狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

鮎の塩焼きの話

2007-02-20 21:38:52 | 日録
約20年ぐらい前、山形県の鄙びた村まで行ったことがある。さしずめ「小さな旅」に当るわけだが、ボクは零細な運送店主、たとい1泊2日でも、連休を取るのは容易なことではなかった。
 そのため比較的長い休暇となる8月の旧盆を選んだのである。義兄の次女が山形の寒村出身の青年と結婚したため、その実家に挨拶を兼ねた義兄のための2人の旅であったのだ。
 この結婚には猛反対した親子の間だけに義兄は緊張していた。そのためボクをダシに使ったわけなのである。

 こちらを朝5時前に出発した。夏の朝5時はそれほど苦にならない。この時の車は、「トヨペットクラウン41年車」である。
 予定の行動では、握り飯持参で行き、今では合併しない町で有名になった「矢祭町」で、まず鮎の塩焼きで朝食をとるという単純な計画で始まる。
 ボクも兄貴も、常磐道を通って仙台とか、福島県も会津若松あたりまでは行ったことはあるが、山形県にはまだ足をふみ入れたことはなかった。だから2人は地図をたよりに、夕方までに着けばよいと気の長い考えであった。

 今思い出すと、矢祭町で塩焼きが食べられなかったことばかり頭に浮かんで、その先の途中の行動について記憶に残るものは全くないといって差し支えない。
 6時ごろ矢祭町についてしまった。塩焼きを商う店はまだ1軒も戸が開かなかった。

 1時ごろ山形の目的地近くまで来てしまい、最上川周辺に「若鮎の里」などと書かれた大きな看板を何回もであったが、それらしい茶店もレストハウスも、とうとう見つからなかった。