狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

くじら餅

2007-02-21 08:50:12 | 日録

写真は「山形県」ホームページから引用させていただいた。


 姪聟の家での一夜は、イバラキから来た珍客への、たいへん大袈裟なもてなしの宴となった。
村中の親戚に触れを回したらしい。それぞれ酒や、搗きたての餅、(餅を搗くのは最大の振る舞いだそうである)大型の菓子折り、なめこの缶詰の籠などを持参して5~6人が集まって来た。

 家族構成は両親、跡取り長男夫婦で、台所仕事は御母上さまが長男嫁さんを指図しながら、懸命の労を執られた。その作り方も解説もなされたが、いばらぎ人には不可解なウラルアルタイ語だった。
 そのときおよばれした馳走が「くじら餅」である。そのほか郷土料理と思われる味噌を紫蘇で包んだ珍品があった。
親戚のひとりが、
「今日捕って来た」という鮎をバケツいっぱい持参した。オレはこのときやっと念願が叶った気分になった。
 酒は「初孫」超特選。である。

 しかし、残念なことに、鮎はフライパンで焼いたので、ゴジャゴジャになってしまった。見ただけで手をつける気にはなれなかった。とうとうあの矢祭町の「鮎焼」は幻のものとなってしまったのであった。
 帰途は日本海側に出て、坂田→新潟→長岡→小千谷→沼田のドライブコースだったからである。
勿論その頃は高速道路は全く整備されていなかった。
沼田までは順調に走ったが、以後盆の帰省の車の渋滞で5~6時間かかった記憶がある。