枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

夏越の祓え・茅の輪

2014年06月30日 | Weblog

 日本古来の伝統行事で、和(なごし)とは、神の心を和らげる言葉で、元旦から半年間に溜まった罪や穢れを祓う。茅(ちがや)で作った輪を潜る。由来は、スサノオノミコトをもてなした蘇民将来が、茅の輪を授けられ、子孫の繁栄を約束された伝説から。

 この時に、戴く和菓子は水無月で、その意味合いを持つが、認識の低さや、派手な印象で売らんかの商品もある。まあ、それはそれでいいのかもしれない。七夕をこの時期に行うのは、どう考えても理解できない。織姫も矛星も、天帝の怒りで逢えない。

 本来の七夕は、新暦では八月になってから。今年は、八月二日が当たる。旧暦では、1ヶ月が31日はない。閏年の入る年もあったりするので、外国の週間では計算が違う。日本には、七十二候や雑節があり、四季の季節が移り変わる様に、風情も多い。

 明日から三連休。図書館で借りた本を読もう。下重暁子さんの『老いの戒め』。そろそろこういった書籍を知っておかないと、いざという時の違いに気づかない。寸でのところで慌てるよりはいいか、と借りた次第。然し、年間目標には程遠い。挫折しそうだ。

 勤務を終えて、介護福祉士会の講習に参加する。実際には想っていても、いざとなると実行は難しいことを学ぶ。然し、何時も思うが、人格の設定が根本的に違っているのだ。小説の主人公は、脇役も含めて多重人格になる。分かり難い設定で困惑する。

 Aさんが、BさんやCさんの性格を持っていたり、その場に居ないDさんやEさんの役割もするのだ。これはおかしい。人間の生まれ育った経歴や環境が、そんなに容易く換えられるのだろうか。理不尽な性格設定に、心のわだかまりが増え、疑問が湧きでる。

 自分であることと、他人を受け入れることは、相反することだ。つまりは相互の相性にも因る。あるいは、どんな人間も、長短がある。相手の好いところを誉めるのは、尤もなこと。自然体でありながら、高齢者への尊厳を維持したいもの。狎れ過ぎはだめだ。

 やさしい色合いのクリスマスローズ。春を告げる花だが、白色や桃色、緑色とあり、一重や八重もある。

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枇杷に想う・・・

2014年06月29日 | Weblog

 我が家の枇杷葉の実は、小粒だが味は濃い。加えて、どれにも外れが無く甘い。差し上げた人が驚く甘さ。市販品の味には、比べるべくもない。初めて枇杷狩りに行った淡路島で、甘酸っぱい味の枇杷の実に、驚いたことにも依る。糠と塩を施肥する。

 ここ数年は何も施してないが、年末には遣っておこう。以前は、鶏糞を入れていたが、鈴生りで袋かけにてこずった。木も早く傷むような気がして止めた。できる限り、自然に任せるのがいいと、感謝の心だけでいた。今年は、実の生りが捗々しくない。

 それでも、他所の所には、生っていないこともあって、我が家のは先ず先ずである。白枇杷も生っていることを想えば、尚更ありがたい。そろそろ剪定の頃合いでもあり、枝を決めてしよう。木村秋則さんがおっしゃる声かけは、自然に感謝する想いだ。

 玄関の梔子が咲く。何と清々しい佇まいだろう。季節の到来を忘れずに、清楚な姿を現す。花にも命や心があることにはっとする。人間だけが生きているのでも、地球に棲まうのでもないのだ。それなのに、原発で核を造り、戦争を止めることをしない。

 日本は、戦争を放棄することを決めたのではないか。その意味の深さを、真摯に受け止めて思考しないでは、亡くなった人たちが浮かばれない。いや、国に殺されたと言うべきか。人間として一番罪が重いことを、これほど簡単に決めるとは。絶句!

 国民の大半が反対する決議を、理解しろとは言語道断だ。著名な方でさえ、戦争になる懸念を拭えないのに、直接其処に行かなければならない者にとっては、拒否権はあるのか。議員の数だけで決議することでもない。どんな解釈であろうとだめだ。

 今は亡き、手塚治虫氏、星新一氏、光瀬龍氏、小松左京氏も、戦争の愚かさを、何度となく書いてきたのだ。戦争になれば、善人が殺される。金持ちや卑怯な者は、巧く立ち回る。戦争に行かなくても命の保障はない。過ちを再び繰り返してはならない。

 春、勢い芽吹く新芽。りささん枇杷葉と、サンタ枇杷葉。必要に応じて、生葉で活用したり、焼酎に漬ける。

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焼きすくも

2014年06月28日 | Weblog

 青空市に出向く。此処には、野菜の他にも乾物があったり、しきみや榊が置いてある。すくもも焼いたのがあり求める。じゃが芋とトマト、パッションフルーツの苗も買う。キャベツや胡瓜は、冷蔵庫に痞えているので止める。李を予約しておく。

 宅急便で、収穫したての枇杷を、リエさんに送る。明日には着くらしいが、何処かに出かける予定であった?最終便で配達してもらおう。沿道に鮮やかに咲き誇る、合歓の木。誰も見向きもしない。甘いバニラの匂いがするのも気づかない。

 帰宅して、焼き籾殻(すくも)を入れ、パッションフルーツを植える。あちこちにも入れる。土と良く混ぜるのがいいが、取敢えずは遣っておく。2回目の洗濯をしながら、掃除機を久々にかけ、雑巾で拭う。昼食にトマト2個を塩で戴き、満足する。

 ドクダミの乾き具合を確かめる。室内での乾燥だが、先ず先ずである。雨に遭わすと腐るので出さない。また、水道水で洗っても腐り、捨てることになるので、飲む時に洗って淹れる。甘くて美味しいのは、井戸水だからだ。Aさんに感謝する。

 昨夜は、頭の疼きが止まらなかったが、雨が降っていた。映画の余韻が響き、水音に何度も眼が覚めた。冷房で体が冷えていたので、枇杷湯にどっぷり浸かる。汗が出てもサラサラになり乾く。湯上りのべたつきがなく、さっぱりして快感だ。

 パックスナチュロン社のボディソープで洗うが、枇杷葉エキスが入っていて心地よい。加えて、枇杷湯に入るので、体の芯を温める。シャワーで済ませていると、冬場になって困るのだ。腰痛の方は特に、半身浴をされたい。後悔先に立たず。

 夏に痩せないのは、個々の事情であろうが、温野菜で体を癒したい。先日、たくさんキャベツをもらい、思案した結果。酢と醤油で漬け込み、一方は塩糀に入れた。一晩寝かせばいい筈だ。千切りで戴いていたが、食べ切れなかった苦肉の策。

 痩せる原因には、病気からくることと、摂取することがある。或いは、自然療法での体調維持で、意外とこれが難しい。豆腐や蒟蒻がいいのはご存知だろう。然し、好き嫌いがある。無理に食べるのはよくないからだ。腰を、塩で揉んだら痩せた。

 ドクダミ茶がたくさんできました。飲んでみようと思う方、ご連絡ください。料金着払いでお送りします。ドクダミ茶は汗疹や、真菌にも効果があり、枇杷葉茶と同じです。飲用した後、湯舟か足湯で使ってください。自然の恵みを、大切にもらってね。

 中春の枇杷葉。のんびりとほんわかと、欠伸をしているような枇杷葉。蛾の幼虫や、昆虫に新芽を与え、ゆっくりと育つ。

 

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大潮・朔 枇杷収穫す。

2014年06月27日 | Weblog

 水無月。今朝は休みにも拘らず、早起きをする。塩を換えて、邪気を祓う。新聞をゆっくり読めなかったが、近くの友人との約束で、市内まで出かけるためである。AM8時過ぎに自宅を出、待ち合わせに向う。友人を乗せて最寄の駅に行き、電車で15分。

 映画館までは、地下を通って上に出て徒歩で10分。開館時間までに30分以上あるが、既に先客が3人。暇なんだなぁ・・・と視線を逸らす。然も、チケットはノアである。館内に入ってみればガラガラで、上映時間が来て、やっと10人か?冷房が効き過ぎ。

 ストールとバスタオル持参で、スカーフを巻いて観賞。半袖の上に羽織っているが、この人数では冷房は要らない。枇杷葉の湿布をしてきてよかった、と内心で安堵。世の中の人間が、全て暑がりとは限らないのよ。外に出れば風がある。生き返る心地。

 ノア。どうも、先入観というか、期待が大き過ぎた帰来がある。映像にすれば、こんな風になるんだなぁ、と実感する。聖書の件からすれば、個人的な想像からでは、異なるのは否めない。中傷や嫌がらせにも屈せず、神の声のままに忠実なノアには遠い。

 映像からと、文字とでは違うことは明らかだが、描き方に疑問を持った。そこが、クリスチャンとの思考の差かもしれない。何が起ころうと、一心に舟を作ることしか頭にないノア。世界の終りではなく始まりには、犠牲はつきもの。神の声とは、ノアそのもの。

 帰宅したのは、午後2時前である。漬け置きの洗濯物を回し、枇杷を収穫する。今年は例年にも況して小粒なのだ。ちょっとお供えをしておく。携帯で撮影して、ソーメンを茹で戴く。昨夜の胡瓜揉みが程好い。友人が胡瓜を土産にくれ、冷蔵庫に溢れ返る。

 早朝からの起床だったので、昼食後は睡魔に襲われる。気づけば時間がない。施設内の研究発表がある。着替えもならず、愛車を飛ばして滑り込む。隅っこの方に、席を見つけて腰かける。しまった!座ると前が見えない。体をずらして覗きこむ有様に。

 16題の研究発表だが、取り組み方がよくても、声が小さかったり、句読点がはっきりしていなかったり、原稿の速度が合わなかったりが多い。これは、話し慣れていないせいだろう。結果だけで言えば、データや統計に説明が偏る。専門用語が多すぎること。

 春の宵は、冬の時期に比べて、少し長くなってきた感がある。夜気も温かくなり、夜露に触れて寒さを思い出す。

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感謝の心で・・・

2014年06月26日 | Weblog

 Aさんちには、水を戴きにお邪魔している。水道代が払えないのではなく、井戸水での枇杷葉茶でないと、味が割れてしまう。折角煎じても、飲めたものでない。カルキが多い夏場は特に、不味くていけない。珈琲と枇杷葉茶は、井戸水で淹れている。

 鉈豆の苗を3本もらう。これは白鉈豆だが、植えておく。プランターに植えつけようとしたら、ドクダミの根と球根が出てきた。明日からは水無月なので、最終的に抜いた。夕食そっちのけで切る。そのままにはしておけない。新聞紙を出し広げておく。

 今年は、必要な人にあげてもいいか、と5回に分けて取った。最初のは、近くの友人が取りに来た。その後、新聞紙3枚分が、5回である。我が家の屋敷中に生えている証拠。寒中の分は自家用に保存している。それにしても、根気がいりまするな。

 自然の恩恵を感謝して戴くことは、生命力の維持に繋がる。夏場の食費を浮かせる手立て。病は気からと言うが、自然からの有り余るエネルギーを、体中に受け止めていけば、真実困窮した時には、超常現象が起きることもある。有難いことだ。

 枇杷葉の生葉を採って、ガス焜炉でちょっと焙り患部に当て、その上から温めた蒟蒻を置きます。手術をすることなく痔が治る。然し、普通の恰好では都合が悪い。隠れてするのではなく、雪隠に籠もるのがいい。体形的にもやり易い。1人でも可能。

 枇杷葉の焼酎漬けで出たエキスを、ガーゼに浸して患部に当てる。根気が持続できるなら、この方法もいいです。ガーゼ或いはカット綿でもよく、エキスをたっぷり浸して当てるのがコツ。小振りのナプキンでもいい。男性には抵抗があるかもです。

 後は、枇杷葉茶を毎日1ℓ飲むこと。1年も経てば、あれっと驚く程消えてしまう。大腸癌も兆しさえなくなる。枇杷葉には、悪い箇所があっても周りから包みこんで、細胞を再生させ、生き返らせる力がある。先日のエコーを見て、成程と実感したのだ。

 枇杷葉の根元に、毎年生える蓬。孫が好きなので取って湯がき、白玉粉で団子を作る。少し醤油を垂らす。

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五月雨を集めて速し・・・

2014年06月25日 | Weblog

 久々の、のんびりとした日。布団を干す。郵便局に行き、祝島に枇杷の代金を支払う。と、隣の屋敷に沙羅双樹の花が、たくさん咲いている。おおっ!凄いではないか。局内で話すと、きょとんされた。季節の花の有難さを、知ってほしい想いであった。淋しい。

 図書館に返却に行き、予約していたのを借りる。杏仁豆腐を作る。我が家の枇杷葉の熟れを触ってみた。東側のフェンスのは、実が育たなかった。いや、これはお茶で飲む。白枇杷が袋を下げつつある。朔日には収穫できそう。この日は映画を観に行く予定。

 体調が思わしくなかったのが残っていて、少し昼寝をした。ドクダミが乾燥でき、箱の中に詰まる。まだ取れるか、と花の咲いているのを摘む。風呂にも入れてみよう。桃の葉や、枇杷葉と同じで、汗疹に効くのだ。水虫にも効果があると記載あり。自然の援け。

 庭の様子が少し変わったためか、メロンが生っており、3つほど見える。トマトは1個収穫して戴いた。甘く瑞々しい。西瓜の花は見えるが、結実しない。薔薇の花が蕾をつけ、かすみ草が咲く。ナメクジラのせいか?バッタとキリギリスの奴等か、花が消える。

 ちょんぎーる、というから、きりぎりすかな?昆虫の声紋は特定できるの。人間なら録音された記録から、はっきりするとはいえ、お粗末な結果に唖然とする。尖閣諸島に無断で泳いで行った時に、議員を辞めさせておけばよかったのに。世界中が笑う態だよ。

 昨日は、大都会に雹が降ったそう。とあるブログに写真付きで載っていた。神さまが、流した涙かもしれない。異変を感じる。宇宙船はないし、脱出の術もない。この青い星の行く末は何処に。人間が諍いを止めなかったら、神の采配が下りる。時間の問題だ。

 桑の実は、ヒヨドリや雀に啄ばまれた。枝が撓っていたのが元に戻った。雨のお蔭で、大豆と薩摩芋がつく。青々として、あちこちに芽を出している。草よりはいいかと植えたり、蒔いている。自然からの恵みを感謝する次第。フェンスの外を菜園にするかな?

 春の朧の月。秋の月とは違うが、捨て難い風情がある。唯、何となく眺めて居たくなる。月も恋する。

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合歓の花、咲く

2014年06月24日 | Weblog

 合歓の花が咲いている。今年の雨に、色合いが鮮やか。栴檀と交互になるのか、少し濃い目の薄桃色。路の両側に咲き乱れる。合歓の花の匂いはバニラ。甘い香りが漂う。季節の訪れを忘れないで知らせる。感性の届き方にも依るが、気づかないのは何故だろう。

 沙羅双樹の華は、朝咲いて夕方に散る。夏椿とも云うので、花軸のところから落ちる。それが地上に散った様も風情がある。三千年の古お釈迦さまが、この樹の下で悟りを啓かれた、と伝えられる。我が家の夏椿は、山茶花に転じた。昨夜、不思議な夢を見たが・・・

 今朝は、駐車場が満車状態で、その時には停めさせて、と頼んでいたこともあり、Aさんちに行く。駐車して仕事を終え、間際から降り出した雨を見あげて外に出たら、不思議なことに降っていない。停めてある愛車に乗り、Aさんちの住居に向かい、卵を取りに寄った。

 玄関を入ったらチャイムが鳴るものの、居る筈のAさんがいない。こういう時に電話でも鳴ればわかるのに、と内心考えていると、けたたましくベルが響く。足音賑やかにAさん現る。声をかけるとびっくりされた。何と、電話は何も云わずに切れたと言う。えっ!念じた?

 すると、Aさんの次の言葉に仰天する。今し方、白と黒と赤の鳥のようなものが、山の方に飛んで行ったの。と話す。お腹が白で、背中の方が赤と黒の半々、糸の切れた凧のように、こんな感じで、と必死で教えてくれる。嘘じゃないんよ、もう一人見た人が居ると無心。

 否、信じれない出来事には、度々遭遇しています。神の存在を信じる者には、そういった神秘的なことは、他の人には見えないことも視える。龍に出遭ったことも、その姿が視えることも真実なのだが、証拠も立証もできない。夢で片付けるには、腑に落ちないことである。

 愛車に乗って自宅へ向いた途端、凄まじい雨音。前が見えない降り方に、神の怒りを感じる。張り詰めた冷気が襲ってくる。道路は陥没状態の大洪水。閉鎖される前に帰りたい、と一心に念じて帰宅。洗濯物が湿っているのを取り込む。珈琲を淹れて飲み、人心地つく。

 我が家の枇杷葉が、不思議な力を発揮するのには、ちゃんとした理由がある。何処の枇杷葉も同じであり、そうでないことにも繋がる。私の手には不思議な力が宿る。それで触った枇杷葉には、眼に見えないことが起きるのかもしれない。信じる意外に、力は伝わらない。

 白枇杷の花芽。今年は、昨年よりも鈴生りになった。実がたくさん付くかと想ったが、寒さに弱い。

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沖縄慰霊の日

2014年06月23日 | Weblog

 空々しい言葉だなぁ、とテレビを観つつ思う。人間同士の争いが、どんな結果になるかは、先の戦争で懲りている筈なのに、あやふやな言い回しで、国会を閉会するとは・・・。人間でありながら、痛みを想うこともなく、思考回路も切れているかだな。

 以前、勤めていた会社では、月曜日にある部署での朝礼で、順番に何かを話すのだが、咄嗟にはできないことも、原稿を書いておけば言える。それすら苦手な者は、新聞を読んできていれば、1分以内のことなら話せる。要はまとめ方にも因るんだ、

 考えて話す、ということは、自分の教養を高めることでもある。また、その日が何の日であるかも重要なことだ。生かされていることへの感謝、自然からの恩恵に祈ること。何気ない日常に微笑むことも、とても大切なこと。言霊には宇宙の魂が宿る。

 旧暦の皐月も済もうとしている。既に半年が経過していることに、月日の速さを想う。腰痛で動けなかった日から、何年も経っているが、回復したことがよろこばしい。蒟蒻、幾つ使ったかな?辛抱強く、毎日何回も当てていたから、蒟蒻の山が出現。

 枇杷葉茶を飲みだして、著しい効果があったのは、新陳代謝が良くなり、汗が爽やかになったこと。それまでは、不快感が拭えず、暑い筈が寒くてならなかった。体調を崩すのも、直ぐに咽喉が痛くなり風邪を引く。咳は出るしで寝込んでいたもの。

 立ち眩み、咽喉の渇き、汗疹等に悩まされ、頭の痛みは日常化。食事が味気なく、吐き気は毎度。そういった様々な症状が、いつの間にか消えてしまった。体は正直だなぁとしみじみ想う。枇杷葉のお蔭であることに、感謝してもし切れない想い。

 枇杷葉茶、枇杷風呂、枇杷葉温圧療法、枇杷葉湿布、枇杷酒と活用でき、自分に合った方法で、続けていくことも大切なこと。或いはまた、体内の毒素を出し切るまでの辛抱が、できるかできないかにも依る。治すのは、自分の心のありようか。

 春の宇宙。白々と明けゆく空、暮れなずむ闇へと向かう空。百億の、千億の時を超えて輝いている。

 

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枇杷葉温圧療法

2014年06月22日 | Weblog

 店に行って、蒟蒻を数個買って来ます。鍋も安いのでいいから、専用の物を決める。ガス台、或いは電磁気に、鍋に張った水に蒟蒻を入れて沸騰させる。温かくなった蒟蒻を、手拭か顔拭きタオルに包み患部に当てる。この時、生の枇杷葉があれば更に佳い。

 枇杷葉は、葉のつるつるした方を肌に置き、その上に温かい蒟蒻の、タオルに包んだ物を乗せる。決してナイロンに包んだりはしない。蒟蒻の温かみと湿りが、治療を行うのです。簡易懐炉を使ったり、濡れるからとナイロンに入れると効果はない。蒟蒻薬効だ。

 言い換えれば、簡単で便利な遣り方には、メンテナンスが行えないということ。自然の力を借りる時には、自然の物を使いましょう。どんなに医学が進歩しても、治らないことはあります。けれどもそれは、生き物の持つ力を信じないから。自然治癒能力を信じる。

 この方法を一日に何度も繰り返す。徐々に蒟蒻は縮むが、小さくなったら二つを一つに使う。足の裏や腰、膝等には、冷やしてはならない壷がある。夏場にシャワーを浴びるのも、体を冷やすので避けたい。半身浴がいい。汗疹には、悪化するだけで治らない。

 季節の野菜・旬の物を戴くことと、防腐剤や添加物の並ぶ物は止める。めんどくさいと食事を疎かにすれば、必ず体につけで還ってくる。外食は控え、自分で作ることが大切。温野菜、生姜等、好き嫌いに拘らず、病気になるよりはいいので、摂取することです。

 見た目でなく、内面の教養を高め、磨きをかけ、学んでいく姿勢にこそ、自然からの恩恵はある。便利なことには、何等得ることはなく、体内の病気を増やし、足腰が立たなくなって、寝たきりになることが多いのだ。還暦を過ぎると後は転落の一途。介護用心!

 Aさんの、足の調子が気になり、勤務後にお寄りする。手を当てていると、気孔が入っていくのがよく分かる。久々の治療だが、効果は変わっていない。1時間弱お邪魔して帰宅。雨が降ったので水遣りはしない。フェンスの外の、大豆が発芽している。やれやれ。

 玄関の入口、左手の枇杷葉。生葉が、ひ弱で育ちが悪い。年末になったら少し伐ろう。横に伸ばす。

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夏至・ドクダミ刈る

2014年06月21日 | Weblog

 夏至 太陽が黄道の北端を通る日なので、北半球では一年中で最も昼の長い日で、暑気も厳しくなる。毎年、六月二十一日頃である。薬草も刈っておかねば、と最終的にドクダミを刈る。花も寂しくなってきた。庭を見渡せば、すっきり涼しくなった。

 何時もの癖で、目が覚めたのは5時。休みということで、布団に居るが、外の明るさにコミックを読む。ゾウの肩掛け、何度読んでも愉しい。AM8:30になったので、起きることにする。特別予定は無いが、ドクダミだけは刈り込むことに決めておく。

 藪蚊がいるので、長袖で行う。蔦が繁って前に進まないので引っ張る。小ざっぱりさせて、ドクダミを抜く。根っこも必要で、格闘する。愛車の掃除もしたいので、掃除機を持ち出しスイッチを入れる。中は敷物をしているが、日数も経てば汚れるな。

 洗車は後日に回し、庭の草木の水遣りをする。揚羽が柚に移動している。葉っぱ少ないんで心配だが、のほほんと見えて可笑しい。洗面台に吊るしてある、プライダルベールが見苦しいので、外に持って出て、挿しかえる。枯れているのが多い。

 北側のフェンスに置いている、枇杷葉の鉢植えが気になっていたのを、南側に移動させる。百日紅の近くには、地植の枇杷葉もあり、取敢えず持って行く。他の木々にちょっと断りを言っておく。玄関の入口に鉢を置きたい心境。ドクダミの鉢植えか。

 墨田の花火が満開である。鉢植えの白い紫陽花が咲いている。薔薇は、挿し芽にしたのが蕾をつけている。暑い地方の花なので、これからが本格的。ベゴニアもどんどん殖え、鉢が小さく見える。ランタナもたくさん咲き出し、枇杷葉に彩りを添える。

 揚羽を見ながら、これってあの小さかった奴か?と謎が湧く。居たんだよね、2mm程度の大きさのが・・・。然し、柚の葉は一枚もないし、どうするんだよぉ~、と思ってはいたが、何処かでじっと潜んでいたんだ。やっと葉が、数枚ついたら出てきた。

 自然のもたらす知恵に、人間が気付ばいいが、見落とすことも多い。枇杷葉茶を飲み出したのは、更年期に入ってからだ。その年齢にならなければ、わからないことが多い。腰痛も然りで、動けなくなって慌てた。医者嫌いゆえ、望みを託したのだ。

 尤も、医者に行っても治らないのは明らかで、最悪状態での手術か、電気を当てるか、気休めの湿布程度。金が嵩むだけで、碌なことはない。枇杷葉で生かされていることを実感。これは自然からの恵みを、感謝して戴くことに通じているのだ。

 加えて、自分が治ったんだから、誰かに教えてあげたい。援けてあげられるなら、惜しむことはないのだ。また、枇杷葉を信じることで、随分と心が豊かになった。これは宇宙の力を、分けてもらえたことへの感謝だ。自分を信じることにも依るが。

 そういった民間療法が、長い歴史の上に成り立っている。日本では、光明皇后の施薬院がそうで、奈良時代に遡っていく。中国の典薬には、お釈迦さまも施術していた記録が残る。事実無根ではなく、ビワの葉自然療法、という本にも書かれる。

 我が家の白枇杷。土肥地方にあるから、白枇杷と言うのであれば、なんというのか疑問も湧くが、皮の色が薄い、味は濃厚。

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