京都の北野天満宮では、梅祭りが始まったようだ。今年は、旧暦で云えば年末が大雪で、寒さも半端でなかったので、蕾は固く閉じたままだ。如月になれば、多少は綻びるかと期待し、心待ちにしているが、気温の低さにまどろっこしい。天気も今一つで、暖かいのかどうかも定かでない。食事の材料を考えて作るようにしたので、細いが丈夫ではある。
すばるといえば、丸々としてきた。抱っこは言うに及ばず、重くてずり落ちる。毛は艶やかで、外に出ないので独特の臭いもなく、トイレも分からないくらい。何しろ、室内で飼っていると、必ずトイレが強烈である。直後は流石に臭うが、数分で消える。枇杷葉茶を、我が家に来た当初から与えているので、猫の気配さえしてこない。素晴らしい効果。
風呂に入れるのも、蚤がいたから洗ったが、その後は一度もしていない。何分、臭いがしないという、飼い主にとってはあり難さだ。爪切りは、切っていい箇所が分かったので、爪切りで遣っている。騒ぐこともなく、おとなしくしている。そろそろ生後1年が来るのもあって、こちらの言うことを聞き分ける。腕白ではあるが、我が家に慣れてきたようだ。
上司の勤務形態を知らぬのに唖然とする。様々な部署のトップなのに、各々の部下の状況を把握していないとは。これでよく、長がつく役職に居るんだと白ける。わたくしが読書をするのは、知らぬことを学ぶのは、今のままでは咄嗟の判断が不可能、と思うからです。何も知識を増やさなくても、対応できるならばやらなくていい。新聞は特に丹念に読む。
人間は考える葦である。と古人のパスカルは云ったそうだが、どんな時代になっても、不思議だなぁ、と思えることには、何故だろう?どういうことだろう?と考える力が必要なのだ。そのためにも書籍は欠かせない。記憶の何処かに留めおいて、分からなければ再度調べれば良い。経験や繰り返しに依って、更に知識を深めていく。学んだ知識は忘れない。
外は、雨と風が強い。明日は大荒れの天気になりそう。隣の市で、ひな祭りをしており、出かけるとの計画だが怪しい。これもみな、新暦で行うからで、旧暦の時期なら、穏やかで暖かな日の催しになるものを。何でも可んでも、早く速くと急き立てる。梅は咲いたか桜は未だか・・・昔の人には、そういった侍せの楽しみとしてあったが、今はどうだろう。
弥生の季節。春爛漫の地上には、あちこちの到る場所で、桜が満開になって来た。この後、桜吹雪が舞う。