狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

補足尋常小学算術書

2006-12-16 17:57:15 | 本・読書
尋常小学算術書を、藤富康子「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」から、引用したのだけれど、「中抜きの引用」なってしまった。もう少しその前に戻って引用しないと、ちょっと意味が通じないと思うので書き足してみたい。

>賛否両論に渦巻く世評を満身に浴びながらも、昭和8年4月入学する児童からこの新しい国語読本は使用され、その冒頭文より「サクラ読本」と通称されて、一人歩きを始めた。世間の評判につられてか、小学生に関係のない家庭までも巻一を買い求めて話題とするほどの人気であった。(略)

昭和7年には「尋常小学図画」と「新訂尋常小学唱歌」の教科書が刊行され、8年にサクラ読本の「小学国語読本」と「小学書方手本」、9年には青表紙に美しく装われた「尋常小学修身書」が新しく刊行された。そして昭和10年には―。

新教育思想を背景にしながらまだまだ平和なそのころ、もう一つの熱気が図書局に渦巻いていた。『尋常小学算術書』の改訂をめざす塩野直道図書監修官を中心とした若い鋭意の面々である。サクラ読本の好評は、スタッフの意気に拍車をかけ、昭和10年の発行を控えて原案の起草に検討に、たゆみない努力が続けられていた。

かつて、日本の数学教育は、関孝和(1640~1708)を頂点としていた。直感的・術的な和算の伝統に、幕末の欧米文物の流入による客観的・学的な洋算の必要性が加わり、明治5年の学制発布を機に、「和算廃止、洋算専用」が唱えられ、ソロバンでの計算を廃して筆算の普及が努められていた。しかし、筆算を要求されても、それを教える側の教員にまだ洋算を知らない者が多く、次第に珠算を教えることも認められるようになり、さらには暗算を奨励して、明治10年代には筆算・珠算・暗算の教科書が出版されていた。30年代に入ると近代国家として教育体制を整える必要から、33年に「小学校令」が制定され、その算術科の教則も定められた。

算術ハ日常ノ計算ニ習熟セシメ、生活上必須ナル知識ヲ与ヘ、兼テ思考ヲ精確ナラシムヲ以ッテ要旨トス
これは以後40数年に及ぶ指導精神となったのである。