉を見上げる。

 渡辺和子さんの著作に、介護のことだけと思っていた事柄がある。人間の尊厳、クライエント、ロジャース博士。介護の理念が、ナイチンゲールの看護にも繋がることは、承知していたが、神の御心の許に、感謝の気持ちで行うことなのだ。そのことに気づく。

 人間であるが故に過ちを犯す。その行いを悔い、神の許しを求めて祈る。クリスチャンでなければできないのではなく、常に新しい自分と向き合うことで可能になる。人は完全な生き物ではないが、精一杯に生きることも、また神の許しでもあろう。

 とある講演に出向いた時、偶然お見かけしたことがある。小さな体の何処に、その威厳はあるのか、神の光を放っていた。同時に、やさしい微笑を絶やさずにおられた。謙虚な言葉と、姿勢には深く感銘した。思わず両手を組み合わせた。祈りとは己の心を問うことかも。

 自分の至らなさ、不足していることを、誰かが何かで補ってくれる。そのことを当たり前に考え、してくれないことに不服を言っていた。誰でもない、自分で解決しなければ、堂々巡りであるのに。然るに、人間の弱さを持て余し疲労困憊してもいた。

 中秋の名月。ちょっと時期外れだが、月の美しさには、心を魅了される魔力もあるか。アポロンも居なくてはならず、セレネの零れる微笑みも必要なのだ。

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焚き火

2012年12月25日 | Weblog

 寒いなぁ・・・。思い出すのは、早朝に起きた祖母が、前日に拾い集めた枯れ木を重ねて、焚き火をしてくれること。割り木の屑や、ゴミを燃やす。炭になったら継ぎ足して火鉢に移す。灰をかけて燃え切らぬようにする。火も水も貴重な時代だった。

 夜間は、炬燵をするが、行火に豆炭を入れて暖を取る。寒がりの私は、炬燵に潜りこんでは叱られた。祖母と、兄と、私が三角になって眠る。そうすると炬燵は1つでいい。川の字だと炬燵も、手間も燃料費も莫迦にならなかった。

 猫の三毛を取っ捕まえて、寝入りばなこそ暖かいが、いつの間にか三毛は居ない。毎朝、祖母の寝床に収まっている。ねこなで声で呼ぶが、素知らぬ顔である。肩が冷えるのも眠れない。祖母は、蚕の真綿を解して、寝巻きの上に乗せてくれた。

 しもやけも、足と手は必ずなる。その痛痒さに眠れない。ひび割れができ、かさかさの両手からは血が滲んだ。井戸水の暖かいのは有難かったが、屋内の甕に桶を使って移すので、直ぐには飲めない。結局は冷たい。薬缶に入っているお茶も冷たかった。

 寒風吹き曝す外での作業は、厭で仕方なかった。ところが遊ぶとなると、事情は違う。山の中を駆け回り、落ち葉を集めよ。という手伝いも、何時しかダンボールを持ち出して、尻を乗せての滑走に夢中になる。夕方暗くなるまで厭きもせずやっていた。

 母は、手伝いもしないで遊んでいたことを怒る。おまけに、枯葉だらけなので誤魔化せない。しもやけは治らず、体が痒くもある。風呂焚きをしている祖母の傍で、服を振るってもらった。その晩は頭を洗わされたので、霜柱が立った。

 シャワーもなければ、ドライヤーもない。凍てつく宇宙には、昴の輝くが増し、オリオンが宝剣を手に追い、シリウスやプロキオンが吼えていた。流れ星も見事な痕を引いていた。お正月の準備に余念がなく、裏白や榊、松を切りに行ったもの。

 今年の枇杷葉の苞。この時点では、未だ硬く薄茶色の苞である。暖かさに綻んではいるが、中々満開には遠い。枇杷の花 健羨に堪えぬ 恋観たし (中村草田男)

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馬宿の御子

2012年12月24日 | Weblog

 イエス・キリストは、馬宿の飼い葉桶の中に眠っていた。マリアは、受胎告知で身ごもった。神の子を。3人の博士は光星に導かれ、マリアの許に遣って来る。飼い葉桶に眠る幼子は、ユダの裏切りにあって、ゴルゴダの丘で十字架に懸けられるまで、行いと奇跡を繰り返す。

 その中に、足萎えの人に云う。立ちなさい、あなたは自分の行いを信じることです。足萎えはその言葉に立つ。帰りは、自らの足で歩いたとある。枇杷葉のことを調べていて、亜熱帯地方、ネパールやインド等、広くはイタリア、地中海沿岸まで分布している。

 中国や韓国だけではなかった。当時は、交易も乏しい仕組みであったが、シルクロードがある。お釈迦さまの時代以前にも、其処を往来して、商売をしていた人々が居たのだろう。どういった手段であるかは知ることはできないが、困難を極めたことは事実だ。

 イタリアに永住した友人が、日本に在住であった頃、外国の人等は、漢方薬としては使わないのだ。と言われた。単に果物として食する。気候が温暖であれば、何回も花を咲かせ実のる。葉も花も実も捨ててしまうらしい。使い方がわからないそうだ。

 だが、イエスは神の申し子だ。大天使ミカエルから聴いていたかも知れぬ。行いを実際に見た訳ではないから、断言はできないが。枇杷葉の効能を知っているなら、患部に貼り、イエスが手を当てれば、効いたろう。そのことは経験してわかる。

 癒す。それは、誰でもができることではない。また、批判を承知で行わないと、成果はあがらず、結果的な証明にしかならない。イエスは癒しの手を持ち、語りかけ、自然にあるものを見方にして行ったのだ。天が教えてくれたことは間違いない。

 今夜は、月と木星が東の宇宙にある。肉眼でも眩しく観える。望遠鏡や双眼鏡で、観るのも楽しいだろう。人間の一生など、僅かな時だ。たまには人工的な物に惑わされず、自然からの贈り物に眼を向けよう。クリスマスイヴです。

 真夜中の宇宙を撮影したが、上手く写せたかな?携帯では、明るい惑星などがないと、写らないことが多い。

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お天気が不安定・・・

2012年12月23日 | Weblog

 洗濯物が乾かない。風もあるが、手で搾るのは限度がある。まあ、早くて1週間か?物理的なことはわからないが、圧力も遠心力も不足していることは否めない。人間の力とはこんな物である。冷蔵庫も怪しいから、その内作動しなくなるだろう。

 花芽が腐るので、冷凍庫だけは必要。長崎茂木の枝ごと、剪定しておきたい。花芽のついた枝のは、サンタさんやりささんに送り、残ったのを管理したい所だ。今年は、案の定腐ってしまった。枇杷葉の生命力が強いことに今更ながら驚く。

 酸素を吐いて、二酸化炭素を吸う仕組みだが、ナイロン袋に入れていたので、自滅してしまったらしい。黴まぶれだった。タッパーに入れても駄目。香りがしなくなる。アイスクリームが溶けたり、冷凍品が解凍するくらいはいいが。

 孫の家でも花芽が咲き始めたらしく、1つか2つだよ。と、教えてくれた。庭の枇杷葉は、まだ3分咲きだ。枝にまぶれている苞が、硬く開かない。不安定な天気もあるが寒さが堪える。今までの暖冬では満開の盛りであるに。

 息子の家族と、娘夫婦とが揃い、ささやかなクリスマス会をする。シャンパンを抜き、ジュースを注いで乾杯。手巻き寿しを頬張る孫たち。卵焼き、沢庵、胡瓜、ウインナー、シーチキン、生ハムに中トロ、ほたて、甘エビ等が並ぶ。

 から揚げにサラダもある。孫たちが作ったそうだ。食後には、クレープを作る。市販品を買ってのやり方だが、孫が夢中になる。デザートはアイスクリーム。娘たちが持って来た。最後にプレゼント交換をしてお開きだ。

 皆で、実家の墓参りと、近所への無沙汰の詫びに行く。寒いのと、高齢者ばかりで、子どもの声など皆無だ。まるで村には、人など居ないように、静まり返っているのが不気味。父母の居ない古里は厚い雲が垂れ込んでいるばかり。

 蕾が膨らんできて、初冬に咲いたバラ。向うには、魔女の箒が見える。枯れているのは、夕顔で、サルビアの赤が覗いている。

 

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洗濯機・壊れる・・・

2012年12月22日 | Weblog

 昨夜、脱水状態でエネルギー切れ、壊れた洗濯機。従って、水が底抜けになった。仕方なく、手で搾るが、右手の親指の皸が痛くて、上手くできない。部屋が水浸しになるので、バケツに入れて外に出る。物干しで、洗濯物が泣いていた。泣きたいのはこっちだ。

 これから当分は、手で洗うことに。洗濯物も、冬場であり乾かない。着る物がない故、仕事に行かれない。困ったことだ。プライベートで着るのは、一冬洗わなくてもいいが、仕事ではそうはいかないのよ。洗っても乾かねばどうするんだ。当惑・・・

 帰宅して、電気屋さんに電話した。早くても連休明けらしい。発注がです。恐ろしいことになった。おばあさんは川へ洗濯に・・・、川は汚れていて、とても洗う気にはなりません。冬場で桃は流れて来ない。仕方ない、息子の所に行くかな。

 世間は、クリスマスという賑やかさ。ささやかではあるが、小さな友人にプレゼントをする。本が好きと言う子が多い。知人の童話作家のサイン入り絵本は、シリーズになっていて、楽しみの一つ。価格も手頃で求め易いが、書店では売っていない。

 りささん。今回も、小さなファンが目を輝かせて、よろこんでいますよ。ねこまるせんせいって、一体どこのようちえんにいるのかな。幼い心に、夢のある、たのしさの広がるお話しを、これからも書いていってください。次回作待っていますからね。

 明日は、孫たちがやって来て、家族でのクリスマス会。手巻き寿しをします。司会・進行役次第ですが、きっと楽しいことでしょう。さて、寿し飯と、卵焼きを作らなくっちゃ。父母の墓参りも行き、近所への挨拶もしておこう。

 鉢植えにした、枇杷葉苗。地植で大きくなったのを、鉢に移した。何本かは枯れたり、夜盗虫に根を切られたりした。

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