枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

居待月、蕎麦の日。

2015年09月30日 | Weblog

 蕎麦の花が満開で、食べる訳ではないので、種が零れるに任せている。何と、地に着いた所から、根が出て花を咲かせ、実を結んでいるのには驚いた。韮の花も増やす予定なので、愉しみが広がっていく。桑の木も大木になり、剪定は欠かせない。

 枇杷葉の苞が、日に日に膨らんで来ており、庭に立つのも心が華やぐ。薔薇の花もひっそりと咲き、秋の陽を浴びている。そろそろ、春に咲く球根も植えよう。バラの挿し木は、適度の湿りで着いたようだ。大豆も鞘が膨らみ、野葡萄も甘く色づいてきた。

 自然からの恩恵には、好むと好まざることがある。そういった物を、ちょっとした工夫で生かせたらいい、と試してみている。ドリンクにするには、先ずは腐らせないことで、取り敢えずは、焼酎に漬けておく。ジャム瓶がたくさんになって、どうするのだ?

 子どもの頃には、お八つ等と贅沢であったのが、今は、何処にでもあって、お金さえ出せば売っている。然し、心の籠もり方はどうだろう。お金を渡して、好きな物を買えるのもいいが、甘味料や防腐剤、着色料のことを思うと、背筋が寒くなりませんか。

 勤務先の上司に、手作りのお八つ作りを話す。ちょっとした工夫とアイデアで、美味しくて変ったお八つが出来るのだ。横着をしないことだと思う。介護の仕事には、資格も必要だが、年の功も大事なのだ。個人的には、市販品は食べない。後口が悪い。

 それにつけても、無農薬の林檎が食べたい。粒が小さかろうが、不細工であろうが、農薬さえかけていなければ有り難い。林檎の味と香りと、安心を口にしたいもの。そういった農家との直売や、取り組みがあれば賛同する。金額の問題ではないのだ。

 斜面の片栗のアップ。片栗の花が、こんなに大きくて、見応えがあるとは想わなかった。

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立待月・大潮

2015年09月29日 | Weblog

 昨晩の曇り宇宙を思っていたが、快晴に布団や洗濯物を干す。汗ばむ気温に窓を開けると、風も少々ある。友人が久々に訪れる、と言うので、山女のお礼もあり、握り鮨の用意をした。丁度、昼になったところで到着。蛤の清ましを添える。

 小さめの握りにして、ねたを乗せる。ねたと言っても冷凍だが、時間を見計らっているので、丁度好いタイミング。お世辞も含めている?が美味しいと満足してもらう。友人が一皿口にしてから、ふた皿目を用意して出し置き、自分のを握った。

 帆立、鮪、海老、胡瓜、しめ鯖、蛸を出そうとしたら、これ以上は食べれない、もうたくさんだと。恰好は不細工だったが、酢飯の味が効いていたらしく、何だかんだ言いつつも平らげる。食後は、ケーキと珈琲を出したのを、すっかり食してる。

 こちらも、一人で静に食べるよりいいので、食が進む。来月の古典落語の時間を決め、帰って行った。通草も、裏年があるようで、今年は不作のようだ。それでも、毎年のことで、除々に増えていっている。焼酎を足すだけなので着払いでどう?

 ジャム瓶に入れて発送し、着いたら2ℓにすればいいの。果実瓶でも、プラスチックでもいいけど、広口のが使い勝手が好いようです。風邪の引き初めや、蓄膿症から、痰の絡みを和らげる働きをします。嗽で用いても、飲んでも良いようです。

 花粉症に効いた、という話もあり、要は鼻腔への影響から、治ったものと思われます。個人差もあり、症状の大小にも無関係ではありませんが、薬酒として用いることを、お薦めします。飲酒運転は絶対にいけません。就寝時に服用しましょう。

 友人の奨めで、愛車に同乗してナビ役で、連れて行ってくれた。隠里みたいな場所であった。斜面一面、片栗の花。

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葉月、望・大潮

2015年09月28日 | Weblog

 満月である。昨日の淡い光に包まれた、中秋の名月は素晴しかった。今晩は、生憎と雲の垂れ込める夜空になる。台風の影響らしいが、残念でもある。晴れていれば、天空の様子も眺められるのだが、月どころか星も観えない。日中は汗ばむ陽気。

 知人の所の子どもさんが、りんご病にかかったらしい。大人がなるのを知らなかったが、受診に連れて行った、父親に移ったらしく、仕方なく休みとなった。外に行きたい年齢で、一日室内に居るのは辛かったらしい。それを宥める母親も、大変なのです。

 日頃、保育園に任せ放しなのが、覿面現れている。絵本を読んでやったり、遊ばせる工夫が足らない。玩具がなかったり、遊具がないと遊ばせられない。文明の落とし穴だ。幾らでもちょっとしたアイデアで、子どもは厭きないものだ。手抜きの付けだ。

 このところ、移乗の際に腰の筋を痛めて、足の運びが思うに任せない。毎晩、枇杷葉温圧療法を施行しているが、痛みが引かない。肩の鈍痛も治りが遅い。就寝時だけではいけないな、と帰宅して直ぐに、蒟蒻を温め、枇杷葉の生葉を乗せている。

 最初は、熱かったのが、何回か繰り返す内に、じんわりと効いてきた。ありがたい。ゆっくりと動かせてみて、痛みが小さくなっていることに気づいた。生葉は真っ黒になるので、その都度換えている。枇杷葉の中心には、苞が現れて、徐々に膨らむ一方。

 明日は、勤務を代わってくれるというので、休みにした。5連勤も疲れるのに、加えて入浴介助は無理だろう。若い身体ならいざ知らず、言う本人さえしないのに、一番年齢の重なる者にさせる?以前には止む無くだったが、最近は限度があるので断る。

 明日の休みを省いたら、来月まで8連勤になってしまう。若者にしたって、この蓮勤はきついのを、還暦を過ぎては務まらない。安倍政権は、介護離職者をゼロにすると公言したが、給料も安く、重労働であっては、とてものことに任務を全うできないよ。

 友人と出かけた山野で見つけた。素朴な愛らしさがある。花屋の店先ではなく、自然にあるのがいいね

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中秋の名月・大潮

2015年09月27日 | Weblog

 満月は明日だが、今晩は中秋の名月。勤務先で、お八つを作り、白玉粉に絹豆腐を混ぜ、少量の水と捏ねた。沸騰した湯に親指大の大きさにしたのを入れ、浮き上がって来たところを掬い水に放つ。黄桃缶をミキサーにかけ、餡にした。

 餡子では月見のイメージにならないので、黄桃を月に見立てた。意外とあっさりして、お替りを言われて、びっくりする。白玉粉2袋、絹豆腐2パック、黄桃2缶で作る。時間は30分位で出来、お八つには十分間に合った。ヘルシーで美味しい。

 帰宅したら、玄関に通草が置いてある。友人が持って来たらしい。とても大きいのが入っており、種を焼酎で洗う。花の匂いが甘いので、果肉も同じだ。人工の味でなく、自然の甘さに舌づつみを打つ。スナック菓子は、どうにも口に出来ぬ。

 健康でいたい想いは、誰しも同じだろう。病院に行って検査をするか、自然療法で体の中から治すか。見た目は不細工でも、無農薬を買おう。味がよければ、口に出来る。自然からの教えを聴いて、おひさまを崇め、月の光に祈るのも大切。

 風に挨拶し、雨に唄う。あらゆる生き物に、心を向けて、人間の愚かしさを恥じよう。何一つとして、自分では作れないことを知ろう。雲の行方を、水の流れと、大地の恵に、感謝して暮そう。神さまの与えてくれることに、心から祈りを捧げよう。

 きらん草の種が、あちこちに飛んだのか、そこら中に生えてきた。夏の日に折れた枇杷葉を挿していたら、付いたようだ。今年は、思いもかけない枇杷葉に、苞が見ている。花芽茶がたくさん採れそうでうれしい。リエさんのは見えない。来年?

 銀木犀の甘い香りが、庭に出ると漂う。金木犀よりはいいが、柊や枇杷葉の、やさしい匂いがいい。スプレーバラが咲き始め、蕎麦の実が熟してきた。枝豆の鞘も膨らんできた。秋ですね。あちこちに出没する、小さな秋に笑顔になれるよ。

 クリスマスローズが、雨上がりにしっとりと咲いている。こんな素敵なドレスなら、舞踏会に行ってみたい。

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彼岸明け・大潮

2015年09月26日 | Weblog

 晴れはしたものの、雲の重なる天気で、空を見ながら洗濯物を干した。風があるので乾くが、日照時間が短くなり始めた。秋の日は、釣瓶落としとも言われる。夕方の景色も、薄紫に包まれたたかと思う間もなく、陽が陰ってしまう。夜は長く、読書に最適だ。

 今朝は、勤務先に散らし寿しを持って行く約束で、昨晩帰宅して、牛蒡を削って味付けしておいた。何時ものように沢庵、蒲鉾、竹輪。それに間引き菜を湯がき刻んだ。所要時間、2時間で出来安堵。朝6時起きにしては成功。季節の野菜は、貴重な素材。

 韮は、独特の臭いがあって、どちらかと言えば嫌われるが、農薬代わりになる。とあった。大蒜も似たり依ったり、蓬やスギナも同じだ。虫も、生きていかねばならない。可と言って無残な姿は厭だし、殺すには忍びない。これからはこの手で退散してもらおう。

 通草の実を口にして、種を捨てないで洗ってみた。これを乾燥させ、お茶にしたらどうだろうか。大人は、焼酎でも構わないが、子どもには与えられない。風邪の引き初めや、蓄膿症にも好いので、試しにお茶にしてみようと思立ち、新聞紙に広げてみた。

 リエさんに送ったのが着いたらしく、メールが入っていた。友人が家のと、実家からと取ってくれたので、たくさんあるため、漬ける瓶がなくなって、送ることにした。漢方には、茎を使うそうだが、痰が絡んでしつこいのが瞬く間に消える。咽喉と鼻によく効くの。

 旧暦で暮らし、自然からの恩恵を感謝する。四季折々の旬の野菜を戴き、体を健康に保ち、日々継続させることで、医者に行かずに済めば、これくらい有り難いことはない。枇杷葉茶での健康維持が、パワーを与えてくれることにも、両手を合わせ祈る。

 春先の庭に、緑の芽が出現する。そろそろかな?と思っていたので、何となく可笑しみがある。まるでかくれんぼをしているよう。

 

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キャリー

2015年09月25日 | Weblog

 ステーブン・キングの代表作で、個人的には好きな作品。映画化されていたのを、ネットで観て、アメリカの高校生がなんとしても、出席して栄冠を勝ち得たい催し、プロム。そういうのを知らなかったら、この作品の凄惨さが理解できない。

 で。この作品を観ながら、シンデレラの原作を思い出して、ちょっと身震いした。ペロー童話でも、グリム童話にも、シンデレラの持つ魔力が、王子と結婚する件で炸裂する。虐められて、じっと我慢していたのは、復讐できるからだったの。

 それを、ディズニーは真っ向から書き換えた。幸せを掴むには、耐えること、働いて鍛えることで、苦難にも立ち向かえ、気転を利かせば、不可能はないということを、シンデレラにさせた。美人で、気が付き、家事万端は出来るとなれば・・・

 魔力とは、魔法の力ではない。キャリーもシンデレラも、産まれて来る前からあった。つまりは遺伝的なもので、自由に生きていれば、使うこともなく済んでいた。それが、晴れ舞台で嘲笑されたことによって切れた。エネルギーの全開放出。

 町が一つ消えた。キャリーの力は、その怒りの、或いは極度のストレスだけで、膨大なエネルギーを生んで、木っ端微塵にしたのだ。念動能力・テレキネティック。これは物語の世界だけかも知れず、そうでないかも知れない。超能力者だ。

 動物の言葉が分ったり、人間の心が読めたりできるのも、超能力だろう。これらも、誰にでもできるという物ではない。眼の見えない人が、耳聡くなり、臭いや歩き方で誰かが分ったりする。風向きで天気も分ってくるもの。訓練?努力かな。

 然し、現時点での出現は止めておこう。その力を正しいことに使えないからだ。悪い事と知っていながら、適地でのスパイは良くない。平和な世であれば、超能力は必要ないからだ。もし、そういった力を持っていたら、沖縄からの基地撤退。

 毎年、4月頃には、小さい青い実が見えて来る。これがそのまま、熟れるとは限らない。袋かけの段階で、落下することも。

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彼岸桜、秋の景色。

2015年09月24日 | Weblog

 青空市に行く途上に、桜並木がある。春には、枝垂れ桜に先立って咲くのが、例年なら11月に満開となる。ところが今年は、天候不順の折柄、彼岸の時期に開花した。自然界が異変を起こしているのが不気味だ。台風の影響からか、雨に濡れて淋しい。

 図書館に寄ろうとしたら、何と休館である。明日は、研修があるのだが、一旦帰宅して寄らねばならない。実に不便な図書館に、些か立腹をし、困惑した次第だ。旧暦での対応までを、望んでのことではないが、閉館が早かったり、休館が多いのは困るよ。

 リエさんに連絡するが、携帯が繋がらない。通草を、ダンボールに詰め、新聞紙を敷いて、潰れないように梱包した。それでも心配で、天地無用を貼ってもらい、果物であることも申し添えておく。開いていないのを選んで入れたのだが、潰れないことを祈る。

 子ども本を書かれる方には、言葉の正しい使い方を、特にしてもらいたい。お花にお水を上げる、という表現は間違い。花に水を遣る。それなのに、『でも』という書き方には、失望する。〇〇でも、という書き方ではなく、〇〇をするにしてもらえないのだろうか。

 お茶を飲む気になったら。お茶でも飲む気になったらでは、文の印象が変ってしまう。珈琲にされますか?紅茶にされますか。とこれに、でもをつけて言ってみれば、相手の受け取り方にも因るが、随分と感じが違ってくる。お茶でも、と言われたらさり気無く断る。

 何でもかんでもに、可愛いと言い、あらゆることを上げる、と表現するのは可笑しい。慇懃無礼と言うのだ。それを教えてくれたAさんも、お茶でもと言われることがあり、がっかりする。個人的には、正しい日本語を使い、その場に応じた使い分けをしたいもの。

 雨のそぼる庭を見て周ると、枇杷葉の中心に硬い苞が覗いていた。東側の長崎茂木と、フェンスの傍に置いている鉢物だが、サンタ枇杷葉と、南側の長崎茂木にも見えた。白枇杷は未だない。小さな秋を見つけたようで、とてもうれしかった。冬が待たれる。

 丁度、半年前の春分の月と金星。春の夜空には、淡く星が輝く。西の宇宙には、大曲線がやわらかに延び、一際、眼を惹く金星。

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秋分の日、台風接近か。

2015年09月23日 | Weblog

 昨日に引き続いての、蒸し暑い天気であった。彼岸の中日が、まるで残暑そのもの。暑いのはいいのだが、体の変調を来たす。やたらと咽喉が渇くのも難儀なこと。一人、珈琲を淹れて飲み、人工的な甘味のないことに安心する。休日は、昼食の用意。

 明日は休み。図書館に行こう。返却本と借りるのがあり、友人も来ないので、ゆっくり過せる。今月は、孫等の体育祭や、運動会があって、休みが偏ってしまい、後半の勤務が続く。それなのに昨夜は、遠野殺人事件を読みきってしまい、寝不足である。

 日航機事故の謎は解けたか。専門的な事柄が多く、何度も読み返しているが、難しい。この本でなくても同じだろうが、当時のことが脳裏に甦り、そのことへの疑問が解けない。既に30年の月日が経っている。自分の記憶も怪しいが、あれは何だったか。

 殺人を犯した訳でもないのに、多くの悲鳴や、無念さにそこに引きずり込まれそうになった。無数の手が伸び、捕まえようとしていた。あれは何だったのか?あの事故機に、霊感の強い方が居たのかもしれない。或いは、必死の想いが呼んだのだろうか。

 然るに、難しい本であろうとも、読んでいけば何かが解かるかもと借りた。興味本位ではなく、あの悲劇で亡くなった方々の、魂が安らかであることを祈る。科学が、発展すればするだけ、便利さに頼ることにもなる。自分の足で行くのがいいが、日数的に。

 弥二さん喜多さんのように、珍道中で往ければいいが、あの時代、大変な思いでの往復でもあっただろう。あたしゃ、行かないよ。井の中の蛙、と言われても、住めば都。ここから出たくない。テレポート・瞬間移動できればいいが、色々面倒でもあるのね。

 帰宅したら、あけびが届いていた。すんごくたくさんあって、割れているのや、硬いのや色々と入っているのを分ける。友人に直ぐ連絡してお礼を言う。取り敢えずは、ジャム瓶に入れてから、焼酎を注ぐ。硬いのは箱に詰めて、リエさんに送る手配をする。

 朝夕は、未だ寒くて着肥りしている。日中の気温も、あまり上昇しない。お彼岸を過ぎた頃の庭。

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天気、下り坂・・・

2015年09月22日 | Weblog

 朝から、蒸し暑い日であった。日中は殊に汗ばむ陽気で、流石に暑く感じた。業務は、滞りなく出来、入浴も、トイレ介助も、協力し合って合格点。緩やかな時間の経つ、一日であった。月曜から金曜日まで、午後の4時には定番の、水戸黄門。

 再放送の番組だが、悪役と善役がはっきりしており、最後の切り札も胸が空く。何時もは、トイレ誘導にかかって、アクシデントや何かと複雑だが、至極順調にいって、落ち着かれていた。テレビを観るともなく眼にして、画面の草花に気づいた。

 竹で細工をする、竹籠の花筒に、白い素朴な花が投げ入れてあるのに、おやっと想った。もしや?と観ているとアップになり、はっきりと花の形が見えた。テイカ蔓ではないか。あの白い五弁の花弁の清楚なことか。何だか、感激してしまった。

 戦争をすると、地球から消えてしまう野の花だ。消えなくても、放射能で汚染され、突然変異を起こすだろう。日本は、プルトニュームからの核兵器を造る、技術も資源も確保しているのだろうな。殺し、殺される前に、地球は消える。一瞬のことで。

 湯川博士 原爆が落されるのを知っていましたか。日曜日の書評にあった、長ったらしいタイトルだが、図書館に予約した。ノーベル賞は、平和に生かされているのか、疑問が生じる。ラジウムを発見した、マリー・キューリも、知っていたのかしら。

 原子力は、使う人等によって、造る科学者に因って、性能や威力が違っているのか?核の平和利用等有り得ない、と云われている。それなのに何故?こそこそと、保持しているのか不思議でならない。国民を甘く見て、侮っている政治は否だ。

 勤務先の同僚が、先日の手当てを感謝してくれた。体中の皮膚の状態が、甦ったそうだ。角質もたくさん剥がれて、つるつるになっていた。ちょっと疲れたが、相手の歓ぶ顔にうれしくなる。自分では出来ないので、はり灸さんまで出かけるのだ。

 春の月。朧月夜には、少し月日がある。愛しいエンデミオンの遭いに、月の女神・セレネは宇宙を翔ける。

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敬老の日、上弦・小潮

2015年09月21日 | Weblog

 今夜は半月、上弦である。月はどの形も好ましいが、天帝の想い人、嫦娥姫の姿のよう。何処の国にも、昔話があるようだ。かぐや姫は、下界に何をしに来ていたのか?高齢になった夫婦の老後に活を入れ、姥捨て山には行かぬようにしたの?

 不老長寿の薬があるならだが、何百年も生きていくのは辛い。愛する人等は亡くなっていくのに、自分だけが取り残される。グリーン・マイルではないが、そういった力を秘めると、余計に哀しみが増える気がする。人生は、択べないところがいい。

 国民に、選べる権利があるのは、議員の選出だ。安保法案を撤回させねばならない。自民党のお粗末さは、比べるべくもないが、野党の不甲斐なさも変らない。どうでもいいような党出固まらず、人間としての気骨を見せてほしい。政権崩壊だよ。

 これまでにアメリカのしてきた、権力と武力での戦いで、一体何人の、罪のない人間が殺された?命令を下す立場の者はいいが、実行する者は、任務である以上やらねばならない。そんな不条理があるのか?人間同士を戦わせ、殺させないで。

 枇杷葉のパワーの凄さは、個人差もあり、効果の出方にも開きがある。漢方としての効能には、万能薬とあるが、使う者に依っては、奇跡が起きることも。何が、何処が違うのか?持って生まれた物には違いないが、自分を犠牲にしてもいい心。

 何にも換え難い想いを、献身的に注ぐこと。自分の命に代えても、援けたい心根だろう。アンデルセンの童話には、そういった物語が多い。七羽の白鳥では、后のかけた兄等への呪いを解くのに、イラクサで上着を編み続け、摑まって沫や火炙り。

 純粋に、一途に、愛するがゆえに。援けたいと想うのだ。枇杷葉には、それらの想いが通じる。生葉を採っていくのに、援けてちょうだいね、と心で念じる。我が家の枇杷葉でないと、通じないものがある。そのことにはきっと、とても深い想いが籠もる。

 さくら、桜、サクラ。満開の桜。孫の通う、小学校の河岸を埋める、櫻並木。勤務先への往復路。

 

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