枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

ありふれた風景

2020年03月31日 | Weblog
 春になれば、生き物は活性化してくるし、草花は芽を出し咲き誇る。自然の中には法則があるので、体内時計が知らせるのだ。その中で突然変異は起き、不自然なことと思われるが、人工の力が何等かの影響で加われば、生態系が狂ってくる。凡ては人類のしてきたことで、壊されてしまい変化をもたらす。地球を元に還そう。消えて終わぬうちに。

 アメリカのテレビドラマに、ヤング・スーパーマンがあった。テレビで観たのはファーストシーズンだけで、続きがあるとは知らなかった。パソコンをし始めてセカンドもサードも見つけて、本屋に注文して買った。ところがこれには更なる罠が待っていた。何とファイナルまでがセットなのだ。手に入れるのに苦労して、全巻揃えることが出来た。

 コロナで退屈するどころか、却って多忙になる日々である。DVDを観直しているのも愉しい。以前に観た時には無かった想いもある。現実的な部分と、そうでない箇所もあるものの、現代の抱える問題にも触れていて、考える内容が多いのも見逃せない。人類の歴史は、僅かなものだが、その短い年月にも、多くの命が誕生して亡くなっていった。

 仕事も遣り方次第で、身体を酷使することや、技術というか業で軽減できることにもなる。要は個々の介助の仕方に由って、事故になったりするもの。研修に参加しても、専門の作業療法士・理学療法士の指導を受けての、自分なりの工夫で介助したい。然し、基本はきっちり入れるので、重い方も可能になる。資格も大切だが思い込みは厳禁だが。

 今朝の気温は低いうえに曇り空である。洗濯物はある程度風があれが乾くので、帰宅しての取り込みにしている。室内にそのまま干していると、然して乾いていない。部屋干し独特の臭いはしない。枇杷湯の残り湯での洗濯だし、洗剤をボディソープにしているので、却って無臭にに近い。衣類への気分の悪くなる臭いには閉口する。皆、平気だが。

 臭いも、人工的なのは如何せん駄目であるが、自然からの微香には心が休まる。化粧品もメーカーにも依り違うが、余り際どいのは反吐が出そうになる。N社のは販売員が手配してくれるが、店頭で買うのは遠慮したい。臭いが充満して1分と持たない。百貨店に行っても素通りだが鼻をつまむか、息を止めて足早に過ぎる。殺人できる臭いでもあるが。

 介護施設では、洗濯物でさえ影響することがある。一定の臭いで気分が変わることにも繋がり、落ち着かなくなってしまう。然し、こういったことには意外と気づかない。薬を出すことばかりして、精神的なことには配慮しない。かける言葉や、話しにも左右されるが、その匂いに依っては心が乱されてしまうのではないか?詳しい研究も必要かな。

 月の姿が満ちたり欠けたりするのは、人間の心の変化かも知れない。見方で変わっても元は同じです。

 
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花冷え

2020年03月30日 | Weblog
 新聞の一面には、何処もかしこも閑散とした景色が…。自分達の生活には直結しないので、知らぬ顔の半兵衛の官僚達である。原発輸出や再稼働にしか関心なく、己の利益ばかり追求する姿に、税金の無駄使いしてるのは、誰なんだよ!と云いたい。全国民を対象に現金を支給も、いつの間にか立ち消えている。税金を払っているのは誰?

 支払いがあって出掛けるが、車も人も少ないもので、田舎の景色と言えども寂しい。燃料補給と気晴らしに桜をデジカメに撮って回る。車で通過するには見落とす歩道の野花が可憐だ。ガードの向こうには、通草が絡まって蕾をつけている。日常では気づかない季節も、こうして歩くと発見するもの。山吹も、艶やかに咲き山を染めている。

 施設に昨日持ち帰ったパジャマのズボン、ゴムを入れ換えて届ける。この方には、子どもさんは居るが、孫の方に移っており、子どもが小さいために中々来られないので、見るにみかねて直す。現代は物が溢れ返っているので、直すこと等しなくて捨てる。勿体ないこともあるが、直せれないのも原因がある。裾の解れも同じで捨てている。

 昨夜は、明日が休みとあってワインを飲み、そのまま寝てしまった。今朝、枇杷湯に入ってさっぱり。すばるが胸に居たため温かったが、冷え込みは結構していたため。東京では雪が降ったとかである。弥生・3月の雪は珍しくも無いが、この景気の底冷えだけはどうにかしないと。まるで安倍政権の失敗を曝け出すようだ。事実が物語る。

 コロナでの感染で、志村けんさんが亡くなったとある。ニュースで知った時、助からないのは分っていたが、無理が祟ったのかも。生き方は別としても、爆発的な人気を維持していたことは否めない。天国でも、ひげダンスをするのかな?先に逝った先輩の荒井注さん、何ていうのだろう。昭和が次第に遠くなっていく。哀しみも寂しさも。

 オリンピック処じゃない。来夏には終息していると言う保証はあるのか?そんなものありません!誰が騒ぎ始めて、日本に招致する等言いだしたのか?石原前知事の責任は大きい。だが辞めてしまえば、他人のことに也、知らぬ存ぜぬである。自分は安全な場所でほくそ笑んでいることだろう。大阪万博にも同じことが言えよう。二度は無。

 ストレスが溜まる一方で、沢田研二さんのジュリー祭りを観ている。職場に沢田研二さんの歌を、他の歌手が唄っているのを録画しているが、下手に尽きる。違うんだなぁ…、節回しというか、そこはその声音じゃない。下手は下手成りに聞けば好いのかも。沢田研二の偉大さに感銘した。タイガースの頃から培った歌唱力にお手上げです。

 花芽。お茶にしても化粧水にしても好く、香りが仄かにしてくる。種には杏仁があるためですが満喫。
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去るものは追わずで

2020年03月29日 | Weblog
 往く月も、逃げる日月も、去る月にも構わず然り。旧暦では弥生だが、既に3月は終わりで4月に入る。辞めていく者にはそれなりの理由があるものだが、弱い部分が出てくれば、援け合うと言うことよりも無視する。他人は自分ではないので、個性の特徴にも多々あって当然のこと。好みの問題になれば、男女を問わずであろう。感情は禁物。

 春の雨には優しさと諦めもある。出会いがあれば別れもある。捉え方にも様々にあって然りで、こうでなければという規則は無いのだ。言葉で言うのと、実際に遭遇して行うのとでは、異なるものだ。雨に傘も差さないで濡れれば、風邪を引くことにもなるし、怪我にも繋がる。履物が簡素なら尚のことで、床で転倒にも生り兼ねないことにも。

 そういったことも踏まえての、感染対策でないと充分とは言えまい。何時も肝心なことが欠けていて、広がって行くようにも想える。アメリカも日本も、世界中の国々が、今こそ平和になれる時だ。然し、地球は滅ぶのを待ってはくれない。真実の覚悟には、それなりの心の準備が必要。自然に眼を向けて、心を清めて耳を澄まそう。せめてもの。

 今朝は天気が回復して、青空が覗いて来た。庭のクリスマスローズの苗を、移植していたのがお湿りでつくか?零れ種での発芽で、5年の月日が経っている。未だ小さな株もあるが、余り早く移すと消えてしまう。株根もしっかりしてきたのだけ、地植えや鉢に移した。フェンスの外ではリナリア(姫金魚草)が、草抜きで気持ちよさそうに咲く。

 本日の献立予定は、炊き込みご飯だが、買い物に行った職員の桜炊き込みにびっくり。最近は、実に何でも売るものと感心する。捨てるよりは生かせる方法には、アイデアも必要だが、旬の時期にしかできない物に、心を砕きたいもの。自然破壊にも繋がる気がして、暫し考えてしまった。保存するには防腐剤が必要。何を優先するかで分れる。

 日曜日ののど自慢、本日は放送されない可能性がある。楽しみにしている視聴者はどうでもいいのか?NHKも、随分と下らない番組が増えた。民放と大差ない出演者に観る気がしない。元々、テレビは自分達の知らない事を放送するものと思うが、自民党の言い成りになってからは、更に拍車をかけて酷くなった。唯一、CMがないのが取柄かな。

 マッサージチェアは、息子が就職祝いに買ってくれた。今ではすばるの爪研ぎに変わった。油断大敵。
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そこそこの事情・・・

2020年03月28日 | Weblog
 コロナへの感染予防対策も、職員全員が守らなければ、これはどうすることも出来ない。手洗いも嗽も、皆まちまちの状況では広がる。職員の外部への対応も、検温をしてマスク着用をして入ってもらうか、ドア越しに対応するかでも異なる。家族でさえ入れないのを、業者を入れては駄目でしょう。徹底しての対応がこれでは防げない。

 歴代の首相とその夫人に、容姿は別としても、心に凛とした芯があったように感じているが、見た目も悪ければ、教養も資質もない人は初めてだろう。これ程の醜聞にもめげず、桜を観望するとは、愚かさの骨頂でもある。慎みとか謙虚さは全くないのも、傍で支える姿ではないし、教養の低さに唖然とする。直ぐにも辞めてくれないか。

 福島の原発事故も、沖縄の辺野古埋め立てにも、再稼働でも同じだが、政府が悪を認めないばかりか、強硬で横柄な態度である。人間の心を以ってして、自然を破壊しているのは変だ。沖縄の海であると同時に、地球そのものである。地盤の確かな測定も行わず、決めたことだから何がなんでも遣る。という耳を貸さない態度は悪の根源。

 午前中は何とか持った雨も、音もなく降り出した。春雨である。土手の、山肌の桜が、岸の対岸の並木が、雨に霞んで見えるのも風情がある。本来は、これ位の人出で、農家はこれからが忙しくなるのだ。田に出て畑で観ればいい。長屋の花見なら仕方のない事と思うが、百姓には花見どころではない。家族総出で立ち働いていたものだ。

 金持ちの家でしか、花見などしなかった。況してや弁当と言えばお結びだけで、沢庵が付いていれば上等だったもの。卵焼きもお彩もなく、それでも満足していた。お雛様に散らし寿司や白酒を貰ったことも記憶しない。田作りの準備で大忙しであり、猫の手も借りたい有り様。物が豊かになり変化したが、心の貧しさに唖然とするとは。

 閉鎖された学校の敷地に、草と一緒にラッパ水仙が咲いて風に揺れている。自然の営みに驚きながらも、どんなに誰が忘れても、季節がくれば開花するんだと佇んだ。車に乗っていてもスピードを出すことばかりで、安全運転での景色には眼もくれない。この自然は当たり前ではない。事が起きてから、しておけば好かったと言うが。

 地球最後の日も近い。何が原因での消滅かは知らされていないが、地球のサイクルが狂い始めて、そこかしこで影響が出てきたものだ。オリンピック処ではないの。消費増税にも、庶民が納得してからでも遅くなかった。強硬にやったことで、その付けが恐怖に陥れているのだ。人類が消えても地球は困らない。新しく再生していくのだ。

 南側の陽当たりの好い場所にある。軒下にはサンタ枇杷葉もあって、育って行くのが愉しみでもある。

 
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霞みか雲か・・・

2020年03月27日 | Weblog
 歓声が思わず零れる桜並木である。焼き肉の臭いもしなければ、ライトアップもなく、夜は安心して眠れる。桜にとってはこの上もなく、安らぐ年のような気がする。半日勤務を終えてから、沿道を眺めながら青空市まで行く。時折雨粒が車に掛るが、花の美しさには変わりなく、じっくりと堪能して帰宅する。リエさんからkazu君の、卒業式の写真が。

 昨日は、旧暦の雛祭りであった。桜は無論のこと、桃も咲いていて雛段を飾った。花の咲くのも今年はどっとである。観客が居ないのも喜ばしいことで、本来の花を愛でる気分になれる。庭では海棠やクリスマスローズが咲き競う。気温も高めになっており、風邪には充分な配慮をしよう。コロナの多大なる影響に、如何なる対処をするべきだろうか?

 フィガロの結婚。一度舞台で観たのとは雰囲気が異なる。役者にも由るんだと思えるが、ケルビーノ役は、ハンサムで生意気が好い。粗筋は分かっているものの、楽しい舞台に惹きこまれる。DVDは、何度でも観えるから好い事にしよう。明日も早出で、今朝は早起きし過ぎたので、ちょっと昼寝をしよう。車では、ジュリー祭りを聴きながら走行する。

 首都県も田舎も、条件は違えど似たようなもので、要は免疫を高めて抗体を創ることだ。枇杷葉には、ありとあらゆる要素があり、これを信じて遣れば好い。然しながら、急にどうこう出来るかと言っても無理で、弛まぬ努力が必要でもある。マスクは、ガーゼが沢山あるので作れば好いし、トイレットペーパーもちり紙も、1年分は常備していますので。

 帰宅して、一息ついてからご飯を戴く。最近、インスタントのカレーに凝っていて、メーカーも色々買っている。何れも、カレーには拘りがなく、何処のも美味しく感じる。作るのもしないこともないが、沢山作ると腐ってしまう。孫等が来ない限り、勿体ないのでしない。コロッケは新じゃがは美味しいので、沢山作っておこう。パン粉を買って来よう。

 洗濯物が乾かない。仕方がないのだが、4連勤なので、乾かないと仕事に難渋するのだ。暖房を低めに設定して吊るしておく。厚着をすると汗が噴き出すので、明日は調整していこう。初夏は間近になった。今年の春は長いようだが、それでも季節は廻って来る。孫達にも春が来たようで、其々に巣立ち、新しい環境に馴染んでいく。こちらは動かずである。

 マッサージチェアに上がれるが、下りれなくなったすばる。未だ小さいので、赤い首輪をしている。

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時間を翔ける・・・

2020年03月26日 | Weblog
 過去や未来へと時間を翔けて、往って来られるならとも思うことがある。でも、それが出来たとして、生身の身体はどうなるのか?細胞の変化もあるだろうし、結果的には無理が重なって、命を縮めることに也はしないか。或いは、機械に因ったとしても、何時かは狂ってしまうことも起きるかもしれない。便利であれば尚更危険は付く。

 物語としては読み応えはあるが、実際にはその代償はおおきいものだ。原発事故が例でもある。広島や長崎への原爆投下が、どれだけの犠牲を強いて、今尚苦しみから解き放てない。福島の第一原発事故が、わたくしたちの心に鮮明にある限り、消えることは有得ない。哀しみを苦しみを乗り越えるにも時間がかかるが、その期日は無い。

 自然消滅には132年からの年月が必要と言う。福島からの聖火ランナーが行くのも、整っている地所だけであろう。カメラに映し出されてない箇所には、汚染土が入った袋が転がっている。それをこそ曝し、東電のしたことや政府の対応を考えていかねば、亡くなった方々への想いは、彷徨うような気がする。失う物の代償は巨大なのだ。

 身近な者や、愛する者だけでは済まない。自然そのものも壊されている。どんなにしても、元には還らないことは、チェルノブイリ原発で分かっている筈だ。それでも終の棲家に決めて、そこで生活して居る人間がいる。リエさんの書いたカリーナのりんごは、何度読んでも心が締め付けられる。原発さえなかったら!でも存在している。

 子どもの成長が負担に思えるのは、実際の子育てかも知れない。孫になれば、直接の責任はないものの、偏った愛情にも生り兼ねず、猫可愛がりを考える。家族の在り方にも多々あろうが、同じようにはいかないのも確かだ。距離をどのくらい置くかは、その関係にも因ろう。親の資質もあって複雑さも増す。それでも気持ちに変わりなく。

 このところの暖かさに、海棠が綻び始めた。木香バラの新芽もブルーべりや通草も、勢いよく伸びている。山肌は霞んで見え、桜の花で埋め尽くされている。コロナの影響で、集団での移動が無い分だけ、自然に取っては好いのかも。然しながら、アスファルトで舗装された道路は脆い。地震や津波への、今後の対策も練っておく必要が大。

 携帯から画像を取り込もうとしたが、作動するのに出来ない。機械オンチの泣き所で、さてどうすればいいのか?やっぱりパソコン専門の知恵を借りるのが賢明か。未だに手付かずの状態の物もあり、辞めたらしようとは思うが、遅々として進まぬ理由だ。大人にも子どもや若者にも、それなりの理由はあるもの。ヨシタケシンスケは偉い。

 花芽。この状態でも、結実して熟れてくるまでは、相当落下してしまう。多くて10粒が付くが粒は小さい。
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山笑う・・・

2020年03月25日 | Weblog
 今年は、山桜の方が早く咲き、加えて彩も濃いのが見える。地上も桜が満開となっている。花が溢れているのは心が弾む。自宅に居ても、することは沢山あって何かと心が急く。花見に浮かれている時でもない。田圃を持っている者には、これからが多忙となる。身体はこういう時が一番と冷える。就寝時は枇杷葉と蒟蒻療法で温めよう。

 足が浮腫んでくるのも、冷えから来ることがあって、足の裏や脹脛に毒素が集まる。冷やさないことを鉄則として、身体の健康維持に努めよう。何事も一朝一夕にはいかぬので、辛抱と仲良く諦めず、努力を怠らないことです。わたくしは10年以上の付き合いになるが、枇杷葉を信じて自然に任せている。有難いものと感謝の気持ちで。

 天気が続くと水遣りが必要になる。クリスマスローズは陽射しが当たり過ぎるのを嫌う。それを忘れて地植えにしたが、再度植え替えをした。夏場のことも考えて植えねば、枯れてしまうのだ。足湯に来ると言うので午後からにして貰う。わたくしもすることがある。慌てて蒲団を仕舞い込んだ。さてさて、ご飯をどうしようかと悩むが。

 ちょっとした休みだったが、身体を整えて行かねばならない。残す処少なくなったが、業務はきちんと遣っておこう。課題はカーテンの破れを繕うこと。千切れて垂れさがっている。それを更に引っ張るから破れるのだが誰も繕わない。仕方なく遣っているのだが、今後はどうするのか?業者に頼めば金がかかる。新しくするの同じです。

 今後は全くのボランティア活動になる。まあ、自分の愉しみして、出来る範囲をすればいいことだ。自宅での珈琲を淹れて出すのもある。名義だけを貸してくれる方がいるので、頼むこともでき可能だ。何でも遣ってみてのことにして、自分を納得させるのも愉しい。人生は一度限である。今後の生き方に工夫と挑戦をしていこうと思う。

 月は何ともいえない趣がある。派手さはないものの、控えめでありながら、自分を見失わない輝きが。

 
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弥生、朔・大潮

2020年03月24日 | Weblog
 天気である。オリンピックの聖火リレーは、福島の原発事故への隠ぺい工作に他ならない。それを見物に行かせる者も、いく者にも驚いてしまう。自分達が騙されていて、隠れ蓑にされていることに、疑問を持たないのか?開催さえ怪しいこの時期に、何が聖火であろう。全く、国民を馬鹿にしているとしか思えない。初めから無理があると言うてます。

 生活保護に至っては、64,000が支給額で、それを超える者には支援はされないし、不意の収入に関しては、国に払うらしい。実際にはどうなのかは不明だが、自治体の諸物価の差もあるそうだ。結果的には、働けない者には最低限の支援と言いながら、実情には程遠いものだ。テレビは観ないし、車にも乗る心算はないが、人間の尊厳には掛離れている。

 枇杷葉のお陰で、体臭は消えたし、体調不良にも薬草で対応できる。要は、考え方でもあろう。自然と付き合っての暮しなら、どうとでも生きていけるもの。無い物を買ったり、手に入れることの方が無理なのだ。夏の野菜を冬に食する必要はない。古の人々の教えを守っているのも、身体のためには佳い。コロナウイルスにも、毅然としていられるよ。

 病院には行かぬし、罹る気持ちはないが、どうして医者通いを勧めるのか?今までに行ってはいたが、免疫と抗体が徐々に出来ており、仕事を辞めれば必要が無くなる。人間の身体は、年齢を重ねれば、何処かしらが故障してくるもので、それを薬や注射で治そうとしても、更なる厄を引き起こすだけである。体調不良の原因は、食生活にも拘わりが有。

 農薬の掛かった物は口にしない。見栄えは悪くとも安心な物を購入する。生産者も、農薬を使用しない方法を試し、安全な物を作ってほしい。自然界の法則を知っておれば、儲けも大切かも知れないが、購入者は増えていく。物を大切に扱えば、それだけの報酬が却ってくる。大地は地球なのだから、汚染しては作物は育たない。人間には再生できない。

 昨日の某新聞の記事。安倍政権の無能振りは、回りを固めている人員の体たらくにもある。総理の言うことを、調べもしないで頷くばかりであったり、とんでもない発言をしておき、突っ込まれると、撤回を繰り返す官僚の集まりだ。野党にも失望するが、言うことのけじめはしてほしい。自民党の政権に辛口で追及するのではなく、真実を語ってくれ。

 昨年は豊作であった。どこを見ても花芽が群がる。夜陰に紛れて、芳しい香りが静かに漂ってくる。
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如月、彼岸明け・大潮

2020年03月23日 | Weblog
 だから言っているのに。オリンピック処の騒ぎではない。福島の汚染処理水問題にも、コントロール出来ているだの嘘を並べて、何がなんでも実施する。延期も中止も考えていないそうだが、金儲けをするためなら、他人は切り捨てても好い意向。これがまともな施策であろうか?任期の延長を謀り、居続ける図々しさである。安易なことは慎もう。

 福島の汚染処理にしても、段階があるものと素人でも思う。汚染水が海洋に放出されて、結果的には地球が死滅する。沖縄の辺野古移設も、人類の命が拘っていることに触れず、一方的な悪者扱いである。国の責任もなく、なし崩しの暴挙である。軟弱な海底に埋め立てをすれば、珊瑚は元より被害が広がる予測に無関心か。無理難題の押し付けだ。

 天気が続くので、蒲団を干しておく。すばるがゲロを敷布団に吐いたので、シーツを剥がして洗い糊付けをする。昨日の続きの移植もあり、鉢の土を入れ換えて植える。クリスマスローズも、株分けが必要で、春先は何かと用事が増えていく。その後、青空市まで出掛け、山が霞んでいるのに眼をやると、桜が開花しているのが見える。春真っ盛り。

 沿道の辛夷や白木蓮も満開状態で、木瓜も山吹も際立つ。このところの気温上昇に、一斉に花が開いたのだろう。例年なら、人出も多く宴会が見受けられるが、今年はさっぱりで猫さえ見えぬ。然し、本来はこれが当たり前のこと。桜は、人間のために咲くのではない。季節を感じて綻び、自然を廻らせるのだ。夜桜も、月明かりの方が美しいもの。

 宮城まり子さんが亡くなったようだ。ねむの木学園を資材を投じて創られ、困難にもひたすら取り組まれておられた。講演にてお目にかかったが、小柄な方だった。あの姿の何処に、パワーがあったのか。人間の生きざまを見せて貰った。昨年の緒方貞子さんに続き、実に惜しい方を失くした。人間は生身であるから、寿命でもあるのだろうけれど。

 Aさんちに寄り、水を分けて貰い帰宅する。仕事を辞めても、命の源の水は欠かせない。Aさんちの水は、夏に冷たく冬に温かい。珈琲も枇杷葉茶も、この水が無くては飲めない。有難いことこの上なく、親切に甘えて分けて貰っている。上下水道は不味いので、洗い物や洗濯には使うが、お米を炊くのもこの水でなくては臭いが強い。香料にも難儀。

 小さいすばるは、膝まで飛び上がれない。じっと下を見ているのは、何かが居るからで、右手をちょちょい。

 
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庭の衣替え

2020年03月22日 | Weblog
 薔薇の新芽や海棠の蕾に、自然配合の液を散布する。駐車場の草も伸びているのを取り、通草の蔓を通り易いようにしておく。クリスマスローズの苗が随分大きくなって、移植することに。5株程を南向きに植え替える。鉢がなかったので地植えにした。零れ種とは言えど、何年もかけての発育である。昼の鐘が鳴っていたが、途中では止められぬ。

 既に午後を有に回っていた。昼食はパンにして珈琲と一緒に戴く。ジャムの瓶が必要なので、どうせならと梅を買った。あっさりとした味が美味しい。梅は、干しても好いし、煮込んでも佳いのがうれしい。腹痛など直ぐに止まる。暑気祓いにも効果が大きい。弁当には略持って行く。これに枇杷葉茶とドクダミ(十薬)、あけび(通草)も汎用す。

 駐車場の片寄に、ドクダミの新芽も出始めた。この時期ならお浸しにもなる。身体に溜まっている毒を排泄するので、花の咲く季節になったら摘んで乾かす。夏枯草もユキノシタも威勢が良い。余り増え過ぎるのもどうかなと、多少は間引いているが、あちこちに発芽している。自然からの恩恵でもあり、いざと言う時の必要性もあって残している。

 コロナウイルスでの影響が大きい。と情報が姦しいのに驚く。子どもが可愛そうだ、はある程度分かるが、これは親にも問題がありそうだ。便利で快適な生活をしていると、如何にも割が合わないと文句を言う。江戸時代のことではない。ちょっと前までは、無い物は工夫して作っていたし、遊ぶ方も想像を描き立てていたものだ。可笑しな時代ね。

 ハンカチを使って、マスクを作っても好いし、これで遊ぶこともできる。要は、アイデアの出し方や創意工夫の遣り方であろう。わたくしには、出歩かない方法は幾らでも思いつくので退屈はしない。或いは、行った場所に心を翔けさせていける。様々な風景にも、友人や知人が居たし、会話の数々も想い出せる。今できることを愉しむにも好いよ。

 新じゃが芋が出回って来ているので、コロッケを作ろうと企画している。先日、我が家に来た子どもさんを招待して、一緒にする心算だ。親に幾ら言っても、鼻っからする気がないのであるから止めた。我が子が大きくなっていくのに、留守でのひもじさは可愛そうで、卵焼きの作り方や、ご飯を冷凍にしていて、何かで遅くなっても凌げるように。

 庭のあちこちに野鳥の啄んだ種がの落ちた。気がつけば南天の実がたわわに熟れている。年賀状の写真に。
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