日本古来の伝統行事で、和(なごし)とは、神の心を和らげる言葉で、元旦から半年間に溜まった罪や穢れを祓う。茅(ちがや)で作った輪を潜る。由来は、スサノオノミコトをもてなした蘇民将来が、茅の輪を授けられ、子孫の繁栄を約束された伝説から。
この時に、戴く和菓子は水無月で、その意味合いを持つが、認識の低さや、派手な印象で売らんかの商品もある。まあ、それはそれでいいのかもしれない。七夕をこの時期に行うのは、どう考えても理解できない。織姫も矛星も、天帝の怒りで逢えない。
本来の七夕は、新暦では八月になってから。今年は、八月二日が当たる。旧暦では、1ヶ月が31日はない。閏年の入る年もあったりするので、外国の週間では計算が違う。日本には、七十二候や雑節があり、四季の季節が移り変わる様に、風情も多い。
明日から三連休。図書館で借りた本を読もう。下重暁子さんの『老いの戒め』。そろそろこういった書籍を知っておかないと、いざという時の違いに気づかない。寸でのところで慌てるよりはいいか、と借りた次第。然し、年間目標には程遠い。挫折しそうだ。
勤務を終えて、介護福祉士会の講習に参加する。実際には想っていても、いざとなると実行は難しいことを学ぶ。然し、何時も思うが、人格の設定が根本的に違っているのだ。小説の主人公は、脇役も含めて多重人格になる。分かり難い設定で困惑する。
Aさんが、BさんやCさんの性格を持っていたり、その場に居ないDさんやEさんの役割もするのだ。これはおかしい。人間の生まれ育った経歴や環境が、そんなに容易く換えられるのだろうか。理不尽な性格設定に、心のわだかまりが増え、疑問が湧きでる。
自分であることと、他人を受け入れることは、相反することだ。つまりは相互の相性にも因る。あるいは、どんな人間も、長短がある。相手の好いところを誉めるのは、尤もなこと。自然体でありながら、高齢者への尊厳を維持したいもの。狎れ過ぎはだめだ。
やさしい色合いのクリスマスローズ。春を告げる花だが、白色や桃色、緑色とあり、一重や八重もある。