小説の年の瀬は、なんとも温かい。放蕩息子の心根は、読んでいてじんわりとくるよ。そうだね。こういう世の中だったら、底の方にまで落ちなくていい。お金が有り余っている訳ではないが、情けの心情にほっとする。今の世に、欠けているのが、自分さえよければの心。でも、決して自分だけでは生きていかれない。また、そういったスーパーマンは存在しないよ。
窮地に立ったり、悩んだ時に、誰かに相談できるのがいいが、その信頼を裏切ることが多い。内緒だというが、必ずしもそうでなく、秘密はあっという間に洩れるのだ。内緒であった試しがない。FBI SIA 何故秘密は洩れるのか?人間の心理なのかもしれない。王さまの耳はロバの耳でもわかるように、しゃべってはいけないのだと思うと、無性に言いたくなるのが人間か。
話題というのは、何時、誰が入ってきても、参加できる題材でなければ、しらけてしまう。先ず他人の悪口。仕事の批判。そういうのは好ましくない。できれば、新聞に目を通して、大雑把な話から、地域の話題に移るのも、方法であろうか。この時も、他人のしていることを批判しない。同時にいろんな角度から、見る目を持とう。分析の方法遺憾で、話題は幾らにでも膨らむ。
これだと、誰でもが参加できるし、話題が広がってもいく。強いて言えば、自然の話なら、誰でもが話せる。自分はしないけれども、他人はそうなのか。とか頷くことも大切。感心するのも一つの手。閃きはそういった時に、あるかもしれない。多々なる方向からだと、何倍にも答えが見つかる。そういった楽しみを持てる。
陰口を言わないことも大切。二人でも、五人でも同じテーマで話し、いろんな結果が出るのは面白い。一つとして同じ意見はでないことも確か。まったく同じではない。そういったことがちゃんと言えて、自分を知り、他人も知っていけば、粗捜しでなく、長所が見えてくるのではないのか?性格も年齢も違い、共通するものは人間ということだけでも、認められればいいではないか。
仕事をする上において、自分のやり方は二の次だと思う。基本に添ってやらなければ、自我の主張になってしまう。郷に入っては郷に従えのように、そこの職場ににいる以上は、通らないと思う。不平不満を言う前に、其処に来て働いている意味は何かを、もう一度考えてみなければ。
私は、自分の心についていけなくなれば、仕事を辞めます。努力することも適わなくなれば、勤務できる筈がないのです。一番トップに居る人が、尊敬に値する人間でなくては、私はついていけません。理念や理想だけでなく、何時如何なる時にも、揺るぎのない存在であってもらいたいと願っています。けれども人間としての温かみのあることは、何を於いても大切なことでしょう。
枇杷葉との出会いで、数年が経ちましたが、何より、想いもかけない人から、枇杷茶のことを言われた時には、体に電流が走るのを感じました。この人に飲んでもらいたい、と思う人には、身体の中に病気が視えるからです。でも、そういう人に限って、飲もうとしませんし、枇杷葉の薬効を信じません。
以前は気の毒でなりませんでしたが、最近はそれもまた。と思うようにしています。敢えて薦めようとは想わなくなりました。枇杷葉を信じ、生きる力につなげようとしている人を、一人でも助けてあげられればいい。私の及ぶまでのパワーを、分けてあげることが可能なら、それもまた喜ばしいことなのです。些細なことかもしれませんが、生きるという望みにつながってほしい。
宇宙は何処までも、青く美しい。其処に向かって、伸びやかな、たおやかな、やさしい香りを広げる枇杷葉。
リエさんを始めとする、皆さまの温かな人たちに支えらて、1年が過ぎようとしています。浜さん、お変わりありませんか?りささん、ねこまる先生。次回が楽しみです。サンタさん、珈琲お手配ありがとう。Mさん御一家。秋田の○さん。イタリアに移住のMさん。dekoさん。其々に、様々な人生のつながりをありがとう!!この1年、本当にありがとうございました。
ここに興味本位で訪れてくださる方にも、お礼を申します。来年も宜しく。
窮地に立ったり、悩んだ時に、誰かに相談できるのがいいが、その信頼を裏切ることが多い。内緒だというが、必ずしもそうでなく、秘密はあっという間に洩れるのだ。内緒であった試しがない。FBI SIA 何故秘密は洩れるのか?人間の心理なのかもしれない。王さまの耳はロバの耳でもわかるように、しゃべってはいけないのだと思うと、無性に言いたくなるのが人間か。
話題というのは、何時、誰が入ってきても、参加できる題材でなければ、しらけてしまう。先ず他人の悪口。仕事の批判。そういうのは好ましくない。できれば、新聞に目を通して、大雑把な話から、地域の話題に移るのも、方法であろうか。この時も、他人のしていることを批判しない。同時にいろんな角度から、見る目を持とう。分析の方法遺憾で、話題は幾らにでも膨らむ。
これだと、誰でもが参加できるし、話題が広がってもいく。強いて言えば、自然の話なら、誰でもが話せる。自分はしないけれども、他人はそうなのか。とか頷くことも大切。感心するのも一つの手。閃きはそういった時に、あるかもしれない。多々なる方向からだと、何倍にも答えが見つかる。そういった楽しみを持てる。
陰口を言わないことも大切。二人でも、五人でも同じテーマで話し、いろんな結果が出るのは面白い。一つとして同じ意見はでないことも確か。まったく同じではない。そういったことがちゃんと言えて、自分を知り、他人も知っていけば、粗捜しでなく、長所が見えてくるのではないのか?性格も年齢も違い、共通するものは人間ということだけでも、認められればいいではないか。
仕事をする上において、自分のやり方は二の次だと思う。基本に添ってやらなければ、自我の主張になってしまう。郷に入っては郷に従えのように、そこの職場ににいる以上は、通らないと思う。不平不満を言う前に、其処に来て働いている意味は何かを、もう一度考えてみなければ。
私は、自分の心についていけなくなれば、仕事を辞めます。努力することも適わなくなれば、勤務できる筈がないのです。一番トップに居る人が、尊敬に値する人間でなくては、私はついていけません。理念や理想だけでなく、何時如何なる時にも、揺るぎのない存在であってもらいたいと願っています。けれども人間としての温かみのあることは、何を於いても大切なことでしょう。
枇杷葉との出会いで、数年が経ちましたが、何より、想いもかけない人から、枇杷茶のことを言われた時には、体に電流が走るのを感じました。この人に飲んでもらいたい、と思う人には、身体の中に病気が視えるからです。でも、そういう人に限って、飲もうとしませんし、枇杷葉の薬効を信じません。
以前は気の毒でなりませんでしたが、最近はそれもまた。と思うようにしています。敢えて薦めようとは想わなくなりました。枇杷葉を信じ、生きる力につなげようとしている人を、一人でも助けてあげられればいい。私の及ぶまでのパワーを、分けてあげることが可能なら、それもまた喜ばしいことなのです。些細なことかもしれませんが、生きるという望みにつながってほしい。
宇宙は何処までも、青く美しい。其処に向かって、伸びやかな、たおやかな、やさしい香りを広げる枇杷葉。
リエさんを始めとする、皆さまの温かな人たちに支えらて、1年が過ぎようとしています。浜さん、お変わりありませんか?りささん、ねこまる先生。次回が楽しみです。サンタさん、珈琲お手配ありがとう。Mさん御一家。秋田の○さん。イタリアに移住のMさん。dekoさん。其々に、様々な人生のつながりをありがとう!!この1年、本当にありがとうございました。
ここに興味本位で訪れてくださる方にも、お礼を申します。来年も宜しく。