枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

梅は咲いたか・・・

2018年02月28日 | Weblog

 京都の北野天満宮では、梅祭りが始まったようだ。今年は、旧暦で云えば年末が大雪で、寒さも半端でなかったので、蕾は固く閉じたままだ。如月になれば、多少は綻びるかと期待し、心待ちにしているが、気温の低さにまどろっこしい。天気も今一つで、暖かいのかどうかも定かでない。食事の材料を考えて作るようにしたので、細いが丈夫ではある。

 すばるといえば、丸々としてきた。抱っこは言うに及ばず、重くてずり落ちる。毛は艶やかで、外に出ないので独特の臭いもなく、トイレも分からないくらい。何しろ、室内で飼っていると、必ずトイレが強烈である。直後は流石に臭うが、数分で消える。枇杷葉茶を、我が家に来た当初から与えているので、猫の気配さえしてこない。素晴らしい効果。

 風呂に入れるのも、蚤がいたから洗ったが、その後は一度もしていない。何分、臭いがしないという、飼い主にとってはあり難さだ。爪切りは、切っていい箇所が分かったので、爪切りで遣っている。騒ぐこともなく、おとなしくしている。そろそろ生後1年が来るのもあって、こちらの言うことを聞き分ける。腕白ではあるが、我が家に慣れてきたようだ。

 上司の勤務形態を知らぬのに唖然とする。様々な部署のトップなのに、各々の部下の状況を把握していないとは。これでよく、長がつく役職に居るんだと白ける。わたくしが読書をするのは、知らぬことを学ぶのは、今のままでは咄嗟の判断が不可能、と思うからです。何も知識を増やさなくても、対応できるならばやらなくていい。新聞は特に丹念に読む。

 人間は考える葦である。と古人のパスカルは云ったそうだが、どんな時代になっても、不思議だなぁ、と思えることには、何故だろう?どういうことだろう?と考える力が必要なのだ。そのためにも書籍は欠かせない。記憶の何処かに留めおいて、分からなければ再度調べれば良い。経験や繰り返しに依って、更に知識を深めていく。学んだ知識は忘れない。

 外は、雨と風が強い。明日は大荒れの天気になりそう。隣の市で、ひな祭りをしており、出かけるとの計画だが怪しい。これもみな、新暦で行うからで、旧暦の時期なら、穏やかで暖かな日の催しになるものを。何でも可んでも、早く速くと急き立てる。梅は咲いたか桜は未だか・・・昔の人には、そういった侍せの楽しみとしてあったが、今はどうだろう。

 弥生の季節。春爛漫の地上には、あちこちの到る場所で、桜が満開になって来た。この後、桜吹雪が舞う。

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辛抱強いのはきつい?

2018年02月27日 | Weblog

 虐められていても、黙ってどこ吹く風と素知らぬ顔で、自分の意思を貫くのは、性格的にはきついのだろうか?別に、仲間が欲しい訳でも、つるんでいたいのでもないからで、相当な意志の固さがある。あの手この手も、千手観音に及ばずと、相手にしない。阿修羅王と帝釈天の戦いを想い、あの長さを知れば、耐えられるものと、命を大事にする。

 自分のしていることが正しいのなら、御仏の罰も下ろう。神も、助けてはくれないが、真実であれば生きよと諭そう。虐められて惨めになるのは、自分ではない。野の花は、踏まれても刈られても、じっと耐えて春には咲く。あなただけの大切な命を、奴らにくれてやる必要はない。娘は、小学校時代に、担任にも虐められていたが、親は気づけず。

 田舎の少数の人数では、決まった者等が仲良くする。そんなどうでもいいような、と思えることも、産まれた時からの遊び仲間なので、更に事情が込み入ってくる。能天気な親であったために、まさか子どもが虐めにあっていようとは考えだにしなかった。修学旅行に行く時に、足の調子が悪くなり、皆に迷惑をかけてまでは行かない、という訴えに。

 この時の担任は代わっていて、話しをきちんと聴いてくれ、同伴するというこちらに、小さくて軽いので、ご心配には及ばない。と言われたが、何せ田舎の小学校。幼稚園からの付き合いは辛い。親の中には、同じ班ではないのに、自分の子が面倒を見るのは可哀そう、と言う。スポ少にも入ってないからとも。虐めていることはないと言い切られた。

 苛めは、昔から何処にでもあったが、陰湿で酷いのは最近のこと。筆箱がごみ箱にあったり、ノートを破られたりは、日常茶飯事です。親も、何かが可笑しいとは思っても、そこまでの苛めとは気づかない。我が子を信じてやれず、まさかの想いばかりだった。殺意を抱く時、というのはこういうのだ。だが、殺人を犯せば、今以上に我が子の立場が。

 娘には辛かった想いをさせたが、羹に懲りて膾を吹くで、腸が煮えくり返る思いを、きっと何時の日にか返せるから。と言い聞かせた。どんな人生を送るかは、自分で決めなければならないが、風に向かって歩いて行こう。と話した。今、幸せを満喫している娘に、生きていてよかったねと言いたい。人生の糧を自分自身で裁量できたのもよかったです。

 海棠の蕾が、そろそろ咲き出そうとしてきた。花の咲く姿が、茎から下がって揺れるさまがいいんですね。

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春の気配に・・・

2018年02月26日 | Weblog

 休みではあるが、外が気になってしまい起きる。風もなく暖かそうなので、早速に蒲団を干し、洗濯機を回す。すばるはお腹が減っていないらしく、遊んでくれとじゃれつく。今朝は、来客予定だけで3人はある。珈琲を飲んでいたらチャイムが。

 友人である。未だ風邪が治り切っていない。マスクの下から聞こえるのは、だみ声である。何で風邪を引くのよ。と嫌味も込めて訊ねる。暑かったり寒かったりで、と言うが枇杷葉茶を飲んでいないから。通草酒で、嗽をしないからじゃないのか。

 わたくしに限れば、ここ数年は、そういった一連の症状には罹らない。悪くても腹痛位で済む。尤も、不必要な外出はしないし、手洗いと嗽は欠かさない。一年中を通しての徹底さで、変えることがない。実際、枇杷葉茶の効き目にびっくりだが。

 拘りも半端でない。これはもう、ある意味での自然信仰でもある。宇宙に、星に、太陽に、月に感謝して祈りを捧げるのだから。この揺るぎない精神での、徹底した枇杷葉への拘りが、きっと守ってくれて、援けてくれているんだと、信じて疑わない。

 テレビ漬けやスマホ依存では、何も分からないだろう。インフルエンザに罹れば、休みで給金が貰えると言うが、高熱や身体のだるさは半端じゃないよ。そんな思いをしてまで、自宅待機にはなりたくない。風邪を引かない工夫と、気をつける心で。

 職場の同僚が、手当てにやって来た。それが、自分の肩から腕が、動かなくなってしまったことにも、やはりと言う思いがある。触っていきだすと、不思議なことに、わたくしの身体が同調し始めた。腕に血が通っていなかったのが温かくなって来。

 はり灸さんで買ってきた藻草は、シールで固定しておけばいいので、痛みのある部位に貼る。肘から下を手当てし、何回も枇杷葉エキスを塗っては、触っていった。そうする内に、肘に温かみが出始めて、血液が流れ出すのが分かった。ほんのりと色。

 昼食には、稲荷寿しが食べたい、というので用意していたが、それだけではと生姜焼きとウインナーも出す。ワインが出せないのが残念だが、お腹一杯になったらしい。食後の珈琲も、豆を挽いて淹れたら、すっきりとして後口がいいとお気に入り。

 広げていた蒲団を急いで仕舞い、すばるの居ることを確かめてから、1時間程度手当てに専念した。肩から肘にかけて氷のようになっているのを、枇杷葉エキスを掌の平に塗っては擦り当てる。何回か繰り返してきたところで、やっと温かみが戻った。

 春分を前後した頃から、少しづつ咲き始める椿。薄桃色の花弁は、やさしい色あいで食べたくなる。

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睦月・十日

2018年02月25日 | Weblog

 天気が下り坂である。用心のために洗濯物は干さずにおいたが、綿素材類だけは乾燥機に入れた。昼食を作り終え、配膳を済ませて半分は食べたか、という時間になって、急遽外出せよとの指令が出るのに慌てる。

 前日にか、勤務に来た時点で、話しを通しておいてよ。無論、外出に異存はないが、指定時間では出掛けられない。運転をしてくれるのは、若い勤務者が居るので、こちらは見守りに乗っていればいいだけである。

 然らば、休憩時間をパスして、車に同乗していればいい。外出のメンバーも、顔触れがよくていい。出掛けるのに、最低限の業務はしておこうと、洗い物やトイレ誘導を済ませる。寒いので、上着を着させておく。

 車中は温かかったが、外は風もあって寒いので、たちまち横着になる連中であるのを宥めて歩かせる。啓蟄も近くなると、風の勢いにも衰えがみえ、然程の寒さは感じさせない。普段、歩くことも少なく外出もまた。

 施設からの証拠も必要と、写真を撮るが、顔がどことなくこわばっている。まあ、それでも春は確実に近づいて来ている。寒さが残ってはいるが、梅の咲くのも僅かだろうと思える。我が家の梅は、未だ硬い蕾だが。

 明日は、職場の同僚が、肩が痛くて困っているので、手当てに来るようだ。新車の無料点検もあるし、結構予定が多い。時間を遣り繰りしながら、こなしていくしかない。来月の献立表も作らねば、さてさてどうなる。

 3月の勤務表が出来ていないので、何とも言えないが、kazu君がこっちにやって来るとかで、いい具合に休みと遇えばいいが。尤も、Aさんの所にお邪魔のようで、ラグビーの話になりそうだ。リエさんは来られない。

 お土産に何がいいかな?枇杷や桃には早過ぎるし、山菜も未だ無理だし。あるとすれば、蕗の薹くらいで、野菜はあっても、持ち帰りに重たいしで、結局後日送ることになりそうだ。田舎はその年の気温で育成が違う。

 自然を相手にしていると、実際人間の想い通りにはいかないものだ。然しながら、それが当たり前のことでもある。この歳になってこそ、気づけたこともあり難い。学校で勉強できることと、自然からの学びと教えは。

 孫等の通う小学校の眼下に、一級河川が流れている。その土手に、桜が満開になっていた。

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出物腫物・・・

2018年02月24日 | Weblog

 刀豆茶を飲用していると、身体の毒素が反応して、出来物や腫物になって現れる。毒を出してしまうか、諦めるかだが、挫折感が強い。昨日、花芽エキスを飲んだら、直ぐに反応があった。これも凄いので驚く。自然の物には、身体の調子を整える働きがあり、人間の都合は無関係だ。だが、身体が軽くなった気がするが、思い過ごしか。

 すばるのに間違えて、銀河と言ってしまう。それにしても大きくなってきて、いささか持て余す。膝に乗って来たら痺れるし、抱き上げたら肩が痛い。ずっしりとした体格になって、蒲団に来ても一人分を占領する。何だか、こっちが気兼ねして眠るので、寝不足でもある。休日はその分、ひたすら昼寝をする。眠くて瞼が塞がって来るよ。

 タイガースの田園コロシアムでのコンサートも、1面をリピートで聴いていたが、はて?何回周ったものか。そうして気づけば夜中に近い。今朝は早出勤務なので、枇杷湯に浸かって寝たら、早朝に目覚めた。やれやれ、睡眠時間は決まっているので、何処かで調整をするんだ。自分の身体でありながら、不思議な気がした。歳もあるかもねぇ。

 2月は逃げる、とも言うが、実に駆け足で過ぎていく。旧暦では睦月の最中だが、新暦は忙しい。西の宇宙には金星が低く観えてきたが、早い時間の登場には遠い。宇宙のことは謎だらけというのも、昼間には太陽光線で、明るくて観えないからだ。偶然、望遠鏡を覗いたり、写真を撮っていたら、超新星の爆発が写っていたとは。素晴らしい。

 星が好きというのを高じてだろうが、チャンスはあるものだ。何にでも興味を持ち、ひたすらに諦めず遣ることの大切さを想った。浩太郎さんも、バッタを追いかけてアフリカに行った。昨年は出現しなかったそうだが、研究への情熱を失わないで。真実、誰にでも出来ることでも、継続するのは難しい。遠くからですが、応援していますから。

 来月は、別れのシーズンですね。卒業式も寂しいが、町内での進学だとそうでもないか?生徒の人数も、顔も変化には乏しい。通わなくなった校舎が建っているのは、空しいものだ。使うには経費が掛かるし、保存するにも大変なのだ。耐震設備をしているのを、無駄なことばかり。これらは全て、税金で遣り繰りされる。財政困難の逼迫状態で。

 悲願を過ぎた頃の月。月の姿は日々変化するので、嫌われることもあるとか。月博士のように、それぞれが愛しい。

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睦月、上弦・小潮

2018年02月23日 | Weblog

 天気に誘われて起き、蒲団を干す。珈琲を挽いて淹れ、ゆっくりと新聞に眼を通す。休日の朝を、のんびりと堪能する。インスタントは買わないが、粉よりも自分で挽く方が旨い。至極尤もなことではあるが贅沢と、感謝をする。水は戴物であり、分けてくださることもあり難い。

 今年の荒神さまでは会えなかったが、どんな方であろうとも、誠心誠意の姿は、通じあえるものだと感じる。何故?と聴かれても、応えることはできないし、説明には言葉がない。でも、その場に居合わせた者には、驚くべき真実がある。どういった事で起きるのかは不明であるが。

 Aさんの場合にも、実に不可思議な事が続いて起こり、自分が余所者ながらも、其処に居たことの不思議さに驚く。自分の使命のような感じがして、手当てに没頭したが、言葉よりも何よりも、身体が動いてしまう。憑依というのがあるが、何かの力であったようにも思えるがどうか。

 クリスマスローズの苗が、寒さからか萎れてしまい、水を遣っても元気に遠い。声をかけて、栄養剤を施す。見ると蕾が膨らんでおり、これから咲いてくれる。猫柳も咲き出し、梅は固い蕾をつけている。枇杷葉の苞が、花芽になってきたのもある。やはり春の気温かな?と見つめる。

 何がどうということもないのに、気温の上昇や、二十四節気の移りには、それなりの理由があるんだと納得する。日本人は、旧暦の日月を疎んじているが、季節の移り変わりには欠かせない。少なくともわたくしには重要で、暦の活用とも併せて、手放せない物である。自然の力を知る。

 庭の水遣りは、冬場には風呂の残り湯を、バケツに汲んで置いて遣り、夏には可能な限り、毎日遣るが、風の吹き具合や、外気温の関係で、土が乾くことにも依る。表面の状態に気を付けねばならない。

 冬場の乾燥には十分な注意が必要で、雨のないのと風が土を乾かす。枇杷葉の下に置いていれば、寒さから守っていいかと置いていたが、空っ風が水分を飛ばせていた。苗に元気が無くなって気づく。

 昨夜は、職場の若いのが治療に来る予定だったが、連絡があり中止になる。こちらにはどうということもないが、あの腕では業務も難しい。介護職の重労働を想い、良くなる可能性は遠いのを気の毒になる。

 明日からは連勤で、休みが入っているが、身体の調子は、年齢と共に、直ぐには元に戻らない。自分で出来る手当ても限られてはいるが、枇杷葉に頼る力は大きい。勤務者にも依って違いが隔たるものです。

 春分の日に前後して、西の宇宙に輝く金星。眩いばかりの光に、古来より人々を惹きつけた想いに。

 

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旧暦、睦月・七草

2018年02月22日 | Weblog

  田の畔を歩いてみたら、すずな、なずな、芹、はこべな、ごぎょう、仏の座、すずしろもよく探せば見つかる。この時期に、若菜摘むというのも分かる。古の人々は、今ならさしずめ風流だが、そういうのは上流貴族の生活だけです。

 研修の内容や日にちを、きっちりと記憶する上司は仕事が出来る。また、聴いたことに対しての返事は、パソコンに資料が保存されているので、直ぐに見れば分かる。他人任せのいい加減さに厭きれる。やれやれ惨めなこと。

 人間ほど、他人の真似をするが、コピーを丸写しや、そのまま出すのも恥ずかしい、と思わないのだろうか?書籍をじっくりと読まないから、意味も分からず、普段通りの溜口で記述したりする。それって文章じゃないです。

 二十歳になれば、家庭での躾は手を離れる。それまでにするのが躾。加えて就学までには、基本的生活習慣を身につけさせたい。そうして見本となる大人が教えなければ、これは暴走してしまうし、集団生活に馴染めないよ。 

 早出勤務を終えて帰宅すると、珈琲が届いている。隔月の購入だが、これがとても美味しい。Aさん家の水で淹れるので、更に味が良い。高々、珈琲と言うが、風味が実に宜しいのだ。サンタさんが、止めて困っていて発見。

 普段には、枇杷葉茶を飲むので、刀豆にも、千振にも使う。お茶は、農薬がたっぷり掛かっているから買わない。ペットボトルも買わない。もらっても飲まない。容器は使うので、綺麗に洗っておく。寒中の枇杷葉茶を保存。

 新幹線で上京の折には、魔法瓶に容れて行く。帰りは、リエさんが容れてくれたりするが、売店や自動販売機での購入をしないので、空容器はあり難い。暑いのを容れることもあって、大切に使っている。塵で捨てるなんて。

 介護の業務中には、その都度、淹れて飲めないので、朝沸かしたのを魔法瓶に容れて行く。温かいのが美味しいので、ちょびちょびと飲む。珈琲も淹れて飲むが、同僚にも注ぐ。小川珈琲がいける。まあ、これは価格の問題だ。

 天気が思わしくないが、明日は雨だろうか。降れば降ったで遣ることがあるし、天気なら、枇杷葉の生葉を少々採ろう。焼酎に漬けておいて、自分の腰痛用に置いておく。人さまのこともだが、何を於いても用意だけは万端に。

 来月になったら、人間ドッグに行かねば。勤務をする以上は、仕方がないとの事だが、年齢を重ねてくれば、ガタがくるのは当然のこと。だからと言って、病院に罹り薬の世話になりだすと、すっかり歳をとって病人になるよ。

 北側に種をばら撒いたのが発芽した。昨年は、ここから数本ばかりがもらわれた。

 

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月を観上げて・・・

2018年02月21日 | Weblog

 外の明るさが薄くなり、黄昏が迫って来る天に、輝きを魅せる月の姿。天女が舞うには少し気が早いが、地上に向かって一筋の光が射している。自然が創り出す景色には、人智を超える偶然がある。

 日中は暖かく、気温も上昇の兆しで、穏やかな一日でもあった。昼食を戴くと、気が緩んだら眠くなる。業務は多々で、居眠りの一時もないが、ぼんやりしていると、とんでもないアクシデントが。

 皆さん、ご自分が認知症状とは認識されていませんから、極普通の行動なのです。地域や暮らしの違いから、介護者が慌てるだけです。水洗トイレ等はなく、汲み取り式のがあれば良い方だった時代。

 駄菓子屋さんはあっても、働きは一家の主人だけで、小遣いを自由にもらえることは先ずなかった。裕福さは大庄屋さんぐらいで、田畑があるだけ益しな時世。お八つは手作りと言うよりも、無かった。

 野を山を駆けては、食べれる物を探す。雀を始めとして、野鳥は大切な食糧だ。猫の獲物の上前を撥ねていた。今のように何でも可んでも、店頭に売ってはいなかったのだ。でも、工夫するのは楽しい。

 今時の子どもは、努力や工夫をしなくなった。冬季オリンピックを観ていて、金メダルを獲得するのは、諦めず、立ち向かっていった結果だろう。誰もが簡単に手に出来るのであれば、メダルは要らない。

 たった一つの金メダルを手にするには、きっと数多くの物を失って入る筈だ。神さまは凡ての物は与えてはくれない。一人独りに同じではなく、違ったことをされる。自分で納得して、受け入れることも。

 枇杷葉の効果を思うに、信じて遣るから治るのだろう。とも想える。お蔭さまでと感謝する。あり難いと心に刻む。援けてもらえたと分けてあげれる。生かされていることを祈り、誰かのために手を貸す。

 すばるが膝に乗っかってきた。お・重い・・・。先日も、飛び上がって上に行こうとしたようだが、ずり落ちてきた。ええっ!今からそんな肥満になるなよ。家の中で飼っているからなの?どうしようか。

 昨年の結実の状態。これがあちこちに見えて、もの凄い数の収穫になった。美味しかったよ。

 

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早春の暖かさ

2018年02月20日 | Weblog

 暖房の設定を高温にしていたのか、動くと汗が噴き出る。切ってしまっても、充分な熱気である。あんなに寒いと文句を言っていたのが、このありさまでは、夏はどうするんだろう。日本の四季を感謝したい。

 早出の勤務の時には、明るさに立ち眩みが起きそう。冬至に向かう時期とは反対に、次第に明るさを増す。洗濯物の乾きもよく、朝に干せば夕方仕舞える。あり難い時候になってきたことに何だかほっとして。

 卒業シーズンでもあるので、何かと祝いが出て行く。高額の物は上げれないが、図書カードなら、本を買うしかないので、金額を設定していった。小学生と中学生、一番手元が心もとない。鉛筆削りだと直ぐに。

 子どもの話を聴きながら、鉛筆を削ってくれる親は居ないとのこと。何しろ、ナイフを使えないそうで、がっかりしてしまう。ナイフは危ないが、いざという時には、多々に使えるのを、教えておくのも務めか?

 最近の赤鉛筆は、紐を引っ張って皮を剥くと、中から芯が出て来る。職場では、切れ物は包丁があるが切れない。ナイフも用途が限られて、そんな物では削らないそうだ。進化の度合いに、時代の変化に驚くよ。

 人間の生きていく糧というか、信念でもあろうが、頼りないこと夥しい。これも書籍を読まなくなった原因か?活字の面白さに目覚めて、たっぷりと本の中に浸かって欲しい。絵本は、子どもだけではありません。

 すばるの腕白が、実に重たくなって、ちょっと抱いていても腕が痺れる。抱っこをすると、しがみついて来るから、そこが可愛い。同時に甘えたなので、チュウチュウの吸い付きを止めない。手をかけて吸いつく。

 外に、すばるとそっくりの黒猫が居て、新車の下に潜っている。首輪があったらすばるだろう。外に出したら、蚤を移されそうな野良だ。一度は、これを捕まえよう、としたのだが、逃げてしまった。今になって。

 休日中、タイガース三昧であった。買っているすべてのDVDを観ながら、タイムスリップしまくった。昔は、こういったのはなく、再放送があればいい方だった。してみると、時代は変わったものだとため息も。

 きらん草。解熱効果があり、乳腺炎等の、高熱を下げてくれる。根の部分が一際苦いよ。

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睦月、雨水・中潮

2018年02月19日 | Weblog

 二十四節季 雨水 冬の氷水が陽気に溶け、天に昇り、雨水となって降る、の意で、雨水と言う。毎年、二月十九日頃である。啓蟄までには期間もあるが、そろそろ片付けもしておこうと、入れ物の蓋を開けた。枇杷湯をした後を堆肥にする。袋から出しながら、ふと気づいたのは、種があちこちに散乱している。

 夜半にごそごそと音がしていた原因に、鼠の仕業と思える。奴らも利口な生き物で、流石だと感心する。枇杷葉の花芽や種も乾燥すれば薬効も。人間よりも賢いのではないのか?アルジャーノを連想して、我が家に棲む奴らが、人間の意志が分かるのかも、と空想。人間が賢いのは、単に威張っているだけとも。

 銀河が居なくても、押し入れや台所には出没せずで、夜半に五月蠅いのは仕方ないと思いつ眠っていた。枇杷葉の効力には、血液を浄化して、管を綺麗にすることで、脳溢血や脳血栓、くも膜下出血等の、脳の破損を防ぎ、認知症にも好いようだ。然し、惜しくもはっきりした証拠はない。飲用して個々の症状。

 女性には、美白、紙魚、そばかすや加齢臭。頻尿、尿漏れを防ぐ。止血、火傷、打撲、虫刺されにも。初期の風邪症状、湿布等、あらゆる効果があるが、使う方の気持ちや、治したい想いで、期間も差が出て来るからです。何度も書くのですが、誰にでも効果があるかと言われれば、答えようがありませんし否とも。

 祖母から教わった訳ではありませんが、子どもの頃に、真近で見ていたり、していたことを記憶している。祖母の手が触ると、不思議と効き目があって、遠くからも噂を聞いて来る人もあった。だが、決して金銭が目当てではなく、田畑の仕事に追われる祖母に、時間を割いてしていることへの相手の感謝から。

 わたくしにも、多少はそういった力があるのかも。但し、これを生業とすれば、それなりの金銭も必要となるので、遣ったことはありません。一人の方に触ったら、相当の期間は体力も気力も落ちます。誠心誠意で遣るのですから、安易な気持ちでは無理です。何よりも、お互いの信頼関係がなくては駄目でしょう。

 勤務先でちょっと位なら出来ますが、それでも気力の消耗は激しく、帰宅するとぐったりになる。如何せん、誰にでもはでき兼ねるし、わたくしが触ると、却って逆になってしまう方もいます。言葉や行動が反対に作用する、つまりは正直に現れてくる。自然を騙せることはできない。或いは、不信や疑いがあっては。

 春分を過ぎた辺りから、少しづつ咲き出す。同時に膨らんで、同じ位に咲き出した仲良し。

 

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