枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

明日には雨に・・・

2021年10月11日 | Weblog
 今朝、郵便局へ枇杷葉の生葉を送ろうと早めに出た。中味は軽いが遠方なので日数がかかるのを危惧、明日に着くように手配した。切手が未だ沢山あって使っておこう。その後、Aさんの手当に向かう。この頃頓にふっと浮かぶ景色や顔があり、心を捉え何度も繰り返し視えてくるのが不思議でならない。吉兆かな?

 あ・雨だ。布団は仕舞ったが、洗濯物は外に干したままだ。吹き降りでないからいいかな?すばるが落ち着いているので、放っておこう。Aさん地からの帰りを宅配発送に上がり、手配を頼んで帰宅した。近場なので重たい割には安くて、時間も早く明日の午前中には着くようだ。メールを入れておかねばならない。

 我が家の枇杷葉が、誰かの役に立つのは実に悦ばしいことである。贈ったこちらの気持ちを察してくれ、先ずは自分が使ってみてのことにしてほしい。その結果、何方かに上げたく思うなら症状もあるので尋ねて下さい。決して自分の独断での判断で上げないように。わたくしはその方を存じませんから対処不可能。

 今までに善意から送らせて貰ったが、その約束事を守って下さる方は症状が改善されているのも不思議だ。Iさん・PさんやNさんとアビーへの施行がとてもうれしい。わたくし・単純で信じてしまう性格でもありますが、これには相手の方も相当な純粋さが備わっている。性格が災いしているのかしらん?謎でも有り。

 明日・明後日と弁当と手当が重なってしまい、午前中が詰んでいる。Aさんが再入院されてなので、それまでは施行に伺う。その後、どの位の日数かは未定だが透析投与になる。わたくしも胃腸系や腎臓の負担は否めないが、医者に罹り治療の段階を決め兼ねていたがすっぱりと止めた。延命で生きるよりは自由で居。

 薬や投与での命なら、枇杷葉に懸けてみるのも悪くないと判断した。胸の調子も思わしくないが、覚悟をすれば怖い物はない。生かされている間に、自分の出来得る限りであれば好いとも思えている。働いて来た時にはそれなりに不自由も無く過せ、仕事を辞めた時点で心の開放のあったことには感謝しかありません。

 だから還せるものは誰かに譲り、受け取って下さる方がおいでなら惜しみません。死ぬ時には何も持っては逝けません。断捨離・・・そのややこしさまで憂う心算はありませんから。遺書は書いておこうと思いますが、児童書と衣類では貰い手もない。あ・沢田研二さんのDVD、誰か要ります?子ども等は捨てるわな。

 それに遺産は太田胃散さえ半分しかなく、遺書の箇条書きも頗る怪しい。地震は近い内に起きるであろうし、小刻みにか大掛かりかは不明だが逃げても無駄でしょう。それよりは地球の再生に妨げとなる原発の再稼働や、環境汚染・破壊を先ずは止めること。皆が心掛けて遣れば命の復活は援けられていくのだと確信。
 

 
コメント (7)
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