母の3回忌、父の1周忌を終え、淋しさが増してくるこの頃です。春と秋のお彼岸、お盆と暮れ。その前後の墓掃除に、必ず息子が行ってくれ、ご先祖様の周りも含めて、居心地の佳い場所にしています。自分の命があるのも、このご先祖あればこそです。
産まれたことを感謝し、生きていけることも励みに、辛い時や哀しい時には、死ぬよりももう一寸生きてみよう。と思い直し、頑張らなくても、真面目に努力をしよう。そうやって今日までやってきたのだ。明日のことはわからない。未知の扉だからこそ、往けるのかもしれない。
ブログを書いていると、色々なことがある。その中で、此処に来てくれ、枇杷葉のことを知ってくれたり、その効力を試してくれる人が要ることがうれしい。とても励みになる。嘘と坊主の頭は、結ったことがない。これからも正直に真実を語ろう。
何年も続けていると、同じことの繰り返しだったりする。マンネリ化もある。携帯で撮影する自然は、その証だ。四季折々の枇杷葉、庭に咲く花々が、心模様に彩りを添える。もし、認知症になった場合、此処に記載してある文が残るのも愉しみ。
誰しも、自分の死に方を決められない。決めていたとしても、想い通りにはいかないのも事実。事故がある。病気もある。様々な要因を持つからこそ、何処で誰とシンクロするかもわからないのだ。願わくばの想いも、虚しいことも生じるだろう。
今年の締めくくりに、渡辺和子さんの著作を読めたことは、心の在り方を問い直すいい機会だった。到底、立派な人にはなれないが、小さなことも生きていくうえでは大切だ。仕事に対する考え方を、立ち止まって思えた貴重な時間でした。
勤務先では、恍惚の人(原作・有吉佐和子)、はないちもんめ(原作・松田寛夫)、折り梅(原作・小菅もとこ『忘れてもしあわせ』の映画を観て、考えることや思うことが増えた研修でした。同時に観た以上は今後、自分の心に問い続けていこう、と思います。
勤務先から、徒歩で1分の距離にある駐車場まで。頭上にかかる月の美しさに、思わずシャッターを切った。
皆さま、どうぞ佳いお年を。