狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

白菜畑

2007-02-02 18:38:29 | 日録

実は今日パソコン同好会の集まりがあって、その会場階下の大型食品売り場で、白菜1束を買って帰った。買ってくるのを頼まれたのは、明日使う節分用の豆と、頬刺しであったが、それだけで勘定場を通るのは気がひけたからである。
写真はその帰途の白菜畑を撮った。

それはそれとして、帰宅後習慣的にパソコンを開く。Mさんの最新ブログに高見順『敗戦日記』の昭和20年2月2日が引用されていた。
それは北鎌倉駅あたりでの出征兵士を乗せた電車の様子を描写した部分であった。
折しも小生は、終戦時の思い出話を町の文芸誌に載せる原稿を思案中だった。
山田風太郎の「戦中派不戦日記」拾い読みをしていたところだったのだのである。
以下Mさんに倣って昭和20年2月2日を読み返して見たい。

二日(金)雪、曇、夕晴
○昨夜12時寝につく。いまだ眠りに入らざるに警戒警報発令。敵1機関東西部に入る。帝都に入ることなく相模湾より南方海上に退去せり。
○明くれば雪なり。大いなる牡丹雪、霏々としてふり、また霏々としてふる。またたく間に1尺ちかく積もる。街中積水に濡れはてて、靴底の隙より入れる冷水、靴下を侵して足指凍らんとす。
(略)
○七十歳のアナトール・フランス、五十二歳の・モーレスパレスが銃をとりて祖国の難に赴くかんとせしごとき景、今の日本に見られざるは何ぞや。
 そは国民性にもよるべし。されど日本の国難がフランスのごとく、少なくとも一般民衆の眼に突然現れ来るがごときものにあらざりしことにもよらん。すなわち日本は、今より九年前負くるおそれなき支那事変を始め、四年前米英と開戦せし時はすでに足かけ五年の戦争を経験せるあとなりき。慢性的戦争の気味なしとはいえざりき。パレスは知らず、少なくともアナトール・フランスをして日本にあらしめば、十二月八日、必ずしも七十の老躯を下げて陸軍省に出頭せざりしなるべし。

ところで、買ってきた白菜1束、
「それどうするの?」
「安いから買ってきた」
「知らないわよ」
この白菜は今でもわが軽ライトバンの荷台に積んだままである。