枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

おおつごもり

2009年12月31日 | Weblog
 小説の年の瀬は、なんとも温かい。放蕩息子の心根は、読んでいてじんわりとくるよ。そうだね。こういう世の中だったら、底の方にまで落ちなくていい。お金が有り余っている訳ではないが、情けの心情にほっとする。今の世に、欠けているのが、自分さえよければの心。でも、決して自分だけでは生きていかれない。また、そういったスーパーマンは存在しないよ。

 窮地に立ったり、悩んだ時に、誰かに相談できるのがいいが、その信頼を裏切ることが多い。内緒だというが、必ずしもそうでなく、秘密はあっという間に洩れるのだ。内緒であった試しがない。FBI SIA 何故秘密は洩れるのか?人間の心理なのかもしれない。王さまの耳はロバの耳でもわかるように、しゃべってはいけないのだと思うと、無性に言いたくなるのが人間か。

 話題というのは、何時、誰が入ってきても、参加できる題材でなければ、しらけてしまう。先ず他人の悪口。仕事の批判。そういうのは好ましくない。できれば、新聞に目を通して、大雑把な話から、地域の話題に移るのも、方法であろうか。この時も、他人のしていることを批判しない。同時にいろんな角度から、見る目を持とう。分析の方法遺憾で、話題は幾らにでも膨らむ。

 これだと、誰でもが参加できるし、話題が広がってもいく。強いて言えば、自然の話なら、誰でもが話せる。自分はしないけれども、他人はそうなのか。とか頷くことも大切。感心するのも一つの手。閃きはそういった時に、あるかもしれない。多々なる方向からだと、何倍にも答えが見つかる。そういった楽しみを持てる。

 陰口を言わないことも大切。二人でも、五人でも同じテーマで話し、いろんな結果が出るのは面白い。一つとして同じ意見はでないことも確か。まったく同じではない。そういったことがちゃんと言えて、自分を知り、他人も知っていけば、粗捜しでなく、長所が見えてくるのではないのか?性格も年齢も違い、共通するものは人間ということだけでも、認められればいいではないか。

 仕事をする上において、自分のやり方は二の次だと思う。基本に添ってやらなければ、自我の主張になってしまう。郷に入っては郷に従えのように、そこの職場ににいる以上は、通らないと思う。不平不満を言う前に、其処に来て働いている意味は何かを、もう一度考えてみなければ。

 私は、自分の心についていけなくなれば、仕事を辞めます。努力することも適わなくなれば、勤務できる筈がないのです。一番トップに居る人が、尊敬に値する人間でなくては、私はついていけません。理念や理想だけでなく、何時如何なる時にも、揺るぎのない存在であってもらいたいと願っています。けれども人間としての温かみのあることは、何を於いても大切なことでしょう。

 枇杷葉との出会いで、数年が経ちましたが、何より、想いもかけない人から、枇杷茶のことを言われた時には、体に電流が走るのを感じました。この人に飲んでもらいたい、と思う人には、身体の中に病気が視えるからです。でも、そういう人に限って、飲もうとしませんし、枇杷葉の薬効を信じません。

 以前は気の毒でなりませんでしたが、最近はそれもまた。と思うようにしています。敢えて薦めようとは想わなくなりました。枇杷葉を信じ、生きる力につなげようとしている人を、一人でも助けてあげられればいい。私の及ぶまでのパワーを、分けてあげることが可能なら、それもまた喜ばしいことなのです。些細なことかもしれませんが、生きるという望みにつながってほしい。

 宇宙は何処までも、青く美しい。其処に向かって、伸びやかな、たおやかな、やさしい香りを広げる枇杷葉。
 
 リエさんを始めとする、皆さまの温かな人たちに支えらて、1年が過ぎようとしています。浜さん、お変わりありませんか?りささん、ねこまる先生。次回が楽しみです。サンタさん、珈琲お手配ありがとう。Mさん御一家。秋田の○さん。イタリアに移住のMさん。dekoさん。其々に、様々な人生のつながりをありがとう!!この1年、本当にありがとうございました。

 ここに興味本位で訪れてくださる方にも、お礼を申します。来年も宜しく。
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感謝しこそすれ・・・

2009年12月30日 | Weblog
 朝起きたら、抜けるような青空だった。雲と空のコントラストも綺麗だ。ところが午後になって、曇って来たかと思う間に、時雨れ始めた。まるで秋のようなお天気です。温暖化の影響なのでしょうね。まあ、暖房も必要ない程の暖かさです。身体に着ていれば、それなりの暖がとれます。外気温があるので、室内では乾燥し過ぎになって、注意報が発令されています。

 電気製品の発明で、生活は豊かになり、お金さえ出せばなんでも買えるため、家事が随分と楽になった。それと共に、考えることをしない人間が増えた。知らない事を学ぶ、という姿勢に欠け、おや?あれ??という疑問を発しなくなり、働くことを、生きることさえどうだっていいように思う人間が増えた。

 身勝手、とかプライバシーの侵害とかでは、簡単にできない問題で、直ぐさま弁護士が登場する。昔は、諍いや難問題には、大家さんやご隠居さんが出て来たが。今の時代には、隠居などと呼ばわろうものなら、目を剥かれるのではないか。然も賑やかさには引けをとらない有様。知ったかぶりの体たらく。

 大家族の世代同居などは、夢の話。核家族では、学べることが少ない。嫌々、息が詰まるだの、性格の不一致で、結婚と離婚を臆面も無くショーに見立てる。昔ながらの伝統を守っていても、家が傾いたのでは意味が無い。無人の空き家の目立つこと。世の中、変わったねぇ。かといって、変わらなければ、進化もないものか。

 来年は、寅年です。虎は猫科ですね。大きな猫と想えばいい。あ・ちょっと手強いか?マタタビが売れるだろうな。ああ、旅行も増えそう。亦、旅に出る。と言いますか。センチメンタル・ジャーニーです。感傷旅行。私は、北国の春が見たい。新潟、秋田、青森、岩手です。共通しているのは、りんごかな?

 まあ、計画は立てても、倒れてしまいそう。おななはん、で見た林檎の花の咲いたのが見れたら。と思うよ。小川未明の童話に、『赤いろうそくと人魚』というのがあります。この冒頭の情景は、冬の海のことでしょうが、厳冬の海に行く勇気はない。其処に暮す人々には、当たり前の生活も、余所者には知る術もないのでしょう。数日間で、その地域のことがわかるなんてこと、あり得ないもの。

 来年のカレンダーに、阿修羅王像の写真集を買った。この仏像に魅せられて、何度奈良に足を運んだことか。興福寺の南大門での、御薪能も観に行った。5月の夜気が迫る夕暮れに、浮かび上がる煌びやかな衣装には圧倒された。金春、金剛、宝生、観世と流派があるが、室町幕府を立てた、足利義満の冠者だったとも言われている。当時は、辻のあちこちで舞っていたらしい。

 奈良は、冬にわざわざ出かけた。雪の降る猿沢の池からの、興福寺が見たいがために、新幹線に逸る想いを乗せて行った。阿修羅王像にも無論遭って来た。あの仏像には、独りで向き合い、静かに語れるのがいい。どうにも人出は苦手である。もらわなくてもいい、気を遷されたり、鞍替えされたりするから・・・。

 Aさん地に今年最後の水を頂きに出かけ、お正月の品々をもらってしまった。ありがたいなぁ。独りでは絶対に買わない品物ばかり。然も高級品です。枇杷葉のマッサージで、料金を頂戴しないといっても、これは戴き過ぎ。まるで笠地蔵の心境を味わう。ありがたいことです。

 リエさんには、サンタさんを経由して、珈琲が送られてきます。りささんからはセンスのいい品々が届きます。浜さんは困った時の助っ人をしてくれます。何だか1年中、頂き物の生活をしているようです。まあ、不自由なく、感謝ばかりです。
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摩訶不思議

2009年12月29日 | Weblog
 冬休みの夕方には、子ども達が集まり、拍子木を叩いて家々を回る。「マッチ1本、火事の元」と呼ばわって歩く。火の用心である。風呂を焚きつけたり、竈や七輪があったりしたから、火事になり易かった。山火事も多かった。一度など、家の直ぐ側まで火の手が迫り、木々の爆ぜる音に肝を冷やした。

 火事の後始末に、猪の丸焼けがあったらしい。あの顔は怖そうに見えるが、子どもを庇って焼け死んでいた。と話の種に聴いたものだ。そう言えば、野生の生き物は、人間の手に触られた者へは、仲間と認めないのだそう。自然の掟の厳しさ。それを知ってかしらずか、乱獲で生態系が変わってしまったよ。

 枇杷葉も、猫も杓子も飲み始めたら困る。従って誰にでもは飲んでもらわなくてもいい。花粉症や、自律神経失調症に、鬱にも効くが、何も枇杷葉でなくてもいいし、処方箋が出るから、漢方でなくてもいい訳。私は薬の害が怖いのと、自分が自分で無くなることへの畏れがあって、すんなりとは飲めない。枇杷葉と出遭って、心から感謝している。

 以前のところにも書いたが、枇杷葉との出会いには、龍が出てくる。そして、路に迷い、枇杷の大樹に出遭うのだ。仙汝であったか、薬効を丁寧に説明し、必ずや自分で飲み、また伝えていくよう諭された。あのことは夢だったのか?何だか夢のような気がしない。こんなに鮮明に覚えているのが夢なのだろうか・・・。

 聖武天皇の后、光明皇后でいらしたのであろうか。とても気品のある美しい方であった。そこだけが凛として、清らかな空間であったよ。観音さまの変じたお姿だったのか。不思議な情景でした。龍は、帰り道に出現して、私を髭で掬い上げると、風を切って宇宙を翔けた。不思議と寒いとも、怖いとも思わなくて、何だかとても懐かしい想いがした。

 私と、同じような体験をされた方って、居ないのでしょうか?龍は、架空の生き物として描かれていますが、目が爛々としてはいませんでした。涼やかで、憂いのあるやさしい眼差しでしたよ。あの瞳の輝きは、私の知っている人ととても似ていた。人間が化身したのでしょうか?それとも、人間に化身しているのでしょうか。

 鳳凰には、宇宙を悠々と飛んでいるのを視ました。玄武と白虎には遭遇していません。そういうのを見た人も居るのではないのでしょうか?信じようと疑おうと、自由です。私は、何故視えるのか知りたかったのですが、最近は有難く想えています。早々ある訳ではないので、感謝の念で過ごしています。
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今年も・・・

2009年12月28日 | Weblog
 今日は、朝目覚めながら、スケジュールを組んでみたが、布団干しは断念。ものの10分程で、曇が広がったのだ。時雨でも来た日には、目も当てられない。しょうがない。除湿機にかけよう。燃料補給とプリンターのインクを買わなくっちゃ。ガソリンスタンドに洗車を頼んでおいて、近くの電気店に行く。

 買い物を終えてガソリンスタンドに行けば、済んでのところでワックスがけが終わろうとしていた。ちょっと、兄ちゃん。洗い残しがあるじゃん!しかも、しっかりと目立つよ。ポイントでしてもらうには違いないが、そこは綺麗に拭いてちょうだい。心の優しいお兄ちゃん。水垢取りをつけて、ちょっと拭いてくれた。お飾りも付けたことだし、これで何時お正月が来ても心配はない。

 ガソリンスタンドから、電気店まで歩いて往復20分弱。余裕で行って来れたのだが、スタンドのお兄ちゃんは、え!と目を丸くし、遠いですね。とのたまう。え?と今度は私がびっくりする。そうか、最近は如何なるところも車だものね。歩くなんて思いつかないのかも。じっと待っているよりは、用事が済んでくれる方がいいじゃない。時間も多いに無駄があるなぁ。と感じた今日の出来事でした。

 帰宅途上で、郵便局に寄る。枇杷葉を送るためだ。なんとエキスポパックにすっぽりと入ったよ。やれやれです。これは全国一律だし、大抵の物なら、中に入れば送れる便利さ。着払いも考えないではなかったが、そうなると受取人が難儀であろう。あ、どっち道、配達記録が残るから同じか。しまった!まあ、南極まで行くことはあるまい。除夜の鐘を聴きながら、受け取ってくださいねぇ!!

 家に着いて、蕾の花芽を鋏で採る。昨年は、とうとう実にならなかったので、早めに摘んでおこう。それでもまだ枝が重そうになっている。風がきつかったがとてもいい匂いをさせていた。お茶にするように箱に入れた。12時前に、生協が来て、今年の配達は終り。食事をして、町役場に用事があり、出勤には早いが出かけた。

 勤務先には、30分も早く着いた。主任さんに研修のレポートを渡す。研修の度にレポートを提出するのだが、ちょっと不手際があって、遅くなってしまった。ギリギリで間に合ったかな?官公庁や、一般的な業務は、今日までらしい。然し仕事によっては、休みがない職業もあるし、年末年始が稼ぎ時なところもある。世の中、いい具合にできているもんだわ。

 二度目の帰宅して、夕飯を頂き、年賀状の印刷に取り掛かろうとしていたら、蔵元に行っている友人から携帯がある。濁りを持って行く。と言うので返事をする。これはお正月に呑む分です。冷酒もあります。リエさんやサンタさんと呑めたらいいねぇ。720ℓですが、私には半年ばかりはあるというもの。何故かと言うと、休みの日が連日なこと、然も、のんびりとできる日にしか呑めないからです。

 年賀状の印刷には、助っ人が参上してくれた。小人さんではないが、何とか無事に設定をクリアしている。表書きは手書きでできるので、絵柄だけ印刷してくれたのです。肝心なところで今年の年賀状の行方が・・・。家捜しをしたら出てきた。片付けて仕舞いこむのも考え物である。この方法で、何件もの紛失物がある。どれも高い物だが出て来てくれない。一体何処に隠れているのだろう?

 写真は、白枇杷です。南に置いていたのと大差はない。それでも枯れないでいてくれるので、有難いのです。
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箱を開ければ、雪景色・・・

2009年12月27日 | Weblog
 東北に雪が降らなかったら、北国ではない。然し、降りすぎるのも困るのだろうな。枇杷葉の青々としたのがあり、年末の唯でさえ混雑する中を送ろう、という魂胆には、一体に何があるのか?いやぁ・・・、あまりに沢山過ぎて、片付かないのね。昨日、半日程向かい合ってはみたが、遅々として進まない。

 実家に植えていたもので、7年ばかり経つ。然も、日陰なので上にばかり伸びている。けれども、とても大きな葉で、誰かの手によって、むざむざ伐られるのには忍びない。私のように活用するのではなく、ゴミで処分するからだ。しかし困ったよ。こんなにたくさん、どうしよう。

 その時、頭に浮かんだのが、件のりささん。私が、持って行ってあげるのが筋だが、何分にも急な思いつき。大型のダンボールを注文するにも、間に合わずで、しかたがない。エクスポパックか、宅配にしよう。と考えをまとめる。その申し出に乗ってきたのはいいが、雪道を無事に到着するのか?一体、どのような手段で、北国に運んでくれるのかな?箱を開けた途端に、凍ってやしないかな??え。私が、でなく枇杷葉です。

 まるでわが子を旅に出すような想い。心配が尽きないのである。安心は着かない事には消えないが、やはりここは箱に入って行くべきか。湯たんぽと懐炉と、スキーウエアに身を包んで・・・。う~ん。娘を嫁に出す心境です。あ、送る相手が心配なのではなく、その途中の経過が案じられるだけです。よっしゃあ!!きっぱり決めたよ。それでは焼酎(35℃)と果実瓶(2ℓ)を買って待っていてください。

 でも。北国のど真ん中で、然も冬だぜ。果実瓶はないよ!そういう時には、焼酎の箱パックの上を、鋏で切って、枇杷葉を入れてください。また、ガラス瓶のようなもので事足ります。

 玄関に活けた枇杷葉の花が、鍵を開けて入った途端に匂う。疲れが吹っ飛ぶようだ。何だかとてもほっとするよ。銀河もうれしそうに、おかえりを言ってくれる。暫しぼうっとする。手洗い、嗽をして、弁当の空箱を流しにつける。マイコップも取り出す。家中のカーテンを閉め、着替えて洗濯機を回す。

 キッチンに行き、朝の珈琲に水を再度入れて沸かす。無農薬でもったいない。充分に2回は飲めます。夕食を頂いて、朝読み損なった記事を、じっくり読み直す。ここで珈琲を飲むのです。それからパソコンのスイッチを入れて起動させ、洗濯物を干しておく。湯たんぽの中身を替えて、パソコンの前に座る。PM8時過ぎです。

 やりたいことも、しなくてはならないことも山積み。TVなどと座る時間がもったいない。買ったDVDの落語が聴きたい。図書館で借りた本が読みたい。書きかけの原稿を進ませたい。取り込んだ写真の整理をしたい。枇杷葉のファイルを書き直したい。冬の間にできるだろうか?心配はどんどん膨らんで、ため息の中に閉じ込められるのです。また1年が経過する。ああ、目出度い!!
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どでかい足型のよう・・・

2009年12月26日 | Weblog
 実家の墓参りに行き、藪にある枇杷葉を剪定した。日当たりが悪いので、どんどん上に伸びて、枝は繁っていない。丈は7mくらいになっていて、花芽がチョコチョコ見える。昨年は、鋸がなかったので、諦めていたが、今年は準備して行った。一抱えくらいで運べる。と高を括っていたら、なんと3往復もした。然も、たくさんあって車に乗せるのに一苦労。軽四なのですよ。後部座席とトランクに詰め込み、何とか発車する。

 帰宅して、車から下ろし、葉を1枚づつ剥していく。45ℓのナイロン袋に略一杯になる。その中のを、大きくて綺麗な葉を依って、焼酎に漬けるべく、葉先と軸とを切った。果実瓶があったので、直ぐに漬け込んだ。見事なまでの葉の大きさは、直径が30cmから50cmで、果実瓶に立てて入れたら、ちょうど蓋のところまであった。30枚きっかりを入れておく。

 その作業をしつつ、ふとりささんのことが頭に浮かんだ。昨日、送ったばかりだが、枇杷葉はいらないのだろうか?遅い時間だが、電話をしてみよう。とプッシュしたら、タイミングよくりささんだった。で、りささんのご友人に送らせてもらうことにした。利用方法は、何でもいいので、焼酎なり、お茶なり、枇杷湯なりに使ってくださればありがたい。いや。我が家も片付くというもの。

 来年のカレンダーもできた。枇杷葉の写真と、庭の花と、家族のスナップ。まあ何とか間に合った。後は年賀状だなぁ。〆切にはアウトだわ・・・。何だってこうも立て込んでくるんだぁ?いやいや、スケジュール通りにはいかないのね。掃除や片付では、ちゃんとやれるのに、何で操作には弱いんだろう。機械に疎いのって、今は致命傷だな。

 クリスマスも無事に済んで、お正月の準備。明日はお飾りをつけるよ。一夜飾りは縁起が悪いって言うよ。お飾りを自分でするのでないから、簡単でいいが、横着しないようにちゃんと飾ろう。橙をつけるにが、最近は蜜柑です。え?そうなの。でも、いいの?後で食べれるから。う~ん、何かさ・・・、感覚的に違うんだけどな。お飾りの謂れを知らないと、橙をつけるってわからないもの。

 実家には、きらん草が少しあった。農薬をかけられてはたまらないので、抜いて帰った。小さな紫の花が咲いていたよ。きらん草は、産後の乳腺炎に効果がある。解熱と鎮圧剤の役目もするようです。風邪の引き始めには、センブリもいいのですが、少量を一緒に飲むといいです。身体のだるさや、微熱にやんわりと効きます。

 枇杷種酒は、寝酒にするといいですが、くれぐれも飲みすぎにはご注意くださいね。焼酎なので二日酔いはありません。適量を越えると、結果的には身体を壊しますよ。治すより前にお陀仏、なんてことになるかも。気をつけねば・・・。薬効は優れていても、処方箋が間違っていれば、元も小もありません。

 ところで、洗髪はいかがされていますか?私は、枇杷湯をするようになって、痒みやフケがなくなり、洗い上がりが爽やかです。また、洗髪はほとんどしません。よくて1ヶ月はそのままです。臭いもなく、髪が傷みません。シャンプーは使わずにボデーソープで洗います。リンスも使いません。枇杷葉には、消臭効果もあるようです。ボデーソープには枇杷葉エキスが入った物を使っています。

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大掃除・・・!!

2009年12月25日 | Weblog
 勤務先の年末掃除。今日は、殊更に嬉しい。って、掃除に徹していてもいいのだから。しかし途中から、事情は反比例になって、お天気がいいことを幸いに、一緒に外に出る。窓拭きをせっせとしました。トイレの便器も、顔が写るくらいに磨いておいた。手は冷たかったが、普段していないので、雑巾は真っ黒。以前の仕事場では、これを毎日やったが、あくる日には元の木阿弥であった。さあ、いつまでもつかなぁ・・・。

 化学洗剤は嫌いだが、掃除を小まめにしていないので、しょうがなく使った。たちまち目が痛くなる。窓を開けっぱなしてするが、寒さよりも臭いに辟易してしまう。同時に動くので汗ばんでくる。風邪を引かないようにしよう。結局、休憩やら何やらで、終わったのは夕方の5時前でした。いかん!こんな筈ではない!!リーダーに言うと、笑顔で感謝されてしまった。ああ・・・もっと徹底的に綺麗にしたかったんだぁ~!!!タイムリミットでした。

 図書館で、宮部みゆきの『あっかんべ~』を借りて読んでいる。視えない者がみえる、主人公の周りで起きる奇怪な事件。時代物。あ、でも・・・私も似たような体験をしたよ。それでなの?え??そうなのか。じゃあ、龍や鳳凰が視えるのは?右手に日を、左手に月を載せていたのは?相手の心がわかったりするのは・・・。

 帰宅しようと、駐車場まで歩いていたら、曇り空。生暖かい。明日は雨かな?と車を見れば、既に雨は降っていました。昨日は上弦の月が綺麗にかかっていたが、生憎の雨ではなぁ。帰る車の窓から、枇杷の花の香りがしたよ。暖かいので綻んできたのか。でも今からじゃ、実が生るんだろうか?我が家のも蕾があって、今まさに咲かんとしている。花芽茶にしておこうかな。

 だんだんと年の瀬が押し迫ってきた。明日は、塩を変えたり、玄関周りを綺麗にして、お飾りをつけておこう。ペットボトルや消えた蛍光管は片付けたし、庭木も剪定済んだ。さあ来い、お正月。子どもの頃には、うらじろを取りに行ったり、榊や松を伐ってきたり、正月の仕度に気忙しかったよ。豆腐を作り、餅を搗き、お節の煮しめを作っていた。素朴な母の味は、その年によっては変わる。

 今は、思い出だけが残り、何一つとして出来ることがない。ささやかな我が家のお正月には、少しだけお節を作る。散らし寿しで、娘夫婦をもてなそう。孫らへのお年玉は、幼稚園までが¥300、小学校は¥500。それも¥100玉でちょうだい。と言う。なにせ、お年玉なのだから・・・。

 わが子の時には、図書券を渡していた。いろんな本をたくさん読んでほしかったよ。だが買って来たのは、コミックであった。その中で馬鹿莫迦しいけど面白いのが『パタリロ』作者の魔夜峰夫は、私が子どもの頃は、少女漫画を描いていたぞ。ずっと変わらない画風だ。テレビでもしていたが、最近は放送していないのか?下らない芸能人の陳列よりは、パタリロの方がずっと楽しく笑える。

 
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世間は、クリスマス

2009年12月24日 | Weblog
 今日は、午後からの勤務なので、Sさんの月命日に出かけ、墓掃除をした。銀行に行き、キャッシュカードの暗証番号がわからなくなった由伝える。何枚も書類を書かされた。印鑑と通帳で出るので、さほど難儀はしていない。ここの銀行は、ボーナス時だけなので、よけいにややこしい。よって未だに覚えられないのだ。同じ暗証番号では、盗難にあったら困る。と銀行の人は言うが、盗られるほどのボーナスはない。

 帰宅途中に、宅配便を発送する。リエさん、りささん。明日には届きます。ここはお米屋さんなので、寒肥の糠を15Kg買う。¥500です。これに塩を混ぜて植木や枇杷葉に遣ります。加えるのは、枇杷茶で飲んだ後の枇杷葉です。丁寧に何度も混ぜて、堆肥にしてから与えるのです。後は、鶏糞と石灰を適宜に入れます。

 お米屋さんに偶然居た小母さん。糠をどうするの?と聞かれた。塩害はないのですか。との問いに、塩は1Kgいれます。と答えた。でも、この先を小母さんはちゃんと聴いていただろうか?安物の塩でなく、甘味のあるものですよ。という事を。精製塩を入れたら、枯れちゃうよ。それとね、木の状態や、野菜の土を良く知っていないと、失敗しちゃんだよ。用途に応じて使わなきゃ。大丈夫かしら?

 午前中、天気はあまりよくなく、布団は干せなかったが、気味が悪いほど暖かでした。明日は雨かな?洗濯物も風がなくては乾かず、しかたがないので除湿機の側に干しておく。除湿機も、毎日フル回転で仕事をしてくれる。置いている部屋は奥の畳の方で、風呂場や洗面所がある。日が差さない西側にもなるので、湿気が多いのだろう。毎日タンクにたっぷりと溜まる。どうしてか金は貯まらない。

 昨日換えた枇杷種茶の風味の、なんと優しいことだろうか。例えようもないほどに漂ってくる香りに、心が包み込まれ、羽二重で巻かれたように、ふんわりとしてくる。然も温かい。こういうのって、極上の幸せなんだろうな。枇杷葉を飲んでくださっているということが、少しづつ繋がっていって、その効力や、様々なパワーに満ちていて、ここだけ光が充満しているようです。ありがたいなぁ。

 などと、のんびりしていたら、カレンダーはおろか、年賀状もできていない。わあ、大変だぁ、どうしよう!って、パソコンだからその気ですれば即、できるんだよな。根が横着なので、後回しにしています。と、自分にとても都合よく、年賀状とはお正月に書くものだよ。とうだうだしているのですが、幾らなんでもそろそろ書かねば。明日は、勤務先の大掃除で、綺麗にしたい所が山ほどある。

 一言。掃除をしないのなら、汚すなあぁ!!!

 リエさん。枇杷苗が順調に成長しているようで、目出度い。苗が小さい間には、何もしなくていいよ。化学肥料は勿論、与えないでくださいね。来年か再来年かに移植する時、前もって土をミミズの住める状態にしておいて。野菜クズは乾燥させるか、細かく切って、枇杷葉と混ぜておくかしてね。玉葱の皮、大根の葉、人参も白菜も、生の物は決して捨ててはなりません。冬には虫は出てきませんから、せっせと木の根元に入れておきましょう。

 もお幾つ寝ると、お正月・・・。やれやれ、また一つ歳を重ねるか。
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皹、皸にも

2009年12月23日 | Weblog
 勤務先の台所洗剤に手荒れを起こし、その痛さに耐え兼ねた。然し、どっち道取るべき方向は決まっている。つまりは避けて通れない。指のあちこちから血が出ているのを、何気なく気づかれぬようにして、持参している枇杷葉の焼酎エキスに浸し、その痛さに飛び上がりそうだった。家に帰っても、手洗い・嗽をした後、枇杷葉エキスの中に手を突っ込む。ひょぇ~!!滲みる。

 風呂上りは無論、痛さに耐えて続けた。メンタムも塗った。今日で3日、傷口が塞がってきた。水が滲み込まない。わぁ~い、治ったよぉ!!昨年もなっていたのだが、手を丁寧に拭いているような環境ではない。これからは服で拭くことにしよう。と心の中で思った。用心のために、枇杷葉エキスを持って行っていたが、これさえゆっくりつけている時間とてないもの。

 新しい仕事になって、やっと1年が過ぎた訳だが、まったくの未分野だし、基本ができていないのだから、応用などできるものではない。解らない事が判らなくて、右往左往するばかりであった。本当に心底心がささくれ立って、自分の器量を測りかねた。でもここで立ち直れたのには、枇杷茶を介して、リエさんやサンタさん、りささん達の温かな励ましがあったからです。

 ここにお名前を出すことのできない方もおいでで、そういった方への感謝の気持ちが、私の支えになってくれました。私を信じて、枇杷茶を送ってあげた人から、金銭を頂いたことはありませんが、却ってそれ以上の心を与えてもらいました。枇杷葉で、花芽で、枇杷種で心底元気になってくだされば、それに越したことはありませんが、僅かばかりのことで、ここまで慶んでもらえるとは、思ってもいませんでした。本当に有難いこと。こちらの方が頭が下がります。

 況してや、枇杷葉での効果の現れた日には、神に感謝し、祈ってしまいます。私の想いが、何かの形で届いてくれたことを、とても有難く思いました。どんなに言ってあげても、踏みにじったり、鋭い刃を突き立てたり、心無い言葉を吐かれたりして、二度とするものか!と言葉を飲み込むことも、1度や2度ではなかった。でも私の中で、決して曲げない想いが、凛としていたことも確かなこと。

 ここを興味本位で覗かれていることも、熱心に読んでくださっている方も、数字の上でしか見当がつきませんが、有難いことだと感謝します。どのような形にせよ訪問者が居てくれることは、枇杷葉への関心の深さを指しています。つまりは、自然に目を向け、心を向けていってくれるであろうと。例え、そうでないにしても、自分の在り方を考えてみる、きっかけになれば。とも思います。

 今朝、我が家で一足早い、クリスマスをする。というので集まりました。枇杷茶も種茶にして、ストーブの上で煎じました。杏仁の匂いがして、とても心地好い時間が過ごせました。優雅で贅沢な一時でした。リエさん。花芽と枇杷種を送るね。りささん。枇杷葉は、着いたら直ぐ、焼酎で漬けておいてください。葉を切っていますからね。このまま腰痛などに使えますよ。
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鴉、鳴きて日は高し

2009年12月22日 | Weblog
 長閑な田園風景。人は畑に麦を踏む。なんてな情景は滅多に見られません。人間は、めんどくさい事や、煩わしいことから逃げて、外国産の手頃な食材、品物に走った。結果が今の世の中でしょう。でもさ。そう言った中でも、こつこつと努力をし、日本の農業を変えようと、いろいろな取り組みを実践してもいる。

 土があればアスファルトや、コンクリートにしてしまうのではなく、耕して、種を蒔いて、命を育てる。そこでできた物を頂く。或いは、売って食べてもらうことに繋げ、安全と安心とを伝えていく。野菜の皮を捨てない。種を活用する。つまりは生かせる方法を考える。同時に、病気になりにくい身体を作る。

 人間に課されたことの1つに、知恵の有効性がある。廃棄物をどうしたらゴミにしないか?という工夫する知恵がある。捨てればゴミです。でも、ちょっと待ってよ。どうにかしてみよう。と考えた次点で、素材が生きてくる。地球をゴミだらけにして、戦争ばっかりしていたら、資源どころか、星の形が無くなるよ。

 自分一人がしているんだから、という観念も、いいことはなかなか結びつかないものだが、悪い事となると、あっと言う間に広がって、元の状態にするには、想像を絶する時間が要る。政府も真剣な取り組みで、自治体に任せるのなら、還元できるようしてほしい。エネルギーの無駄を省こう等言いつつ、しなくてもいいことばっかりしている。結局は、自分だけがいい暮らしがしたいためで、庶民の味方にはならない。

 毎月、16万もあれば普通の暮らしができる。だが、それさえならない人も居る。働く場所もなければ、意欲さえなくさせている。心まで貧しくして、生きている甲斐などあるものか。石川啄木ではないが、じっと手を見ることすら適わない。莫迦馬鹿しくて腹も立たない。人間が自分の意思を持って、生きていくことができなければ、医療費が嵩むばかり。今は、医者にさえ病む者が増え、匙加減の必要なことであろうか。

 今日は、休みだったので掃除をした。大掃除はしないが、それでも埃や汚れがある。雑巾で簡単に拭って、掃除機をかけた。2時間程で終了した。普段、小まめにしておくと年末だからと慌てない。後は、お飾りを取り付けて、年賀状をレイアウトするのみ。愛車の洗車が残っているが(車内は掃除済み)、ガソリンを補給に行ってしてくる。ポイントが貯まっているのだ。

 冬のお天気は、精々午前中のみで、そのほとんどが午後からは曇が多い。風も冷たくなる。順序良く手順を考えてしないと、折角干した布団が冷たくなってしまうのだ。油断大敵である。でも、太陽の暖かさを取り入れた布団は、とても気持ちがいいね。今晩は、流星群を観るので、殊更に温かいのが有難い。

 リエさん。我が家の花芽が採れたよ。サンタさんの分もあるよ。今年は、石灰を入れたからか、ほんとうにたくさんの花芽がついた。ほとんどが咲いてしまったけれど、未だ蕾のもあって、いい匂いがしています。
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